僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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九章

幼きころの憧憬

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『感覚遮断壁は、魔邸の放つ精神攻撃を防ぐが、遮断壁は自然界に存在しない異物であるため、魔邸はそれを指標に我々の位置を把握してしまう』
『感覚消去壁は闇油以下には効果的だが、魔邸は消去壁を意識の空白部分と認識するため、遮断壁の次に位置を把握されやすいと言える』
『壁を作らず、向けられた意識をそのまま通過させる感覚透過は最も優れた対処法だが、これは習得が最も困難な技でもある。焦らず気長に訓練していきなさい』
 黒の教えのとおり、遮断壁と消去壁はこんな僕でも合格点をもらえたが、感覚透過は合格点の半分でしかない及第点の、これまた半分にやっと手が届いたにすぎなかった。だが、下手でもやってみなければ技術の向上は望めない。女性の話に聞き耳を立てるという無礼を避けることにもつながるため、感覚球体の内側のみを透過状態にするという高等技術に、僕は挑戦した。
 けど予想に反し、これがとても上手く行った。それは僕が芹沢さんと青木さんへ、警戒心を微塵も抱いていないからなのだろう。最強の敵である魔邸との戦闘は警戒を一瞬たりとも怠ってはならないのに、感覚透過という技術は、魔邸がこちらへ向ける意識だけを敵と思わず素通りさせるという、複雑な作業を翔人に要求する。不器用な僕はそれが苦手だったけど、今回は複雑さなど存在しない。芹沢さんと青木さんは僕にとって、全力を尽くして守るべき大切な人達だからだ。それを思い浮かべるだけで僕は二人の会話を、自分でも感心するほど容易く素通りさせる事ができたのだった。
 という万全の状態が確立したので、改めて周囲に気を配ってみる。湖校と西武球場前駅をつなぐ通学路は街灯や犯罪防止センサーがふんだんに設置されている事もあり、女子生徒が一人で下校しても不安を覚える事はまずないと言われている。それに加え、湖校騎士会の上級生達が要所要所を警備してくれているから、心強いことこの上ない。その騎士の方々が、街灯と街灯の丁度中間の、暗々たる闇を秘めた木立の前に二人一組で立っていた。僕は歩きながら姿勢を正し、頭を下げる。
「騎士の皆さん、こんばんは」
「「こんばんは」」
 芹沢さんと青木さんもおしゃべりを止め、声を揃えて続いた。そんな僕ら三人へ、
「はい今晩は」
「気を付けて帰ってね」
 最上級生のお二人は、頼もしくも親しげに挨拶を返してくれた。胸に、幼いころの記憶が湧き上がってくる。地元民の僕は、この木立こそが騎士発祥の地であることを、幼稚園に入る前から知っていた。そのころの僕にとって、胸に白羽根を指し腕に腕章を通し、湖校のコートを礼服風にアレンジした騎士装に身を包むお兄さんとお姉さんは、ヒーロー以外の何者でもなかった。「ご迷惑になるから一月ひとつきに一度だけだよ」と両親に言い含められ、散歩の途中にたまたま通りかかったという体裁を整えて、ヒーローのお兄さんとお姉さんに僕は会いに行っていた。モジモジ性格のあがり症の最盛期と言っても過言ではない時期だったのに、憧れの正義の味方の前に出ると、両親に両側から引かれていた手を自分から離し、「お兄さんお姉さんこんばんは」と僕は自然に挨拶できた。その都度、騎士の方々は頬を緩めてくださり、お姉さんに優しく頭を撫でられたことも数知れない。後に知ったのだけど、子供にせがまれても騎士に会いに行くのは月に一度という取り決めが、この地域にはあるらしい。それがなされた当初、湖校の教育AIも騎士会も頻度をもっと上げていいんですよと申し入れたそうだが、「どんなに望んでも相手に迷惑がかかるなら我慢せねばならない」という躾に最適ですからと、親達はそれを断ったと言う。騎士達もそれを知っているため子供達のヒーローに恥じぬべく振る舞い、それが高潔な人格形成の一助になっていると、小学校高学年になった僕へ水晶は話してくれた。憧憬に突き動かされただけのあの日々が、騎士の方々の役に立っていたと知った時の喜びは、今もこの胸にしっかり刻み込まれている。
