僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

文字の大きさ
上 下
236 / 934
七章

3

しおりを挟む
「眠留さん、今日は研究に集中できないようですね。どうかしましたか」
 2D画面と僕の間に完璧な美貌をひょいっと割り込ませ、エイミィが訪ねた。いつもの僕なら「どわっ」とのけ反るのがお約束で、その楽しげな口調からエイミィもそれを期待していたみたいだけど、太光たいこうの余韻を残す僕は「ん?」と鷹揚な微笑みを彼女に返した。天文学的な演算能力を誇る量子コンピューターにもそれは予測不可能だったのか、エイミィは瞬き一回分の時間フリーズしてしまう。それが恥ずかしかったのだろう、エイミィは恥じ入る表情をして俯き、腰まで届くツインテールを小刻みに揺らしていた。そんな彼女が可愛くて頭を撫でそうになった手を間一髪で引き戻し、僕は尋ねた。
「エイミィには、好きな花とかある?」
「いえ、特にありません。ただ嵐丸は、湖校を初めて訪れたさい目にした、練習場横の花壇の向日葵ひまわりが、大好きなようです」
 さすがと言おうか、問いかけの意図を十全に察知したエイミィは、自分に好きな花はなくとも嵐丸には好きな花があることを僕に教えてくれた。とはいえ、太陽の光をたっぷり浴びて元気いっぱいに咲く向日葵は嵐丸にピッタリでも、エイミィのイメージには合わない。仮に向日葵が、金色の空を背に咲く青い花であったなら、青い瞳と金髪を連想したかもしれないが、それでも何か違う気がする。笑顔が薔薇に似ていても薔薇ではないし、好きな花も特にない。よってこの件はひとまず保留し、今初めて知ったことを口にした。
「エイミィには嵐丸の記憶があるんだね。新忍道のAIとは完全に切り離されているって、僕は勘違いしてたよ」
 エイミィはニッコリ笑い、僕の右斜め前の3D椅子に腰を下ろした。大腿四頭筋のリミッターの外し方に関する論文を完成させるのは明日にして、僕はエイミィに体を向けた。
「嵐丸の成長は私の成長でもありますから、嵐丸の経験はすべて記憶しています。嵐丸は私のことも、公式AIの現身うつしみであることも知らない、子犬ですけどね」
 エイミィはそう言って、作為のまるでない笑顔を浮かべる。嵐丸と同じその笑顔に、エイミィと嵐丸の関係の一端を垣間見た気がした僕は、勘違いのきっかけを明かした。
「思い返すと、僕がそう勘違いしたきっかけは、教育AIのメールだった。エイミィに僕の研究を手伝ってもらう申請をアイにしたら、暫くはダメだって拒否されたよね。その厳格さを、公式AIとエイミィの区別にも、僕は当てはめていたみたいだ」
 八月半ば、エイミィに研究を手伝ってもらえると知るや、申請メールをアイに出した。するとアイにしては珍しく、三十秒ほど経過してから返信が届いた。
『新公式AIが自らの仕事に慣れ、新忍道本部と私がそれを認め、モニター品でない正式AIになるまで、独立AIとしての活動は許可できません』
 その直截簡明ちょくせつかんめいな拒否理由に自分の思慮足らずを思い知り、詫びのメールをすぐさま送った。すると一秒もかけず、
『いいの、それにごめんね。眠留の研究を手伝わせてあげたいのはやまやまだけど、私は責任者として判断を下さなければならないのよ』
 なんて明らかに落ち込んだメールが返ってきたものだから、僕は大慌てになってしまった。数度のやり取りを経て、アイの背負う責任の重大さを理解した僕は、「エイミィと公式AIもさぞ厳格に区別されているに違いない」と勝手に思い込んでいたのである。そう打ち明けると、エイミィは凛として首を横に振った。
「眠留さんは間違っていません。新忍道AIと私は、私自身によって明瞭に区別されています。その解除を試みたAIはランクの区別なく停止させられますし、それは私自身にも適用されるため、この区別を解除できるAIはこの世に存在しません。これはそれほど厳格な、私の誇りとも呼べる区別なのです」
 日本にただ一つのSSランクAIであろうと世界唯一のSSSランクAIであろうと他のAIをハッキングできないことは知っていたし、AIが自分を書き換えることも不可能だと知っていたが、今日は初めてそれを、人の心に当てはめて考えることができた。僕は瞑目し、それを言葉にした。
「なんとなくわかる。心は、心を超越した存在から自由を付与されている。然るに心は、心の自由を侵害できない。また自由は、その存在の根本原理であるため、その存在すら心の自由を侵害することはできない。それはAIも同じなんだなって、今日僕は何となく思ったよ」
 これをもって太光の余韻は消滅した。僕は目を閉じたまま考える。「百分の一に薄めた太光の、その余韻すら僕をこれほど強化するのに、あの光をそのまま常駐させたら、僕どうなっちゃうのかな?」 
 丁度その時、
 キーンコーンカーンコーン
 HR開始五分前の予冷が鳴った。この個室は机と椅子以外はすべて3Dなので、引いた椅子を元に戻すだけで片付けは終わる。僕はエイミィに暇乞いをすべく瞼を開けた。だが、
「眠留さん、私はミーサが羨ましい。私はいつも眠留さんのそばにいたい」
 消え入るようにそう呟きさめざめと泣くエイミィが目に飛び込んできて、腰を抜かす寸前になってしまった。しかし考えなしに「わかった、今日はここにいるよ」なんてことを口走ったら、生徒に校則違反を促したAIとして、エイミィは確実に破棄されてしまう。よって僕は努めて自然にエイミィを抱きしめ、背中をトントンと叩いた。落ち着きを取り戻したのか、エイミィのすすり泣く声が止む。僕は笑顔になり立ち上がり、明日の再会を約束して個室を後にした。そして廊下を歩きながら必死で考えた。
 エイミィの件を誰かに相談すべきなのか。
 それとも、相談すべきでないのかを。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ハバナイスデイズ!!~きっと完璧には勝てない~

