僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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九章

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 トレイ返却口にトレイを運び「「ごちそうさまでした」」と声を揃え、昇降口に足を踏み入れるなり、目だけを下駄箱の方へ向ける。京馬は案の定、上履きのまま歩いて行けるギリギリの場所で、両親に電話をかけていた。うかうかしていたら寮生の枠がなくなる可能性に気づいた京馬は、すぐにでも親から入寮の許可をもらわねばならないと奮い立った。と同時にその焦りが、大声として現れることを京馬は危惧した。親を説得しようとするあまり声が大きくなり、寮生に迷惑をかけてしまう事を、彼は恐れたのだ。よって彼は上履きのまま歩いて行ける食堂から最も離れた場所、つまり下駄箱エリアのきわで、親に電話を掛けたのである。
 という京馬の胸中を手で触れるように感じた僕は足を止め、安堵の息を吐いた。そしてそれは、仲間達も同じだった。僕らは、想いを一つにしていたのだ。
 咄嗟にこんな気遣いのできる漢が、自分の気持ちを両親へ伝えられないはずが無い、と。
 それを裏付けるように、
「わかった、わかったって。俺が調子づかないよう監視してくれって、アイツらにちゃんと頼むからさ」
 ゲンナリしつつもどこか誇らしげな声が、下駄箱側から聞こえて来た。僕らは目で頷き合い、声の方へ足を向ける。
 二分後。
 両親へ電話を掛けるさい京馬が咄嗟に採った行動を皆で伝え終った僕らは、「どうか息子をよろしくお願いします」と、3Dの二階堂夫妻から頭を下げられていた。
 それは京馬が、親から入寮を許可された事と、同義だったのだった。

 それから約二十分経った、七時五十分。
「じゃあ、またすぐ後にな」
「「「またすぐな~~」」」
 十組の前で仲間達と手を振り合い、踵を返す。恒例の早朝研究に今日も打ち込むべく、僕は実技棟へ、一人歩を進めた。
 クリスマス会の翌日、北斗と真山から寮に泊まる計画を明かされた時は、「僕だけは研究のため皆より三十分早く寮を後にするんだろうな」と内心肩を落としていた。けど今日、朝のベンチ瞑想を済ませ十七号室に戻ってみると、部屋は綺麗に片づけられ、皆は制服に着替え終えていた。「あとは眠留だけだ」「ほら突っ立ってないで準備しろ」「お前が遅れたら俺らの朝飯も遅れるんだぞ」「解っているんだろうな」と皆に散々脅され、僕は大急ぎで支度した。そして朝食を摂り浴場の脱衣室で身だしなみを整え、五人そろって寮を後にしたのである。
 四階に戻ることなく地下一階の脱衣室で歯磨き等を済ませる許可は、真山が取ってくれた。そのために真山が奉仕活動を課せられたのではないかとオロオロしていると、「真山はアイからお礼を山ほどもらってるから気にするな」と猛に背中を叩かれた。一年生校舎へ向かう道すがら猛が教えてくれた処によると、今年の第八寮の一年生達は、男女の仲がとても良いらしい。普通なら、女子を独占するモテ男がいると男女の仲は悪くなるものなのだろうが、女子に劣らず男子にも人気のある真山を、第八寮の一年男子達は見習い、言動の手本にしたと言う。それが女子の好評を呼び、好評を糧に男子も一層努力したため、第八寮の一年男女は例年以上に仲良くなった。それを、アイは非常に喜んだ。異性の学友と良好な関係を築くことは、学校生活をエネルギッシュにする、最大の原動力の一つだからである。それが成果として現れるたび、アイは真山へお礼を贈った。そして入学から九か月経った現在、お礼は消費しきれぬほどの量になっているのだそうだ。「その中の一つを真山は使っただけだから気にするな」「ああ、気にしないでくれ」と寮生の二人に言われた僕は、京馬の入寮は予想を超えて素晴らしい事だったのだと、認識を新たにしたのだった。
 京馬は僕の、敬愛する友人だ。コイツは僕の友達ですと、僕はどんな場面でも胸を張って言うことができる。ただそれとは別に、欠点までは行かずとも、京馬には弱点があった。それは、女心が解らないことだ。京馬は親子愛も兄弟愛も申し分ない家庭で育ったが、姉や妹がいなかったため、家族からそれを学ぶ機会がなかった。また幼稚園時代を劣等感と共に過ごし、小学校時代を洗脳とその清算に費やしたせいで、異性の級友からそれを学ぶ機会にも恵まれなかった。端的に言うと京馬は、女運が無かったのである。
