僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十一章

マネージャー

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 春休みの新忍道サークルには、取り上げるべき大切な出来事がもう一つある。なんとサークルに、女子マネージャーが誕生したのだ。緑川さんと森口さんが新たなメンバーに選出された去年の九月三日、それに漏れたマネージャー希望の一人が、正会員として迎え入れられたのである。三日前の三月三十一日、二年の女子生徒がマネージャーとして入会を希望していることを公式AIから告げられた真田さんと荒海さんは、加藤さん、緑川さん、森口さんの二年生トリオに体を向けた。話を聴く意思を示したサークル長と副長へ、加藤さんが二年を代表し説明する。
「それは去年九月に入会を断った、三枝木という生徒です。自分の覚悟の無さを自覚した三枝木は、あの日を境に努力を重ねてきました。三枝木が本気だと知った俺達は、新忍道のルールと用語と理念を、三枝木に話してきました。今のあいつは、昔のあいつではありません。真田さん、荒海さん、どうか三枝木に、チャンスをあげて頂けないでしょうか」
「「真田さん、荒海さん、どうかお願いします」」
 加藤さんに続き緑川さんと森口さんが声を揃え、三人は床に手を付き上体を折った。去年の文化祭で三枝木さんと親交を持ち、メールのやり取りをしていた僕ら一年生トリオも、北斗が簡潔にそれを述べたのち二年生に倣った。サークル終了後の、賑やかな団らんを過ごしていたプレハブに、沈黙が突如落ちる。すると、トテテと足早に移動する音がして、
 ク~~ン
 嵐丸が切なげに一声鳴いた。むれでの生活を本能とし、新忍道サークルを自分の所属する群と認識している嵐丸にとって、群の長と副長へ六人が頭を下げる光景は、痛みを伴う出来事だったに違いない。直接目を向けずとも、ク~ンと泣いた嵐丸がその小さな頭を真田さんと荒海さんへ下げるのを、僕は心の目ではっきり感じた。そこへ、
「ったくテメエら、嵐丸を誤解させるんじゃねぇ。ほら来い、わんこ」
 ポンと手を叩く音が荒海さんのいる方角からした。プレハブに和やかな気配が満ちる。きっと嵐丸が荒海さんの膝にダイブし愛嬌を振りまいているんだろうな、と予想し顔を上げると、まさにその通りの光景が目に飛び込んできた。言葉遣いは乱暴でも、一皮むけば面倒見が良く温かな荒海さんを知っている僕らは、たまらずププッと吹き出す。とたんに目つきの鋭くなった荒海さんを笑って制し、真田さんが太くおおらかな声で嵐丸に語りかけた。
「二年生と一年生が頭を下げたのは、詫びではない。大切な人のため、六人は己が体を張ったのだ。理由は違えど、六人は嵐丸と、動機を一つにしていたんだな」
 荒海さんの胡坐の上に直立不動で立ち真田さんの話を聴いていた嵐丸は、やっと安心したのだろう。その身を荒海さんの脚にあずけ、眠そうにあくびをした。優しく撫でられる嵐丸に目を細めていた真田さんは、その表情のまま僕らへ体を向け、言った。
「明日のサークルで再テストをする。期待していると、伝えてくれ」
「「「はい、ありがとうございます!」」」  
 二年生と一年生のみならず黛さんと竹中さんと菊本さんも、絶対的な信頼を捧げるサークル長と副長へ、深々と頭を下げたのだった。
 翌四月一日、三枝木さんの入会テストは始まった。と言っても、特別なテストがある訳ではなかった。真田さんと荒海さんは三枝木さんへ、こう告げただけだったのである。
「サークル終了まで、マネージャーになったつもりで行動するように」
「指示は出さねぇから、全部好きにやってくれ」
 僕はこのテストの厳しさに瞠目した。今の新忍道サークルに、マネージャーは必須ではない。練習記録は公式AIが付けてくれるし、雑用も会員全員が分担してこなしているから、マネージャーがいなくとも一向に構わないのだ。そのような状況で欠くべからざる「仲間」となるには、どうすべきなのか。それを自分で考え、判断し、行動することを、サークル長と副長は入会テストにしたのである。その厳しさに全員が、それぞれの方法で堅い気配を纏った。ちょっとしたことにも驚きまくる僕や加藤さんはもちろん、クールイケメンの黛さんまでもが表情を曇らせていたのだから、それは相当なものだったと思う。にもかかわらず、
「はい、全力を尽くします。皆さん、今日一日よろしくお願いします」
 三枝木さんは自然な笑顔で元気よくお辞儀した。その溌剌さが堅い空気を一掃し、豊かな緑に囲まれた春の湖校に相応しい快活さを皆にもたらしてゆく。その瞬間、確信が芽生えた。「ああこの人は、僕らのマネージャーになるのだ」と。
