僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十一章

翔人の先輩、1

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 2061年四月三日、日曜日。
 場所は、東京都三鷹市の東端スレスレ。
「本日の任務はこれにて終了」
「終了、だく
 パシンッ!
 手と肉球を打ち鳴らし、僕と末吉は討伐を終えた。
 日曜日の魔想討伐は、基本的に昴が引き受けてくれている。けど薙刀部が合宿中だった事もあり、今日は僕が代行を買って出ていた。合宿と言っても金土日の三日間しかなく、宿泊場所も湖校の寮だから、遠くへ行ってしまったという感覚はない。それでも寂しい気持ちを押さえられないのか、末吉は討伐を終えるなり、僕の頭に覆いかぶさって来た。
「なあ眠留」
「なんだい末吉」
「今日も昴と輝夜さんは、朝ごはんに来ないんだよにゃ」
「そうだね、合宿は今日までだからね」
 返事の代わりに、頭皮に感じていた末吉の重みがグッと増した。一昨年の夏、末吉が神社にやって来たその日から、昴と末吉は大の仲良しだった。だがどんなに仲が良くとも翔描の存在を秘さねばならない末吉は、昴に話かけることができなかった。その悲しみを察した昴も挨拶以外はなるべく話しかけず、遊んであげたり撫でてあげたりすることで会話の代わりとしていた。そんな二人の関係が、去年五月に変化した。翔人を目指す者として昴が猫将軍家に加わり、心の赴くまま会話できるようになったのである。しかもそこには輝夜さんもいて、もともと猫好きだった輝夜さんは、末吉をとても可愛がった。末吉は輝夜さんにすぐなつき、そして賢く優しい末吉は、教えられずとも事情を知らずとも、自分を撫でる輝夜さんの指に悲しみが込められているのをすぐ感じ取った。また自分の存在が、その悲しみを癒していることも本能的に理解した。末吉は無垢な心で輝夜さんに甘え、輝夜さんも末吉を心ゆくまで可愛がり、そんな二人を昴は慈しんだため、三人の関係は家族のそれへと急速に育っていった。夏休みを経て、自分達は同じ道を歩む同士であることをひしひしと感じた三人は、絆を一層深めて行った。その輝夜さんと昴が金曜の朝以降、神社に現れないのだ。正味二日半のことであっても家族の不在に慣れていない末吉にとって、いや生後三か月で生まれ故郷を発たねばならなかった末吉にとって、二人の不在はことのほか堪えたらしい。平日の七割弱の魔想を討伐しただけなのに、かつてない重みを頭皮に感じるのは、末吉の心が重く沈んでいるからなのだろう。それが痛いほどわかる僕は、頭上の末吉に振動をなるべく伝えぬよう、水平移動で神社に帰投しようとした。のだけど、
 キラリ
 東の空に微かな光が瞬いた。濃紺から藍色のグラデーションで地上を魅了する午前四時の東の空に、光が突如出現したのだ。それは初めての経験であり、かつ比較的近い場所に静止しているそれが星でも流れ星でもないのは一目瞭然だったため、僕と末吉は息を呑みそれを見つめた。けど僕らの胸に、警戒や恐怖はなかった。なぜならその光は、精霊猫のみが放つ、清浄な白光だったからである。すると、
 フワリ
 呼吸一回分ほどの時間が過ぎたのち、その光がこちらに近づいてきた。頭皮に感じていた重みが、四つの肉球へ分散し消える。左側に移動した末吉とともに、僕は身繕いして姿勢を正した。それを合図に、湾曲した空間から微かに漏れ出ていた光が、輝きを急激に増してゆく。光、音、生命力等々の、ありとあらゆるモノを遮断する次元壁を、精霊猫が解き放ったのだ。そのまばゆい光球の中に立つ、左手に薙刀を携えた女性が、粛々と腰を折ったのち僕らに話しかけてきた。
「猫将軍君、末吉君、初めまして。正確には違うけど、正式に対面するのはこれが初めてね。私の名前は、岬静香。猫将軍家に連なる、翔人です」
 湖校の生ける伝説、薙刀部前部長にして前騎士長、先月十五日に湖校を卒業して行った朝露の白薔薇は、親しみ溢れる眼差しで僕らを包んだのだった。

