僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十一章

道は必ず示される、1

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 僕としては本当に平気だったのだけど、不特定多数の生徒に注目される状況で後輩をヘッドロックし続ける恋人を、美ヶ原先輩はやはり案じていたのだと思う。騎士会本部を出て数歩も行かぬ間に、美ヶ原先輩は美鈴の話題を口にした。すぐさま昴が姿勢を正し「美鈴ちゃんが大変お世話になっています、そして明日からもどうぞよろしくお願いします」と腰を折り、続いて僕も同様の動作をしたので、藤堂さんはヘッドロックを解かざるを得なかった。もちろん藤堂さんのことだから、昴が姿勢を正すや美ヶ原先輩の意図を察し、僕を開放したんだけどね。
 いや、美ヶ原先輩の描いたシナリオにはまだ先があった。この四人の中で美鈴を唯一知らない藤堂さんへ、残り三人が美鈴の話をこぞってしたため、藤堂さんは四人の一体感を高める中心人物に自然となったのだ。それは、ヘッドロックを直ちに止めた恋人へ贈った、美ヶ原先輩の感謝の印だったのである。そこまで見越して美鈴の話題を取り上げた美ヶ原先輩を、知恵と美しさを兼ね備えた年上のお姫様として、僕はますます崇拝したのだった。
「なるほど、そんな凄い子が明日入学して来るのか。しかもその子は入学前から撫子部に顔を出していた栞の後輩で、幼稚園のころから可愛がってきた天川の妹分でもあり、そして猫将軍の妹とくれば、俺にとっても他人じゃない。猫将軍安心しろ、俺は良き先輩として、妹さんを守るからな」
 兄バカと揶揄されようが、あの美しすぎる妹が僕は心配でならなかった。美鈴が本気を出せば美鈴に勝てる人間など地上にいるはずなく、また精霊猫達も加勢してくれるに違いないから心配無用と頭では分かっていても、湖校入学という新しい環境に身を置く妹を、僕は己の全てをかけて案じていた。そんな僕の胸中を汲み、人格も能力も桁外れに素晴らしい藤堂さんが助力を約束してくれたのだから、僕はアスファルトに額をこすり付ける寸前だった。そのせいで藤堂さんに謝意を示すのが一拍遅れてしまったのだけど、美ヶ原先輩はそんな僕を完璧にフォローしてくれた。
「猫将軍君、心配無用よ。遅くとも明後日のお昼休みには、美鈴さんを守るためなら命もいらないという同学年男子達が、親衛隊を結成するでしょう。美鈴さんは安心して、学校生活を送れるはずだわ」
 美ヶ原先輩はそう言って、僕の背中を優しくポンポンと叩いた。一学年上に芹沢さんがいるだけでなく、二学年上にもこれほどの先輩を持つことになる美鈴の幸運が、胸にせり上がってくる。藤堂さんと美ヶ原先輩、そして明日から妹を大切にしてくれる全ての人達へ向け、僕は深々と頭を下げたのだった。
 その後も美鈴の話題は尽きなかった。いや多分、僕を安心させようと三人が気を遣ってくれたのだと思う。撫子部で美鈴がどれほど期待され可愛がられているかを美ヶ原先輩が話し、書道と華道と茶道とそう曲だけでなく日舞も料理も刀術もその他あれこれもとにかく凄まじいことを昴が話し、その一つ一つを藤堂さんがえらく感心したので、校門へ向かう道のりを僕は極上のにこにこ顔で過ごしていた。それは寮エリアを抜け木立に囲まれた坂道を下り、広々とした第一校舎エリアが眼前に開けた時ピークに達し、「良かったら神社に寄っていきませんか」との言葉に繋がったのだけど、それは叶わなかった。
「ん~、お伺いしたいのは山々だがなあ」
 まずは藤堂さんが未練たらたらの眼差しを陸上部とサッカー部の部室へ向けたのち、
「今日はお友達と夕食を共にする日なのでしょう」
