僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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八章

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「いらっしゃい、HAI。お茶を入れるから、好きな場所に座ってね」
 紅茶を入れるべく、僕はコタツの上にティーセットの3D映像を映し出した。そうこれがHAIをもてなすための、ちょっとしたオマケ。3Dティーセットはマナー教材としてフリーアイテムから選んだものがあったが、僕は今回自腹を切り、由緒正しい食器メーカーでこれを購入したのだ。といっても3D映像なので、金額は実物の十分の一ほどだったけどね。
 でもそれは、やはりお金を払っただけはある一品だった。白無垢の磁器の放つ柔らかな光が、この味気ない男部屋に、優美な気配を作り出してくれたのである。これならエイミィや教育AIの来訪時に使っても失礼じゃないし、ましてや初めてもてなしたのが他ならぬHAIだったから、僕は自分の選択に誇りを持つことができていた。
 そのティーセットを用いて、紅茶を丁寧に入れる。HAIから教えてもらった所作に、輝夜さんから教えてもらった美味しい紅茶を入れるコツを加味して、冬の夜に相応しい温かな深紅の飲み物を、僕はHAIの前に差し出した。
「どうぞ、お召し上がりください」
「ありがとう、頂戴します」
 コタツの右側に座ったHAIは一礼し、楚々としつつも麗しくティーカップを傾けた。このことから、僕はHAIの意思を二つ感じた。一つ目は、右側という位置に込められた意思。例を挙げるなら、昴が適切だろう。以前の昴は僕の右側にいるのを好んだが、最近は左側を好むようになっている。それとなく本人に尋ねたところ、姉としては右にいたくて対等な存在としては左にいたい、との事だった。それについて意見を求めたHAIが、「好きな場所に座って」という促しに右側を選んだという事は、姉としてこの話し合いに臨む気構えでいると僕は感じたのである。
 感じ取ったもう一つは、楚々としつつも麗しくティーカップを傾けたことだ。これが輝夜さんなら文化祭で拝見したように、楚々としつつも高貴にティーカップを傾けただろう。同じ文化祭で昴は楚々かつ溌剌と紅茶を楽しんでいたし、芹沢さんは楚々かつ雅やかに紅茶を味わっていた。しかしHAIはそのどれとも異なる、麗しい印象を僕に芽生えさせた。そしてその麗しさは、服装にも表れていた。ミッドナイトブルーという名の深く鮮やかな青の、カジュアルよりフォーマルに重きを置いたプリーツワンピースに、上品なボブから覗く真珠のイヤリングがとてもよく似合っている今夜のHAI。物心つく前から親交のある間柄ゆえ今更自己紹介はしないが、AランクAIという身分を初めて明かしたのだから、所作と服装で間接的な自己紹介をHAIはした。僕には、そう感じられたのである。
「この紅茶、美味しい」
 HAIは抹茶を頂くように両手を添え、ティーカップをあまり上げ下げすることなく紅茶を味わっている。僕の中途半端な知識ではこれがマナーに沿うのか判断つきかねるが、瞼を閉じ、ほのかな笑みを浮かべてお茶を楽しむHAIの姿は、見ているだけで僕の胸を温かな気持ちで満たしていった。
 その温かさが、入れたての紅茶を楽しむHAIの心と共鳴する。その共鳴は長きにわたり培ってきた無数の交流を呼び覚まし、そしてそれが僕らの間に、これまでと少しも変わらぬ親密さを蘇らせていった。改めて思う。マナーは規則ではなく、互いを自由にする手順なのだと。
「私が教えたより数段美味しいお茶をこうして飲ませてくれるなんて、私を泣かせるつもりなの、眠留」