 それが知らぬ間に、表に出ていたのかもしれない。
「猫将軍君は騎士にならないの?」
 後ろから青木さんに問いかけられた。周囲への警戒はゆるめずとも僕は頭を掻き掻き、胸に蘇った日々のことを話す。そして最後に、真情を明かした。
「幼稚園入園に合わせてこの町に引っ越して来た昴はたちまち騎士に惚れ込み、幼稚園児のころから騎士の振る舞いを自分の行動規範にしていた。それは昴の気質に、よほど合っていたんだろうね。昴はすぐさま、騎士の気風を帯びるようになった。僕はそれが、嬉しくて誇らしくてたまらなくてさ。だから僕にとって騎士は昴みたいな人が目指すべきで、気風も気骨もない僕は遠くからあの人達に憧憬を投げかけていれば、それで充分なんだよ」
 これは実際に経験した事実だから、僕としてはこれを明かせば青木さんを納得させられると考えていた。だが僕の背中は予想外の気配を感じ取る。女性達のとまどいの気配を、背中が直接感じたのだ。僕は感覚体を戦闘モードへ移行し警戒を最大に上げる。騎士発足の引き金となったあの事件がこの女性達にも降りかかるかもしれないと思った途端、魔想と死闘を重ねてきた翔人の血が、自動的に出たのだ。
 幸運にも、僕はそれを感覚球体の外側だけで行っていた。初めて挑戦したこの高等技術をこうも巧みにやってのけられたのは、守るべき大切な人達がすぐそばにいた事と、そして騎士のお蔭なのだろう。幼稚園卒園まで月に一度会いに行っていたヒーロー達の記憶が、芹沢さんと青木さんを守ってみせるという決意とピッタリ重なり、この身に普段以上の能力と幸運をもたらしてくれたのだと、僕は思えてならなかった。
 それが、戦闘球体の感度を更に上げる。街路樹の枝に擬態していたミノムシがこちらに向ける警戒心をはっきり感じられるほど、研ぎ澄まされた意識のただ中に僕はいた。その意識が索敵結果を告げる。「周囲に不審者なし」 僕は戦闘モードを解除しミノムシに詫びた。「驚かせてごめんね」「そうよ、驚いちゃったじゃない」 空想の中の小さな命は、なぜか中吉の声で僕に文句を垂れたのだった。
 それからは何事も起こらず、三人で駅舎に足を踏み入れた。西武球場があったころを覚えている祖父によると、この駅は以前、試合のある日は混雑してもそれ以外は場違いなだだっ広さばかりが目に付く、閑散とした駅だったらしい。当時はまだ国分寺への直通電車はなく、コンクリートの道をゴムタイヤで走行する電車が隣駅との間を往復していたそうだが、湖校創設を機に軌道が統一され通常車両の乗り入れが可能になったという。駅舎もそのとき生まれ変わり、利用者の半分を占める湖校生に合わせた、小さいながらも色彩豊かな明るい駅になっている。鉄道会社が最終下校時刻に合わせてダイヤを組んでいる事もあり、部活や委員活動を終え下校する数百人の生徒達が、賑やかな雰囲気を醸成していた。夜の暗がりを追い払う若者たちの活気に、僕は安堵の息を吐く。芹沢さんと青木さんを無事駅まで送り届けたという達成感も手伝い、僕は両手を上げ伸びをした。その反った背中に、
「猫将軍君は、騎士になるべきだと思う」
