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四章
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「高慢な者にとって鎧は防具である以上に、権威の象徴なのだ」
「!」
「?」
言うまでもなく、「!」は二階堂の反応で、「?」は僕の反応だ。毎度毎度のこととはいえ、落ち込むなあ。
盾を手渡された黛さんは、32型画面ほどの大きさの鏡を慎重に持ち、正門の方へ移動してゆく。Bチームと一年生トリオも、黛さんの後に続いた。
黛さんは正門西側に無事辿り着き、がらくたの山に身を潜めた。そして鏡を地面に置き、真田さんから借りた盾を鏡にゆっくり近づけてゆく。すると盾の表面に、輪ゴム形状の吸盤が八つせり上がってきた。この輪ゴムの中心には空気吸引口が設けられており、平らな物をくっつける事ができる。木の板のように小さな穴が開いている物にも鏡面化スプレーを吹きかけることで、吸着可能にしていた。
ある意味新忍道の象徴とも言える、長軸45センチ短軸20センチの細長い楕円形をしたこの盾は、炭素プラスチック製の実物。壁越えの際は背中に背負い、砦内では左腕にAI制御バンドで装着することにしていた。様々な機能を備えるこのAI盾は超頼りになる素晴らしいアイテムだが、軽量であることを最重視しているためバッテリーが小さく、派手な機能は一度しか使えない。僕らは身軽さが信条だから、一度使えればそれで充分だった。
ちなみに輪ゴム型吸盤は実物でも、鏡面化スプレーは3D。また、Aチームメンバーの右腰に収められた、銃身の長い対巨人徹甲銃は、基幹部分だけがチタン合金製で細々とした箇所は3Dで再現されていた。命を預ける銃が3Dで誤魔化されているのは、やはり虚しい。新忍道サークルを正式な部に昇格させ、インハイの上位常連校に育て、予算をガッポリ確保しモンスターごとの専用銃を購入するのが、僕らの目標だった。
東周りで正門にやって来た荒海さんが、櫓の下に着いた。その荒海さんへ、黛さんが何かのデータを送信する。荒海さんは肯定のハンドサインに続き、作戦開始のハンドサインを出した。見学中の六人全員、息を詰め身構える。さあ、ミッション開始だ!
櫓の下にいた荒海さんが、梯子をゆっくり上り始める。といってもそれは3Dで、荒海さんは櫓から少し離れた地表で梯子を上る動作をしているだけ。全日本大会では移動式のリアル櫓とリアル梯子が用意されるそうだが、今の僕らにそんな設備は夢でしかない。荒海さんは眼前に映し出される3D梯子を上ることで、櫓の梯子を3Dとなって上っていた。虚像でも3DGは「音」を忠実に再現するから、梯子を雑に上ると「梯子のきしむ音」がして見張りが目覚めるかもしれない。僕ら六人は固唾をのみ、櫓上部の詰所を目指す荒海さんを見守った。
荒海さんは無事、詰所の床が腰の位置にくるまで梯子を上り切った。そして右胸下部から催眠ボタンを二つ剥がし、盾の所定の位置に張り、左腕を居眠り中の鬼の後頭部へ向けた。この盾の先端には圧搾空気噴出孔が設けられていて、3メートル先の狙った場所へ催眠ガスを届けることができる。ガスが鬼に届いたのだろう、鬼の姿勢が居眠りから熟睡へと変わる。それを見届けた荒海さんは梯子を最後まで上り詰所に足を踏み入れ、盾の先端を鬼の首にあて麻酔針を打ち込んだ。鬼はビクッと痙攣したのち、外科手術並みの麻酔状態に陥る。僕らは六人全員、盛大にガッツポーズしたのだった。
荒海さんが銃でなく麻酔針を用いたのは、「隠密行動が継続可能なうちはそれを継続すべし」という基本に沿う行為だったが、なぜか今回はそれ以外の決定的な理由があると思えてならなかった。そんな僕はきっと、腑に落ちない顔を浮かべていたのだろう。ちらりとこちらへ目を向けた二階堂が、同じ疑問を北斗に尋ねてくれた。
「なあ北斗。仮に銃を使って鬼達が殺到してきたとしても、梯子を上って来る鬼を詰所から狙い撃ちできるし、残りの先輩二人が背後から奇襲をかけることもできるから、麻酔針にこだわる必要はなかったんじゃないか?」
「ああ、そうだな。詰所からの狙い撃ちと後方の先輩二人の奇襲で鬼を三人倒せたとすると、残っているのは鬼二人だけ。よって今までの敵戦力なら、麻酔針にこだわる必要は無かっただろうな」
「今までの敵戦力? ああそうか、今日は鬼王がいたんだったな」
なるほど、心に引っかかっていたのは鬼王だったか、と僕は大満足で頷いた。そんな僕に北斗が問いかける。
