僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十六章

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 名残惜しいけどカチューシャを受け取ろうという事になり、僕らは腰を上げた。のだけど、
「えっと千家さん、窓辺に用事があるんですか?」
 千家さんは着色機器ではなく、なぜか窓辺へサクサク歩いて行った。そして窓を開け、続いてネックレスを外し、そのネックレスを日の光に当てる。不思議な面はあっても不思議ちゃんではないと思っていたが、ひょっとして千家さんは・・・・などと失礼なことを考え始めた僕へ、千家さんは問いかけた。
「猫将軍君は、光電効果って知ってる?」
「ちょっと時間をください、今思い出します」
 アトランティスの遺物がらみでその言葉を聴いた気がして記憶を探ると、イオン化相互作用の説明の最中に少々脱線した輝夜さんが、それを教えてくれたことを思い出した。記憶を整理して僕は返答する。
「波長の短い光を金属に当てると電子が飛び出す現象、でしたっけ?」
「ええそうね。厳密には金属でなくてもいいらしいけど、自由電子の多い金属が最も顕著だから、光電効果の説明にはだいたい金属が用いられるようね。じゃあ次、電気伝導率が一番良い金属は?」
「それなら知ってます、銀ですよね」
 銀は電気伝導率が最も良い、という知識を得るきっかけになった去年の夏の鬼王戦を懐かしく思い出す僕をよそに、千家さんは窓を閉めテーブルに帰って来る。そして、
「アイ、部屋を暗くして」
 椅子に座るや千家さんは教育AIにそうお願いした。「ひょっとしてこの人は不思議ちゃん?」と再度考える間もなく、
「猫将軍君が椅子に座ってくれないと、部屋を暗くできないよ」
「すみません!」
 僕は急いで椅子に座った。と同時に遮光カーテンが閉じられ、天井の証明が落ち、そこそこの暗がりが部屋を覆った。その暗がりの中、千家さんがネックレスをテーブルに置いた。
「これは純度95%の銀のネックレス。猫将軍君にはどう見える?」
「あれ? 銀って蛍光物質だったんですか?」
 蛍光物質とは、光を暫く当てると暗闇で光る物質を指す。銀が蛍光物質なことを僕は知らなかったけど、残念脳味噌の僕に知らない事があるのは当たり前。よってほのかな光を放つ銀を見てもまったく動じなかったのに、
「ホントこの子はどういう目をしているのかしら」
 なんて千家さんが呆れるものだから、僕は背中を丸めてしまった。その丸まった背中を慣れた手つきでポンポン叩きつつ、千家さんは再び問う。
「このブラックライトで銀を照らすね。さあ、どう見える?」
 僕は口をあんぐり開けて硬直した。なぜなら、
 ――水晶の原光
 に近い色でネックレスが輝いていたからだ。ピッタリ同じではないけど、原光をなまの果物とするなら加熱した果物のような印象を、ネックレスの輝きに僕は抱いたのである。ただそれをそのまま話す訳にはいかず、さあどうしたものかと首を捻る僕の背中を、千家さんは慣れた手つきで堪らなく優しく叩いてくれた。
「猫将軍君が電子をどう見ているかの実験を、承諾を得ずしちゃってゴメンね。許してくれるかな」
「もちろん許します!」
 そう即答した僕をにこにこ見つめる千家さんは、原光をちょっぴり放っていた。

 その後、部屋の明るさを元に戻してから、僕らは改めて着色機器へ向かった。千家さんが保管モードを解除すると、正方形のビニール袋に密封されたカチューシャが、ゲル状物質を満たした容器の底に現れた。これは、機械の中に埃を極力入れないための措置なのだそうだ。
 容器の表面に縦になって浮いてきたビニール袋の角を、親指と人差し指でつまみ上げる。高撥水性のビニールなのだろう、つまみ上げるだけでゲルが綺麗に剥離してゆく。最後のゲルが剥がれたビニール袋を落とさぬよう十指でしっかり固定し、袋の向きを変え、中に入れられたカチューシャの出来栄えを僕は確認した。そのはずだったのだけど、
「あの、これはカチューシャなのでしょうか?」
 僕は無意識に、失礼とも取れる質問を口走っていた。しかし優しく聡明なこの人は、言葉足らず極まるその問いの意図を十全に理解してくれた。
「礼装としてではなく、最先端技術を投入した工芸品としては、それはティアラなのかもね。猫将軍君は、礼装における王冠とティアラの違いを知ってるかな」
 まばたき一回分ポカンとし、続く二回分で記憶を探り、両者の違いをまるで知らないと気づいた僕に、「それでそれを作れちゃうのね」と千家さんはどこか誇らしげに嘆息した。
「王冠は、第一礼装用の頭部の装飾品。ティアラは、第二礼装用の頭部の装飾品ね。第一礼装の王冠は360度全てに宝石や貴金属を施すから輪の形状をしているけど、前面のみを飾るティアラは、ヘアバンドと同じ形をしているの。つまり強引に言うと、宝石等を散りばめて豪華にした『第二礼装のヘアバンド』を、ティアラと呼んでいるのよ」
