僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十七章

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 少し遠回りするけど許してくれと前置きし、僕は話した。
「お米をまったく食べてこなかった外国人が、お米の本当の美味しさを味わえるようになるには、それなりの時間がかかる。でも遺伝子レベルでお米の美味しさを知っている僕らにとって、卓越した技術で炊き上げられた艶々ほかほかのご飯は、時に究極の料理となる。かく言う僕も、お米が大好きでさ。新忍道で空っぽになった胃袋に、炊きたてご飯を掻っ込んでいる時の幸せは、言葉では到底言い表せないよ」
「わかる、わかるよ猫将軍!」「だよな、お米最高~~!」
 てな感じで僕と久保田はそらから暫く、お米の素晴らしさについて熱烈に語り合った。この国の体育会系男子にとって、腹ペコ状態で食べる美味なるご飯は、まさしく究極の料理となり得るのである。
「でな久保田。お米を一度も食べてない外国人がお米の本当の美味しさを知覚するには相応の時間を要するように、久保田の良さがわかるにも、相応の時間が必要なのだと僕は思う。そして同じ文化祭実行委員として活動を共にしてきた秋吉さんは、その一端を既につかんでいるはず。じゃなきゃ今日のパワーランチみたく、副責任者に進んで立候補するなんて、ありえなからさ」
 照れる余り会話の成立しない十数秒を経て、久保田は「時間がないのにスマン」と頭を下げた。音声のみ通話にもかかわらず誠心誠意それができる久保田に、気持ちがキリリと引き締まる。僕は久保田の漢気へ、漢になって応えた。
「久保田、酷だが聞いてくれ。偽物の自分を演じて異性に好意を持たれても、相手と自分の両方を不幸にしてしまう。久保田には、無口で引っ込み思案な面があるのかもしれない。だが、それだけじゃない。パワーランチで先祖と家族と自分の話をして僕と皆と、そして秋吉さんを楽しませたお前も、お前の中にしっかり根を下ろすお前自身なんだって、僕は思うからな」
「猫将軍、その僕は小さくて、とても弱々しいんだ。その自分をさらすのが、まだ少し怖いんだよ。僕は、どうすればいいんだろう」
 久保田に自信をもって問いかけた。
「弓道で矢が的に当たらなくなったら、どうする?」
 一拍置き、軽やかな声が耳朶をくすぐった。
「周囲の人に意見を求めて、自分でも一生懸命考えて、そして的に当たるようになるまでひたすら弓を引き続ける。なあんだ、同じなんだね」
「ああ、何も変わらない。これまで久保田が生きてきた、久保田のままでいれば、それでいいのさ」
 それから久保田は、手短にするからもう一つだけと、電話の向こうで手を合わせた。水臭いこと言うなよ気にすんなってと気軽に応えた僕はその直後、それは気軽だったのではなく、軽はずみだったのだと思い知る事となる。なぜなら久保田は疑う気持ちなど欠片も無く、こうぶちかましたからだ。
「秋吉さんは、どんな木彫りが好きかな?」
 僕は就寝時間ギリギリまで、女性へのプレゼントの難しさについて、久保田に懇々と説かねばならなかったのだった。

 翌朝、二年二十組に足を踏み入れた僕の目に、熱心に話し合っている久保田と秋吉さんの姿が飛び込んできた。久保田の席に秋吉さんが座り2D画面を立ち上げ、その横に立った久保田が秋吉さんに近づき過ぎぬよう配慮しながら2D画面を覗き込んでいる様子に、頬が自然とほころんでゆく。おそらく秋吉さんが久保田を訪ね、話が長くなりそうだと感じた久保田は秋吉さんに自分の席を勧め、けど馴れ馴れしくならぬよう細心の注意を払い、久保田はああして横に立っているのだろう。それはあたかもお米が大好きな人専用の、絶品お米が主役を張るカレーライスのような印象を、僕の胸にもたらしたのだった。
 二人が熱心に話し合っている様子はその後も休み時間のたびに見られ、実行委員八人の話題をかっさらった。二人の微笑ましさに、二人を除く実行委員全員がチャットで盛り上がっていたのである。僕ら八人は、にやけ心が顔に出ぬよう大層苦労しながら、久保田の恋の行方について大激論を交わした。

