僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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八章

真身、1

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 翌十二月二十日の、午前四時。
 僕と末吉は、戦闘を締めくくるべく空を翔けていた。
「本日最後の魔想は、闇油怨想。直径1メートル半の並闇。眠留、どうするかにゃ」
「並闇の怨想にも、あれを使ってみたい。末吉、いいかな」
「最初の魔想に挑む気構えで臨むなら、おいらはいつだって喜んで助けるのにゃ」
 僕と末吉がパートナーになって、早や十カ月。簡潔明瞭を是とする戦闘中会話を、僕らは普段と変わらぬ口調で交わすようになっていた。それは、その方が互いの意思を明瞭に伝えられるからこそ生じた、変化。僕らがパートナーとして成熟しつつある、証明なのだ。
「末吉、いつもと同じく喜んでヨロシク!」
「ヨロシクされたのにゃ!」
 僕の友人達と過ごす時間が増えたからか、末吉は最近、言葉遣いが彼らに似てきている。本当は自分も会話に加わりたいのだろうという痛みの伴う推測を、末吉が人に変身する日の楽しみに変えて、僕は宙を蹴った。
 前方に、移動する並闇怨想を捕捉。両者を結ぶ半径2メートル半の円柱を想定し、その内壁を全速直進。それを知覚した並闇が静止し針を繰り出すも、僕はそれを火花で難なく躱す。と、ここまでは以前と同じパターン。だが今日はここからが、これまでと一味違うのである。
 闇油は必中の二本目を放つべく僕を凝視。その視線を避けるが如く、僕は円柱内を翔けつつ右へ左へ移動する。そんなノロマな動きで我を翻弄できるものかと闇油が嘲笑を浮かべたまさにその瞬間、僕は爆閃を併用し、四百圧の火花を四連続で敢行した。
 シュババババッ
 0.04秒でジグザグに四度よたび移動した僕に恐怖した闇油が、全身全霊の回避運動を取る。だがそれより先に、
 ズバ――ンッ
 稲穂斬りを発動し闇油を両断。一瞬で真っ二つにされた闇油の魔素が、後方から静かに消えて行った。僕は手をグッと握り締める。しかし、
 今日一番の会心の出来に酔うことなく、僕は消費した生命力を一秒で補充する。
 今日一番の会心の出来を褒めることなく、末吉も消費した生命力を一秒で補給する。
 そして、
「本日の戦闘はこれにて終了!」
「終了、諾!」
 顔を引き締め僕らは報告し合った。間を置かず、いつも以上にシュッとした末吉の小顔が、みるみるほぐれてゆく。僕の戦いぶりを間近で見てきた末吉から認められるのは、やはり嬉しい。末吉の紡ぐ褒め言葉を、僕は照れ照れになりながら待っていた。
 けどそれは、とんだ見当違いだったようだ。末吉はゆるんだ顔を再び引き締め、厳として言った。
「たった一日で分身の術を体得した眠留には、お仕置きが必要にゃ」
「えっ、お仕置き? 褒めてくれるんじゃなくて、お仕置きなの?」
「そうにゃ。褒めるのは私達がするから眠留が調子づかないようしっかりお仕置きするのですよと、姉様あねさまと姉さんから厳命されているのにゃ」
「そ、そんなせっしょうな」
「残酷という意味の殺生ではなく、姉様と姉さんの代わりに政務を執る、おいらは摂政なのにゃ」
 イヤイヤそれは色々違うって、と訂正箇所を指摘しようとしたのが運の尽き。頭の中で文を作っている隙に、末吉は僕の背後に回り込みくすぐりを開始した。人には絶対なしえない、四つの肉球によるくすぐり攻撃に、酸素を必要としない翔体でなければ酸欠で気絶していたほど、僕はのたうち回ったのだった。