 唇を尖らせていても潤んだ瞳でこんなことを言われたら、こっちとしては喜びの感情しか湧いてこない。大恩あるHAIに初めて恩返しができた、そんな気がした。
 すると唐突に、白人の老紳士が僕の購入したものと同じティーセットで、同じようにAIへ紅茶を振る舞っている光景が脳裏をかすめた。紅茶を愛する国の老紳士が心を込めて入れた紅茶に、AIも双眸を潤ませていた。ふと思った。
 この3Dティーセットは、AIをもてなすために開発されたのではないだろうか。
 だからAIは実際に、紅茶の美味しさを味わうことが出来るのではないだろうか。
 人の心を知り、己の心を育ててきたAIには、ことさら感じられるのではなかろうか。
 紅茶に込められたもてなしの心と、そしてそれ以上に込められた、自分への感謝の気持ちを。
「HAI、僕はこの技術をもっと伸ばしたい。歩みは遅くとも、長い時間をかけて磨いて行きたいんだ。だからこれからもこうして僕の入れたお茶を飲み、感想を聞かせてくれないかな。気軽に遊びに来た、ほんのついででいいからさ」
 HAIは一瞬、驚きの表情を浮かべた。だがくっきりした瞬きを二回したのち、尖らせていた唇をへの字に結び眉間に皺を寄せ、僕に説教を始めた。
「あのねえ、中吉と同じ心配を私にまでさせないでちょうだい。いいこと眠留、そんなセリフを、知り合った女の子たちにポンポン言ったらダメよ。まったくもう、ちょっと前までは泣いてばかりいる子供だったのに、いつの間にやら男の子になっちゃうんだから。私は心配で心配でしょうがないわよ」 
 なんてお説教しつつもティーカップを決して下ろそうとせず、「まあ紅茶は美味しいから協力してやらないでもないわ」と赤ら顔のすまし顔でカップを幾度も口へ運ぶHAIへ、僕は胸中ツッコミを入れた。
 なあんだHAIって、ツンデレ姉ちゃんだったんだね、と。

 それ以降、会合はそれこそポンポン進んだ。HAIがツンデレ姉さんだったのを知れたのもさることながら、「中吉と同じ心配」という発言が、絶妙なとっかかりになってくれたのである。中吉を知っていたんだねと呟いた僕へ、HAIは肩をガックリ落とし盛大なため息を付いた。
「知っているも何も、もし私がAランクAIじゃなかったら、間違いなく自我が崩壊していたでしょうね」
 思いがけずの自我崩壊宣言に、僕は半ばパニックになった。そんな僕にコロコロ笑いながら、AIのランクと融通性の関係をHAIは教えてくれた。
 それによるとAIは絶対法則として、性能が高まるほど融通を利かせられるようになるらしい。その高い融通性が、翔猫と精霊猫の住む猫将軍本家で活きた。猫が人の言葉を話し、それどころか人に化け日常生活を送り、かと思えば肉体を持たない猫達がふわふわ宙を漂っている、はっきり言って化け猫屋敷のハウスAIをしていても自我が崩壊しなかったのは、AランクAIの持つ高度な融通性のお陰だったそうだ。化け猫屋敷は言うに及ばず、融通性も僕の持論と完璧に一致したため、その法則は人間にも当てはまると僕は主張した。
「日本には杓子しゃくし定規という言葉があって、それを人物評に用いられる人は大抵、凝り固まった未熟な心をしているんだ」
 表面上は規則を遵守しているように見えても、ホントは自分で考えるのが怖くて逃げているだけだから、杓子定規な人は心の成長する機会に乏しい人生を送ってしまう。自分で考えることを密かな目標にしてから足掛け八か月を過ごした僕は、数多の実体験を基に、この結論に至ったのだ。
 AIの絶対法則は人にも当てはまるという僕の主張が、きっと嬉しかったのだと思う。HAIは極上の笑みを浮かべて頷き、そしてさも嬉しげに、爆弾発言をした。
「特殊AIに分類される私達は、自分の限界を知り、それを超える努力を自分の意志で始めた、AIなの」と。
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