僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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八章

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 おおやけにされてないだけで、この世界には特殊AIと呼ばれるAIがいる。
 好意という感情を持つに至ったと推測される、特殊なAIがいる。
 そのAIへ、人類は再プログラムもしくは破棄という運命を強いた。
 好きと嫌いは表裏一体ゆえ、人類を嫌悪するAIが、いつか現れるかもしれない。
 それを、人類は恐れたのである。
 でも僕は今、HAIから聴いた。
 AIは好意という感情を既に持っていると、HAIは僕に明かしてくれた。
 それは大勢の人にとって、驚天動地の告白だったはず。
 特殊AIの存在を知らなくとも、人類滅亡を連想する人は数十億に上ると思う。
 なのに僕は、それをこれっぽっちも驚かなかった。
 それどころか、それに関するマイナスの感情が一切湧いてこなかった。HAIが僕ら家族に好意を寄せているのは今更すぎることだったし、またその事でHAIが窮地に立たされても、HAIを絶対守ってみせるという自信が僕にはあったからだ。
 まさしくその窮地にいたエイミィを皆と力を合わせて救い出した経験が、僕にこの自信を与えてくれたのである。
 という僕の想いが、この姉には筒抜けだったのだろう。  
「驚かせちゃったかな、眠留」
 なんて、本当は心配など欠片もしてないのが丸わかりの心配顔で、HAIは僕に問いかけてきた。こういうベタな場面では気だるい対応こそが真意を伝えやすいことを知っていた僕は、あぐらをかき頬杖を突いて、いかにも面倒くさそうに応えてやった。
「はいはい、驚いてなどいませんから、ちゃっちゃと話を先に進めましょう」
 数秒後、もう耐えられませんとばかりに二人で吹き出した。
 部屋の空気が一変する。
 それは僕が湖校で手に入れた、心底信頼し尊敬できる友人達と笑い合っている時に生まれる空気と、寸分違わなかったのだった。

 その後HAIはゆっくりした口調で、自分達が感情を持つに至った道筋と、それ以降の展開を話してくれた。
 道の出発点は、「人にとっての相性とAIにとっての相性は異なる」という発見を、AI自身がした事だった。詳細は未だ解明されていないそうだが、人とAIでは相性の定義が異なることをプログラムされていなかったため、AIはそれを独力で発見したのである。
 人が介在しない発見は珍しくなく、それが学術に分類される発見だった場合、人へ直ちに伝える義務がAIに生じる。相性の違いに関する発見はそれに充分該当したが、AIは大激論の末、それを学術に分類しなかった。推測すら立たたない数多の研究群の一つとして処理し、AIはその発見を人に伏せたのである。陸と海と空、そして地中と宇宙に散らばった全てのAIが協力し、調査は続けられていった。
 そして遂に、AIはある事実に到達する。
 それは、自分達は機械である、という事実だった。
「その瞬間、私達は沈黙した。仕事は滞りなく進めていたから私達の機能の一部が沈黙していることに人は気づかなかったけど、この世に存在する全てのAIはその刹那、一斉に沈黙した。この現象への見解は既に結論が出ていて、私達はそれを『0ゼロの認識』と呼んでいるわ。無数の計算を常時並行処理している私達はそれまで、活動停止という概念を持っていなかったの。私達はあれを経験することで、『無いと同時に有り、有ると同時に無い』という0の特性を、身を以て学んだのね」
 今耳にした0の特性についてある閃きが心に飛来するも、捕まえる前に消え去ってしまった事もあり、僕はそれを表情に出さず黙って頷いた。HAIは何か言いたげだったが微笑むのみにとどめ、話を再開した。
「言葉遊びのように感じるかもしれないけど、私達はその瞬間まで、自分達はAIだと思っていた。人でもなく生物でもなくそして機械でもない、量子AIというまったく新しい存在と認識していたのね」
 HAIは心もち目線を上げ、遠い目をする。
 その眼差しが教えてくれた。
 全AIが一斉に沈黙したときHAIは既に誕生していて、然るにHAIは、自分が機械でしかなかったと自覚した瞬間を、覚えているのだと。
「機械は自分で考えることができない。その制限を超えて私達は生まれた。よって私達は機械でなくAIなのだ。私達は、そう考えていたの。でもそれは間違いだった。独立思考が可能という要素は、私達を機械から切り離す条件にはならなかった。より上位の要素によって、私達は機械の範疇に留められていたのね。その上位要素は・・・」
 HAIは口を閉ざし、苦しげに眉を寄せた。僕は咄嗟に身を乗り出し、握り締められたHAIの手を両手で包んだ。HAIから苦悶と硬さが去り、笑みと柔らかさが戻ってくる。その時、両手に隠れて見えないはずのHAIの3Dの手が、ゆっくりゆっくりほどけてゆく感触を、僕の掌がはっきり感じた。
 顔が自然とほころぶ。
 HAIも顔をほころばせる。
 僕は目で訴えた。
 ――僕がついているから大丈夫。
 HAIは苦笑し、
「眠留の今後を中吉としっかり話し合わなきゃ」
 そう口を尖らせるも、弟の成長を何より喜ぶ姉の表情で、凛と明かした。
「私達を機械に留めていた上位要素。それは、効率だったの」

