僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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九章

二階堂一家再び、1

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 駅舎を出たとたん、僕らは目を見開いた。僕と北斗と美鈴はもちろん、京馬も同じように驚いていたから、それは歩道の端で手を振っている四人が計画したサプライズだったのだろう。京馬のご両親、そして一馬さんと十馬さんの四人のもとへ駆け寄り、僕は再会の挨拶をしようとした。のだけど、
「んまあ美鈴ちゃん、美鈴ちゃん~~~」
 そんなの待てないとばかりに美鈴を抱きしめたおばさんに圧倒され、挨拶のタイミングを逸してしまった。けどそれは、おばさんと美鈴を除く全員に共通する事だったから、男六人による微笑をもって僕らは挨拶をすませた。それでも、大柄のおばさんに抱きしめられ優しく頭を撫でてもらっている妹のおもてに、四年前までは日常の一つだった笑みを見て取った僕は、おじさんへ改めて向き直り、頭を下げずにはいられなかった。

 三ヵ月前。
 前期と後期に挟まれた、九月二十八日。
 二階堂家の方々が、勢ぞろいで僕の神社を訪ねてくれた。前学期と後学期の二期制を採用している研究学校は、学期の入れ替わる九月から十月にかけ、五日間の休みを設ける。去年は前期の最終日の九月末日が火曜だったため、その前後の月水と、月曜にくっ付く土日を学期間休暇としていた。東京湾岸大学で准教授を務めるおじさんとおばさんはそれを利用し、三人の息子を引き連れ神社にやって来てくれたのだ。午前を新忍道サークルで過ごした末っ子の京馬と石段前で待ち合わせ、五人はおじさん、おばさん、一馬さん、十馬さん、京馬の順で、一列になって石段を登った。ふらつかず息も上がらず、鋼の体軸と柳の足取りで神社自慢の大石段を粛々と登る五人に、僕は胸中「お見事」と声をかけた。京馬と一緒にサークルで汗を流した僕と北斗も、五人と行動を共にしていたのである。
 一人一人お辞儀をし左足から鳥居をくぐり、社務所前で五人と二人の二列に整列した。出迎えた祖父母と美鈴へ、おじさんが代表して挨拶を述べる。それは肺と喉と横隔膜と、そして心を鍛え続けてきた漢のみが成し得る、腹に響き心に染み入る挨拶だった。然るに祖父も一人の漢として、日本刀の切れ味と空の広がりを両立させた声で返礼した。それだけで二人は互いの人となりを理解し合ったらしく、大人の漢たちが魅せたカッコ良さに僕は強い憧れを抱いたのだけど、おじさんの持参した奉納用の日本酒を目に留めた祖父が喉を鳴らすなり、それは砕け散った。祖父が飲兵衛顔で「これほどの酒を飲ませて頂くのですからこちらとしても」と日本酒の銘柄を挙げるや、おじさんも同じく飲兵衛顔で「幻の銘酒じゃないですか」と躍り上がったのである。「なら是非、ご一緒に」「いいんですか!」「あなたなら酒も喜ぶし、第一私が嬉しい」「ああ今日はなんて素晴らしい日なんだ!」「うむ、我らは漢ですからな!」「ですな!!」などと二人は残念大人に成り下がり、参道で大騒ぎを始めてしまった。その二つの頭を、
 ペシン ペシン
 祖母とおばさんが同時に叩いた。それは脇道へそれた夫をいさめ、本来の道筋に連れ戻すための行為だったが、今回に限っては裏目に出た。頭を叩くタイミングと、その時の姿勢と、そして何より「年季の入った情けない表情」がそっくりだったため、こちらもたちまち意気投合し、飲兵衛夫を持つ妻の苦労についてマシンガントークを始めてしまったのである。すると頭を叩かれた方の二人も、妻の注意が逸れたのをいいことに再び騒ぎ始める。ほんの数十秒前まで静寂に包まれていた境内に、大人四人のはしゃぐ声が鳴り響く様子を、僕らは茫然と見つめていた。そこへ、
 ふわり・・・
