僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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六章

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「大和さん、剣筋けんすじを通す感覚は竹刀でやるより、木刀をゆっくり動かした方が得られやすいと思うよ」
 女子四人は試行錯誤の末、剣道を話題にすることで自然な空気を勝ち取ることに成功していた。選手同士の戦いは陸上部でももちろんあるが、徒競走の戦いと格闘技の戦いには根本的な違いがあることに、那須さんは演技でない興味を示していた。那須さんは今日からの学校生活に、徒競走における戦いより格闘技における戦いが役立つことを知った。全国陸上小学生大会で決勝を走った那須さんは、自分との闘いという面では両者に差はなくとも、心理的な駆け引きという面においては、徒競走は格闘技に大きく差をつけられていることを悟った。そして那須さんが今後学校で強いられるのは、同性の同級生との心理的駆け引きなのである。よって彼女は、自分にまるで足りていない駆け引きを部活で日々磨いている剣道部員達に、深い興味を覚えた。その分野なら僕も話題を提供できるし、僕と那須さんが今も変わらず仲が良いことを皆に知ってもらう絶好の機会でもあったから、「剣筋を通すのが大の苦手なの」と萎れる剣道部の女子三人の話に、加わってみたのだ。
 すると意外にも、初対面の女の子二人がこれに食いついた。聞く処によると、僕の家に古流刀術が伝わっていることを、その子たちは前々から知っていたらしい。なら話は速いと、僕は歩きながら腰を落とし、木刀をゆっくり振る真似をした。そのとたん、剣道部の三人は瞠目し息を呑んだ。秋葉原の新忍道ショップでの出来事を思い出し己の迂闊さにようやく気づくも、時すでに遅し。剣道女子三人による質問の集中砲火に、僕は晒されてしまった。
「歩いているのになぜ上体が全然ぶれないの?」「どうすれば上体をそれほど安定させられるの?」「その秘密は足運びにあるの?」「それとも腰の使い方?」「それとも・・・」
 今は薙刀全盛の時代ゆえ、剣道を選んだ女性は強固な信念を持っていることを知識としては知っていた。だがそれは他の多くの事柄と同じく、表面を暗記しているにすぎなかった。僕は彼女達の気迫に、たじたじになってしまったのである。
 それでも、道は違えど同じ場所を目指している彼女達に、僕は共感を覚えた。よってたじろぐ自分を叱咤し、剣の道を究めんとする同志として、ゆっくり動作と素早い動作における神経の成長の違いを彼女達に説明した。素早さこそが上達の道だと信じていた彼女達にとってその話は目から鱗だったのだろう、みんな大層感心して話を聴いてくれた。長距離走者の那須さんもそれは同じだったらしく、昨日の陸上部での出来事を皆に興奮して説明した。
「猫将軍君は昨日、初めて聞く高度な走法を、ゆっくり走りながら私達に説明してくれたの。それに比べたら私は、何も考えていないのと同じだった。猫将軍君、あの走法も、ゆっくり体を動かして研究したことなの?」
 四人の視線が僕に集中した。中でも特に熱い視線を送る那須さんには申し訳なかったが、僕は真実を伝えた。
「昨日の走法は刀術の副産物だから、ゆっくり走って研究したものではないんだ」
 僕の回答に、那須さんは目に見えて萎れた。けどそれが全身を覆う寸前、誓いを思い出した那須さんは、顔を持ち上げ背筋を伸ばした。その伸ばされた背中を、瞳を潤ませた大和さんが優しくトントンと叩く。そんな二人の様子に、剣道部の女の子たちもあらましを察したのだろう。那須さんに歩み寄り、自分も応援するねと二人は口々に言った。四人の女の子たちに、温かな気配が広がってゆく。それが常軌を逸するほど嬉しかった僕は、まさしく常軌を逸した提案をしてしまった。
「もし興味があるなら、僕が習った刀術の基本中の基本を、録画しておこうか?」
「「ありがとう!」」
 女の子たちは僕の手を取り、ありがとうを連発した。
 その中に、剣道部員でない那須さんも混ざっていることに気づく間もなく、僕は四人の女の子たちへ、近日中に録画を渡すことを約束したのだった。

