僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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六章

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「同じ日のほぼ同じ時刻に生まれて、家もほぼ同じ場所にあって、親同士も仲が良く、何より先輩方が大の仲良しでずっと一緒に育った。マジ疑似双子っすね」
 菊本さんは黙ったまま、親指をさっきより力強く立てた。その姿に、今度は京馬と一緒にほのぼのを味わう。プレゼンスキルが最重要能力の一つに昇格して久しいこの国において、寡黙さが美徳に挙げられることは、もはや無いと言える。しかしそれでも、こうして同じ時をすごせば、菊本さんの寡黙さが人嫌いや情緒不足に由来するものでないとすぐ解る。それどころか菊本さんは、いや菊本さんこそは、決める時にビシッと決めるおとこなのだ。
 嵐丸が新忍道サークルの一員になるや、それは湖校生を最も賑わわせる話題となった。翌朝には十人の女子生徒が練習場に詰めかけ、不安がる嵐丸を構おうとして、僕ら一年生トリオは対応に困り果ててしまった。そんな無礼すれすれの姦しさの中、いつの間にか現れた菊本さんが、嵐丸に向かって片膝着いた。そして握った右手を嵐丸へゆっくり近づけて行き、50センチほど離れた場所で止める。そのとたん嵐丸は不安顔を引っ込めテテテと近づいて来て、菊本さんの拳に鼻を押し当てた。その数秒後、嵐丸は安心した様子で拳をぺろぺろ舐め始めた。片膝立ちから両膝立ちに替えた菊本さんが、嵐丸の首を両手の十指で掻く。気持ちよさげな表情を浮かべ、嵐丸は地面にコロンと横たわり、毛がまだ生えそろっていないピンク色のお腹を見せた。そのお腹を菊本さんが優しくなでる。嬉しい嬉しいと転げまわる嵐丸に、女子生徒たちは「かわいい~」「あやすの上手ですね~」を連発した。ここで、
「そいつんちは、家族そろって犬好きなんだ」
 湖校有数の社交力を誇る竹中さんが登場した。竹中さんはフレンドリーかつ自然に、犬と仲良くなるコツを紹介する。そのお蔭で嵐丸とコミュニケーションを取れるようになった女の子たちへ、竹中さんは協力を申し出た。
「ウチのサークルが新公式AIのモニターに選ばれたのは、まだオフレコなんだ。つまり嵐丸は、湖校の秘蔵っ子なんだね。だから嵐丸の話題は、湖校内だけに留めて欲しい。正式発表の日まで、この学校の秘蔵っ子を、みんなで守ってあげてくれないかな」
 自分達だけが知る愛らしい子犬を皆で守ってあげる、というシチュエーションに飛びつかない女の子は、まずいないだろう。彼女達は口々に、全面協力を約束してくれた。そして竹中さんと菊本さんは練習前のこのやり取りを、協力体制が湖校に浸透するまでの一週間、一日も欠かすこと無くやり続けたのだ。嵐丸が大勢の人達からああも可愛がられ、それを経て会話能力を飛躍的に高めていったのは、この先輩方のお蔭なのである。
 みたいな感じのことを、北斗も加わり三人でまくしたてた。嵐丸誕生の経緯を直接知る僕ら一年生トリオにとって、二人の先輩方が成したこれらのことは、感謝してもしきれない事柄だったのだ。
「お前達の言うことは一理あるのだろう。だがそれより、もっと決定的な理由がある。嵐丸は、とにかく自然だ。その自然さが皆を惹きつけるのだと、俺らは考えている」
 膝の上で嵐丸をあやしつつ竹中さんは一旦言葉を切り、菊本さんへ顔を向けた。お弁当の最後の三口を無理やり一口に詰め込んだせいで咀嚼に大忙しの菊本さんは、それでも僕らへ二度、コクコク頷いてくれた。いや正直言うと、この先輩のことだからたとえ口に何も入ってなくても、ほぼ100%同じ対応をしたはずだけどね。
 竹中さんによると、菊本さんはほんの小さいころから、人の言葉を話す3Dペットに面白くない顔をしていたらしい。3Dドッグはとりわけそうで、菊本さんはプイッと顔をそむけ、尖った表情をするのが常だったと言う。それを始めて聞いたときは大変だった。わかります僕もそうなんですと、我を忘れて菊本さんに取り縋ってしまったのだ。猫はこの場面でこんなことを考えているんじゃないかな、という良識を基に作られた3Dキャットはその限りでないが、この場面でこんなことを言わせたらこの商品は売れるだろうな、という欲まみれの3Dキャットは、翔猫と精霊猫に育ててもらったと言っても過言でない僕にとって、不快な虚でしかなかったのである。
 けれども嵐丸にはそれが無い。欲はもちろん、不自然さもまったく無い。そしてそれは当然なことと言えた。なぜなら、物心つく前から翔狼と精霊狼に囲まれて育った紫柳子さんにとって、犬との会話は極普通の、日常でしかなかったからだ。
 そうまさに、僕がそうであるようにね。
「俺は眠留と猫達の関係を長年見てきましたから、嵐丸の自然さが、なんとなくわかります」
「俺は一度会っただけですが、眠留の家の猫達が世話好きで優しいってことはすぐ感じました。だから菊本さんと眠留の気持ちが、俺にもなんとなくわかります」
 竹中さんは口を開けてニカッと、菊本さんは口を閉じたままニコッと笑い、北斗と京馬に応える。そんな先輩方に、僕はつくづく思った。
 この先輩方は性格も容姿もまるで異なるが、それでもやはりこの二人は、疑似二卵性双生児なんだなあ、と。

