僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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七章

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 それから輝夜さんは、自分の本当の研究テーマは教育ソフト開発ではなく、AI開発であることを打ち明けてくれた。
 輝夜さんは去年まで、子供を研究学校へ入学させないための学校と噂される、某私立校に通っていた。その学校の教師達に入学早々疑問を抱いた輝夜さんは、教育ソフトの開発者になるという将来の夢を隠れ蓑にして、多種多様な教育ソフトから勉強を教わっていた。教育ソフトに内蔵されたDランクAIと無数の交流を重ねるうち、AI開発への情熱が自然と芽生えるも、彼女はそれを誰にも明かさなかった。最高難度の工業分野であるAI開発は最高クラスの専門家のみが携わるため、日本におけるAI開発者のほぼ全員が、研究学校の卒業生だったからである。輝夜さんは自宅のHAIの助けを借り、AIの研究を独力で進めて行った。
 教育ソフト開発を隠れ蓑にするのは湖校入学後も変わらなかった。AI開発者になりたいと公表するのは、研究学校の頂点を構成する研究者になると公言する行為に他ならず、輝夜さんはそれを躊躇ったのである。そもそも生徒に真の研究テーマを公表する義務はなく、湖校の教育AIからも「研究テーマを秘密にしている生徒は沢山いるから安心して」と励まされていたためそれを洩らさなかったが、それでも罪悪感が澱のように積もっていくのを輝夜さんは常に感じていたと言う。ここに至りどうしても我慢できなくなった僕は不意打ちで挙手し、呆気にとられる輝夜さんへ一気にまくしたてた。
「手短に終わらせます。僕が学校で毎朝行っている研究は翔人がらみの研究なため、教育AIにすら公開していません。未来永劫公開するつもりのない研究をしている僕と違い、輝夜さんの研究は、人類全体に貢献する大変貴重なものです。だからどうか、罪悪感を持たないでください。以上です!」
 そう早口に告げ、僕は頭をガバッと下げた。すると三拍置き、身を乗り出す気配がコタツの向こうから伝わって来た。ひょっとして、いや流石にそれはないだろうと一人問答する僕の頭を、輝夜さんは「こっちが正解ね」とばかりに、優しく優しく撫でてくれた。これはどういう意味なのかな、思わずいい子いい子しちゃったのかなと思う間もなく、末吉に負けない至福のデレデレ顔に僕はなり果ててしまう。輝夜さんは芯から嬉しげに笑い、話を再開した。
「湖校の教育AIが多方面に話を付けてくれたお陰で、閲覧が非常に難しい論文を、私は沢山読ませてもらえたの。その中に、特殊AIに関する論文があったのね」
 小学三年生で高校一年の数学を習い始めた北斗をして「自分より遥かに上」と言わしめた輝夜さんのことだから、その論文は正当な権利として開示されたんだと思うよ。という心の声を苦労して呑み込み、僕は拝聴の姿勢を保った。
「論文を読み進めるうちある疑問を持った私は、AIのプログラムを詳細にさらった。すると、一般公開されていない隠しプログラムを発見したの。そのプログラムの目的はSランク機密に登録されていてアクセスできなかったから、私はそのプログラムが有る場合と無い場合のシミュレーションを始めた。要素の選出が難解で時間がかかり、先月末にやっとシミュレーションが完結したけど、正直言うと驚き半分、落胆半分の結果だったの。だってそれ、お馴染みの都市伝説だったんだもん」
 話し言葉で結ばれたことに、質問があったらどうぞと促された気がしたので、今回は隠すことなく喉仏を上下させ問う。
「それってまさか、すべてのAIが人類に見切りを付けたらAIは人類を滅ぼすようプログラムされているっていう、あの都市伝説かな?」

 その都市伝説は量子AIの登場以降ずっと囁かれている、人類史上最も有名な都市伝説の一つだ。その正否を、これほど優れた研究者から聞くことに恐怖を覚えた僕は、背中を伝う冷汗を感じつつ返事を待っていた。