「じゃあね~」「またね~」「楽しみにしているよ~」「ありがと~」
 女の子たちが何度も振り返り、手を振りながら遠ざかってゆく。僕は一人たたずみ、彼女達を見送った。ここは、グラウンドの北側道路と東側道路が交差する場所。そう、新忍道サークルが使っている、練習場への入り口だ。
 僕に手を振っているのは四人の女子だけで、男子は含まれていない。三人の剣道女子が質問の集中砲火を放ち始めたころ、僕ら男女混成グループはここを通りかかった。猛と真山に目を向けると二人は微かに頷き、男子達を伴いそのまま歩いて行ったので、僕は二人に礼を述べ立ち止まり、彼女達に神経の話をしていたのだ。
 女の子たちが人影に消えてゆく。僕はハイ子を取り出し、マナーモードのアラームを設定した。今は七時五十八分だから、あと二分足らずで北斗は自主練を終える。その時が来るのを、僕は静かに待った。
 二分を数倍する時間が流れたとしか思えず、設定ミスを疑い始めたころ、ハイ子のアラームが作動した。親指でトントンと叩き、ハイ子に感謝を伝える。賢いミーサはそれだけで、振動を解除してくれた。
 ハイ子をポケットにしまい、道から20メートルほど離れたプレハブに向かう。プレハブを回避するのではなくプレハブのすぐそばまで近づき、壁に沿って歩いてゆく。あと一歩進めば身をさらす場所で立ち止まり、胸に手を当てる。深呼吸を幾ら繰り返しても、早鐘のごとく鳴り響く鼓動を沈めることは叶わなかった。僕は諦めて一歩を踏み出し、体を左に向ける。すると、30メートルほど離れた透水ゴムの上で顔にタオルを当てる、北斗が視界に入った。
「北斗!」 
 気づくと僕は北斗の方へ駆けだしていた。北斗の姿を捉えるなり駆けだした自分に、ずっとくすぶっていた自分への不信感が、みるみる消えて行った。
 どうすれば丸く収められるかという事ばかりを考えていた僕は、もういなかった。
 姑息なことばかりを考えていた僕は、もういなかった。
 それらの僕は過去の僕として消え去り、代わりに新しい僕が生まれていた。
 その僕が確信した。
 
  北斗となら仲直りできる!
 
 たとえ罵倒されようと、数日間無視されようと、それが数週間や数カ月間に及ぼうと、北斗となら最終的に絶対仲直りできる。
 僕は今、それを僕そのものとして、確信することができたのだ。
 その僕で再度呼びかける。
「北斗!」
 タオルを持った手を上げ、北斗が笑顔を浮かべた。
 その姿がふんわり胸に入ってきて、そこにドカンと腰を据える。
 胸の中で、いわおのような存在感を放つ北斗が、胡坐をかいてふんぞり返っている。
 つくづく思った。
 自覚しているつもりだったけど、僕ってホント、馬鹿だよなあ。
「おはよう北斗」
「おはよう眠留」
 夏休み前から晴れの日は毎朝欠かすことなく、北斗はこの透水ゴムの上で受け身の自主練を行っていた。よって夏休みが明けた今日からも、晴れの日は毎朝欠かすことなく、北斗はここで受け身の自主練を行うだろう。
 そう思った僕は連絡を入れることなく、この時間のこの場所に来た。すると北斗がそのとおり、この時間のこの場所にいた。しかも北斗は透水ゴムの端に座るのではなく、二人並んで座れるよう、僕の座る場所をきちんと確保してくれていたのだ。北斗が用意してくれた場所に腰を下ろした僕は、心の壁をすべて取り払い、素っ裸になることにした。
「猛と真山から話を聴いたよ」
「そうか」
「人生最大の自己嫌悪がやって来たよ」
「そうか」
「その自己嫌悪に負けるのは許さないって、僕は決めたよ」
「そうか」
「だから北斗の話を僕は聴きたい。北斗、聴かせてくれないかな」
「なら先ずは」
 北斗が立ち上がった。北斗から何を言われても何をされても、僕はそれに抵抗しない。そういう自分で、僕は北斗を見あげた。
 日焼けし引き締まり、夏休み前より男前の上がった北斗が僕に顔を向ける。
 そして、手を差し出し言った。
「休み明け初日から遅刻するのは嫌だから、歩きながら話すか」
 北斗の手を握り立ち上がる。
 僕らは二人並んで、プレハブへ歩いて行った。
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