僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十二章

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「あ~、とりあえず眠留お前、さっき俺に何か言いかけてなかったか?」
  北斗の問いかけに僕は飛びついた。
「そうだ忘れてた、さっきある仮説を思い付いたんだった。ねえみんな、輪になって話さない?」
 僕はお尻を浮かせ、輪になる位置へ移動する。皆すぐさま同意してくれて、各自が自分のお尻の位置を調整し、六人による正六角形ができあがった。丁度その時、
「あれ、お前ら何してるの?」
「白銀さん、隣に座らせて~!」
 智樹と白鳥さんが休憩室に入るや、こちらに駆け寄って来た。さほど疲れていなそうな二人に事情を説明し、僕らは八人の輪になるよう改めて腰を移動させた。
 体育館に収納されている九百脚の椅子は、冬の休憩救急の授業以外に用いられることはほぼ無いと言う。だからなるべく使ってあげたい気持ちはあるのだけど、この授業で椅子を見かけるようになったら、それはこの面子で受ける授業も終わりに近いという事なのだろう。やっぱ寂しいなあ、なんて想いを払拭する、第一発言者の力強い声が休憩室に響いた。
「準備が整ったようなので、眠留に仮説を話してもらおう」
 議論の場を散々設けた一年時の仲間のみがここにいるなら、このやり取りは不要。けどここには初参加の智樹と白鳥さんがいて、二人とは一年間授業を共にするのだから、形式を踏襲し議論に慣れてもらうことを北斗は優先したのである。ならば僕も、その道を行くまで。議題を提示する役として、ですます調で説明を始めた。
「疲労には、体の疲れと心の疲れがあります。そして先程の実習は、体より心を疲れさせたのではないかと、僕と輝夜さんは閃いたのです」
 翔人は、肉体に刻んだ戦闘技術を、翔体で用いて魔想と戦ってゆく。然るに翔人は肉体の回復術と、心の回復術と、心身双方に効く回復術の、三種類の回復術を収得している。さっきの実習では心と体の両方を使った事から、心身双方に効く回復術を選んだのだけど、肉体はすぐ回復したのに心の回復は時間を要した。したがって回復方法をそのまま変えず疲労の比率を調べたところ、輝夜さんは肉体1に対し精神3、僕は肉体1に対し精神4という結果が得られたのだ。翔人関係の事柄は説明できずとも、体より心の負担が大きかったのではないかという仮説に、思い当たる節が皆あったのだろう。猛と京馬は特にそうだったらしく、二人は自分の身に起こったことを息せき切って話し出した。
「休憩室に着くまでは、『疲れた~』を連発していたが」
「幸せそうにしている眠留を見るなり、足の『フラフラ~』がピッタリ止んだよな」
「そうそう、で嬉しくなっちまって」
「気づくとトリオ漫才をおっぱじめていた」
「あれはつまり、疲労の大きい心が元気になったから」
「疲労の少ない体も、つられて元気になったってことか」
 猛と京馬は、その場にいなかった智樹と白鳥さんにも情景を思い描いてもらいたかったのだろう。二人は「疲れた~」と「フラフラ~」の箇所を、漫才師よろしく身振り手振りを加えて面白おかしく話した。それは見事成功し、智樹と白鳥さんの表情に柔らかさが加わる。二人はお笑い担当の技術を使い、初参加組の緊張をほどき、かつ発言しやすい環境も作ったのだ。旧十組メンバーはやんやの歓声を捧げ、そしてそれこそを二人は狙っていたに違いない。ここぞとばかりに、
「でも真山は俺らと違い、あまり疲れていなかったよな」
「そうだそうだ、お前だけしっかり歩きやがって」
 実習がもたらした疲労には個人差があったことを二人は指摘した。これは、いやこれこそは、二人にしか出来ないことと言えよう。疲労は弱さの現れでもあるから、疲労の少なかった者がこれを口にすると、上から目線的な空気がどうしても生じてしまう。然るに初参加の智樹と白鳥さんの緊張を取り除き、誰もが気軽に発言できる環境を創出するという功績を上げた二人だけが、これを嫌味なく口にできたのである。そんな二人を親友に持てたことを、僕は心から誇らしく思ったのだった。
 そしてその想いはもう一人の親友によって、更に高められる事となる。猛と京馬へ交互に目をやり、真山は言った。
「二人の人生が、そうさせたんだよ。選手生命を脅かす大怪我を膝に負った経験が、怪我に苦しむ者を救うべく猛に全力を出させた。洗脳教師の標的にされた経験が、助けを求める者を助けるべく京馬に全力を出させた。俺は、そんな二人の背中に手を添えられることが嬉しかったから、元気でいられたのさ」
 真山は、女性の顔が案山子に見えるという不可解な現象に苦しめられてきた。そのせいで同じ小学校に通う女子の識別に苦労し、顔の代わりに頭部から放出される生命力を目安にすることで、女の子を識別するという事をしていた。本人に聞いたのはここまでだからこれ以降は僕の推測だけど、頭部から放出される生命力を目視できるのは、女子に限らないのだろう。よって実習を終えた猛が、膝の怪我に苦しんでいた頃の心理状態になっているのを真山は気づけた。同じく実習を終えた京馬が、洗脳教師に苦しめられていた頃の心理状態になっているのを真山は気づけた。その二人の苦しみが、大怪我を負った生徒への全力の応急処置に繋がったことも、真山は視覚情報として判ったのである。そんな二人を友に持ち、その背に手を添えられることが、心を元気にしない訳がない。三人が休憩室に現れた時の、その胸中を知ることができ、僕はあの時以上の嬉しさを噛みしめていた。
 真山の発言に心を動かされたのは、もちろん僕だけではなかった。「よせやい」「恥ずかしいじゃねえか」などと文句を垂れつつも猛と京馬は全身で照れまくっていたし、北斗と輝夜さんも目元を緩めまくっていたし、そして智樹と白鳥さんも、感慨深げに幾度も頷いていた。いや事によると、智樹と白鳥さんが味わった衝撃は、心を素直に晒す行為に慣れた僕らより、大きかったかもしれない。二人は猛と京馬へ、それぞれの七分プレゼンを視聴した旨を伝えたのち、実習であまり疲れなかった自分についての見解を述べた。
「俺は、龍蔵寺や二階堂とは異なる想いで実習に臨んでいた。結城先生の怒声で自分を恥じ、そして白銀さんに成すべき事を教えてもらったから、実習を終えられただけなんだって、俺は今やっと理解したよ」
「七分プレゼンで知った、龍蔵寺君と二階堂君のような苦しみを、私は経験していないの。それに福井君とも違って、私は恥ずかしかっただけなの。みんなも知っているように、私はむき出しになった骨が怖くて逃げだした生徒の一人だったから、汚名返上が一番の理由だったのね」
 場が、シンと静まった。
 けどそれは一瞬に過ぎず、布擦れのが僕の鼓膜を震わせた。普通なら衣擦れに充てるのはおとなのだろうが、地上にいながらも月の重力に守られているかのようなこの人が物を介して空気を振動させると、全てが楽器のに代わるのだから不思議でならない。そんなことを成し得る人には、人という字より、もっと適した字があるのではないか? そう自問せずにはいられないその人は、月から舞い降りた天女の如き所作で智樹と白鳥さんへ一礼したのち、言った。
「床に横たわる生徒に私が声を掛けられたのは、すべて昴のお蔭なのです」と。
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