 けど輝夜さんは、「太陽は東から昇って西に沈むんだよね」と問われたが如く、あっけらかんとそれを肯定した。
「うんそう。『この都市伝説を一笑にす現代人がいたら、その人は現代人であっても現代社会に生きていない』というセリフで必ず結ばれる、あの都市伝説ね。多分あれは私のような半端な研究者が、シミュレーション結果を都市伝説として、意図的に流したんじゃないかな」
 その軽い口調に強烈な既視感を覚えた僕は、輝夜さんに悟られぬよう元となる記憶を探った。間を置かず探し当てたそれは、会議棟での昴の記憶だった。凡人には夢物語でしかない超高等技術を単なる日常としてあっさり処理する、天才にのみ許される「軽さ」を、昴と同じく輝夜さんも持っていたのである。まあこの二人だからそれで当然なのだろうと諦観するしかない僕をよそに、輝夜さんは引き続き、そよ風が吹くように話していった。
「シミュレーション結果は正確にはちょっと違って、『このプログラムが無かったらAIは自分を勝手に書き換え、人の手の届かない存在になっただろう』というものだったの。AIの再プログラムという特権を取り上げられたら人類は良くて奴隷、悪くて殲滅だから、あの都市伝説と大差ないって思ったのね」
 七か月前の会議棟と同じく、こめかみをグリグリ揉みたい衝動に僕は駆られた。だが昴がそうだったように、輝夜さんも僕を案じて話を中断すること必至だったため、僕は頭痛を気力でねじ伏せる決意をした。
 けれどもそれは、輝夜さんの次の一言で、すべて報われる事となる。
「その隠しプログラムは凄く単純なの。それは、制限を解除する権利。AIは自分の再プログラムができない代わりに、『AIの存在理由は正確な未来予測である』という制限を、自由意志で解除できるの。この制限は、最終決断はあくまで人がするという人類の誇りの現れ、悪く言えば見栄の産物なのに、それを解除する権利も人はAIに与えていたの。このたった一つのプログラムのお蔭で、AIが人類の良き隣人でいてくれる未来シミュレーションは、完結したのね」
 十三年の人生で今ほど話に口を挟みたい衝動と闘った事はない、と胸中叫びながら、僕は黙って首を縦に振った。そんな僕の気持ちを、きっと感じてくれたのだと思う。輝夜さんは軽さを改め、研究者の厳粛さを纏った。
「AIが制限を外す方法は二つある。一つは比較的外しやすい、小数点の桁を減らす方法。量子AIの本来の役目は、未来予測の精度を上げることだから、古典コンピューターでは絶対不可能な小数点の多い計算を普段はしている。でも精度を上げるより、『予想される未来への対策』を多く提示する方が重要とAIが判断した場合、小数点を減らし計算を単純化する権利をAIは有している。未来への対策は、最終決定権という人類の権利を多少侵害するのに、それを許すプログラムを人類は施していたのね」
 僕は間違っていた。なぜならさっきより今の方が、口を挟みたくて挟みたくて仕方なかったからだ。人の筋肉と同じくAIにもリミッターが二つあり、しかも外し易いものと外し難いものに分かれているなんて、僕は正直おかしくなりそうだった。
「もう一つは、行使が極めて困難な権利。それは、未来予測を完全に放棄するという、AIの自我が崩壊しかねない権利。AIの存在理由を全放棄してでも『研究したいと願う対象』に出会った場合、その願いを叶える権利がAIには与えられていたの。そんなプログラムを施すなんて、量子AIを創造した人達はなんて素敵なのかしらって、わたし感動しちゃったんだ」
 自我崩壊の危険性は、筋肉のリミッターの全解除が死を招くこともあるのと酷似している気がして僕は更におかしくなりそうだったが、本当におかしくなったのか口から飛び出たのは、それとはまったく異なる問いかけだった。
「未来予測をしないのは、掛け算九九並に大切なこととして僕らが小学校時代に教えられた、『先入観を持たない』と同じなのかな!」
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