僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十四章

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 双葉が友人のように話しかけてきた。負けじと「うんいいよ!」と学校気分で応えた僕を、ひときわ鮮やかなエメラルドグリーンが照らした。
「御所ほど湖校に詳しくなくても、湖校生がとても賢いことなら知っているわ。だから閃いたの。『他者への配慮』という教えは的確だったからこそ、代々受け継がれてきたんじゃないかしらって」
 考察の道筋が正しいと直感した僕は、直感を言葉へ慎重に翻訳していった。
「自分で考えることは、教育の二大柱の一つだ。その結実たる研究学校生が、伝統だからといって考えることを放棄し、十年以上も盲目的にそれを受け継いできたなどあり得ない。湖校で六年間過ごした最上級生が正しいと判断したからこそ、あの教えは伝統として今も継承されている。双葉は、こんな感じのことを言いたいんだよね。うん、双葉の閃きは正しいって僕も思うよ」
 水晶は引き続きウトウト顔で目を閉じていたが、耳だけは先程とは異なる、いわゆる聞き耳を立てる形状になっていた。一方双葉は、
「ああ眠留、姉さん嬉しいわ!」
 そう叫ぶや実体化して僕の背中に飛び乗り、前足の肉球で僕の髪をしっちゃかめっちゃかにした。喜びのあまり弟の髪をぐちゃぐちゃにする姉が幾人もいる幸せを、僕は噛みしめていた。 
 その後、水晶がご褒美を二つくれた。
「そろそろ時間ゆえ、成長著しい眠留に褒美をあげるかの」
 ふわあ、と水晶が大きな欠伸をすると同時に双葉は背中から飛び降り、僕の隣に正座した。胸を張るその誇らしげな様子に、なんとなく思った。水晶は褒美を、僕と双葉の両方にくれようとしているのではないかと。
「正解は成長差にあるのか、それとも別の場所にあるのか。正解があるのは、成長差の方じゃ。二人とも、見事じゃったぞ」
 ありがとうございますとピッタリ揃って頭を下げ、二人で照れ笑いした。そんな僕らに水晶はニコニコ顔になり、そしてほっこり温かなその顔のまま、驚愕すべきことを明かした。
「湖校に第八寮がなく、そなたらが寮生になったら、二人とも第四寮生になるの」
 息を呑むだけでは収まらず硬直している内に、うんうん頷く水晶と軽やかに手を振る双葉は、別の次元へ去って行ってしまった。
 謝意を示せなかった後悔にさいなまれるも、時間を気に掛けてくれた水晶の優しさに応えるべく、弾みをつけて立ち上がる。
 そしてベンチに挨拶し、僕は帰路に着いたのだった。

 運動場と旅館は、歩いて五分弱しか離れていない。それに加え、竹箒を使う音が昨日より十分以上早く聞こえてきたので、僕は猫達との会話を素早く整理していった。
 一、閃きを得やすい心理状態がある。
 二、湖校生に代々受け継がれてきた理由の考察が突破口になった。
 三、正解があるのは成長差の方。
 四、第八寮が無いなら僕と双葉は第四寮生になる。
 この四つを心のメモに書き記した丁度その時、旅館の門から颯太君が顔を出した。にぱっと笑った颯太君は門からピョンと出て腕をブンブン振るも、失態に気づき恭しく一礼して、門の中へ戻って行った。250メートルは離れているのに一瞬で僕を認めた目の良さと、早起きして箒掛けを半分近く終わらせたていたその心根に、見どころある豆柴の手助けができるのはこうも嬉しいものなのかと、僕は顔をほころばせた。
 二本の竹箒を手に再び現れた颯太君は、僕用の竹箒を壁に立てかけてから、門の前の道を掃き始めた。体軸と足さばきの練習をしたのがはっきり見て取れるのもさることながら、僕用の箒を立てかける際ほんの一瞬見せた躊躇が、なんとも好ましかった。僕が腹蔵なく颯太君を手伝っているのだと理解しつつも、旅館の担い手としての誇りが、宿泊客に箒掛けをさせることを躊躇わせているのだ。
「神社の境内を掃き清める仕事を、敬愛する湖校の先輩が手伝ってくれたら、僕もきっと同じ気持ちになるよ」 
 胸中そう呼びかけつつ颯太君と朝の挨拶を交わし、仕事に取り掛かる。
 そして昨日より十分以上早く、僕らは朝の訓練を開始したのだった。