 ヘアバンドにも礼装にも縁のない人生を送ってきた僕にとって、それは目から鱗の話だったためいたく感心していると、
「カチューシャは日本独自の呼び名なのは知ってる?」
 千家さんがそう尋ねてきた。輝夜さんにカチューシャをプレゼントする時の話題として下調べしていたので、僕はハキハキ答えた。
「はい、知ってます。カチューシャという名前の女性主人公が登場するロシア文学を大正時代に演劇化したさい、主人公の名を冠した便乗商品が大ヒットしました。そのせいで日本人は、プラスティック製のヘアバンドを、カチューシャと呼ぶようになったんですよね」
「ええそうね。その勘違いは今も続いていて、お洒落を気軽に楽しめる布製でないヘアバンドを、日本人はカチューシャと呼んでいるの。だから猫将軍君も気軽な気持ちでそれをデザインしたけど、八枚の葉の造形が予想以上の出来だったから、カチューシャとしてお手軽に扱っていいのかって、思ってくれたのかな?」
 そのとおりだった。輝夜さんには失礼だが僕はこれを、普段使いの髪飾りとして設計した。全力を注いでデザインしたのは事実でも、宝石と貴金属に彩られた正式な装飾品を世界一好きな人へ初めて贈る際の気構えを、僕はこのカチューシャに持っていなかったのである。
 だが図らずも、今この手の中にあるのは、その気構えで作られたとしか思えない卓越した工芸品だった。瑞々しい五月の若葉の、その生命力を結晶化したかのような煌めきを、八枚の葉が放っていたからだ。宝石の欠片も施されておらず、1グラムの貴金属も用いられてなくとも、これはれっきとした工芸品なのではないか。貴重な素材を使っていずとも、心を高揚させるこの煌めきへ、芸術としての敬意を払うべきではないか。その疑問が、これをカチューシャと呼ぶことへの躊躇を僕に抱かせたのである。
 そう話すと、何でもない事のように千家さんは言った。
「ねえ猫将軍君、その髪飾りは葉の色を変えて、3Dの作品にもするのよね。修正するなら手伝おうか?」
 願ってもない事ではあるが、そこまでしてもらって良いのだろうか。
 そう悩む僕の顔を、千家さんは前かがみになりのぞき込む。
「参考として聞かせて。九月一日以降、私はどう過ごせばいいと思う?」
 僕の瞳に映っているのが豊穣の女神様だったら、畏れ多くて正直になれなかっただろう。
 でもそのとき僕の目の前にいたのは、六百年ほど前に戻った千家さんだった。
 月の光を浴びて煌めく睡蓮に、僕は答えた。 
「人は今までしてこなかった事を、急にはできません。千家さんが今日、素の自分の内面的素晴らしさを素直に表現できたのは、相手が僕だったからです。同級生にも同じことを求めるのは間違いであると、肝に銘じてください」
 なんて強い口調を使いつつも、六百年前の記憶が脳裏に次々蘇ってきて、僕は内心たじろきまくっていた。それを十全に理解したうえで、かつての眼差しを僕に向けるこの人へ、僕は全てを諦めることにした。
「千家さんがどれほど素晴らしい内面性を育ててきたとしても、その上手な表現方法をまるで鍛えてこなかったのですから、絶対に急いではなりません。内面を晒しても大丈夫な人を見極め、焦らず親交を重ね、新しい人間関係をゆっくり築いてください。そしてそれを成してから、化粧の暗示を弱めて行ってください。先ずは内面で、次が外見。この順番を、決して違えてはなりませんよ。仮にこれを逆にして、素の外見を始めに晒してしまったら、内面的素晴らしさを伝えようとどんなに努力しても、それが叶うことは無いでしょう。去年なら間に合ったかもしれませんが今はもう、卒業まで六カ月半しか残っていませんからね」
「貴重な意見をありがとう。そのお礼として、3D映像の修正を手伝わせてくれないかな」 
「反論できない状況に追い込んだ人にそう言われて、反論できる訳ないじゃないですか」
 精一杯の反撃としてわざとらしく肩を落とした僕の頭を、
「ん、よしよし」
 かつてのあの日のように千家さんは撫でた。しかし、ほんのついさっき全てを諦めたのだから、それ如きで動じたりしない。僕は悠々と椅子に腰かけ、色違いの五つの3D髪飾りをテーブルの上に映し出した。
 のだけど、
「まったくこの子は、今生でも女たらしになっちゃったのね。頭が痛いわ」
 千家さんは眉間を抑え、盛大な溜息をついた。
「ぼっ、僕は女たらしじゃありません!」
「そうは言ってもこれ全部、違う女の子へのプレゼントなのよね」
「あっ、ごっ、ごめんなさい~!」
 動じないなんてどこへやら。
 僕はそれからたっぷり三分間、汗みずくになって土下座したのだった。
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