 そしてお昼休み、パワーランチが始まるや久保田は挙手した。いつもと変わらず振る舞おうと誓い合った、あのチャットは何だったのだろう。七人は即座に僕を裏切り、にやけ顔を一斉にこちらへ向けた。議長としての真面目顔を保つには、太腿を思いっきり抓らねばならなかった。
 だが抓った価値はあった。久保田は木製台座案について、まこと誠実な報告をしたのである。それは段ボール台座の制作が、事実上不可能な説明から始まった。
「僕と秋吉さんが最初に行ったのは、髪飾りの展示方法のシミュレーションでした。その結果、髪飾りは女性の鳩尾みぞおちの高さに、若干の傾斜をつけて展示するのがベストと判明しました。3Dだと、こんな感じです」
 秋吉さんがキーボードを操作し、湖校の制服を着た女子生徒と、その鳩尾の高さに髪飾りを映し出した。そこに台座はなく、生徒側に若干傾いた髪飾りは、単独で宙に浮かんでいた。女子生徒が喜色を浮かべ、髪飾りに顔を近づける。そのさい腰は折られておらず、肩甲骨から首にかけてゆるやかな曲線を描いているだけだった。
「美しいものを目にすると、人は無意識に顔を近づけようとします。八つの髪飾りに幾度も顔を近づけ、その都度腰を折っていたら、腰に痛みを覚える生徒が現れるかもしれません。文化祭のクラス展示で、知らず知らずの内に腰を酷使している生徒も、いるでしょうからね」
「あ、私がそう。去年の喫茶店の焼き菓子づくりで、個人的に課せられていた入浴後の腰のストレッチをサボってたら、私ぜったい腰痛になっていたと思う」
 手を挙げそう発言した香取さんに、詳細を教えて欲しいとの声が続出した。それに最も熱心だったのが久保田だったため尋ねてみたところ、前かがみの姿勢で長時間過ごす木彫りは、腰に無視できない負担を強いるとの事だった。木彫りに慣れていない初心者は特にその傾向があると顔を曇らせた久保田へ、僕はプレゼンの一時中断を要請した。クラスメイトの健康に関わる事なので久保田と秋吉さんはすぐそれを受諾し、そんな二人に報いるべく、香取さんは自らの体験談を快活に話してくれた。
「お菓子係責任者だった天川さんは練習初日の冒頭を、料理における体の負担の講義に費やしたの。料理の初心者は、普段あまり使わない筋肉を前傾姿勢のまま長時間使い、体に負担を強いる傾向がある。体のかなめである腰はそれが特に強く、腰の痛みは味に反映してしまうから、美味しい料理を作るなら腰の負担の少ない姿勢を心掛けてくださいって、天川さんは料理のプロとして先ず説いたのね」
 昴は焼き菓子作りの練習前後に必ず簡単な体操をし、そして練習中の様子から、必要なストレッチを各々に課したそうだ。料理の初心者かつ運動不足気味だった香取さんは最も多くのストレッチを言い渡されたが、昴への信頼からそれを熱心に続け、その甲斐あって調理の練習中も文化祭当日も腰に不調を覚えることは一切無かったと言う。「正真正銘のプロはこういうものなんだって、私は天川さんに教えてもらったの」と話を締めくくった香取さんは勉強になった旨を皆からこぞって伝えられ、当然ながらその先頭に立っていたのは智樹だった。よって、
「智樹をストレッチ責任者に任命します」
 僕は議長権限を行使した。鳩が豆鉄砲をくらったような顔、の体現者となった智樹は会議室に爆笑をもたらすも、両手を大きく振り皆の注目を集めた僕は、サッカー部における智樹の功績を解説した。
「湖校入学を機にサッカーを始めた智樹はその経験を買われ、同じ境遇の一年生の指導員に任命されました。智樹はそれを十全に務め、疲労を原因とする怪我から後輩を守ったことを教育AIに絶賛されています。ストレッチ責任者は単なるノリではなく、適材適所に基づいた判断であることを、僕は保障します」
「「「ほほ~~」」」
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