僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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七章

キッシュ

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 キーンコーンカーンコーン
 一限開始のチャイムが鳴り始め、僕は急いでトイレから出て十組へ向かった。いつもはHR前にトイレを済ませるのだけど、今日は色々あって教室に直行したため、一限開始前に慌てて用を足しに行ったのである。そんな僕の耳が教室の入り口越しに、クリスマス実行委員長の中島の声を捉えた。
「ほぼ揃っているみたいなので、クリスマス仮装会の会議を始めま~~す」
 ちょっと待てよ中島、僕の席は教壇の目の前だから僕がいないってすぐ判るだろ、演劇部のホープと名高い中島は笑いを取るため演技をしているだけだよな、そうだよな!
 なんて胸中悲鳴をあげつつ教室に飛び込んだ僕は冷汗を流した。中島は単に事実を述べただけで、着席していないのは僕だけだったのである。クラス全員が着席したのを確認し、中島は本題に入った。
「今月二十日、一年生のクリスマス仮装会が多目的ホールで開催されます。まずはプログラムの簡単な説明をします。最初のプログラムは、クラス別入場。次は、有志によるフォークダンス。有志となっていますが、立候補者のいない場合は・・・」
 ただでさえ焦っていた事もあり、フォークダンスという言葉に思わず身を震わせる。そしてそれについて猛と話し合った先ほどの一幕を、僕は思い出していた。

 俺と一緒にフォークダンスを踊らないか、という猛の申し出を何を血迷ったか「俺とフォークダンスのペアを組んでくれ」と誤解した僕は、危うく階段から転げ落ちそうになった。その様子から誤解の内容を察したのだろう、
「まあ眠留がどうしてもと言うなら、ペアを組んでやらんでもないぞ」
 隣の友はイタズラ小僧の見本に豹変した。男二人でフォークダンスを踊った前例もあるそうだし俺は構わんぞ、などと調子づいた見本がほざき始めたので、僕は強引に話題を元に戻した。
「えっとつまり、猛と芹沢さんがダンスを踊るから、僕も付き合えってこと?」
 そのとたん立場が逆転し、今度は猛が階段から落ちそうになった。まったくもってピュアな奴だとほのぼのしながら、説明責任に突然目覚めた友に耳を傾けた。
「昨夜俺は清良から、フォークダンスの立候補者がいなかったら一緒に踊ろう、と誘われた。そんな恥ずかしい事できるかと即座に断ったが、真摯な眼差しを向けられてな。あることに思い至り、俺は礼を言ったよ。立候補者がいなかったときクラスに降りる気まずい空気を、清良は案じていたんだ」
 下を向いたまま「うん」と応えた僕の目が、階段をしっかり捉えているかを確認し、猛は話を再開した。
「時間が無いからはっきり言おう。北斗と天川さんが付き合っていたら十組代表はあの二人で決まりだが、そうでないなら眠留と白銀さんが順当だ。だがそう思うのはクラスの奴らだけで、十組以外の気の早い連中は、眠留が誰と踊るかを既にネタにしている。クラスの皆もそれを知っているから、フォークダンスの立候補者が誰もいなかったら、重い空気が必ず降りる。その時は先ず清良が立候補して俺を誘い、俺はお前に救いを求め、清良が身長を理由に白銀さんを誘う。お前と天川さんは身長が合わないが、白銀さんとはピッタリだからな。眠留、お前が望むなら、清良はその役を自分が果たすと言っている。眠留が腹をくくるなら、俺も腹をくくるつもりだ」
 文化祭を経て、芹沢さんと輝夜さんと昴は名前で呼び合う仲になった。よってその役を果たせるのは、芹沢さん以外誰一人いないだろう。だが、芹沢さんの真意は他にあるのではないかと僕には思えてならなかった。五月中旬の体育祭前日、ショッピングモールで僕に感じた恩義を、芹沢さんは未だ引きずっている気がするのだ。けど僕は芹沢さんに、恩義なんて早く忘れて欲しい。友達として、普通に助け合う仲になりたい。その想いを、僕は正直に伝えた。
「なあ猛、芹沢さんは僕にとって、人生初の異性の友達だ。僕は芹沢さんと、友達として普通に助け合っていきたい。ショッピングモールの件は、もう忘れて欲しいんだよ」
 しかし猛は首をきっぱり横に振った。
「眠留すまん、それは当分諦めてくれ。まだ暫く、あいつの想うままにさせてあげてくれ。頼む、このとおりだ」
 猛は立ち止まり、ビシッと頭を下げた。ここは実技棟二階の、渡り廊下が目と鼻の先の場所。この状況が数秒遅く訪れていたら、腰を折る猛を教室棟の生徒達に見られたかもしれないが、ここならその可能性は低い。その幸運と、芹沢さんのためなら幾らでも頭を下げられる猛の気持ちを無下にしたくなかった僕は、本音を再度打ち明けた。
「わかった、芹沢さんの申し出をありがたく受けるよ。でも僕は、腹をくくれない。猛に助けを求められても、僕は醜態をさらすだけになると思う。その時は猛が、話を強引に進めてくれないだろうか。頼む、このとおりだ」
 今度は僕が、ビシッと頭を下げた。猛は僕に頭を上げさせ、器のデカイ漢の顔を浮かべた。
「以前話したように、俺と清良は眠留の気持ちを想像できる。眠留、安心しろ。その時は俺が、強引に話を進めるからな」
 以前猛は僕に、「清良が二人いたら俺は悩んで死ぬかもしれん。清良も同じだそうだ」と言った。それは、前世の記憶を持つことを僕と芹沢さんで明かし合った後だったから、猛の話は胸にすんなり入ってきた。その日以降、二人は何かと僕を助けてくれるようになった。ひょっとすると今回もそれがメインで、恩義の方はオマケなのかもしれないと思い始めた僕は、猛となら本当にフォークダンスを踊ってもいい気がしてきてしまった。それは猛も同じだったのか、僕らの間に名状し難い空気が降りる。なので、
 キーンコーンカーンコーン 
 とHR開始のチャイムが鳴り始めるや、僕ら二人は罰則覚悟の小走りをして、その空気を実技棟に置き去りにしたのだった。

