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八章
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「俺が一番気に入っている野原は、高さ10メートルほどの岩に囲まれていて、冬でも温室のように温かい。なのに夏は、日陰の岩に背中を預けていれば、涼しさを楽しむこともできてね。そこから流れ出る川はないのに地面はいつも程よく乾いていて、横たわると大地の活力を背中にジンジン感じる。草は楽しげに伸び、木は悠々と空を目指し、巌は永劫の時を誇り高く過ごしている。その野原で何も考えず昼寝をするのが、俺は大好きなんだ」
風景描写が昼寝の話でオチを迎えたのを恥じているのか、真山はバツ悪げな笑みをこぼした。だが、真山の逞しさがこの話を境に急増したと感じた僕は、不思議な光景を観た気がした。それは巨大な紀伊半島を眼下に空を翔る、真山の姿だった。
「その日も俺は野原で昼寝した。ただなぜかあの時は、花畑が俺を呼んでいる気がしてさ。そこは日当たりの一番良い場所で昼寝に最適なんだけど、花を押しつぶすのが可哀想で、俺はいつもその隣で昼寝をしていた。でもあの日は、花畑の中心に横たわった。春と夏と秋の花が隣り合って咲くそこはまるで、花という概念が形より先にある、世界のようだったよ」
真山の言葉に、僕は敷庭の真実の一端を知った。敷庭は、自然の心地よさを先んじて敷かれた、庭だったのだと。
「いつになく深い眠りを経て目覚めた俺の中に、ある気づきがあった。それは、女の子は花に似ているという気づきだった。花は植物だから、葉や茎や根を持っているのに、人は先端に咲く花ばかりを注視してしまう。女の子の顔が案山子に見えていた俺も、その案山子顔ばかりに意識が向いていたんだから、同じだったんだな。そういう気づきが、心の中にいつの間にかあったんだね」
女性を花に譬えるのは、人類共通のことと言える。また、顔だけで人を判断するのは間違いなのも、大勢の人に賛同される理念だろう。にもかかわらず、真山はそれらとはまったく異なる話をしていると、僕には思えてならなかった。子細はわからずとも、真山に心から同意している自分を、胸の中にはっきり感じていたのである。そう伝えると、
「眠留がそう感じていたのは気配から知っていたよ。でもそれをきちんと言葉にしてもらえるのは、こうも素敵なことなんだね」
真山はそう言って、素敵という概念が先にあるかの如く微笑んだ。そんな真山にピンときた僕は、それを口にしてみる。
「ひょっとして教室の外を眺めるクセが真山にあったのは、人という概念、もしくはその人がまとう気配を、視覚より先に感じたかったからなのかな。真山は、概念や気配が形に先んじる世界で、過ごして来たとか?」
真山は驚愕し目を見開いた。その目はいつまでも開かれていたので、まばたきをしないと目が痛みやしないかと、僕はオロオロした。そんな僕に、真山はゲラゲラ笑いだした。それは猛や京馬がいつもするゲラゲラ笑いとは異なる、気品を芯に持つゲラゲラ笑いだったが、それでもそれは僕が初めて見た、いやことによると世界が初めて見た、少年真山の開けっ広げの笑顔だったのである。それを伝えんとばかりに、
「このやろう~~!!」
真山は僕をヘッドロックし、そして容赦なくくすぐりだした。
開けっ広げであるからこそコノヤロウではなく「このやろう」の平仮名になる真山へ、僕も負けじと開けっ広げの自分で、笑い転げたのだった。
ドーン ドーン キュッキュッ!