 それから僕らは、川越へ移動しながら十分ほど話した。と言っても精霊猫の「銀」が余剰生命力を三千くれて、それを四倍に圧縮して移動したから、翔人の時間感覚では二倍の二十分を会話に費やせたんだけどね。
「私が翔家の存在を知ったのは、湖校の二年生に進級した四月一日。夢の中に先生が現れて、教えて下さったの」
 翔家について教わった岬さんは、翔人になりたいという願いをすぐさま持ったと言う。ちなみに夢の中に現れた「先生」は水晶を指し、パートナーの銀はシルバーをもじって「シルちゃん」と呼ばれていた。銀色の長毛と青い瞳をもつ銀は西洋の気配漂う精霊猫であり、またとても愛らしい性格をしているから、シルちゃんは最高の愛称だと僕は感じた。銀自身もその名を、すごく気に入っているみたいだしね。
「翔人の訓練は翌日から始まり、丁度一年後の四月一日、私は翔人になった。一年は早い方だと先生は褒めてくださったけど、昴が半年と二週間で翔人になったと知った時は、少し落ち込んだわ」
 前代未聞の集中稽古を経て、六年の先輩方が二人を名前で呼ぶようになったことは、本人達から直接聞いていた。しかし、二人が実際にそう呼ばれているのを目の当たりにするや、僕は満面のデレデレ顔になってしまった。岬さんはそんな僕に頬を緩め、そして翔人の試験に合格した日の、水晶の最初の指示を教えてくれた。
「先生は仰ったわ。『魔想は成長し魔邸になると、上級翔人すら翻弄する知恵を身に付ける。よってそなたは、対人戦における駆け引きを磨いてゆきなさい。さすれば翔人と薙刀道の区別なく、そなたを高みへと導いてくれるじゃろう』 ただでさえお優しい先生がああもニコニコ笑って言うものだから、私は情熱と体力の全てをそれに注いだ。それは私だけでなく、薙刀部全体を引き上げてくれたの。猫将軍君、わたし先生に、幾ら感謝してもしきれないのよ」
 準会員とはいえ新忍道サークルに籍を置く身として、先輩と仲間がどれほど大切なのかを僕は夢中で話した。夢中になる余り同意を伝えることを忘れてしまい慌てて謝罪すると、岬さんは「言葉ではなく行動で同意してくれたのだからかえって嬉しかった」と言って、心安らぐ大人の笑みを浮かべてくれた。豆柴と化し転げまわりたがる自分を、僕は全身全霊で制御せねばならなかった。
「先生への恩返しに、部で出会った先輩と同級生と後輩達への恩返しが加わったから、昴と輝夜の指導には熱が入った。そしてそれは、同級生も同じだった。これほど有力な一年生が二人もいる私達は歴代一幸せな六年生だって、泣き笑いになりながら湖校を卒業して行ったの。猫将軍君、ありがとうね」
 朝露の白薔薇ともあろうお方からお礼を言われる価値は、僕にはない。それでも猫将軍本家に生まれた翔人として、輝夜さんと昴の分も込め、こちらこそありがとうございますと僕は腰を折った。それは末吉も同じで、昴と輝夜さんがお世話になったのだからオイラも感謝して当然にゃ、と丁寧に頭を下げていた。岬さんは末吉を抱き上げ、愛情たっぷり撫でてゆく。その指にじゃれつく末吉は、歴代トップクラスの幸せ顔になっていた。
 が、僕は間違っていた。この稀有な女性は末吉に続き、僕もふにゃふにゃにしてしまったのである。末吉を抱っこすべく水平移動に切り替えた岬さんは、大輪の白薔薇としか表現し得ない笑みを僕へ向けた。
「翔家の血筋にない私のような翔人は、見習い翔人になった日から翔家へ赴き修行を受けるのが一般的みたいね。自宅に道場があった私は猫将軍本家にあまり行かなかったけど、これからは節目に必ずお伺いするつもり。という訳で、どうかよろしくね、総領息子さん」
「そっ、総領息子なんて大層なものじゃなくて、僕はダメダメ翔人なんです。えっとあと、こちらこそよろしくお願いします!」
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