「・・・そして最後のプログラムが、飛び入りフォークダンスです。このプログラムに定員はなく、曲も同じコロブチカで、クラスを越えてダンスを申し込むこともできますから、一年生でも毎年盛り上がると言われています。以上で、クリスマス仮装会のプログラムの説明を終わります。どなたか、質問等ありませんか」
 実行委員長の中島の声が教室に響いた。猛とのやり取りを思い出していたせいで中島の話をまるっきり聞いていなかった僕は、体を小さくして質問タイムをやり過ごすことにした。すると不意に、僕と同じ心境の人が教室のあちこちにいる気がした。実行委員長の話を聞いていなかったため体を小さくしている人が、教室に幾人もいると感じたのだ。仮にそれが一人だったら僕は理性を働かせ、その人の存在を意識から消し去っただろう。だが十人前後にその気配を感じた僕は気が緩み、一番近くの人へ無意識に顔を向けてしまった。その人は僕の左隣で、もともと小さな体を更に小さくしていた。しかもそのお隣さんは僕の視線に気づくなり頬を紅潮させ、目をギュッと閉じ俯いてしまった。己の無神経さを呪い、僕は青ざめ項垂れた。救いの手を差し伸べるかのように、中島の声が教室に響いた。
「質問は無いみたいですね。ではさっそく、プログラムナンバー二番のフォークダンスの有志を募ります。定員は、四名から六名です。どなたか立候補はいませんか」
 演劇部で鍛えられた中島の心地よい声はしかし、救いの手ではなかった。その声は教室に、気まずい空気を生じさせたからだ。教室は気まずさ一色に染まった。しかもそれは、二字曲線のごとく増加して行った。脳裏に、教室の辿る未来が映し出される。それは、意を決した芹沢さんが立候補に名乗り出て、僕とお隣さんをフォークダンスに誘う未来だった。増大する気まずさに追いたてられ、教室はその未来に突き進んで行った。しかしそれが三次元世界に実体化する寸前、
「はい」「はい」「はい」「はい」
 教室に響いた四つの声が異なる未来を創造した。僕は弾かれるように顔を上げ声の方へ体を向けた。それは四人以外のほぼすべてのクラスメイトに共通することだったので、椅子と机が一斉にガタンと鳴った。その音の大きさに怯むも、それでも四人は誇らしげに手を挙げていた。僕の視界が急速にぼやけてゆく。なぜならその四人は忘れもしない九月一日、僕と一緒に下校してくれた四人だったからだ。
 四人は九月一日だけでなく、その週と翌週も僕と一緒に下校してくれた。皆で自然に僕を囲み、神社までワイワイ歩いてくれたのだ。ありがたくて仕方なかった僕は皆を社務所に招き、祖父母へ紹介した。すると祖父母が、こんなことを四人に言った。
「大勢の若者を長年見てきた私達は、縁結びの神様の祝福を受けている男女が、なんとなく分かるようになりました。あなた方にも、私達はそれを感じます」 
 四人は照れまくっていたが、僕が男二人をヘッドロックし「男には勝負せねばならぬ時がある」と囁くと、そいつらは背筋を伸ばし意中の女の子へそれぞれ交際を申し出た。お受けしますと、女の子たちは満面の笑みで応えた。僕は二週間の感謝を込め、四人に神社オリジナルのお守りを贈った。白地に虎猫の刺繍を施した男性用お守りと、桜色に三毛猫の刺繍を施した女性用お守りを四人は大層気に入ってくれて、三か月経った今も変わらず鞄にぶら下げている。その四人がこうしてフォークダンスに立候補したのだから、交際は順調に進んでいるのだろう。喜びと嬉しさに促され、僕は盛大に拍手した。
 その直後、割れんばかりの拍手と歓声が十組を覆い尽くしたのだった。

