僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十一章

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 僕と昴は数千年の歳月を、姉弟として過ごしてきた。面と向かって確認したことは無いが、昴もそれを感じているはずだ。幼い頃は姉が弟を守り、長じては弟が姉を守るという数千年が、僕らにはある。世話を焼かずにはいられなかった幼い弟が頼もしい大人へ成長してゆく喜びを、世話を掛け通しだった姉に恩返しができる喜びを、この数千年間、僕と昴はずっと味わってきたのだ。その、守る立場と守られる立場を入れ替えて来たまさしくその時期に、僕らはいる。体格面における男女の優位性が逆転する第二次成長期に、保護者と被保護者を交換してきた僕らは、最も近しい家族であると同時に最も近しい異性として相手を感じ、そしてそれを姉弟愛に昇華させてきた。異性としての想いを相手にほんのり抱くも、それとは比較にならぬほど大きな姉弟愛があったお蔭で、その想いを姉弟の絆を深める糧にすることができた。数千年間続けてきたその時期の真っただ中に、僕らはいるのである。
 だが、今回は違った。僕と昴は幼稚園入園日に出会った、姉弟同然の幼馴染でしかなかった。いや、厳密にはそれは違う。出会ってからの二年間、僕は昴だけの僕で、昴は僕だけの昴だった。大きくなったら眠留のお嫁さんになるのと微笑む昴に、結婚してずっと一緒にいようねと微笑み返すのが、僕らの最初の関係だった。そしてそれは今回に限り可能だった。僕らは互いが望むなら、結ばれることができた。今生の僕らに、それを阻む血縁関係はなかったのである。だからどうしても、ブレーキが効いてくれない。限りない愛情を注ぐ異性であっても姉弟なのだという抑制が、今回はうまく働いてくれない。それどころか、逆流現象すら起きていた。異性としての想いを姉弟愛へ昇華させるという流れが逆転し、無尽蔵の姉弟愛が異性愛へ返還されてゆくという現象が僕らの間に起きていた。それは僕らを苦しめた。だが、それだけではなかった。最高の姉弟が最高の異性だったことに喜びを覚えただけではなかったように、今の僕らの状態は、苦しみだけをもたらしたのではなかった。待ち合わせ場所の銀杏の木の下で、互いが互いを最愛の異性とする状態に一瞬なることは、数千年の願いが成就した、まごうことなき歓喜の瞬間に他ならなかったのである。
 それを噛みしめつつ、僕らはしばし無言で歩いた。右側から聞こえてくるテニスボールをラケットが打ち返す音と、左側から聞こえてくるサッカーボルを脚で蹴る音は、違うスポーツゆえ全く異なっていたが、仲間と共に青春を謳歌する少年少女の声であることに違いは少しもなかった。然るに僕らはそれを、銀杏の木から続けてきた二人の終止符とした。
「新忍道サークルには男子選手しかいないから、テニス部やサッカー部の男女の混ざった声は、新鮮に聞こえるよ」
「薙刀部も女しかいないからそれは同じ。男だけ、女だけ、男女混合、それぞれに長所と短所があり、順位を付けられる関係ではないわね」
「宇宙や深海などの閉鎖環境で長期間のチームミッションを行う場合、男女混成チームが最も質の高い仕事をするという報告がある半面、異性のいないチームの方が良いという報告もあるから、順位は付けられないという昴の意見に僕も同意するよ」
「生物学的な異性は必ずしも心理的な異性ではなく、またその関係は永続するものでもない。あれほど長い記憶を持つ私と眠留以上にそれを理解している男女は、この学校にいないかもね」
 昴の言葉に、僕は二つのことを知った。一つは、互いを最愛の異性とする時間を休止したからこそ、昴はそれを口にしたという事。そしてもう一つは昴にも、姉弟として過ごした数千年分の記憶があるという事だ。ダメダメの僕にすらあるのだから、この破格の女性がその記憶を持たないなんて事、ハナから無いんだけどさ。
 なので、北斗の話題を昴に振ってみた。北斗の話をしても良い状態に僕らは戻っていたし、また序列一位女子の昴は、北斗ファンクラブの極秘情報を知っているかもしれなかったからである。そしてそれは、どうやら当たったらしい。
「眠留は、北斗ファンクラブ会長の日向さんについて、何か知ってる?」
「ええっと、一年時の前期委員学年代表を北斗と争った女の子が、北斗ファンクラブの会長になった。僕が知ってるのは、その程度だね」
「日向さんは、ファンクラブの会長に相応しいと私は思う。学年副代表として北斗と接する時間が長かったという理由以外にも、二人には通じるものがあったのでしょう。あの子は北斗という人間を、とても良く理解しているわ。だからあの子は、北斗を二年生でも学年代表にしようとする子たちを、止めた。けどその子たちはそれに耳を貸さず、計画を実行した。つまり、眠留達の予想した暴走は、既に発生していたのよ」