「じゃあな、嵐丸」
 小声でそう呟き、遊び疲れて眠る嵐丸をそっとなでた。なで方や力加減を間違っても、3Dの嵐丸を起こすことはない。それでもあらん限りの優しさで嵐丸をなで、別れの挨拶をし、僕らはプレハブを後にした。
「眠留、次に会うのは九月四日だな」
 シャワー室へ向かう道すがら、横に並ぶ加藤さんが僕の肩を叩いた。サークルのボケ役を担当するこの二年の先輩は、生来のいじられキャラである僕にとって、特別な親近感を抱かずにはいられない先輩だ。そしてそれは多分、加藤さんにとっても同じなのではないかなと僕は感じている。
「はい、次は九月四日の第一土曜日に来ます。その時は、またよろしくお願いします」
 九月から僕は、土日と祝祭日のみサークルに参加させてもらう身に戻る。そして明日は、週に一度の自由日をサークルに使う日だった。そうつまり、新忍道サークルで汗を流す夏休みは、もう終わってしまったのだ。
「うむ、今のうちにその顔をしておけ。俺らは九月になってもお前とまたこうして時間を共有できるが、掛け持ちしていた二つの部にそれは叶わない。だからお世話になった人達へ、その顔を見せるんじゃないぞ」
 加藤さんの顔が急速にぼやけてゆく。でもぼやけの粒が頬を伝うより速く、僕らはシャワー室に着いた。こうなるようタイミングを計り加藤さんは話しかけてくれたんだろうなあ、という思いを必死で飲み込み、僕は真っ先に裸になって、シャワーの蛇口をひねった。

 湖校新忍道サークルにやって来た変化は、新公式AIだけではない。それ以外にも、幾つかの変化がサークルを訪れていた。その一つが、一年生トリオへの呼びかけ。八月十三日と十四日の連休以降、先輩方は北斗だけでなく、一年生メンバー全員を名前で呼ぶようになったのである。
 連休明けの十五日、練習前の僅かな時間を使い、これからは俺のことを京馬と呼んで頂けませんかと、京馬は先輩方へ頭を下げた。その両隣で半拍置き腰を折った僕ら一年生三人へ、真田さんはさも嬉しげに言った。「京馬、北斗、眠留、有意義な休みを過ごしたようだな」 それ以降、僕ら一年生トリオは皆、先輩方から名前で呼んで貰えるようになったのだ。
 二つ目の変化は、ボス戦の攻略スタイル。僕が鬼王を出雲で倒したあの日以降、北斗と京馬の戦闘スタイルが変わった。以前とは比較にならぬほど、ボスへ近づくようになったのだ。「銃もカートリッジも、標的に近づくほど命中率は上がる。ならば、近づかない手はない」 これを土台とし、先ず僕が接近してボスの気を逸らし、北斗がより接近して更に気を逸らし、最後は京馬が肉迫してとどめを刺すというスタイルを、僕らは確立したのだ。すると先輩方も変わった。先輩方はそれまで、どちらかと言うと理知的な戦闘スタイルを好んでいたが、大胆さを取り入れるようになったのである。それが、嵐丸目当てでやって来ていた見学者達に好評を博した。先輩方の魅せる大胆な近接戦闘も、五十人を超すギャラリーが連日押し寄せるようになった理由の一つなのだ。
 そして最後の変化が、掃除と備品点検を全員でするようになった事。以前は一年生トリオの仕事だったが、今は全員で素早く終わらせるようになっている。「その方が嵐丸と長く遊んでいられるじゃないか」と先輩方は笑って言うが、それがそのままの意味だと誰が信じるだろう。しかしだからこそ、僕ら一年生トリオは先輩方へ、全幅の信頼を寄せるのだった。
「先輩方、お先に失礼します!」
 シャワー室の出口に立ち、僕はいつもどおり先輩方へ腰を折る。「またな」「また今度な」と、先輩方もいつもどおり手を振ってくれる。北斗と京馬も、両手を盛んに振り返している。この挨拶が終わったとたん、このサークルで過ごした僕の夏休みも終わると解っているからこそ、いつもと変わらぬ挨拶を皆と交わす。そして――
 僕はシャワー室を後にした。
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