 その一方、彼はムードメーカーとしても一人の人間としても、十組の女子からとても高い評価を得ていた。美鈴に「京馬さんは軽やかに自然に私を守ってくれました」と言わしめるほどの紳士振りを、無意識に発揮することもできた。然るに僕はずっと考えていた。女心の理解について京馬は豊かな素質を持っているが、その素質の育て方を、彼は知らないだけなのだと。
 だがこれからは違う。最高の手本である真山と、真山を手本とし既にその成果を上げている大勢の寮生達と、彼は生活を共にしていく。同じ釜の飯を食い、同じ湯に浸かり、同じ空気を吸って彼は生きてゆくのだ。それが、京馬の素質を育まない訳がない。洗脳事件を清算し湖校へ入学したように、彼は今日、女運のなさをすべて脱ぎ捨て新たな段階へ足を踏み入れた。寮住まいをすることは京馬にとってそういう意味があったのだと、僕は認識を新たにしたのである。
 という話を研究室でしてみたところ、
「はい、私も眠留さんと同意見です」
 エイミィはそう言って、ひときわ大きく首を縦に振った。僕は相槌を打ち、エイミィの意見を聴くため姿勢を正す。それだけで僕の意を汲んだエイミィは、極めて興味深いことを話してくれた。
「新忍道を介し人と深く係わる私には、人の成長に関する膨大なデータがインストールされています。その一つに、『若者の飛躍的な成長』があります。若者は短期間に、急激な成長を遂げることがあるのです」
 先ほどのエイミィ同様、振り幅大きく僕は首肯する。エイミィは頬を緩めるも、気配を若干硬くして先を続けた。
「私達AIはまだ、その仕組みを解明していません。しかしそのような若者へ適切な対応をすべく、飛躍的な成長を迎える『兆候』を見過ごさぬよう努めています。私の分身の嵐丸はここ数カ月、その兆候を二階堂さんに、はっきり感じていましたね」
 現時点で話してもらえるのはこれが上限で兆候について尋ねても、エイミィがそれに答えることは無いだろう。兆候は京馬のプライベート情報なため、研究者として僕が然るべき権限を得て初めて、エイミィはそれを明かしてくれるのである。エイミィが先ほど見せた気配の硬化はそれなのだろうと当たりを付けた僕は、エイミィに負担をかけぬよう、兆候を飛び越えた話題を提供した。
「北斗から先週聞いたんだけど、人は日々の過ごし方に、ご褒美を貰っているかもしれないんだって」
 前回同様今回も自分の考えを巧く表現できなかった僕は、美鈴の言葉を少しアレンジして使わせてもらった。
 ――皆と過ごした日々の褒美も皆でまとめられるから、一人では生成不可能な莫大な喜びを、人はまとめて貰っている――
 驚きに目を見張りながらも沈黙を守るエイミィへ、僕はそれと成長の関係について推測を述べた。
「社会貢献の褒美を収入とするなら、皆と過ごした日々の褒美は、成長なのではないだろうか。それを、互いが互いの成長の糧となった人達は、喜びとして感じるのではないだろうか。然るにそういう人達が集うと、皆が得た成長の総量を、大いなる喜びとして分かち合うことができる。若者の示す兆候は、まとめて貰うことになっている褒美から漏れ出た、水滴のようなものなんじゃないかな」
「やはり人は、有限のAIを越える無限の存在なのですね。眠留さんの今の話は、観察から得た情報を整理するだけの私達AIには、絶対解き明かせない事。咲耶さくやさんや美夜みやさんが眠留さんとお話したがる気持ちを、私もここに抱いています」
 エイミィは目を閉じ、胸にそっと両手を添えた。その、僕に近しい女の子の中では最も実り多き双丘を目に留めぬよう僕は明後日の方角を向き、AIへかける言葉としてはかなりトンチンカンなことを言った。
「咲耶さん、元気にしてる? 昨日の話になっちゃうけど、美夜さんは元気だったよ」
 咲耶さんは湖校の教育AIで、美夜さんはウチのHAIだから、地球規模の自然災害でも起きない限りいつも元気一杯のはずなのだけど、僕としてはそう言葉を掛けるしかなかったのである。
 けど僕は、どうやら百点満点を選んだらしい。「はい、元気です」とエイミィは花が咲くように顔をほころばせ、そんな彼女へ「エイミィも元気そうでなにより」と、僕も素直に伝える事ができたからである。当然と言ったらそれまでだがエイミィたち女性型AIへも、人間の女性と変わらぬ心構えで接した方が、良好な関係を築ける気がする。そしてそれはひょっとすると、僕の持つ数少ない美点の一つなのではないかと、僕は思ったのだった。
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