僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十六章

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 ここで小吉は、僕にニッコリ微笑みかけた。慌てて口を塞いだ先程の僕の様子から、質問があったら遠慮しなくていいのよと、促してくれたのである。失敗例の並行世界を訪れたのは後回しにし、閃いたばかりの推測を僕は口にした。
「原子として存在する物質は、宇宙の全物質の5%しかなく、95%はダークマターやダークエネルギーであるとされています。そのダークマターやダークエネルギーの大部分は、他の並行世界に存在しているという事は、ないでしょうか」
 物理学の方程式を使えば、宇宙の物質の総量を算出できる。しかし電波望遠鏡等を使い実際に観測してみると、方程式が弾き出した総量の、たった5%の物質しか見つけられないと言う。残りの95%へ、ダークマターやダークエネルギーやストレインジ物質というカッコイイ名前をつけていても、現在の科学ではそれらが何なのかホントはまるで解っていないというのが実情だ。ならそれは並行世界の物質として存在しているのではないかと、僕は閃いたのである。
「眠留もそれを思い付いたのね。宇宙に存在する物質を、九つの並行世界で均等に分けたら、並行世界一つにつき約11%の物質が割り当てられます。そのうちの5%が原子を形成し、残り6%が未知のエネルギーになっているとする方が、名称はカッコ良くとも訳の分からないダークほにゃららが95%もあるとするより、私も感覚的にスッキリしますね」
 それから休憩を兼ね、小吉は聴講生について暫し話した。遠隔受講を主とする聴講生が修士号や博士号を取りやすい分野と取りにくい分野があり、小吉が研究している理論物理学系統は、最も取りやすい分野の一つらしい。それはとても有難いのだが、小吉は遠隔受講という制度へ、より大きな感謝を抱いているそうなのだ。
「人の意識によって量子が変化するという物理現象を目の当たりにしても、宇宙の構成要素に意識を組み込もうとしない人達が、優れた頭脳の持ち主として称賛されているのよ。聴講生ならその人達に係わらなくてすむけど、そういう教授の下で、そういう人達と共に量子力学を研究しなければならなかったら、私は間違いなく体調を崩していたわね」
 ゲンナリそう明かした小吉へ、誰もが労わりの言葉を掛けた。小吉はその一つ一つへ感謝を述べ、そしてその言葉をもって、休憩を兼ねたこの話題は終了した。小吉と同じ閃きを得られた事と、皆の休憩に一役買えた喜びに、僕の脳は益々鋭敏になっていった。 
「兄様は先ほど、並行世界と脳の相互作用という言葉を使われました。それについても引き続き、推測の糸で布を織ることしかできませんが、その布をご紹介します」
 小吉はいったん言葉を切り美鈴に顔を向け、「脳の四層構造のCGを映して」と頼んだ。仮に頼まれたのが僕だったら、十指を全速で動かしても、要望に沿うCGを出すまで五秒を費やしただろう。しかし美鈴は、右手の人差し指でエンターキーを押すや、それを叶えてみせたのである。たまらず小吉は美鈴の膝元へ駆けてゆき、そして翔子姉さんに変身し美鈴を抱きしめたのち、万金に値する布を皆へ披露した。
「脳は四層構造をしており、表層の新皮質から中心へ向かって三層までが、大脳とされています。大脳は社会性を担当する脳ですから、この三層には、人間社会に関する事柄が無数に詰め込まれています。これは言い換えれば、『大脳を構成する三層は物質宇宙の強い影響下にある』となるでしょう」
 その瞬間、僕の松果体が自動的に活性化した。甲高い金属音をキーンと響かせる、痛みを覚えるほど振動数の上がった松果体が、僕に教えてくれた。翔子姉さんは推測を述べているのではなく、ただ事実を話しているだけなのだと。
「社会的な意識活動の殆どは大脳で成され、そして大脳は、物質宇宙の強い影響下にあります。つまり大脳で思考している限り、人は第一世界以外の並行世界を感じ難いのです。しかし生活サイクルの中に大脳が一時的に休む状態があり、よってその状態では、並行世界の分身と共鳴し易くなることが予想されます。その状態とは、大脳も休むとされている、ノンレム睡眠ですね」
 レムとは眼球移動を指し、レム睡眠時に人は眼球移動をしていて、また夢はそのレム睡眠中に見るとされている。対してノンレム睡眠には眼球移動が無く、人は夢のない深い睡眠状態にあって、その最中は大脳も休むことが判明している。つまりノンレム睡眠中、人は大脳の束縛から逃れ、同時に自分の所属する並行世界からも逃れ、他の分身達と心を共鳴させているかもしれないと翔子姉さんは話したのだ。それについて僕は、思い当たる事が二つあった。その一つは、「幼児期と学童期に夜更かしの習慣が付くと、知能低下を招く強い傾向がある」という統計結果だった。レム睡眠時よりノンレム睡眠時に成長ホルモン等は多く分泌され、そして早寝早起きの子供は夜更かしの子供よりノンレム睡眠時間が長い事から、この統計はホルモン分泌量に起因すると考えられていた。もちろんそれもあるだろうが子供の知能には、翔子姉さんの述べた分身同士の心の共鳴も深く関係しているのだと、僕は直感したのである。
 思い当たる二つ目は、赤ん坊の僕が夜泣きしていると、精霊猫が眠らせてくれていた事だった。HAIと相殺音壁を備えた家屋で、赤ちゃんの夜泣きが問題になることは無い。この神社にもその二つはもちろんあり、水晶の言葉どおり泣くことは赤ちゃんの全身運動だから、精霊猫が直々にあやす必要はないと思われるのに、水晶達はそれをしてくれていた。それは深夜のノンレム睡眠が、それ以外の時間帯のノンレム睡眠より重要だからではないかと僕は感じたのだ。並行世界の地球はほぼ同じ位置にあるため、時刻もほぼ同じはず。時刻が大幅にずれる外国にいない限り深夜のノンレム睡眠は、全ての分身による心の共鳴が可能になるのかもしれない。大人にとっても得難いその時間を十全に取らせるべく、赤ん坊の僕のもとへ水晶達は直々に足を運んでくれたのではないかと、僕は思ったのである。
「ノンレム睡眠時に並行世界の分身と心を共鳴させると、どのような現象が起こるのか。今の私には具体的なことは解りませんが、眠留も美鈴も赤ん坊の頃から本当に良く寝る子供でしたから、『寝る子は育つ』で間違いないのでしょう。量子力学の博士号を取ったら研究を脳に替え、脳科学の博士号も得て、脳と量子の両方の専門家になるのが私の目標です。それにはほど遠い今の私の、こうもつたない話に耳を傾けて下さり、本日はまこと有難うございました」
「ありがとうございました」
 翔子姉さんに続き、美鈴も腰を折った。二人のその所作は神々しいとしか表現しえないほど美しく、僕は滂沱の涙を流しながら拍手していたのだけど、
「ん?」
 ある疑問が脳をかすめた。それは妹を大切にしている兄にあるまじき疑問であり、そんな疑問を抱いた自分に通常なら俯くこと必定だったのだけど、二人に心から拍手を贈っていたお陰で僕はそれを免れることができた。
 その、脳をふとかすめた疑問は、これだった。

  美鈴の研究テーマは、
  そういえば何なのかな?
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