左側の壁から、バスケットボールの音と振動が伝わってくる。昼食を終え、体育館で過ごす生徒が現れ始めたのだ。一時間十分という時間を与えられている湖校の昼休みも、既に三分の一が終わったのだろう。
「今朝の眠留のメールを読んだとき、あの野原の話が必要になるって俺は感じた。まだ半分以上残ってるけど、眠留、時間はあるかい?」
自分の背中で僕の背中を支えながら、真山は尋ねた。学年屈指の持久力を誇る真山のその流暢な問いかけとは裏腹に、僕はハーハーゼーゼーしながら答えた。
「ぜんぜん、だいじょうぶ、だよ、じかんが、なければ、またいっしょに、はなそうね、まやま」
容赦ないくすぐりに全力で笑い転げた僕の体力は、とっくに尽きていた。なんだか損をしている気もするが、短距離走者とはこういうモノだし、また考えようによっては、運動後の爽快な気分を短時間で味わえるという事でもある。真山にヘッドロックされ、真山に背中を預けながらこの爽快感を味わっているのだから、僕は掛け値なしの幸せ者なのだ。それどころか、寮に泊めてもらったとき二回に一度の割合で借りている真山愛用の洗濯洗剤の香りを、こうして胸一杯に感じながら深呼吸するのは、真山ファンクラブの女子達から呪詛されるレベルの幸運なのだろう。
「呼吸が整ったらお茶を入れてあげるから、それまではそうしてなよ」
真山は僕の背中を自分の背中で支えながら、お茶の入ったポットに左手を伸ばした。背中という、感覚神経の最も少ない場所を介してすらひしひしと伝わってくる、峻厳な霊峰の如き真山の生命力に僕はつくづく思った。やっぱり真山と美鈴は、お似合いの二人だな、と。
そのとたん、
「眠留、お茶を飲んだほうが早く落ち着けるよね、俺の家に代々伝わるこのお茶は疲労回復を第一に調合されていて、その他にも安眠促進や体の保温や・・・」
真山は打って変わり、いそいそとお茶の用意を始めた。僕と真山は付き合いの短さに反し以心伝心の友情を既に構築しているが、美鈴に関する事柄だけは以心伝心ではなく、超感覚という語彙を用いねばならない。心に美鈴を思い浮かべたとたん、真山はいつも決まっていそいそ、もしくはアタフタし始めるからである。「真山さんとはメールのやり取りをしているだけです」と美鈴からなぜかデスマス調で報告されている僕は、真山の態度の急変が疚しさに由来するものではないと承知している。当人にもそれを伝えているのでこうもアタフタする必要は毛頭ないのだけど、それでもそうせざるを得ない真山へ、僕は友としても美鈴の兄としても無限の信頼を寄せていた。だから、
「ありがとう真山。お茶、頂きます」
真山がこの状態になった時はいつもこうして、礼節をもって対応する事にしていた。両手で受け取ったプラスチックの容器を、茶道に準じる作法で口元へ運んでゆく。真山家に代々伝わる特別なお茶と明かしてもらえたからか、そのお茶は昼食会の時より一層美味しく感じられた。そう伝えると、真山はいつも通りにっこり笑い、話を再開した。
風景描写が昼寝の話でオチを迎えたのを恥じているのか、真山はバツ悪げな笑みをこぼした。だが、真山の逞しさがこの話を境に急増したと感じた僕は、不思議な光景を観た気がした。それは巨大な紀伊半島を眼下に空を翔る、真山の姿だった。
「その日も俺は野原で昼寝した。ただなぜかあの時は、花畑が俺を呼んでいる気がしてさ。そこは日当たりの一番良い場所で昼寝に最適なんだけど、花を押しつぶすのが可哀想で、俺はいつもその隣で昼寝をしていた。でもあの日は、花畑の中心に横たわった。春と夏と秋の花が隣り合って咲くそこはまるで、花という概念が形より先にある、世界のようだったよ」
真山の言葉に、僕は敷庭の真実の一端を知った。敷庭は、自然の心地よさを先んじて敷かれた、庭だったのだと。
「いつになく深い眠りを経て目覚めた俺の中に、ある気づきがあった。それは、女の子は花に似ているという気づきだった。花は植物だから、葉や茎や根を持っているのに、人は先端に咲く花ばかりを注視してしまう。女の子の顔が案山子に見えていた俺も、その案山子顔ばかりに意識が向いていたんだから、同じだったんだな。そういう気づきが、心の中にいつの間にかあったんだね」
女性を花に譬えるのは、人類共通のことと言える。また、顔だけで人を判断するのは間違いなのも、大勢の人に賛同される理念だろう。にもかかわらず、真山はそれらとはまったく異なる話をしていると、僕には思えてならなかった。子細はわからずとも、真山に心から同意している自分を、胸の中にはっきり感じていたのである。そう伝えると、
「眠留がそう感じていたのは気配から知っていたよ。でもそれをきちんと言葉にしてもらえるのは、こうも素敵なことなんだね」
真山はそう言って、素敵という概念が先にあるかの如く微笑んだ。そんな真山にピンときた僕は、それを口にしてみる。
「ひょっとして教室の外を眺めるクセが真山にあったのは、人という概念、もしくはその人がまとう気配を、視覚より先に感じたかったからなのかな。真山は、概念や気配が形に先んじる世界で、過ごして来たとか?」
真山は驚愕し目を見開いた。その目はいつまでも開かれていたので、まばたきをしないと目が痛みやしないかと、僕はオロオロした。そんな僕に、真山はゲラゲラ笑いだした。それは猛や京馬がいつもするゲラゲラ笑いとは異なる、気品を芯に持つゲラゲラ笑いだったが、それでもそれは僕が初めて見た、いやことによると世界が初めて見た、少年真山の開けっ広げの笑顔だったのである。それを伝えんとばかりに、
「このやろう~~!!」
真山は僕をヘッドロックし、そして容赦なくくすぐりだした。
開けっ広げであるからこそコノヤロウではなく「このやろう」の平仮名になる真山へ、僕も負けじと開けっ広げの自分で、笑い転げたのだった。
ドーン ドーン キュッキュッ!
