僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十章

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「想像して欲しい。俺の目の前に、ジャンクフードをむさぼる三歳の子供がいるとする。偏った食生活のせいで肌は荒れに荒れ、ぶくぶく太っていて、見るからに不健康そうだ。それを見かね、俺はその子からジャンクフードを取り上げた。その子は俺を、優しさや思いやりの欠片もない冷酷な人間と言って泣いた。その子にとっては、ジャンクフードをいつでも好きなだけ食べさせてくれる人こそが、思いやりのある優しい人だったんだな」
 クラスの幾人かが肩を落とし、大きな溜息をついた。慌てて詫びようとするその級友達へ、僕らは首を横に振った。似た経験なら自分にも沢山ある、過去の愚かな行為を思い出し溜息をつく気持ち、すごく分かるよ、と。
「研究学校は基本的に、公正な学校運営をしている。その一方、寮分けや六年時のクラス分けのように、公正だけでは説明不可能なことも研究学校はしている。それについて考えるたび俺は思う。在校生五千人のマンモス校で生徒を十八年間見守り続けてきた教育AIにとって、俺はジャンクフードをむさぼる三歳児と、たいして変わらないのだろうと」
「お前が三歳児なら俺は幾つなんだよ」
「そうだね、普通の醤油と高級醤油の違いがわかる京馬なら、こんなミルク飲めないよオンギャ~って、赤ちゃんの頃から言ってそうだもんね」
「こら眠留、みんなが知ってるその話を、こんな時に蒸し返すな!」
 長靴に高級醤油を注ぎそこに足を入れ「足が痛いよう」と泣いていた京馬の武勇伝を知らない級友は一人もおらず、みんな腹を抱えて笑っていた。そのお蔭で京馬の読みどおり、この一時ひとときが終わることへの寂しさを粗方拭い去れたのだから、やはり京馬はなくてはならない僕らのムードメーカーなのである。
 その機を逃さず北斗が口を開く。学年一の策略家は近ごろとみに心地よくなった低音ボイスで、己の責務をまっとうした。
「公正であるべき抽選に教育AIが手を加えているか否かは、俺にはわからん。だがそれは今の俺に不可能なだけで、五年後や十年後の俺にも不可能なのだと、俺は考えていない。将来またこうして皆と顔を合わせた時、あの頃は無理だったが今は理解できるよなと笑い合えるよう、俺は湖校で過ごしてゆくつもりだ」
 拍手が一斉に立ち上がった。それが鳴り終わらぬ内に食後のデザートタイムの訪れを教育AIが告げたため、拍手に怒涛の歓声が加わる。僕は胸の中で呟いた。
 ――五年後や十年後、そう言って皆と笑いあえるよう僕も頑張るぞ!
 寒い季節のデザートにまこと相応しい、温かなフォンダンショコラに舌鼓を打ちつつ、僕はそう誓ったのだった。

 などと僕が幾ら意気込んだところで、プレゼン大会の順位に波乱が起こるワケではない。クラス代表の一人ならいざ知らず僕は聴衆の一人でしかないし、何よりプレゼンは、もう全て終わっているからね。
 七位以上の入賞者発表の前に、一年生の歴代最高コントと歴代最高プレゼンの映像が流れた。そのあまりの素晴らしさに、来年のプレゼン大会への闘志が講堂全体に燃え上がるのを、僕ははっきり感じた。
 続いて、教育AIによる総評が行われた。と言っても無駄話をダラダラしたりせず、
「みんな最高、来年も盛り上がろうね!」
 で終わるのだから、さすがは咲耶さんなのである。
 そしてそのノリのまま、入賞者発表へ移る。その最後に名前を呼ばれたのは、もちろんこの二人だった。
「優勝は十組! 芹沢、青木ペアです!!」
 第十八回プレゼン一年生大会を制したのは本命中の本命と言える、芹沢さんと青木さんだった。各組の代表は誰もが有意義な話を楽しく聞かせてくれて、それだけでは甲乙つけ難かったけど、二人のプレゼンにはそれ以外の要素があった。「よし、早速やってみますか」という気持ちが、沸々と湧いてきたのである。日本人が一念発起するのは、何といってもお正月。それを抱いたまま冬休み明けすぐのプレゼン大会をひた走った皆にとって、前向きな気持ちを沸き立たせる二人のプレゼンは、胸を強く打ったのである。教育AIも寸評でそれを指摘し、メディカルバンドの計測した「やる気値」の上昇率は、二人が最も大きかったことを明かした。
「皆さんの研究は多くの場合、プロジェクトの一員になることで実ります。研究とプレゼン技術を磨く目的はそれですが、プレゼンは一員に選ばれるためだけに行うのではありません。プロジェクトを遂行する仲間達の活力とも、支えとも、希望ともなるのがプレゼンなのです。優勝した二人は、それを皆に示してくれました。未来ある子供達を預かる身として、感謝の気持ちを二人に捧げます」
 教育AIは七色の光を散りばめた白光をふんだんに放射し、校章としてのその身を、表彰台の中央に立つ二人へ傾斜させた。芹沢さん、青木さん、そして教育AIへ、僕らは万雷の拍手を贈ったのだった。
 二位の生徒も上位入賞候補者に名を連ねていたので順当と言えたが、三位は波乱だった。大会前には入賞どころかクラス代表になることすら全く予想されていなかった那須さんが、表彰台の最後の一枠を勝ち取ったのである。顔を赤らめ俯く那須さんへ、教育AIは優しく語りかけた。
「那須さん、三位入賞おめでとう。今だから言うけど入学以降の数か月間、私はいつもあなたを案じていました。皆が避けたがる仕事や目立たない仕事をあなたはいつも裏表なくこなしていましたが、裏表のまるで無いあなたは、裏と同じく表でも寡黙にそれを行っていました。だからあなたの高潔さや優しさに気付く生徒は、ほんの一握りしかいませんでした。表情に出さないだけでさぞ寂しい想いをしているのでしょうと、私は心配でならなかったのです」
 たまらず那須さんは両手で顔を覆った。隣にいた芹沢さんが素早く段を降り、那須さんの肩を抱く。「那須さーん」の声が、講堂に幾つも響いていた。
「けどあなたはそこから一歩踏み出し、周囲の人達へ友愛の手を差し出した。それを経て、あなたは身をもって知りました。皆へ友愛の手を差し出せば、皆もあなたへ友愛の手を差し出してくれるのだと、あなたは知りました。生まれて初めて踏み出した場所にあなたが慣れるのを、沢山の手が支えてくれたことを、あなたはその身を介して知ったのです。それになんとか報いたいという気持ちが、あなたのプレゼンにはあった。その気持ちが皆の心に、旅先で心身をリフレッシュさせる自分をまざまざと想像させました。次の土日に、今度の春休みに、大切な人達と旅に出かける自分を楽しく思い描かせました。あなたのプレゼンを聴いた大勢の人達が、希望に顔を輝かせていたのです。那須さん、恩返しできて、良かったね」
 芹沢さんを通じ、青木さんも那須さんと親交があったのだろう。青木さんは表彰台を降り、芹沢さんの反対側から那須さんを支えた。那須さんは顔を上げ芹沢さんと頷き合い、一緒に表彰台を降りて、三人で仲良く手をつないだ。二位の男子生徒は、さすが男子代表と称えられる行動をした。自らも表彰台を降り、三人へ体を向け、聴衆の一人となって三人へ拍手を贈ったのである。
 地響きとしか表現し得ない、講堂全体を揺らす大歓声をもって、プレゼン大会は終了したのだった。
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