 美ヶ原先輩も残念に思う気持ちをにじませ、二年生体育館と新忍道サークルの練習場と中央図書館へ流れるように体を向けた。美鈴の料理の腕が話題に上ったさい、一年時の級友八人が夕食を共にすべく神社に集まることを、昴が二人に告げていたのである。それは昴の落度では決して無かったのだけど、お二人を招く絶好の機会に水を差したと感じたのか、昴は目に見えて落ち込んでしまった。
 その刹那、昴を守る行動を僕は採った。美ヶ原先輩が、氷上を滑るが如き流麗な動作で左へ一回転した話題を取り上げたのだ。僕らのいる場所から二年生体育館と新忍道の練習場と中央図書館へ体を向けるには、歩きながら左へ半回転する必要があった。美ヶ原先輩はそれを、フィギュアスケーターを彷彿とさせる滑らかさで行ったのち、同じクオリティーで更に半回転してのけたのである。よって昴の件がなくとも僕はそれについて尋ねたはずだが、美ヶ原先輩は自分の身体能力を褒められたことより、昴を守るべく僕がすぐさま行動したことが嬉しかったのだと思う。先輩は顔をほころばせて、湖校入学前の話をしてくれた。
「親戚が開いているバレエ教室に、三歳から小学校を卒業するまで通っていたの。自分で言っちゃうけど、それなりに将来を期待されるバレリーナだったわ。でもね」
 でもねという言葉とは裏腹に、幸せな過去を回想するときの笑みを浮かべ、美ヶ原先輩は続けた。
「親戚が開いている教室はもう一つあったの。それは、撫子教室。研究学校で撫子部に所属していたその親戚の教室にも、私は小学校の六年間通っていたわ。だから湖校入学が決まったときは、ダンス部にするか撫子部にするか、とても悩んじゃってね」
 美鈴が約一年前までテニス部にしようか撫子部にしようか悩んでいた事もあり、僕は全身を耳にして美ヶ原先輩の話を聴いていた。昴を守るという当初の目的を忘れてしまっていたけど、昴も僕と同じく先輩の話に身を乗り出していたから、結果オーライなのだろう。
「バレエ教室も撫子教室も同じくらい好きってことを身内はみんな知っていたから、私が自分の人生を落ち着いて選べるよう、みんな私をそっとしておいてくれた。だから私、湖校に入学するまで考え抜いたの。考えるだけじゃなく、様々なことを積極的に試してみたわ。そんな私に、きっと安心したのね。みんな次第に、私が大きな悩みを抱えていることを気に掛けなくなって行ったの。どんなに気に掛けてもらっても、最後は自分で決めるしかないって理解していたとはいえ、少し寂しかったな」
 先ほどと同じく、寂しかったという言葉とは正反対の幸せそうな笑みに、僕はただただ安心して美ヶ原先輩の話を聴いていた。けど、昴が僕の肩を意味ありげにつついたのを境に、安心以外の気持ちが芽生えた。それは、「ひょっとすると藤堂さんに一矢報いることができるかもしれないぞ」という、いたずら心だった。それを裏付けるように、藤堂さんは先程からあっちこっちへ目を泳がせていて、そして藤堂さんがそうなればなるほど、美ヶ原先輩の艶やかさは増して行った。
「でも、人生って不思議ね。私が人知れず大きな悩みを抱えているのを、気づいてくれた人が一人だけいたの。悩み始めて早や二か月、悩むことにもそれを隠すことにもとっくに慣れていたから、出会ったばかりの新しいクラスメイトに気付かれるはず無いって自分では思っていたのに、挨拶さえ交わしたことのない男の子が、ある日私を呼び止めたのよ。それを期に私達は付き合い始めたから、悩み抜いたあの日々は、私の幸せな想い出。ううん伊織が、幸せな想い出にしてくれたのね」
 やっぱりそうだったか、と僕は盛大にガッツポーズした。
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