「俺らのチームで櫓に上るのは、100%眠留だ。なあ眠留、怒り狂った鬼王が櫓へ突進して来たと仮定しよう。その時、鬼王からどんな攻撃をされるのが、一番怖いか?」
僕はその状況を想像してみた。脳裏の鬼王が建物から出てきた途端、正解が見つかった。
「膂力にひときわ優れる鬼王が、怒りにまかせてあの巨大な金棒を振るったら、櫓の基部は一撃で破壊されるだろう。僕は6メートルの高さから、地面にまっさかさまだね」
北斗は正否を答える代りに、僕に強烈なヘッドロックを噛ましたのだった。
そうこうしているうち、荒海さんが櫓から降り物陰に身を潜めた。入れ替わりに、正門西に隠れていた黛さんが行動を開始する。が、これは間一髪だった。黛さんが正門を出て壁の向こうに隠れた直後、建物からトイレに向かう鬼が一人出てきて正門を一瞥したのだ。上空に、Aチームの先輩方の様子が映し出される。Aチームの先輩方同様、僕の血液中にもアドレナリンが大量放出されているのを、僕ははっきり感じた。
腰に布を巻いた鬼が、トイレのドアを開け中に入った。それに合わせ、真田さんが催眠ボタンを遠隔操作する。約5秒後、ドア下部の隙間から、鬼が床へ崩れ落ちる様子が見て取れた。作戦が成功したのだ。準密室でボタン四つぶんの催眠ガスを吸引したから麻酔は必要ないと判断したのだろう。真田さんは踵を返し、正門へ移動を開始した。
真田さんと並行し、正門の外でもミッションが始まっていた。黛さんが盾のバンドを緩めて外し、正門の巨大な角柱に近づける。すると盾から鏡面化スプレーが八つ噴射し、吸盤より少し大きい八つの染みを形成した。染みはみるみる固まり、八つの鏡面と化す。そこに吸盤を合わせ、盾を柱にしっかり固定した。
すかさず黛さんは身を屈め正門を横切り、腰のバックから壁越え用のロープ取り出し櫓に結ぶ。足を引っ掛ける場所を利用し手早くロープを固定した黛さんは再度正門を横切り、盾のバンドにロープを通した。正門の幅は3メートル半でロープの長さは6メートルだから、ロープが見えないよう地面に垂らすとけっこうギリギリになるが、それでもロープの端をバンドから30センチ出すことに成功した。30センチあれば両手でロープを握り、勢いよく引っ張ることが可能。鬼の足を引っ掛けるトラップを、黛さんは見事作り上げたのだ。しかし僕らはガッツポーズをしなかった。五年生の先輩二人によるミッションが、立て続けに実行されたからである。
真田さんと荒海さんが隠密行動を解除し、全身を堂々と晒して、二人並んで建物へゆっくり近づいてゆく。腰のバックから取り出した七つの撒菱を左手の五指に挟み、右手に対巨人銃を握った先輩方が、建物の出入り口に向かってじわりじわりと歩いてゆく。その時間の進行速度の、なんと遅かったことか。固唾を呑むための唾が一滴もないほどアドレナリンで喉をカラカラにしながら、僕らは二人を見守った。
建物に残り20メートルまで近づいた二人は、強力な麻酔棘を仕込んだ撒菱を、音を立てぬよう慎重に前方へ撒いた。計十四個を撒き終えた二人は、今度は前をむいたまま、ゆっくりゆっくり建物から離れてゆく。そして建物から25メートル離れた場所で地面に伏せ、銃口を建物の出入り口へ向ける。それを合図に、
パシッ
正門の黛さんが小石をパチンコで打ち出した。小石は美しい放物線を描き60メートル先の建物の屋根に当たり、カンカンコロンと屋根から転げ落ちる。5秒後、鬼が一人、面倒くさそうに出入り口に現れた。その鬼へ黛さんが両手を大きく振り、「ここまでおいで、お尻ぺんぺん」をした。お尻ぺんぺんは超定番の挑発行動なのだが、鬼は人間にお尻ぺんぺんをされるのが異常に嫌いらしく、毎回必ず挑発に乗ってくれる。腰布をピラっとめくる真似をしてお尻をぺんぺん叩く黛さんに、まさしく鬼の形相を浮かべた鬼は視野狭窄に陥り、地面に人間が二人伏せていることを忘れて単独突撃に出た。が、
ウギャッ!
麻酔棘のウニと化した撒菱を踏み、5メートルと進めず地面に転倒。その拍子に複数の撒菱を体に食い込ませたのだろう、鬼は「人間だ」と叫んだのち気絶した。その直後、雄叫びをあげ鬼が二人躍り出てきた。その鬼達へ、
ズキューン!
ズキューン!
地に伏せた先輩方が対巨人銃をぶっぱなす。鬼までの距離は20メートルあるも、地に伏せ銃を地面に固定していたことが功を奏し、徹甲弾は鬼の急所へ見事命中。鬼達は地面に崩れ落ちる。そのとたん、真田さんと荒海さんは跳ねるように立ち上がり正門を目指し全力で走り始めた。と同時に、
ウガ――!!
