僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十二章

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「二十分で済ませるから、近況報告をしていい?」
「もちろんいいよ。芹沢さんの新しいクラスを僕も知りたいし、僕の新しいクラスも芹沢さんに知ってもらいたいからさ」
 ころころと、珠を転がすように芹沢さんは笑う。それだけでも電話に切り替えて良かったと思えたのに、芹沢さんは希望に胸を膨らませた声を耳に届けてくれた。
「こんなふうに何でも話せちゃうクラスメイトは今のところ涼子だけだけど、近々そうなりそうな子たちは大勢いるの」
 最も近しい仲間の一人であり親友の恋人であり美鈴の先輩でもあるという、幾重にも大切な女性が新しいクラスでも充実した一年を過ごせそうだと知った僕は、ふと気づくとベッドの上にあぐらをかき、互いの近況を大興奮で話しまくっていた。時間に余裕のあることは確信していても、いらぬ気遣いをさせたくなかった僕は現在時刻を確認すべく、時計に目をやる。
 その矢先、
「猫将軍君が新しいクラスを満喫しているって、涼子にも伝えておくね。それではそろそろ、本題に移ります」
 芹沢さんは毅然とそう宣言した。僕の睡眠時間を最優先しているからこその有無を言わさぬ態度に、本物の優しさと強さを覚えた僕は、同種の女性である青木涼子さんのいる二年七組の男子達へ、「諦めが肝要だぞ」と胸中親身にアドバイスした。
 なんてヘタレ男子どもを置き去りにし、芹沢さんはサクサク話を進める。
「運動部の友人達との壁に悩む香取さんへ、私の経験を伝えようと思いましたが、香取さんがそれを明日のお昼の話題にするつもりでいることを知り予定を変更しました。猫将軍君、香取さんを助ける最も近しいクラスメイトとして、聞いてください」
 芹沢さんはそれから、今まで秘密にしていた一年時の想いと経験を僕に話してくれた。やはり芹沢さんは僕らと仲良くなった最初のころ、運動部のノリに壁を感じ、寂しさを覚えていたと言う。だが体操の選択授業で培った友情を糧に壁を乗り越えたことを、芹沢さんは今初めて明かしたのである。「人は自分の心を見るように相手の心を見ることができない」というこの世界の真実がこれほど胸をえぐったのは、足かけ十四年の人生を見渡しても、五指に余るほどしか僕は思いつかなかった。
 なのに、
「あ~、聞いてもらえてスッキリした。ありがとう猫将軍君」
 この女性はお礼を言うことで、僕を励ましてくれたのである。ならば、落ち込む時間などありはしない。僕は俯きたがる自分を蹴り飛ばし、香取さんと僕の二人分の感謝を芹沢さんへ伝えた。そして再び時刻を確認し、
「香取さんの役に立つ絶妙なタイミングでこの話をしてくれた、陰の功労者は?」
 という最後の話題を振る。そのとたん恋する乙女の華やかさがハイ子越しに伝わって来たことから予想どおり猛が今回の件に絡んでいることを確信した僕は、猛を褒めることで会話を終えられるよう計画してくれた策略家へ、胸中手を合わせた。
 しかしその1秒後、頬をつたう冷汗を僕は感じる事となる。これまで僕は、マシンガントークが放つ言葉の洪水を、右耳から左耳へ素通りさせることで凌いできた。女の子たちが想いを懸命に伝えているのだから耳を傾けたい気持ちはあっても、純粋に脳の処理能力が追い付かず、そうやってやり過ごすしかなかったのだ。けど今回は、それを用いてはならなかった。なぜならこのマシンガントークはお礼を言わねばならない人達の話だったため、一言も聞き漏らす訳にはいかなかったのである。音声のみ通信をいいことに生命力を十倍に圧縮して、僕は芹沢さんの話に集中した。
「輝夜や昴と仲良くなるにつれ体育会系生徒と文科系生徒の壁を感じるようになっていた私をとても心配した猛がある日、運動系の選択授業を受けてみないかって言ってきたの。嬉しさと誇らしさに顔を輝かせたその様子に、猛が自分でそれを思い付いたのではなく信頼できる友人から教えてもらったんだってピンと来て、撫子部で一番運動神経の良い美ヶ原先輩に相談したら、先輩はその案に賛成し幾つかの選択授業に付き添ってくれたの。すると思いがけず体操が楽しくて、先輩も見込みがあるって言ってくださって、頑張って続けているうちに友達も沢山できたから、後期は正式な生徒になった。そこで初めて猛に『解決策を考えた人を教えて』って頼んだら、それは北斗君だったの。私は心からお礼を言いたかったのに『大したことじゃない』ってあまりに軽くあしらうからカチンと来て『北斗君のことだから今後の展開も予想しているんでしょ』って言ったら、一転して目を輝かせて予想を話し出してね。猛と二人で笑いを堪えながら北斗君の話を聴いたわ。その中の『二年で同じ思いをする十組の生徒がいるかもしれない』が他人事とはどうしても思えなくて、私も頑張るから何かあったら教えてって二人に頼んだの。すると今日、部活が始まる直前に猛から北斗君に連絡が行って、帰宅直後に北斗君が猛に状況報告をして、それを猛が私に教えてくれたって事なのね」
 生命力十倍をもってしてもギリギリだったこの早口を、十全に聞き取り同じ速度で会話ししかもそれを楽しんでしまう女子達は、地球より進化した星からやって来た宇宙人みたいなものなのかもしれないなどと考えつつ、応えた。
「美ヶ原先輩と猛と北斗、そして体操の選択授業を取っている友人知人たちに、折を見てお礼を言っておくね」
「ありがとう猫将軍君。それでは、お休みなさい」
「はい、お休みなさい」
 さすがと言おうか、時刻は就寝五分前の、午後八時五十五分だった。僕らはお休みの挨拶を交わし、通信を切った。
 あぐらをほどき横になり、布団を胸元まで引き寄せる。とそこで、不意に訪れた疑問が口を突いた。
「入学式で感じた芹沢さんの桜の香りが桃源郷の香りに変わって行った時期と、体操の選択授業を取るようになった時期が重なっているのは、関係あるのかな?」
 女性を花の香りにする善玉菌の発見により現代日本において女性の芳しさは至極普通のことになっていても、香りが固有のイメージとして心に像を結ぶ仕組みは、未だ解明されていない。だがそれは特殊AI同様公表されていないだけかもしれないし、ひょっとするとそれをも超えた、AIが人類に開示していない類いの秘密なのかもしれない。美夜さん、咲耶さん、エイミィ、ミーサという特殊AI達と日々親交を深めている僕は、根拠が無いどころか勘ですらないのだけど、本当に何となく、AIが人類に開示していないだけのような気がした。よってそれを美夜さんへ尋ねるべく、僕は息を吸い込んだ。のだけど、 
「長期休暇でもないのに四日連続で新忍道に励んだことが、眠留の想像以上に眠留の体を疲労させているわ。私の計算では、今すぐ寝ないと充分な回復を得られません。よっていかなる質問も受け付けませんからね」
 なんて感じにきっぱり告げられたと来れば、吸い込んだ空気は、こう使うしかなかった。
「お休み美夜さん、また明日」
 少しずつ弱められてゆく照明に、美夜さんの「お休みなさい」が重なる。
 その声が、僕に詫びている美夜さんのイメージを形作った。
 最近富に上達してきた熟睡法を駆使し素早く眠りにつくことで、詫びる必要なんてこれっぽっちも無いんだよという想いを、優しいこの姉に僕は伝えたのだった。
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