僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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六章

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 グラウンド東側の道を、右へふらふら左へふらふらしながら校門を目指した。その途中、
 ……ピロポロロン
 何となくメールの着信音が鳴った気がして、右手をもぞもぞ動かしハイ子を取り出してみる。差出人も確認せずアイコンをタッチすると、
「ぐるぐるバットリレーじゃないんだから、真っ直ぐ歩くんだよ」
 それは真山からのメールだった。慌てて振り返り目を凝らすと、北側の道がテニスコートに沿い北へ折れ曲がる場所で、真山はこちらを向き両手を振っていた。その左手にハイ子が握られていることに気づき、僕もハイ子を左手に持ち替え両手を振る。真山はニッコリ笑い、ハイ子を最後に高々とかかげて、テニスコートのフェンスの向こうに消えて行った。
「半ば気づいていたけど、想像以上にフラフラしてたんだな。真山に、余計な気遣いをさせちゃったなあ」
 僕は独りごち、回れ右をする。
 そして自分に喝を入れ、今度こそ真っ直ぐ歩いて行った。

 グラウンド沿いの道を離れ、人気のない一年生校舎を左手に歩を進める。八月三十日、午後四時五十分。狭山湖の堤防間近に迫る西日に照らされ、校舎がオレンジ色の光を放っている。新忍道サークルに参加し始めたころより、夕暮れが明らかに早くなった。ミンミン蝉がめっきり数を減らし、ツクツク法師の鳴き声ばかりが鼓膜を叩くようになって久しい。溜息が自然に漏れる。夏はもう、終わりなんだなあ。
 でも今この瞬間、僕は毎年恒例の、夏の終わり特有の物悲しさを感じていなかった。お泊りのお誘いと水晶の配慮に、心が浮かれ騒いでいたのだ。
 今朝、境内の箒掛けを終え母屋に向かっていた僕の目の前に精霊猫の水晶が現れ、かすかに予想していた喜ばしいことと、だいたい予想していた喜ばしいことを告げた。微かに予想していた方は帰宅してからの楽しみにするとして、まあそうなるだろうと予想していた方は、こんな事だった。
「明後日は討伐、訓練、自主練の一切を取りやめ、休み明け初日に備えるべし」
 精霊猫は翔描以上の、人情の大家だ。夏休みを全力で駆けた僕をずっと見守っていた水晶のことだから、休み明け以降の学校生活も気に掛けてくれるだろうなと、僕は予想していた。人としても翔人としても独り立ちすれば水晶の配慮も変わるだろうが、僕がまだどうしようもなく未熟であるのは歴然たる事実。よって僕は水晶の思いやりを、素直に喜ぶことにしていた。 
 そしてだからこそ、僕は浮かれ騒いでいた。なぜなら水晶は学校生活の再開だけでなく、その前夜祭と言える寮での一泊も考慮した上で、九月一日を全休にしてくれたに違いないからだ。喜びを抑えきれなくなった僕はヒャハ~と跳び上り、走り出した。そして校門前、人気ひとけのないのをいいことに、僕はさっきできなかった、三連続バク転からの伸身宙返りを試みた。でもその準備を整え終えたまさにその瞬間、体に急制動をかる。アスファルトの舗装道であることを思い出したからではなく、ある友人の顔が心を射抜いたからだ。僕は素早くハイ子を取り出し口元に近づけ、早口言葉の優勝決勝戦に臨む気構えで口を動かした。
「猛にメール、明日はよろしく!」
 僕より数倍賢いハイ子は音声ガイダンスをカットし、効果音だけでメール送信完了を知らせてくれた。僕は安堵の息を吐きかけるも、送信完了の効果音と一塊ひとかたまりになってメール受信の効果音が流れたので、息を吐くための空気を使い「開く」の音声コマンドを出した。そのとたん、
「連絡がおせーんだよコノヤロウ!」
 猛の怒声が脳髄を貫いた。やっちまったと肩を落とす僕を、ミーサの優しい声が包んだ。
「お兄ちゃんがメールを送ると同時に、音声メールを再生するよう龍造寺さんに頼まれていました。真山さんから明日の予定を聞いた龍造寺さんは、お兄ちゃんのメールを首を長くして待っていましたよ」
 真山が別れ際、左手のハイ子を高々と掲げていたのは、猛にもメールしたからねという意思表示だったのである。まったく未熟にもほどがあるぞと自戒し、僕は本心を音声メールに吹き込んだ。
「校門前で伸身宙返りをする直前、脳裏に浮かんだ猛の顔に心を射抜かれて、宙返りを止めたんだ。連絡は遅れたけど、お蔭で危険を回避できたよ。ありがとな、猛」
 返信を受け取るまで少し時間がかかることは分かり切っていた。けど湖校の敷地内で、二人の友のいるこの場所で、それを受け取りたいとも感じていた。路上に放り投げたバッグを拾い、校門まで歩く。そして門柱に背を預け、僕は受信音を待った。
 午後四時五十九分。長期休暇時における最終下校時刻の一分前、効果音が鳴る。慌てず落ち着いて、アイコンに触れた。
「明日は楽しみにしている。それとまだ敷地内にいるなら、すぐ校門をまたげ。でも慌てるなよ。間に合わなかったら俺と真山も罰則の掃除に付き合うから、慌てるなよ!」
 心の中にあるツンデレ見本棚の、一番目立つ場所に猛の写真をかざっている僕は、メール作成中の猛の様子を手に取るように想像することができた。ツンツンしながら返信を待っていた猛は、僕の本心を知るなりデレデレになった。そのせいで文面がまとまらず焦りを覚えるも、僕が敷地内で返信を待っていることを直感した猛は、早く早くと自分を急かしメールを作成した。それが裏目に出て、もしもの時は二人で罰則に付き合ってやるという、僕が最も慌てる一文を添えてしまった。十中八九、いや九分九厘、猛はこんな感じでメールを作成したのだ。
 けれども今回、添えられたその一文は、僕に真逆の効果を及ぼした。僕が猛の立場で、猛の罰則に真山と一緒に付き合ったなら、それは楽しい時間に絶対なった。そしてそれは猛にとっても同じだったから、三人で楽しもうぜという意味のメールを、猛は咄嗟に綴ったのである。親密な想いが、胸をひしひしと満たしてゆく。いつまでもその想いに浸っていたかったけど、それは叶わぬ夢。五時まで残り三十秒を知らせる長さ三十秒のチャイムの最後の一小節で、ゆっくり校門をまたぐ。
 そしてチャイムが鳴りやんだ静けさのもと、僕は振り返り言った。
 また明日、と。
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