 青木さんが思いがけない言葉を掛けた。僕は大急ぎで周囲へ目をやり、それを小耳に挟んだ人の有無を探る。小さな駅ゆえ立ち話をする湖校生の集団がわずか数歩の距離に複数あったが、最後のおしゃべりに夢中だったからか、青木さんの発言を気に留めた人はいないみたいだ。僕は胸をなでおろし、青木さんに口を尖らせた。
「あのねえ青木さん、そりゃ僕はからかわれるのに慣れているけど、だからって騎士の方々に守ってもらった直後にそんなこと言うのは、どうかと思うよ」
 しかし青木さんは僕の不平に小揺るぎもせず、真っ直ぐな視線を投げかけてくる。たまらず泳がせた目に、青木さんの華奢な肩から流れる、豊かな黒髪が飛び込んできた。入学式で見かけた短めの、中性的な髪型が印象に残っていたせいか、あの頃とは別人の女性らしさに僕は息を呑んだ。それを、プレゼン巧者の青木さんが見逃す訳がない。彼女は間を詰め、ここぞとばかりに斬り込んできた。
「今の私が、天狗だったころの私を基準に未来を決めていたら、猫将軍君は私を助けてくれる?」
 脊髄反射で応えた。
「もちろん助けるよ。だって今の青木さんは、天狗なんかじゃ絶対ないからね」
 助けるという語彙に、過剰反応したのは否めない。しかしそれでも、僕は訴えずにいられなかった。今の青木さんは昔とは違うからね、と。
 そんな僕へ、今度は芹沢さんが語りかける。
「世の中には色々な人がいるから全員とは言い切れないけど、ほぼすべての女の子は、大切にされると嬉しいものなの。妹の美鈴さんや幼馴染の昴も、そうだったでしょう?」
 僕は口を開かず、首を縦にブンブン振ってそれに答えた。そうでもしないと芹沢さんが初めて纏った、手のかかる弟を諭す姉のような気配に、尻尾をブンブン振る豆柴になってしまうこと必定だったからだ。
 まあでもそんなヘボ演技では、昴の前で不可抗力的に豆柴と化す僕を十か月間見てきた級友を誤魔化すことなど、最初から無理だったのだろう。芹沢さんと青木さんはさも楽しげにクスクス笑い、優しく柔らかな笑みを浮かべた。僕は両手を上げ、二人に敗北を伝える。戦いようがないと諦めることは命がけの戦闘に臨んでいる翔人にとって最大の禁忌であると散々教えられてきたが、ここは諦めるしかない。僕はただでさえこの笑みに弱いのに、親しい女性がそれを浮かべてくれたのだから、僕にできるのは敗北宣言する事だけなのである。二人は深く頷き、そして今度こそ本当に、弟を教え諭す姉の口調で話した。
「猫将軍君が私に言った不平のように、騎士の方々が私達を守ってくれたのは事実だわ」
「でも校門を出てからここまで私達を守ってくれたのは、猫将軍君なの」
「私たち女は、自分を大切にしてくれる男性を、本能的に察知する」
「猫将軍君がどんな仕組みで私達を包んだのかを、私達は知らない」
「けど校門を出るなり周囲に安全な気配が満ちたのを、私達は本能で知っていたのよ」
「それが嬉しくて、そしてちょっぴり恥ずかしくて、漫才っぽい会話をしてみたけど」
「十か月間見てきたとおり、猫将軍君の集中力が途切れることはなかった」
「だから私、青木さんの意見に心から賛成する」
「ねえ芹沢さん、もう一度二人で一緒に言ってみようか」
「それいいね。じゃあせえのっ」
「「猫将軍君は、騎士になるべきだと思う!」」
 丁度その時、乗車を促すアナウンスが流れた。
 二人が通学に使っている国分寺への直通電車が、間もなく発車するのだ。
 二人は僕の返答を待たず「「また明日」」と手を振り、改札の向こうへ去ってゆく。
 発車ベルが鳴り、車両が動き出し、二人の乗った電車が視界から消えても、僕は同じ場所で同じ方角に顔を向けていた。
 意外すぎる提唱に何も考えられなくなっていた僕は駅の案内AIに心配声で話しかけられるまで、ただただその場に立ち尽くしていたのだった。
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