 まずは箒掛け時の訓練を、前回にちょっぴり付け加えて話した。
「颯太君は玄関から門までの石畳を、寸分たがわず心に描けるよね」
 もちろんですと元気はつらつ答えた豆柴へ、笑いを堪えて指示を出す。
「なら、一番安全と確信できる個所を、目を閉じて後ろ向きに1メートル掃き清めながら、僕が何をしているかを背中全体で感じてみて」
 きょとんとした表情を寸時浮かべたのち、あたかも新しい遊びを教えてもらったかのように、颯太君は箒掛けを始めた。僕は3メートル離れた背後で、音を故意に大きくしたジャンプスクワットへ移行する。1メートルを掃き終えた颯太君はもう待てませんとばかりに振り返り、「ジャンプスクワットです!」と叫んだ。正解と頷いたのち、感想を尋ねてみる。颯太君は、耳で音を捉えられた事ばかりを喜び勇んで話していた。なので、
「次は回転方向を変えないジャンプスクワットを音を出さずするから、回転方向を当ててみて」
 と再度指示を出す。任せてくださいと豆柴は耳をピンと立てるも、それは長く続かなかった。音の無い条件では、まったく察知できなかったのである。
「察知できた振りをして当てずっぽうに答えなかっただけでも、颯太君は素質あるよ。じゃあ時間もないから、一回だけ手本を見せるね」
 ジャンプスクワットではなく、右手と左手のどちらか一方を、静かに二回上げるよう僕は頼んだ。颯太君は半信半疑だったが時間がないという現実を直視し、真面目に取り組んでくれた。1メートルを清め終わった僕は振り返らず、前を向いたまま颯太君の動きをなぞる。
「ためらいがちに右手をこう上げて、右手を下ろしながら左手をこの高さまで持ち上げたけど、思い返して二度目も右手を上げた。これで、当たってるよね」
「なっ、なんで分かったんですか!」
「う~ん、そうだなあ・・・」
 本当はすぐ説明できたのだけど、大興奮の豆柴に仕組みを話しても、それが心に定着することはない。僕は前を向いたまま後退りして颯太君の隣に並び、石畳を指さして尋ねた。
「石畳の上に葉や小枝がごちゃごちゃ落ちている状態と、綺麗に掃き清められている状態では、どちらがスムーズに歩ける?」
「それは、清められている方です」
 日常的な経験を思い出すことで、非日常への興奮を粗方拭い去れたみたいだ。僕は大きく頷き、説明に入った。
「人には、周囲の気配を察知する本能がもともと備わってるんだけど、その本能は便利な機械文明で暮らしているうち、どんどん弱まっちゃったんだ。でも弱まっただけで、失われたのではない。訓練次第ではさっきの手本のように、呼び覚ますことが可能なんだよ。颯太君、考えてみて。様々な気持ちがごちゃごちゃ飛び交っている心の状態と、整理整頓された穏やかな状態では、どちらがその本能を活用できるかな?」
「それは、整理整頓された状態とは思いますが」
 二つの状態を提示されれば正解を得られても、それがこの訓練とどう関わるかが解らないのだろう。耳を垂れる豆柴にヒントを出すべく、僕は無言のまま、清められた石畳を再度指し示した。豆柴は小首をかしげ、暫し石畳を見つめていたが、何かを閃きカッと目を見開く。準備が整ったと判断し、僕は心と体の仕組みを明かした。
「人の心と体は、驚くほど密接に関わっていてね。例えば石畳という通路を穏やかに掃き清める日々を送っていると、人はいつの間にか、心の通路も穏やかに掃き清められるようになってゆく。身の回りの整理整頓を心掛け、それを何の苦もなくできるようになると、心の整理整頓もしやすくなってゆく。特別な訓練を仰々しく行わなくても、日常のほんの些細なことを通じて、人は様々な訓練をこなせるんだよ。颯太君、試してみるかい?」
「はいっ、試してみます!!」
 颯太君は豆柴よろしく飛び上がって喜んでいたが急にしんみりし、そしてヒック、ヒックと泣き始めた。喉に、痛いほどの共感がせり上がってきた。
「颯太君、僕も家の仕事を手伝ってきたから解るよ。家族は大好きだし仕事も嫌いじゃないけど、楽しいばかりでは決してない。口にも表情にも出せない苦い想いを、胸の奥深くに押しやることを僕もずっと続けてきた。でも安心して。その日々は無駄でないどころか、新忍道部員になった颯太君を、きっと助けてくれるはずだからさ」
 颯太君は「はい」という言葉を絞り出すなり崩れ落ちそうになったが、「ここが踏ん張りどころだ、踏ん張れ」と背中を叩くと背筋を勢いよく伸ばした。そして晴れやかな笑みを見せ、
「顔を洗ってきます!」
 元気よくそう宣言し、旅館の裏手へ駆けて行った。その際、僕から竹箒を受け取ることを忘れなかった従業員魂に舌を巻きつつ、僕はおとがいを上げ、広大無辺な空へ問いかけた。
「颯太君の成長を助けられるのは嬉しいです。だからあなたも、僕の成長を助けてくれるのですか?」
 虚空から、爽やかな涼風が吹き下ろされた。
 その心地よさに、二日前の晩に出された課題の十全な回答を得られた僕は、ただただ無心に手を合わせ、感謝の祝詞をあげたのだった。
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