415
キャラ文芸
「ゆりかごから墓場まで。この世にあるものなんでもござれの『岩戸屋』店主、平坂ナギヨシです。冷やかしですか?それとも……ご依頼でしょうか?」 普遍と異変が交差する混沌都市『露希』 。 何でも屋『岩戸屋』を構える三十路の男、平坂ナギヨシは、武市ケンスケ、ニィナと今日も奔走する。 死にたがりの男が織り成すドタバタバトルコメディ。素敵な日々が今始まる……かもしれない。

後宮物語〜身代わり宮女は皇帝に溺愛されます⁉︎〜

菰野るり
キャラ文芸
寵愛なんていりません!身代わり宮女は3食昼寝付きで勉強がしたい。 私は北峰で商家を営む白(パイ)家の長女雲泪(ユンルイ) 白(パイ)家第一夫人だった母は私が小さい頃に亡くなり、家では第二夫人の娘である璃華(リーファ)だけが可愛がられている。 妹の後宮入りの用意する為に、両親は金持ちの薬屋へ第五夫人の縁談を準備した。爺さんに嫁ぐ為に生まれてきたんじゃない!逃げ出そうとする私が出会ったのは、後宮入りする予定の御令嬢が逃亡してしまい責任をとって首を吊る直前の宦官だった。 利害が一致したので、わたくし銀蓮(インリェン)として後宮入りをいたします。 雲泪(ユンレイ)の物語は完結しました。続きのお話は、堯舜(ヤオシュン)の物語として別に連載を始めます。近日中に始めますので、是非、お気に入りに登録いただき読みにきてください。お願いします。

可愛すぎるクラスメイトがやたら俺の部屋を訪れる件 ~事故から助けたボクっ娘が存在感空気な俺に熱い視線を送ってきている~

蒼田
青春
 人よりも十倍以上存在感が薄い高校一年生、宇治原簾 (うじはられん)は、ある日買い物へ行く。  目的のプリンを買った夜の帰り道、簾はクラスメイトの人気者、重原愛莉 (えはらあいり)を見つける。  しかしいつも教室でみる活発な表情はなくどんよりとしていた。只事ではないと目線で追っていると彼女が信号に差し掛かり、トラックに引かれそうな所を簾が助ける。  事故から助けることで始まる活発少女との関係。  愛莉が簾の家にあがり看病したり、勉強したり、時には二人でデートに行ったりと。  愛莉は簾の事が好きで、廉も愛莉のことを気にし始める。  故障で陸上が出来なくなった愛莉は目標新たにし、簾はそんな彼女を補佐し自分の目標を見つけるお話。 *本作はフィクションです。実在する人物・団体・組織名等とは関係ございません。