 それから僕らは表面上、普段とさほど変わらない三時間を過ごした。嵐丸ブームで一気に増えた観客用に教育AIは収容人数二百人の観覧席を作り、そこに陣取った女子生徒達がいつも声援をあげてくれるので、訓練に集中する僕らの耳に三枝木さんの声が届くことは無かった。激しい戦闘を終えた仲間に配るタオルも普段通り僕らが用意し、三枝木さんはそこに現れなかった。訓練スケジュールを完璧に覚えている僕らへ、三枝木さんが次の訓練内容を告げることも無かった。よって観覧席の常連さん達は、僕らがいつもと寸分たがわぬ時間を過ごしていると感じたと思う。だがそれは違った。僕らは普段より強いやる気を胸に、訓練に臨んでいた。それは悠々と流れる大河に小さな支流が加わったような僅かな増加分だったため見学者がそれに気づくのは至難でも、僕ら当事者には容易く感じられる違いだった。三枝木さんは新忍道の訓練を見つめつつ、首から下げたメモ板に何かを一生懸命書き込んでいた。そして同じ状況が訪れると、三枝木さんはフォローを必ずした。戦闘を終えた真田さん、荒海さん、黛さんにタオルを渡しそれを使用済み箱に入れるのはいつも通り僕らがしたが、次のチームの使用済みタオルを入れようとしたら、そこは空になっていた。水場へ目をやると、タオルを浸け置き洗いする三枝木さんがいた。透水マットで受け身の訓練を終え次の訓練をしている最中ふと目をやると、マットに付着した土を掃いている三枝木さんがいた。モンスターとの戦闘後の整理体操中、三枝木さんが銃や盾を丁寧に乾拭きしているのを、僕らは見るとはなしに見ていた。銃や盾は然るべき箇所を分解し、中に入り込んだ土や砂を除去しワックスがけしなければ、整備を終えたことにはならない。加藤さん達に教えられその知識はあっても、それを実践した事のない三枝木さんは、備品の分解整備を避けた。それでも今のうちにできる事はしておこうと、三枝木さんは銃と盾を手に取り、愛情を込め乾拭きしていたのだ。それら一つ一つは、ほんの些細なことなのかもしれない。十一人のメンバーが手分けしてやれば、短時間で終わる些事なのかもしれない。だが三枝木さんのその姿は、僕らの胸に沁みた。新忍道の訓練に打ち込めるよう陰ながら支えてくれる女の子の姿に、やる気がふつふつと湧いて来るのを、メンバー全員がはっきり感じていたのである。だから訓練後、プレハブ前に整列した僕らは、別の場所に一人佇む三枝木さんへ体を向け、言った。
「マネージャー、一緒に並んで、練習場に挨拶しよう」
「そうだな、マネージャーがいねえと、締まらねぇしな」
「働き者のマネージャーが加わり、練習場もきっと喜んでいるよ」
「男所帯で大変だろうけど、これからよろしく」
「これからよろしく、マネージャー」
「よかったな三枝木」
「俺らは同級生だ、何でも言え」
「三枝木、何でも言えよ」
「三枝木さん、おめでとうございます」
「これからヨロシクッス、三枝木さん」
「僕なんかの隣で恐縮ですが、どうぞここにいらして下さい、三枝木さん」
 三枝木さんは両手で一瞬顔を覆うも、外された両手の下から現れたのは、この人がいてくれなきゃ困ると感じずにはいられない、皆を元気にする笑顔だった。十二人目の仲間を加えた新忍道サークルは練習場へ向かい、声を揃える。
「「「ありがとうございました!!」」」
 こうして湖校新忍道サークルに、マネージャーが誕生したのだった。
 その後すぐ教育AIが現れ、会員増加によるプレハブの増築と、そこにマネージャー室を併設することが告げられた。
「三枝木さん、入会おめでとう。寄付が多すぎて貯金が増える一方の学校運営予算にものを言わせ、女子更衣室付きのマネージャー室を、明後日には使えるようにしておくからね」
 そうなのだ、実はこれは大きな懸念事項だった。休日の午前に訓練を終えた際、僕らは必ず車座になってお弁当を食べていた。だがプレハブは狭く、一緒に食事できるのは十一人が上限であり、そこに年頃の女の子を迎える余裕はなかった。かといって三枝木さん一人をかやの外にする訳にはいかず、仮に一年生トリオが外に出て場所を譲ると申し出ても、三枝木さんはそれを断固拒否するはず。プレハブ内を徹底的に整理し一人分のスペースを確保したとしても、新一年生を迎え入れたら同じ問題がまた浮上してくる。紫柳子さんがそうだったように、マネージャーではない女子選手が登場することも、視野に入れねばならぬだろう。かくいう次第で憂慮の的になっていた問題を、快刀乱麻を断つが如く、教育AIは解決してくれたのである。僕ら十二人は再度一列に並び、教育AIへ頭を下げたのだった。
 その日と翌日は午後が訓練時間だったので問題は発生せず、そして今日四月三日、僕らは新たな建物で全員一緒にお弁当を食べた。一昨日教育AIは「プレハブ」と言ったがそれはサプライズの仕込みにすぎず、練習場に集結した僕らが目にしたのは、正式な部のみに与えられる立派な建物だった。みんな躍り上がったため十分と掛からず引っ越しは完了し、そしてその後、かつてない濃密な時間を僕らは過ごした。真新しい建物と女子マネージャーが視野に入るたび、皆のやる気と集中力が燃え上がったのである。車座になって食べるお弁当も、いつもより何倍も美味しく感じられた。ねぎらいの言葉と共に三枝木さんからお弁当を手渡され、三枝木さんが入れてくれたお茶を飲み、そして三枝木さんという素敵な女性が加わっているだけで味はこうも変わるのかという嬉しい驚きを、僕らは心ゆくまで堪能したのだった。
 

 という、長い長~~い回想を終え、家族の団欒に賑わう台所を改めて見渡す。
 そして湖校入学以来急激に増したある想いを、今日も胸の中でそっと囁いた。
 ああ僕は、なんて幸せなのだろう、と。
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