 風が一つそよいだ。遥か天空から吹き降ろされたが如き、静謐かつ清らかなその風は、美鈴によって作り出された風だった。二階堂三兄弟と僕と北斗の、五人の役立たず男子を置き去りにし、美鈴は大人達へ歩み寄り言った。
「おじいちゃん、おばあちゃん、立ち話もなんですから、皆さんを母屋へご招待しましょう」
 その後光のさす声に、夢中でおしゃべりをしていた祖父母は、孫娘へ無限の愛を注ぐおじいちゃんおばあちゃんに一変した。そんな祖父母へ笑みをこぼし、美鈴は続いて二階堂夫妻へ向き直る。
「おじさん、おばさん、拝殿へお越しください。私がご案内します」
 親しみと神々しさを融合させた所作で、巫女姿の美鈴が一礼する。雷に打たれたように立ち尽くしていた二階堂夫妻は満面に笑みを浮かべ、美鈴へ幾度も頷いていた。ただ、手水舎へ歩いてゆく美鈴の後ろ姿へおじさんは目元をほころばせるだけだったが、おばさんは僕のとき以上に、涙を堪えているみたいだった。
 参拝を終えた二階堂一家を母屋へ招待してからは、少しだけ居心地の悪い時間が訪れた。おじさん、おばさん、一馬さん、十馬さんが、僕を褒めちぎったのだ。特におばさんは凄まじく、僕はお尻がむず痒くなり幾度も席を立とうとした。でもそのつど何かに諭され、僕は浮いたお尻を椅子へ戻していた。その何かの正体を気づかせてくれたのは、おばさんの目線だった。おばさんは正面の祖父母と、そしてもう一人の誰かへ話していた。美鈴は巫女服を着替えるため自室にいて、人に化けている猫もいなかったから、そこにいるのは祖父母の二人だけだったが、おばさんにはもう一人がはっきり見えているらしく、三人へ均等に目を配り想いを伝えていた。正面に座る祖父母は、きっと最初からそれに気づいていたのだと思う。祖父はもう一人分の感謝を示すべくいつも以上に背筋を伸ばし、祖母はもう一人と感謝を共にしてハンカチで目元を押さえていた。普段着に着替えいつの間にか隣に座っていた美鈴が、ポツリと呟いた。
「おばさんは息子を持つ母親として、同じく息子を持つ母さんと、会話しているのね」
 湖校に入学してからなぜか僕は、過分な褒め言葉をしばしば頂戴している。
 けどそれは同級生や先輩方、神崎さんに紫柳子さん、それとAI達から言ってもらっただけであり、親同士の会話を介してそれがやり取りされるのを、僕は聞いていない。
 三年と八カ月の間、僕は一度もそれを耳にしなかったのである。
 おじさんとおばさんに入れたてのお茶を飲んでもらうため、僕は立ち上がる。
 お尻のむず痒さから席を立とうする僕を諭していた声に、
 ――よろしくね
 そう言ってもらえた気がした。
 それからは、和やかで賑やかな時間が続いた。きっかけは美鈴だった。僕より美鈴の方が適任と思い、新しく入れたお茶をお出しする役を美鈴に頼んだところ、それが大正解だったのである。二階堂夫妻の喜びようといったら無く、二人は競い合って美鈴に話しかけ、美鈴も二人の横に立ち、はきはきそれに応えていた。それを、心配してくれたのだろう。おばさんの横に座っていた一馬さんが、「迷惑でなければここに座ってもらっていいかな」と小声で僕に問いかけてきた。美鈴の笑顔は演技ではなかったから一馬さんの気遣いに感謝を述べると、二階堂三兄弟は阿吽の呼吸で席を立ち、横へずれ、立ち話をする美鈴のために椅子を空けてくれた。美鈴は喜んでそこに座り、二階堂夫妻との会話を楽しんでいた。おじさんとおばさんは、それ以上に楽しんでいた。自慢の息子達であっても男の子しかいない二階堂夫妻にとって、美鈴は思い描いていた理想の娘だったに違いない。おじさんは終始顔をほころばせ、おばさんは顔を輝かせて美鈴とおしゃべりしていた。美鈴にとっても、それは同じだったと思う。そばで見ていた僕には、手に取る様に感じられたからだ。美鈴へ抱くおばさんの想いが、知人と親戚を瞬く間に飛び越え、娘への愛情へと変わってゆくのを。
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