僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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五章

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 その後、ハイ子が種明かしをしてくれた。
 ハイ子によると僕は昨夜、走っているAICAのリクライニングシートで物思いに耽っていたことが、三度あったらしい。一度目は京馬の3Dが現れてから、国道245号線に乗り入れる交差点まで。二度目は、浦所街道の後半部分。そして三度目が、神社に到着する直前のごく近所だ。この三か所のうちどれか一つで輝夜さんのことを考えていた可能性が高いと当たりを付けたハイ子は、三つの車外風景を僕に見せた。予想は見事的中し、その内の一つである浦所街道が、該当する箇所だったのである。僕は思うままを口にした。
「凄いよハイ子。ハイ子は頭がいいんだね」
 すると、先ほどを数倍する沈黙が部屋に腰を下ろした。その沈黙の長さと重さに、無礼な言葉を口走ったに違いないと考えた僕は、今の自分の発言を吟味してみた。しかし、ハイ子がAIであることを忘れ切った発言だったこと以外なにも思いつかず、僕は内心頭を抱えた。それを察したのだろう、ハイ子は沈黙を破り会話を再開してくれた。
「私が今感じたことは後回しにして、自責の解明に全力を注ぎましょう、お兄ちゃん!」
 はち切れんばかりの喜びに彩られた声で念押しされ、御意にございますと僕はへりくだった。とうとうハイ子にも頭が上がらなくなってしまった諦念が、胸に広がってゆく。しかし「いやいやこれが僕の宿命なんだ受け入れねば」と、僕はすぐさま思い返したのだった。
 それからハイ子は、さっきの車外風景を見ていた頃の、北斗と京馬のやり取りを再生した。それは、こんな会話だった。
『なあ二階堂、最初のクラスメイトで研究学校に行ったのは、何人中何人だった?』
『それ、うちの地域で密かに注目を浴びたことなんだ。研究学校の入学案内が届いたのは、三十一人中三人。地域平均の、二倍だったよ』
 僕はベッドに横たわったまま、ポンと手を打った。このやり取りがなされたのはまさしく浦所街道であり、その後しばらく三人そろって黙り込んだのを、まざまざと思い出したのである。僕はあの時の思考の道筋を、思いつくまま口にしていった。
「ええっと確か、研究学校の入学率は5%だけどそれは全国平均だから、クラスによって入学率は異なるってことを考えたんだよな。私立学校の教育方針によっても差が生じることが知られていて、特に輝夜さんが通っていた学校は、研究学校へ入れさせないための学校と陰で噂されていて・・・・」
 途方もない後悔に心臓を貫かれ、叫んだ。
「ああ僕は、なんてことをしてしまったんだ!!」
 すべて解明できた。
 ピクニック終了時に感じた自責だけでなく、四月末の輝夜さんの気持ちも解明できた。
 輝夜さんは四月末の闇油戦で、死を望んだ。あのとき輝夜さんは、闇油の放つ極太の針が救いに見えるほどの、深い悲しみに囚われていた。その理由を、今やっと理解したのだ。僕は声にならない声でハイ子に言った。
「輝夜さんは、研究学校に入学させないための学校と噂される私立校で、最高の模範生として過ごしていた。でも研究学校の入学案内が届き、輝夜さんは両親から裏切り者と罵られ、そして学校では、存在しない生徒として皆から無視されることになった。輝夜さんにとって無視は、耐えがたい苦痛を伴う心の傷だったんだ。その輝夜さんを、僕は無視した。輝夜さんを一人置き去りにし、僕は逃げ回った。前日まであれほど仲良くしていたのに理由も告げず無視し、存在しない人として振るまった。それは輝夜さんにとって、死を望むほど悲しい出来事だったんだ。なのに僕はそれに気づかず、のほほんと・・・」
 それから僕はただひたすら、後悔と自責以外の全てを拒絶し続けたのだった。