 空を仰ぎ、人は悲しい生き物だねと呟く僕に、昴も空を見上げて、ええそうねと呟いた。
 ふと思う。
 目のいい僕は、三等星以上の星を昼でも見ることができる。昼の空に星座が広がる光景は、僕にとって馴染み深いものなのだ。それと同じことが、人と人にも生じるのではないか。ある人にとっては苦もなく見える事柄が、別の人にとっては全く見えないのではないか。そんな事をしたら北斗の大望の妨げになると理屈抜きで直感できる人もいれば、それがまるで理解できず、率先して北斗の障壁になる人もいるのではないか。両者は同じ北斗を見て、どちらも北斗の役に立ちたいと願っているのに、真逆の行動を選択する。そういう事が、人にはあるのではないか。
 空を仰ぎながらそう付け加えた僕の足もとに、昴は小石を蹴る。音と気配を頼りにそれを蹴り返した僕へ、昴は嬉しげな瞳を向けるも、口調はどこか寂しげだった。
「同じ本を読んでも、どんな感想を持つかは、人によってまるで違うわ。学術書ならそれを分かつのはその分野への専門知識だから、異なる感想を抱くことへ、人は理性的な対処ができる。でも専門知識や知性ではない、心そのものが異なる感想を抱かせている場合は、それが難しいの。私や眠留やファンクラブ会長にとっては一目瞭然のことが、自分達にはまるで見えないという事を、人はそうそう認められないのね。それでも私は、こうも思う。ううん、きっと北斗も、そして真山君も、そう考えているはずなの。それは・・・」
 寂しさが明瞭になるより早く、張りのある声を僕は放った。
「それは、実際にやってみなければ分からない、だよね。北斗の生徒会長就任を妨害している子たちは、実際にそれをやってみないと、自分達の過ちを実感することができない。だから北斗は、一部の子たちの暴走を察知しつつも、それを阻止しなかった」
「しかもそれは、真山君と合意した上での判断だったと私は思う。真山君も、暴走した子たちが自らそれに気づくことを望んでいた。真山君なら、それを自分のファンクラブ内だけで終息させることは容易かったでしょう。けどそれだと、北斗ファンクラブの子たちに、それを経験させてあげる事ができなくなるのよ」
「だから二人は事前に話し合い、暴走要素のあるそれぞれの子たちに、それを経験させたんだね。真山だけ、もしくは北斗だけがその子たちに働きかけるより、ツートップイケメンの両方が同意見だと知った方が、その子たちも自分の過ちに気付きやすいもんね。しかも・・・」
「しかもその方が、その子たちは傷つきにくい。真山君が自分のファンクラブ内だけで事を収めたら、暴走を経験しなかった北斗ファンクラブの子たちは、真山ファンクラブの子たちを蔑んだでしょう。それは両者に遺恨を生じさせるだけでなく、真山ファンクラブ内にも対立を発生させたはずだわ。そんな状況になったら、その子たちは深く傷ついてしまう。だからあの二人は事前に話し合い、最善の方法を採用した。私には、そう感じられるのよ」
 急峻を駆ける若鹿の如き声に戻った昴へ、僕は問いかける。
「一応訊いておくけど、いつそう感じたの?」
「一年時の後期委員が発足したころね。真山ファンクラブの子たちの行動を知った時そう感じたけど、それがどうかした?」
 肩をすくめ何でもないよと告げつつ、僕は猛の言葉を思い出していた。十組のプレゼン委員代表を決める演説で、猛は秘密にしていた野望を皆に明かした。
『俺は、天下人の友になりたい。俺の先祖の龍造寺氏みたいな地方の戦国大名ではない、織田信長や豊臣秀吉や徳川家康のような天下人の友になり、その偉業を助けたいんだ。十組には北斗が、そして寮には真山がいて、その願いを叶えてくれたから、俺は嬉しかったんだよ』
 あの時は猛に同意するだけで見過ごしていたが、天下人の器を持つ人物はもう一人いた。それは、昴だ。必要ないから勉強してこなかっただけで、昴は頭脳にも卓越した天分を授けられていた。北斗と真山の計画を去年の段階でスラスラ解き明かしていたのが、その証拠だろう。その頭脳に、思いやりのある優しい心と、抜きんでた薙刀の腕と、そしてこの美貌が加わるのだから、世が世なら昴は一国を統治する女王陛下に、きっとなっていたはずなのである。幼稚園入園日からの付き合いなのにやっとそれに気づいたなんて、人ってホント、見ているつもりが全然見ていないんだなあと、僕はつくづく思ったのだった。
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