「そうか、さっきの摂政は、小吉に教えてもらった事なんだね」
「そうにゃ。眠留は高確率で『殺生な』と言うはずだから、その時はこう返せば隙を誘発できるでしょうって、姉さんが教えてくれたのにゃ」
 その声音から末吉は今、高確率で得意満面になっている。よってここで小吉を褒め上げれば頭に覆いかぶさる末吉に隙を作り、くすぐりの報復をする事ができるだろう。けど僕は、それをしなかった。僕は幾らダシにされても構わないが小吉の名を利用するなど、到底不可能なことなのである。
「末吉は最近、大忙しだもんな。大吉からは戦闘を、中吉からは芸術を、そして小吉からは勉学を教えて貰っているなんて、とってもやり甲斐あるんだろうね」
 やり甲斐あるのにゃ~と、末吉は二本の前足で僕の髪の毛を掻きまわした。自分では意図していないのだろうがプニプニの肉球がなんとも心地よく、僕は頭皮マッサージを受けている気分だった。
 末吉は今、大吉から直々に戦闘訓練を受けている。先月までそれは小吉の仕事だったが、末吉の発育を考慮し教官を変えるよう、水晶が指示を出したのだ。
「同じ猫でも、牡と牝では骨格と筋肉の付き方が異なる。その差は僅かでもそれを熟知しているか否かは、命の瀬戸際の戦闘において生存率を大きく左右する。末吉、そなたはそろそろ、牡猫の戦闘を学ぶべきじゃ。明日以降は、大吉から戦闘訓練を受けるように」
 牡猫として認められた末吉は、水晶の指示に驚喜した。しかし同時に、小吉と過ごす時間が減ることを末吉は悲しんでもいた。僕にはそれが痛いほど解った。生後三か月で故郷を離れた末吉にとって、自分をことのほか可愛がり親身になって世話をしてくれた小吉は、先輩翔猫である以前に、最も近しい家族だったのである。
 でも僕はそれを、まったく心配していなかった。だってあの水晶がそれを見落とすなんて事、絶対ないからね。喜びと悲しみの織り交ざる末吉に頷いたのち、水晶は小吉と中吉へ顔を向けた。
「小吉は明日以降、末吉に勉学を教えておやり。中吉には、芸術の手ほどきを頼もうかの。末吉、そなたのすぐそばには、戦闘、芸術、勉学の大家がおる。偉大な先輩方に恥じぬよう、しっかり学ぶのじゃぞ」
「はい」という返事をなんとか捻りだそうとするも、どうしても叶わなかったのだろう。末吉は頭を深く垂れ、水晶への謝意を表した。その小刻みに揺れる小さな体に並び、大吉、中吉、小吉も頭を深く垂れる。その様子を見ていた祖父母と僕と美鈴も、猫達に倣ったのだった。
 大吉を教官に得てから、末吉の戦闘は変わった。細やかな身体操作と後方支援に重きを置いていたこれまでのスタイルを踏襲しつつ、そこに大胆さが加わったのである。僕は水晶の慧眼に舌を巻き、そして胸の中で手を合わせた。概して男の子は精妙理知を苦手とし、直感的な大胆さを得意とする。よって精妙理知を得意とする小吉に先ずそれを教えさせ、その土台が出来上がったのち、生来の大胆さを戦闘に取り入れてゆく。個々の特性を考慮し、長期的視野に基づき、水晶は末吉を教育したのだ。あと四か月足らずで二年生になり、後輩を指導する立場になる僕へ、水晶は後輩指導の手本を見せてくれたのだと、僕は思えてならなかった。
 戦闘には現れてないが、芸術を教えている中吉によると、末吉は色使いに優れた感性を持っているらしい。まだ人に変身できぬ末吉へ、中吉は様々な生け花を見せた。末吉は色鮮やかな花々に瞠目しただけでなく、侘寂わびさびを旨とする花へも同じように目を見開き、次いで目を細め、そしてそれをうっとり眺めたと言う。理由を尋ねても語彙の少なさからそれを巧く説明することはできなかったが、それでも侘や寂への審美眼は大したもので、中吉のそれとピッタリ符合した。琴の音に込められた情景描写も的確で、中吉や祖母を大層喜ばせたそうだ。芸術の手ほどきを受ける茶室へ向かう際、一目散に駆けて行こうとする脚を一生懸命制御し、厳粛に歩を進める末吉の後ろ姿を、僕らはいつも胸を温かくして見送っていた。
 一方勉学は、逆だった。といっても勉強を嫌がっているのではなく、待ち遠しくて仕方ないという想いを、末吉はまるで隠さなかったのである。授業開始の一時間前になるとソワソワし始め、時計の針が三十分前を指すなり勉強場所へ全速力で駆けてゆき、そして昨日の復習と今日の予習を熱心に始める。そんな熱意あふれる生徒の鑑に、末吉はなったのだ。僕にはそれが、当然のことと思えた。真に頭の良い人はほぼ100%、教えるのが巧い。小吉もその例に漏れず、興味を惹く様々なことを関連させながら授業を進めていた。さっきの摂政と殺生のように、小吉は基礎となる知識を、笑いを伴う経験として末吉に記憶させていったのだ。この授業は末吉と相性ピッタリだったらしく、末吉は全教科に優秀な成績をあげ、中でも数学と歴史に飛び抜けた才能を見せた。小吉によると末吉の数学的才能は脳のセンスに由来し、歴史は心のセンスに由来すると言う。数学における輝夜さん、歴史における北斗という二人の巨人を知っている僕は、小吉の言わんとする処をすんなり理解できた。と同時に尋常でない焦りも覚えたので、僕は以前に倍する熱心さで数学と歴史の授業に臨んでいる。う~んでもきっと、あっという間に追い抜かれちゃうんだろうなあ。
 なんてことを考えているうち、二つの人造湖が眼下に広がってきた。不意に、多目的ホールの上空を翔けてみたいという想いが脳裏をよぎる。頭の上で眠る末吉を起こさぬよう、僕は大きなを描いてホールを目指した。
 十二月下旬の、午前四時過ぎ。夜中と変わらぬ暗がりのなか、ホールは静まり返っている。しかし人の意識活動が最も低下する冬の早朝だからか、はたまた地上500メートルという高所から俯瞰したからか、僕はホールの意識をはっきり感じ取ることができた。またそれは、他の建造物も同じだった。校舎、体育館、寮、図書館、グラウンド、そして生徒達の行き交う道にも、独自の意識が感じられた。それはありとあらゆる面で人とは異なるも、それでも意識という一面において、両者は対等な存在として心に訴えて来た。僕は大きく息を吐いた。
 ――八百万の神に仕える身なのに、見識が低すぎるぞ!
 自分をそう叱りながら、僕は神社へ降下して行った。
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