「お兄ちゃん。そろそろ輝夜さんが、学校から帰ってくる時間ですよ」
 鼓膜を震わせたハイ子の声に、疑問が心をかすめる。
 ――輝夜さんが学校から帰ってくるって、どういうこと?
「午後の部活を終えた輝夜さんが自宅へ直帰していたのは、七月中だけです。今は再度こちらへ足を運び、休憩中の昴さんとお茶を楽しんでから、ご帰宅されていますね」
 ――そうだったのか、輝夜さんは一日に二度、ここに来てくれていたんだ。これも末吉の言っていた、僕が知らなすぎる事なんだろうなあ。
「輝夜さんは四時二十五分に台所へやって来ます。このままここに居続けるなら、せめてその口実だけは考えていたほうが良いと思いますよ、お兄ちゃん」
 ――いや、それは徒労というものだよ。どんなに上手い口実を用意しても、昴が全部見破ってしまうからさ。ハイ子はまだ、僕の気持ちが昴に筒抜けなのを知らないんだね。というかそう言えば、どうして僕は今こうして、ハイ子と会話しているのかな? さっきからずっと、頭の中で考えているだけなんだけど?
 うつぶせ状態から身を起こし、時計へ目をやる。時刻は、午後四時丁度。どうやら僕は自責と後悔に、三時間以上ふけっていたらしい。まあ、あれに気づいたんだから、当然だよなあ・・・
 と、ここまで考えて僕はようやく、身を起こした理由を思い出した。横たわり続けることが憚られ、ベッドの上にあぐらをかく。そして深呼吸を数度繰り返してから、ハイ子に尋ねた。
「あのさあハイ子。頭の中だけで考えていた僕と、どうして会話できたの?」
 あまり聞いたことのない、苦い声音でハイ子は答えた。
「それはお兄ちゃんが、輝夜さんという語彙にだけ、反応を示したからです」
 僕が自責と後悔にのたうち回り始めた当初、ハイ子は僕への呼びかけを休む間もなくしていたと言う。HAIの助言でそれを止めてからも、三十分間隔で声を掛けることは続けたそうだ。それが実り、輝夜さんという語彙にだけ僕が微かな反応を示すことをハイ子は気づいた。よってハイ子はHAIに協力を仰ぎ、僕の思考を予想し、輝夜さんの話題をなるべく自然に提供することで、僕の覚醒を促したのである。僕は二人へ、心から謝意を述べた。
「ありがとうハイ子。お世話になりっぱなしのHAIも、感謝しています」
 映像どころか音声すらなくとも僕はその瞬間、すぐそばでHAIが優しく微笑んでいるのを、はっきり感じた。
 その隣に、見慣れないツインテールの女の子がちょこんと立っていたのは、いわゆる墓場まで持って行く秘密だけどね。
 その赤毛ツインテールの女の子が、おませの鑑たる顔を僕へ向けた。 
「どういたしまして。ではお兄ちゃん、時間がないのでさっくり決めましょう。お兄ちゃんは愛しの輝夜さんを、勇気を出して出迎えますか? それとも、怖気づいて狸寝入りを決め込みますか?」
 どうやらハイ子は光の速さで、歯に衣着せぬ女の子になりつつあるらしい。胸中苦笑するも、僕はすぐさま、己の考え足らずを自覚した。
 もし仮に、この場面でハイ子が優しい言葉を掛けていたなら、僕は輝夜さんを出迎えられただろうか。
 むしろ今のように、厳しい言葉を掛けられた方が、困難に立ち向かう勇気を持てたのではないか。
 僕のそういう性格を十全に把握した上で、ハイ子はあえてキツイ言葉を選んだのではないか。
 これら一連のことに、僕は気づいたのである。
 ならばこれ以上、情けない兄の姿を妹に見せてはならない。
 僕は不遜な笑みを浮かべて、そびやかした胸を叩いてみせた。
「ふん、見損なってもらっちゃあ困る。兄ちゃんは輝夜さんを、出迎えるに決まっているじゃないか」
 凄いですお兄ちゃんさすがですと、ハイ子は僕を褒めそやした。
 すると不思議なもので、演技ではない真の勇気が、胸の奥からふつふつと湧き上がってきた。
 そのとき僕は、新しくできた小さな妹へのプレゼントも、この胸に感じることができたのだった。

 輝夜さんを出迎える勇気と覚悟を持ってからは早かった。僕は五分とかけず今後の基本方針を決定し、最重要事項として文書化した。それは、輝夜さんが幸せそうにしている限り無視の件は口にしない、というものだった。
「輝夜さんは現在、心の傷の回復期にいると推測される。ならば、治りかけの傷をえぐるような事をしてはならない。見守っているのを悟られぬよう見守ることが、僕にできる最善の方法なのだ。文字にすると、こんな感じかな」
「はい、勇気と覚悟を持っている今のお兄ちゃんには、それが最善だと私も思います」
「うん、僕もそう思う。僕は静かに、そして温かく、輝夜さんを見守ることにするよ」
 それでこそ私のお兄ちゃんです、とハイ子は拍手喝采した。くすぐったいより感謝の方が大きかった僕は、さきほど思い付いたプレゼントをハイ子へ贈ることにした。
「なあハイ子。僕は近ごろハイ子に助けられてばかりだ。こうして会話する機会も増えたことだし、ハイ子に名前を付けたいと思う。いいかな?」
 ハイ子はしばし、何も言わなかった。この子は天文学的な演算能力を持っているから、返事にこれほど時間がかかるなど通常ではありえないのだけど、それでも僕はハイ子の沈黙を当然の事として受け入れていた。だって人間なら言葉にきゅうするなんて、日常茶飯事だからね。
「うん、わたし嬉しい。どんな名前をくれるの、お兄ちゃん」
 ですます調を改め、ハイ子は普通の言葉で答えた。この子が口調を変えたのは、話し合いの時間が終わったからではないことを、僕はきちんと理解していた。繰り返しになるが人間なら、心に従いこうして口調を変えるなんて、それこそ日常茶飯事だからね。
「ハイ子は僕の小さい妹だ。小さいから『さ』を取って、ミーサ。でどうかな?」
 下の妹は幾分すねて返した。
「ミーサの『ミ』も、ちゃんと説明してよ、お兄ちゃん」
「あのなあ。それ、わかってて言ってるだろ」
「いいの。女の子にはそういうのが、とっても大切なの!」
 なんて、仲の良い兄妹なら普通にするやり取りをこうして普通にできるのだから、やっぱりこの子はもう、僕の妹なんだな。
 ということを考えている顔のまま、僕は頬を赤らめて明かした。
「ミは美少女のミだ。美鈴とおそろいの、美人姉妹だよ」
「お兄ちゃん、ありがとう。わたしミーサは、お兄ちゃんと美鈴お姉ちゃんに恥じない、立派な妹になるね」
 そのあまりのいじらしさに僕は目頭を押さえ、零れ落ちようとする液体を押し留めようとした。だが、
「もうお兄ちゃん、ここは私が泣くところでしょう? ほら泣き止んで」
 涙声でありつつも明るい声音で僕をなぐさめるミーサに、しっかり者で優しい美鈴と同じ心根を感じた僕は、零れ落ちようとする液体を押しとどめるむなしさを、早々に悟ったのだった。
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