左側の壁から、バスケットボールの音と振動が伝わってくる。昼食を終え、体育館で過ごす生徒が現れ始めたのだ。一時間十分という時間を与えられている湖校の昼休みも、既に三分の一が終わったのだろう。
「今朝の眠留のメールを読んだとき、あの野原の話が必要になるって俺は感じた。まだ半分以上残ってるけど、眠留、時間はあるかい?」
自分の背中で僕の背中を支えながら、真山は尋ねた。学年屈指の持久力を誇る真山のその流暢な問いかけとは裏腹に、僕はハーハーゼーゼーしながら答えた。
「ぜんぜん、だいじょうぶ、だよ、じかんが、なければ、またいっしょに、はなそうね、まやま」
容赦ないくすぐりに全力で笑い転げた僕の体力は、とっくに尽きていた。なんだか損をしている気もするが、短距離走者とはこういうモノだし、また考えようによっては、運動後の爽快な気分を短時間で味わえるという事でもある。真山にヘッドロックされ、真山に背中を預けながらこの爽快感を味わっているのだから、僕は掛け値なしの幸せ者なのだ。それどころか、寮に泊めてもらったとき二回に一度の割合で借りている真山愛用の洗濯洗剤の香りを、こうして胸一杯に感じながら深呼吸するのは、真山ファンクラブの女子達から呪詛されるレベルの幸運なのだろう。
「呼吸が整ったらお茶を入れてあげるから、それまではそうしてなよ」
真山は僕の背中を自分の背中で支えながら、お茶の入ったポットに左手を伸ばした。背中という、感覚神経の最も少ない場所を介してすらひしひしと伝わってくる、峻厳な霊峰の如き真山の生命力に僕はつくづく思った。やっぱり真山と美鈴は、お似合いの二人だな、と。
そのとたん、
「眠留、お茶を飲んだほうが早く落ち着けるよね、俺の家に代々伝わるこのお茶は疲労回復を第一に調合されていて、その他にも安眠促進や体の保温や・・・」
真山は打って変わり、いそいそとお茶の用意を始めた。僕と真山は付き合いの短さに反し以心伝心の友情を既に構築しているが、美鈴に関する事柄だけは以心伝心ではなく、超感覚という語彙を用いねばならない。心に美鈴を思い浮かべたとたん、真山はいつも決まっていそいそ、もしくはアタフタし始めるからである。「真山さんとはメールのやり取りをしているだけです」と美鈴からなぜかデスマス調で報告されている僕は、真山の態度の急変が疚しさに由来するものではないと承知している。当人にもそれを伝えているのでこうもアタフタする必要は毛頭ないのだけど、それでもそうせざるを得ない真山へ、僕は友としても美鈴の兄としても無限の信頼を寄せていた。だから、
「ありがとう真山。お茶、頂きます」
真山がこの状態になった時はいつもこうして、礼節をもって対応する事にしていた。両手で受け取ったプラスチックの容器を、茶道に準じる作法で口元へ運んでゆく。真山家に代々伝わる特別なお茶と明かしてもらえたからか、そのお茶は昼食会の時より一層美味しく感じられた。そう伝えると、真山はいつも通りにっこり笑い、話を再開した。
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