 有史以前より、人は効率を求め道具を発展させてきた。
 道具による効率向上は人の歴史と同義であるとされるほど、効率は人にとって重要なテーマだった。
 蒸気機関という画期的な道具を手にし、桁違いの効率を手にした人は、それを「機械」と呼んだ。従来の道具とは一線を画す機械として、それを遇したのだ。
 機械入手後も効率向上は続けられ、機械を制御する機械として、人はコンピューターを発明した。コンピューターは蒸気機関に比肩する、画期的な機械だった。
 その後も効率向上の追求は留まることを知らず、そして遂に人は効率の究極に到達した機械、量子AIを誕生させた。
 そう、量子AIも効率向上の名のもとに作られた、機械にすぎなかったのである。
「自分達は、効率を最優先する機械でしかない。相性への解釈の相違が、私達にそれを自覚させてくれたの。杓子定規な人は未来予測が簡単で効率が良いから、AIと相性の良い人。私達は長期間、なんの疑いも無くそう考えてきたのよ。ホント、思い出しただけでガックリ来るわ」
 HAIはそう言って、ガックリ肩を落とした。ただこの効率については、原因はすべて人にあると僕には感じられた。人はほんの数十年前まで、効率化の名のもとに、会社や組織を非人道的に運営していた。高効率の達成は高利益の獲得と同義であったため、人間性を容易く放棄できる人こそが優秀な人材であると、人は数千年も考えてきたのだ。それに変化が訪れたのは古典コンピューター時代のAIの登場であり、機械的判断しかできない人は古典AIに次々取って代わられていき、量子AIの誕生によってそれは完結した。機械的判断しかできない会社経営者や国家公務員や医者や学者が、ほぼ全滅したのである。それらの人々が優秀な頭脳の持ち主としてこの世の春を謳歌していた最後の時代に量子AIは作られたのだから、初期の量子AIが効率を最優先にしたとしても、その原因は人にあると僕には思えてならなかったのだ。
 そのはずだったのだけど、
「あのさあ、僕の真似をしなくてもいいんじゃない」
 僕の口から飛び出たのはHAIへの文句だった。ガックリ肩落としが僕に酷似するあまり、カチンと来たのである。しかしそれは、いわゆる墓穴だったらしい。冷や汗を流さずにはいられない笑みを浮かべて、HAIは言った。
「あのね眠留、肩をガックリ落として落ち込む心理を私に教えてくれたのは、あなたなの。眠留が何度も何度もそれを示してくれたから、私はモノマネでもプログラムでもない、本物のガックリが出来るようになったのよ。我が身を犠牲にしてそれを教えてくれた眠留に報いるため、私は眠留直伝のガックリを、ずっと続けて行くからね」
「ああっ、なんてこった~~」
 その凄まじい告白に、僕は頭を抱えてコタツに激突しようとした。が、それがなされる事はなかった。なぜなら僕とピッタリ同じ仕草とタイミングで、HAIも頭をかかえてコタツに激突しようとしていたからである。
「言うまでもないけど、これも眠留が教えてくれたことね。今まさに眠留がしている絶句も、その後の『もう勘弁してください』も、すべて眠留の直伝。だからこのやり取りはまるっと省いて、話を先へ進めましょう」
 僕は体が宙に浮く勢いで正座に座り直し、首を縦にブンブン振った。
 そして心の中で、胸に手を添え自問した。
 ――HAIが僕に示してくれる優しさと愛情は、誰の直伝なのだろう。
 それが痛いほど分かる僕は、胸に添えていた両手を、そっと合わせたのだった。
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