 それからは打って変わり、会議は和やかに進行した。個人的には一波乱あったけど、それはまさしく僕一人の個人的なことであり、クラスの皆は腹を抱えて笑っていた。それは北斗の、十組の出し物についてのプレゼン中に起こった。北斗は教壇から教室を見渡し宣言した。
「スポットライトを浴びステージに登場する最初の役者は眠留で、初セリフも眠留で、初殺陣たても眠留にする予定です」
 すでにこの時点で笑いを堪える人達が続出していて、僕は穴があったら入りたい状態になっていた。その機を逃さず、実行委員長の中島が僕に発言を求めた。後で知ったところによると、中島は北斗と一緒にその台本を書いた共同執筆者だった。つまり僕に発言を求めたのもプレゼンの一環だったのだけど、何も知らない僕は思い余って、とんでもないことを口走ってしまった。
「えっとあの、僕は仮装会で、動けなくなるまでキッシュを食べるのが夢なんです!」
 クリスマス会も兼ねる仮装会に、学校がケーキとキッシュを提供するのが湖校の伝統だった。ケーキも美味しいがキッシュの美味しさたるや格別で、それは湖校の七不思議の一つに数えられているほどだった。野暮な僕はフランス料理にとんと縁のない人生を送ってきたが、キッシュはよちよち歩きの頃からなぜか大好きで、クリスマスと言えばキッシュの図式が僕の中に出来上がっていた。そのせいで口から飛び出た「動けなくなるまでキッシュを食べるのが夢なんです!」に、僕を除くクラス全員が笑いすぎて呼吸困難になってしまった。笑いが収まったのち中島が音頭を取り、クラスの出し物が終わるまでキッシュを食べつくさないという臨時法案が満場一致で可決された。それに安堵した僕は、北斗のプレゼンに異を唱えることを完全に失念した。いや、計画的に失念させられてしまった。僕がそれを思い出したのは、北斗案が圧倒的支持を集め十組の出し物として決定した後のことだった。配布された台本のキャストの先頭に自分の名前を発見しやっと事の重大さを理解した僕は、頭を抱えて机に激突したのだった。
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