僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十二章

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 水晶が頃合いを計り、僕の隣に並ぶよう昴と輝夜さんを促した。
 続いて廊下に控えていた祖父母と美鈴と翔猫達を、水晶はテレパシーで大離れに呼ぶ。初対面ではないはずの祖父母と大吉ですら平静を装うことに失敗していたくらいだから、初対面の美鈴、中吉、小吉、そして末吉は口をポカンと開けたまま目を白黒させるという、驚愕の王道を地でゆく状態になっていた。しかもそこに、
「陽晶となり百年経ったのち儂はようやくこの身を得たが、修行方法の進歩もあり、新人陽晶らは儂より早くこの身を得ているようじゃの」
 という、大吉さえ知らなかった新たな教えが加わったのだから堪らない。中吉や小吉はもちろん大吉も我慢できなくなったらしく、三匹は無言状態から躁状態へ移行し、水晶の真身を褒めちぎり始めた。そんな三匹へ「同じ猫として嬉しさ一入ひとしおなんだろうな」とほのぼのした気持ちを抱いたお蔭で祖父母と美鈴は落ち着きを取り戻し、それが三匹に波及して末吉を除く全員が平常心を取り戻したのだけど、その平常心は末吉への誤解の可能性を皆の脳裏に生じさせた。三匹が水晶の真身を褒めちぎっていた時も末吉だけは無言のままであり、その無言が今も続いているのは間違いなかった。しかしだからと言って、その無言は驚愕の現れなのだろうか? 口をポカンと開けたまま目を白黒させるという驚愕が最初の無言を引き起こし、そして今も無言でいるという理由だけで、末吉は未だ驚愕状態にいると決めつけて良いのだろうか? 末吉が無言なのは耳で捉えたのみであり、目を向けて「今の末吉」を確認してはいないのに、末吉は未熟だからまだ驚愕していると、
 ――勝手に思い込んでいる
 だけではないのか? 
 その可能性にやっと気づいた皆は、一斉に視線を末吉へ向けた。視線の先の末吉に皆が息を呑み、呼吸の音すらしない静寂が大離れを満たした。その静寂に皆は怯むも、今回も末吉だけは皆と異なり、静寂の影響を一切受けなかった。口を引き締め瞳を煌々と輝かせる勇者の気風を、保ち続けていたのである。祖父母と僕と美鈴、大吉中吉小吉が座ったまま体の向きを変え、末吉に正対する。それでも末吉はただ一心に水晶の真身を見つめ続け、そして赤子の如き純真な心を持つ者のみが発し得る言霊を、世界に放った。
「命を懸けて修行して、大御所様のような立派な陽晶に、おいらもなります!」
 僕らは、決めつけていた。
 最も幼い末吉は水晶の真身に圧倒され、委縮しているのだろうと僕らは決めつけていた。
 そのせいで如何なる行動も採れないのだからそっとしておこうと、僕らは決めつけていた。
 だがそれは一方的な思い込みだった。いや、正直になろう。
 それは僕らの、慢心だった。
 僕らですら平静を保っていられないのだから一番幼く未熟な末吉は委縮しているに違いないと、慢心していた。
 ありのままを真っ直ぐ見れば容易く見定められた真実を、僕らは慢心によって歪めていた。
 末吉が勇者の気風で放った純真な心が、それを僕らに気づかせてくれたのである。
 その、己の至らなさと過ちを悟った者達によって穿うがたれた意識の空白を、水晶の穏やかな声が埋める。 
「最も小さき者が、天国では最も大きい。この次あの方にお会いしたら、礼を述べねばならぬの」
 慢心した己を罰する気持ちが心を満たしていなかったなら、水晶の今の言葉に僕は絶対腰を抜かしていたはずだ。だって、だってそれを言ったのは、それを言った人は!
 しかしそれは、この場で掘り下げる事柄ではなかったのかもしれない。なぜなら、それへの思惟が生まれるのを阻むように、大吉が重々しく口を開いたからだ。
「御所、そして末吉、我らは未熟者でした。深くお詫びいたします」
 体の向きを変え水晶へ、そして再度向きを変え末吉へ、大吉は深々と腰を折った。大吉に倣い粛々と頭を下げる中吉と小吉の姿に胸を打たれ、意識を素の状態にした僕らも、猫達に倣い居住まいを正し、水晶と末吉へ頭を下げた。そのとたん、
「めっ、めっそうもございませんのにゃ。おいらは、おいらはあのっっ!!」
 勇者の気風を吹き飛ばし、末吉はにゃあにゃあ言葉のいつもの末吉に戻った。その愛らしい末っ子ぶりに、場の空気が和む。全員が朗らかな笑みを浮かべ、そしてこの一時を締めくくるべく、水晶が真身の声帯で空間を振動させた。
「我は去る。愛し子らよ、健やかなれ」
 水晶が桁外れの原光を放ち、真身は燃える炎と化す。
 そして炎は元いた場所へ、帰って行った。
 末吉がつい先程までたなびかせていた勇者の気風を思い出すことで、心を支配しようとする寂寥を、僕らは押しのけたのだった。

