僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十五章

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 その後、僕らは床の間から居間へ移動した。そしてそこで、輝夜さんの祖父母は驚喜する事となる。翔家としての猫将軍家と正式な挨拶を交わし身内となったため、末吉がテレパシーで話しかけられるようになったのだ。
「おじいさん、おばあさん、こんにちは。末吉ですにゃ」
 そう言ってペコリとお辞儀した末吉に、老夫婦は目を見開き驚いていた。しかし驚きは五秒と経たず喜びに変わり、老夫婦は末吉をまさしく猫可愛がりした。お年寄りが大好きな末吉も老夫婦に甘え、僕と輝夜さんも加わり五人で楽しく会話しているうち、僕も自然とおじいさん、おばあさんと呼び掛けるようになっていた。
 おじいさんおばあさんと身内の挨拶を済ませた僕と末吉は、輝夜さんに伴われ庭に出て、ジャーマンシェパードのエルフリーゼと親交を結んだ。リゼという愛称のその犬は聞いていたとおり優しさと賢さを兼ね備えており、末吉とすぐ仲良しになった。ただリゼに人とテレパシー会話をする素養はなく、しかし翔人が翔化視力を起動して目と目を合わせればイメージのやり取りが可能だったので、僕はリゼと様々な話をした。番犬として最初に働いた青山の家も好きだったが、自然の匂いに満ちたこの家はもっと好きな事。大好きな輝夜さんがこの家に来て元気になったのが、嬉しくてたまらない事。もちろん老夫婦も大好きで、三人を守る今の職務にやりがいと誇りを感じている事。それらのイメージを、リゼはきらきら光る瞳で次々送ってくれた。おじいさんとおばあさんと輝夜さんを僕も大切に思っている事と、三人を守ってくれている事への感謝を伝えたのち、リゼに問いかけた。
「住宅街の猫達が遊びに来るようになったら、嫌かな」
 リゼは末吉を優しく見つめ、礼儀正しいこの子のような猫なら大歓迎と答えた。
「選りすぐりに礼儀正しい猫達が雑木林に集まるから、会ってくれないかな」
 そう頼むと、地域の猫達と仲良くなればこの家をより守りやすくなると答えたのち、友達ができるのは嬉しいとリゼはニッコリ笑った。すかさず末吉が、
「おいら友達一号になるにゃ!」
 そう名乗りを上げ、庭は笑いに包まれたのだった。

 地域の猫達との会見に出発するまでの三十分は、おじいさんと縁側で過ごした。白銀本家が建てた数寄屋造りのこの家には現代建築の機能が複数取り入れられており、その一つの「植物の天蓋」に助けられ、暑がりの僕も涼やかな時間を楽しむことができた。ひさしの延長として設けられたゴーヤの天蓋の作る広々とした日陰の中で、おじいさんに請われるまま僕は母の話をした。
「母の先祖に翔人はおらず、母も翔人ではありませんでした。ただ、祖父母の実子でも父は翔人ではありませんでしたから、そこは白銀光彦さんと異なりますね」
 おじいさんに請われたのは家族の話だったが、翔家に嫁いだ娘の親として同じく翔家に嫁いだ母が気にならないとは思えず、僕は自分からそれを切り出したのである。おじいさんは、祖父と瓜二つの眼差しで話を聴いてくれた。
「猫将軍本家の翔人は、一代ごとに生まれてきます。翔人に生まれなかったことを悔やんでいた父にとって、母は心の支えだったようです。母の死に耐えられなかった父は異動願いを出し、日本中の気象観測所の保守点検をする日々を送っています」
「寂しくないかい」
 沈痛な面持ちのおじいさんに僕は首を横に振り、「そうするしかなかった父の気持ちを、今は少しだけわかる気がしますから大丈夫です」と答えた。するとおじいさんは顔をくしゃくしゃにして、「優しくて強い子じゃ」と褒めてくれた。
 それから僕はかつて運動音痴だった事と、母が心を鬼にして僕に訓練を受けさせた事と、鬼となった母のお陰で僕は翔人見習いを失効されなかったことを明かした。
「猫将軍家を含む旧三翔家では、心を意識体、体を肉体、そしてそれら二つを繋ぐ体を上位体と呼んでいます。三翔家の血筋に生まれた翔人見習いは先ず肉体を鍛え、戦闘技術を肉体に叩き込んでから、上位体の訓練を始めます。運動神経抜群だった父は肉体の鍛錬は難なく合格しましたが、上位体の操作がどうしてもできず、翔人の道を断念しました。しかし極度の運動音痴だった僕は肉体の訓練課程で、見習い失効の声が長老達の間ですでに上がっていたのです」
 これは、意識体操作の一つである翔々が可能になり、初めて明かされた事実だった。「長老らが止めても儂が止めさせなかったがの」と水晶は言ってくれたが、長老会議の議題に上るほど僕が運動音痴だったことと、鬼となった母のお陰で資格剥奪はくだつが保留になったことに変わりはなかった。それを知った先月半ば、僕は祖父母に頼み正式な神官として、母へ感謝の祝詞を捧げていた。
「長老会議の議題に上ったことを母は知りませんでしたが、祖父母によると僕の運動音痴が初めて話し合われた日の翌日、母は鬼になったそうです。おじいさんからお聴きした葉月さんの話にも、同種の超常的感覚が働いているように僕は感じました」
「葉月と光彦さんの結婚後、私は家督を弟に譲りました。白銀家には遠く及ばずとも、財産を手放す時、親類たちから嫌な思いを散々させられました。葉月はああすることで、白銀家のしがらみから、輝夜を守ったのでしょうか」
 おじいさんは、手の甲の皮膚が真っ白になるほど拳を握りしめ、目を伏せてそう言った。僕は体を正面に向け、南中しつつある太陽をゴーヤ越しに見上げた。
「はい、葉月さんは輝夜さんを守ったのだと思います。輝夜さんがこの家に年に五泊もしたのが、その根拠です」
 弾けるようにこちらを向いたおじいさんをあえて見ず、僕は先を続けた。
「僕と妹の美鈴は小学校在学中、修学旅行と林間学校以外で外泊したことがありません。翔人見習いは深夜と早朝に様々な鍛錬をせねばならず、しかもそれは休まず継続しないと効果が表れ難いからです。にもかかわらず年に五度もそれを中断したのは、輝夜さんを嫡子にしないという意思表示と、輝夜さんがこの家を避難場所に選ぶことの、二つの目的があったのだと僕は思います」
「葉月は初めから、この家を輝夜の避難所に・・・」
 僕はゴーヤから目を離し、言葉を詰まらせたおじいさんに体を向けた。
「翔人は特別な視力を持っていますから、演技はことごとく露呈します。それを欺き、娘を守るため心を鬼にできるのは母親である自分しかなく、そして何も打ち明けず安心して娘を託せるのは、両親しかいない。葉月さんは、そう考えたのではないでしょうか」
 それからおじいさんと僕は、縁側で一緒に泣いた。おじいさんに貰い泣きしないなど不可能だったし、長老会議の件に感情を爆発させるのもずっと我慢してきたから、僕もこの際おもいっきり泣くことにしたのである。けどそのお陰で、
「眠留君、君を孫と思わせてくれ!」
「はい、おじいさん!」
 なんて感じに肩を組み気炎を上げる姿を、食事の支度を中断し縁側にやって来たおばあさんと輝夜さんに、僕らは見せることが出来たのだった。
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