僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十八章

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 真山と、真山の正面に浮いている湖校の校章が、クルリと僕の方を向く。咲耶さんが十二単のお姫様を真山に伏せている不可解さを飲み下し、僕は校章に正対した。
「アイ、僕と智樹が共同で進めているサッカーの研究を、公式発表したとする。真山はあの研究の執筆者じゃないけど、手本の動画を提供してくれている重要関係者だ。その重要関係者が、研究に使われている自分の動画を基に文化祭用の映像を作ったとしても、使用許可は下りないかな?」
「執筆者の二人が合意しているなら、もちろん許可します」
 光のエフェクトが一層キラキラしくなった校章に謝意を述べ、次は真山へ体を向ける。内も外も超絶イケメンの、いつもの状態に戻った親友に目を射られ少なからずたじろぐも、僕は気合いを入れて提案した。
「真山がそんなに気に入ってくれたんだから、そのOP動画はもちろんあげる。でも、今じゃない。僕は、真山が編集した動画も見てみたいんだよ。ねえ真山、そのOP動画の基になった自転車競技の漫画、読んでみない?」
 これは、賭けだった。真山はオタクを見下すような奴では決してないが、それでもアニメや漫画に触れた経験はほぼ無いと、僕は本人から聞いていた。加えてあの自転車漫画はかなりの長編で、件のアニソンがOPを飾る一年時のインハイだけでも三十巻近い量になる。マニアの僕にはどうって事なくとも、慣れない人が「さあ読んで」と漫画三十冊を積み上げられたら、頬を引き攣らせると考えるべき。いやそれ以前に、これから向かう地下倉庫一階を埋め尽くす八千冊の漫画を目にしたとたん、真山はドン引きするかもしれない。少なくとも、地下二階に同数の漫画が永久保存されている事は、隠さねばならないだろう。そのためにも、ここは泰然としておくことを僕は秘かに決意した。
 のだけど、
「わかった。俺は第二のナナちゃんになるよ」
 などと、真山は想定外の奇襲をかけてきたのである。泰然としておく決意はどこへやら、僕はアワアワのふらふら状態になってしまった。そんな僕を真山は素早く支えて、イケメンオーラ全開で問うた。
「で、それはどんな漫画なんだい?」
「う、うん。平成後期から晴天せいてん初期に連載された三十年以上昔の作品だけど、あれを超える自転車漫画は未だ現れてないっていうのがマニアの通説なんだ。ただ個人的には最初のインハイが一番面白くて、特に三年の先輩方が敵味方問わず素晴らし過ぎてさ。あの歌も・・・」
 漫画について熱弁させることでナナちゃんの、つまり那須さんの話題を逸らしてくれたこの超絶イケメンに感謝しつつ、社務所の地下に設けられた文化財シェルターへ、僕らは向かったのだった。

 文化財シェルターと命名された地下倉庫について語るには、前世紀の第一次オイルショックまで遡る必要があるだろう。
 祖父の祖父には姉がいて、結婚後も神社の近所に住んでいた。祖父の大伯母にあたるその人は水晶によると、二十世紀における世界屈指の予言者だったらしい。曾々大伯母ではなんか変なので大伯母で統一するとして、その大伯母がある日、先代に言ったそうだ。
「友人の頼みを叶えなさい」
 そのころ先代は、江戸時代から続く商家の当主を務める友人に、土地を買って欲しいと頼まれていた。1973年の第一次オイルショックで大損した友人は、会社倒産の危機に直面していたのだ。小学校時代からの友人なので助けたい気持ちは多々あるも、経済が不安定な時期に大金を手放すことを、先代は躊躇っていた。その先代の背を、大伯母が押したのである。先代は、友人の頼みを叶えて土地を購入した。旧街道の物流基地だった広々とした土地は十七年後、数百倍の価格で売れる事となる。ウチの神社に金銭的余裕があり、また巨大な神楽殿や地下二階のシェルターがあるのは、大伯母のお陰らしい。その大伯母が、当時小学五年生だった祖父の頭を撫でながら、こう言ったそうだ。
「世間の評価を気にせずお前が大切と思ったものを、このシェルターに保管するんだよ」
 当時は大伯母の能力をまだ教えられていなかったが、猫将軍一族の事実上の頂点が大伯母であることを直感的に知っていた祖父は、言いつけを素直に守った。祖父は多くの漫画に触れ、これぞと思った作品は二冊ずつ購入し、シェルターの一階と二階に保管していった。小学生の事ゆえ小遣い不足にしばしば遭うも、これは外せないと感じた作品を大伯母の家に持って行くと、「ナイショだからね」と購入資金を必ずくれたそうだ。祖父がそれを始めたのは平成二年だったので蔵書には昭和の名作も多数含まれ、その五割が平成晩期の時点で四十倍の値に、そして晴天中期には二百倍の値になったと言う。ちなみに現在は、猫将軍家の財産を管理する美夜さんによると、「一万六千冊の時価が幾らになるかは知らない方がいい」なんて空恐ろしい状態になっている。大伯母は遺言に「遠い未来、人類全体の財産になるから絶対売却しないように」と明記しており、それがなくとも金に目がくらんで売るなど有り得ないが、だからと言って地下一階の蔵書を読んではならないなんて決まりを祖父は作らなかった。子供時代に素晴らしい漫画に触れることが心をどれほど豊かにするかを、祖父は実体験を通じて知っていたからである。目が飛び出るほど高価な昭和時代と平成時代の名作漫画を直接手に取り、そして読み耽ることができたのは、保管場所と資金を提供した大伯母もさることながら、心の豊かさを何より優先した祖父のお陰なのだと僕は考えている。
 文化財シェルターには、忘れてはならないエピソードがもう一つある。それは、祖父と祖母を結び付ける懸け橋になった事だ。大伯母の結婚相手は、弟さんの孫娘を大層可愛がっていた。しかし人とは不思議なもので、その女の子は血のつながった大伯父より妻の大伯母に懐き、大伯母も互いの相性の良さとえにしの強さをひしひしと感じていたと言う。その子が、大学合格の報告を兼ねた電話で大伯母に言った。「受験が終わりやっと時間ができたから、小学生のころ大好きだった漫画を読もうとしたけど、手違いで捨てられていた」 気落ちした声のその子へ、大伯母は気軽に返した。「その漫画なら読めるから、春休みに遊びにいらっしゃい」 それが、祖父と祖母の馴れ初め。そう、大伯母が可愛がっていたその女の子が、僕の祖母なのである。
 漫画は電子書籍より、紙の本を僕が好むようになったのも、祖父の蔵書の影響。運動音痴克服法の研究で細々ながら収入を得られるようになると、特に大好きな昭平コミックを購入し、自室の本棚に並べるようになったのだ。那須さんに去年プレゼントした漫画もその一つで、それを機に那須さんは、学園恋愛系漫画の愛好家になった。それは那須さんの心の傷を大いに癒してくれたから、プレゼントしたのは嬉しい想い出なのだけど、さっきの真山の「第二のナナちゃん」云々を広めてしまったのもまた事実。でも悪意の揶揄に晒された事はないし、親友の真山は殊更そうだから、真山に漫画を紹介することをむ気持ちはない。紹介する量が多すぎるのと、連れてゆく場所が特殊なのは、少々不安だけどね。
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