 台所に戻り、大急ぎで夕飯の準備をした。
 といってもそれを見越し、お弁当形式の夕飯を女性陣が作ってくれていたので、お味噌汁とお茶を用意する作業しか残っていなかった。しかもその最中、
「健やかな心身の基本は、素晴らしい料理を皆と楽しく頂くことじゃ。さあさあ今日も、楽しい夕飯タイムを始めるかの」
 などとおどけながら、水晶がいつもの姿でいつもの場所にしれっと現れたのである。僕らのテンションが、爆上げしない訳がない。準備をしているのかダンスを踊っているのか定かでない状態になった僕らは、時間経過をまったく感じず食卓を整える事ができた。
 とまあそんなこんなを経て、
「「「いただきます!!」」」
 僕らはいつもどおり皆で声を揃え、そしていつもと変わらず、美味しい夕ご飯を全員で楽しんだのだった。
 
 その、約一時間半後。 
 就寝時間まで残り三十分となった、午後八時半。
 ベッドにもぞもぞ潜り込んでいた僕の耳を、
 ピロピロポロロン♪
 メールの着信音が淑やかに震わせた。比喩ではなくそれは本当に淑やかな着信音で、こんな音色を奏でられる淑女を一人しか思いつかなかった僕は、贈り主も件名も確認せずベッドの上に正座してメールを開いた。雅やかな書体で「少し話せる?」とだけ書かれたその短さに、「眠かったら遠慮せず寝てね」という気遣いを察し、
「三十分なら眠くならない自信があるよ、芹沢さん」
 僕はすぐ返信した。すると珍しく、二度目の着信音が鳴るまで二十秒近い時間が掛かるも、その文面は僕の胸をポカポカ温めてくれた。
「ん~、正座している猫将軍君が、何となく瞼に映る。もしそうなら私、かえって猛に叱られちゃうよ」
 これはもちろん、言葉の綾。僕が正座していても、猛が芹沢さんを本気で叱るなどあり得ない。それはおしどり夫婦の絆を深める叱り方になること間違いないのだけど、それでも今は、気楽に話したいという芹沢さんの願いを僕は第一に考えた。ベッドの上に正座した僕を、きちんと感じ取ってくれる女性なら尚更なのである。「見抜かれたのが嬉しいから大の字になって寝ることにするよ」とのメールに芹沢さんが顔をほころばせているのを、今度は僕がハイ子越しにしっかり感じた。
 そしてそれは、向こうも同じだったのだろう。親近感溢れる電話の呼び出し音に続いて、芹沢さんの弾む声が鼓膜を震わせた。
「二十分で済ませるから、近況報告をしていい?」
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