〈銀龍の愛し子〉は盲目王子を王座へ導く

山河 枝
キャラ文芸
【簡単あらすじ】周りから忌み嫌われる下女が、不遇な王子に力を与え、彼を王にする。 ★シリアス8:コミカル2 【詳細あらすじ】  50人もの侍女をクビにしてきた第三王子、雪晴。  次の侍女に任じられたのは、異能を隠して王城で働く洗濯女、水奈だった。  鱗があるために疎まれている水奈だが、盲目の雪晴のそばでは安心して過ごせるように。  みじめな生活を送る雪晴も、献身的な水奈に好意を抱く。  惹かれ合う日々の中、実は〈銀龍の愛し子〉である水奈が、雪晴の力を覚醒させていく。「王家の恥」と見下される雪晴を、王座へと導いていく。

ブラック企業を辞めたら悪の組織の癒やし係になりました~命の危機も感じるけど私は元気にやっています!!~

琴葉悠
キャラ文芸
ブラック企業で働いてた美咲という女性はついにブラック企業で働き続けることに限界を感じキレて辞職届けをだす。 辞職し、やけ酒をあおっているところにたまに見かける美丈夫が声をかけ、自分の働いている会社にこないかと言われる。 提示された待遇が良かった為、了承し、そのまま眠ってしまう。 そして目覚めて発覚する、その会社は会社ではなく、悪の組織だったことに──

紹嘉後宮百花譚 鬼神と天女の花の庭

響 蒼華
キャラ文芸
 始まりの皇帝が四人の天仙の助力を得て開いたとされる、その威光は遍く大陸を照らすと言われる紹嘉帝国。  当代の皇帝は血も涙もない、冷酷非情な『鬼神』と畏怖されていた。  ある時、辺境の小国である瑞の王女が後宮に妃嬪として迎えられた。  しかし、麗しき天女と称される王女に突きつけられたのは、寵愛は期待するなという拒絶の言葉。  人々が騒めく中、王女は心の中でこう思っていた――ああ、よかった、と……。  鬼神と恐れられた皇帝と、天女と讃えられた妃嬪が、花の庭で紡ぐ物語。

転生したら男性が希少な世界だった:オタク文化で並行世界に彩りを

なつのさんち
ファンタジー
前世から引き継いだ記憶を元に、男女比の狂った世界で娯楽文化を発展させつつお金儲けもしてハーレムも楽しむお話。 二十九歳、童貞。明日には魔法使いになってしまう。 勇気を出して風俗街へ、行く前に迷いを振り切る為にお酒を引っ掛ける。 思いのほか飲んでしまい、ふら付く身体でゴールデン街に渡る為の交差点で信号待ちをしていると、後ろから何者かに押されて道路に飛び出てしまい、二十九歳童貞はトラックに跳ねられてしまう。 そして気付けば赤ん坊に。 異世界へ、具体的に表現すると元いた世界にそっくりな並行世界へと転生していたのだった。 ヴァーチャル配信者としてスカウトを受け、その後世界初の男性顔出し配信者・起業投資家として世界を動かして行く事となる元二十九歳童貞男のお話。 ★★★ ★★★ ★★★ 本作はカクヨムに連載中の作品「Vから始める男女比一対三万世界の配信者生活:オタク文化で並行世界を制覇する!」のアルファポリス版となっております。 現在加筆修正を進めており、今後展開が変わる可能性もあるので、カクヨム版とアルファポリス版は別の世界線の別々の話であると思って頂ければと思います。

これは校閲の仕事に含まれますか?

白野よつは(白詰よつは)
キャラ文芸
 大手出版社・幻泉社の校閲部で働く斎藤ちひろは、いじらしくも数多の校閲の目をかいくぐって世に出てきた誤字脱字を愛でるのが大好きな偏愛の持ち主。  ある日、有名なミステリー賞を十九歳の若さで受賞した作家・早峰カズキの新作の校閲中、明らかに多すぎる誤字脱字を発見して――?  お騒がせ編集×〝あるもの〟に目がない校閲×作家、ときどき部長がくれる美味しいもの。  今日も校閲部は静かに騒がしいようです。

処理中です...