建物を揺らさんばかりの咆哮が轟く。見学者全員、自分達は安全だと知っているのに、本能的な恐怖を覚え体を震わせた。寡黙な菊池裕也さんが叫ぶ。「来るぞ!」
建物の入り口に鬼王が姿を現した。地面に倒れる三人の鬼を目にした鬼王は、大地を震わせ突撃を開始する。人の二倍の速度で鬼王が先輩方を追いかける。30メートル以上あった両者の開きが、あっという間に15メートルを切った。巨人専用徹甲弾でも貫けない分厚い鎧をまとう身の丈3、3メートルの巨大な鬼が、怒りに我を忘れて先輩方を追い詰めてゆく。僕は不覚にも、間に合わないと口走りそうになった。だがその刹那、
ウオ――ッッ!
先輩方が雄叫びを上げ正門を駆け抜ける。それを合図にロープが勢いよく引かれ、AI盾がバンドを最大圧力で締め上げロープを固定。地表60センチに、足絡めのトラップが完成した。そこへ鬼王が全力疾走で突入するや、
ドガガ―――ン!!
正門と櫓を倒れんばかりに揺らし、鬼王は盛大に前へつんのめったのだった。
一瞬の間を置き、Bチームの先輩三人がロープを飛び越え砦の外に出る。先輩方に続いて僕も急いでロープを飛び越えるも、地面に横たわるもう一本のロープを目にしてようやく気づいた。「そういえばこのトラップのロープは3Dだから、飛び越える必要は無かったんじゃないかな?」 だがそんなオバカな想いは、砦の外の光景を目にするなり消し飛んだのだった。
鬼王から間一髪で逃げ切った荒海さんが盾の相殺音壁を発動させ、うつぶせに倒れる鬼王に接近してゆく。半径2メートルの無音球にすっぽり包まれた荒海さんは気づかれることなく鬼王に近づくと、盾先端に取り付けた筒状カートリッジを鬼王の兜へ向けた。
バシャッ
カートリッジから瞬間接着剤が放出され、兜をまんべんなく覆う。見学中であることも忘れ僕を含む六人全員が、拳を空へ突き上げた。「そうか、そういう事だったのか。先輩方、かっこ良すぎです!!」
盾の圧搾空気によって放出された接着剤には、3Dを映し出すナノマシンが無数に混ぜられている。壁や地面に撒くことで様々な3Dを映し出すこの接着剤は敵の陽動に大変役立つ道具だが、モンスターに撒くのを見たのはこれが初めて。生物の体表は常時複雑に動いているので、3Dを映すナノマシンを付着させても、モンスターを欺く高品質の画像にはならないからだ。しかし鋼鉄でできた兜なら、高品質の3Dを浮かび上がらせることができる。どんな3Dなのかは想像できないが、兜に撒くという新発想を目にしただけで、僕は興奮に打ち震えたのだった。
兜に撒くまでの段取りも素晴らしかった。巨人は体重が非常に重いから、転倒させるだけで大ダメージを与えられる。全力疾走中の足絡めトラップに引っかかったのなら尚更だろう。現に鬼王は転倒後、十秒近く気を失っていた。その僅かな隙を狙い、荒海さんは兜に接着剤を付着させた。しかも盾の相殺音壁を併用することで安全性と確実性をより高めたのだから、先輩方はまさしく、かっこ良すぎなのである。
ちなみに盾の派手な機能の一つである相殺音壁は、バッテリーの関係で7秒しか作動しない。そんな貴重な機能を使うべき時にきっちり使うという気っ風の良さも、同じ男として大いに好感が持てた。
接着剤作戦を完遂した荒海さんが安全圏まで離れる。時を移さず、鬼王に意識が戻った。鬼王は頭を振り、身を起こしにかかる。その顔へ、太陽の光が投げかけられた。足絡め作戦を成し遂げた黛さんが鬼王から5メートルほどの距離まで近づき、盾に装着した鏡を操作して、太陽光を鬼王の顔へ反射させているのだ。鬼王は利き腕の右手で太陽光を遮る。金棒を手放してしまったことは、転倒の衝撃で失念しているらしい。大ダメージを受けた体を気づかいつつ光を遮りつつ、鬼王はゆっくり立ち上がった。と同時に、
ギャハハハハ!!
爆笑の大合唱が周囲に響き渡った。黛さんが盾の増幅音壁を作動させ、自分の笑い声を大人数の爆笑に変えているのだ。というか黛さん自身も右手で鬼王を指さし、演技でない笑い声を上げていた。意識の完全覚醒に至っていない鬼王が一瞬、呆けた表情を浮かべる。機を逃さず、黛さんが鏡を鬼王の顔に向けた。そこには、
――白とピンクのイチゴパフェ帽子を頭に乗せる、キラキラくるくるの萌え萌え金髪になった、鬼王の姿が映し出されていた――
ウッ、ウガガッ!!
鬼王は反射的に両手で兜をこする。しかしその程度で、瞬間接着剤を剥がすなどできはしない。鬼王にできたのは、兜をこすって揺らすことでキラキラ金髪を軽やかになびかせ、萌え萌え度合いを高める事だけだった。その様子に、爆笑が一段と大きくなる。だがそこで、鬼王はあることに気づく。金髪は頭皮から生えているのではなく、この忌々しい帽子にくっ付いているだけだと気付いたのだ。鬼王は荒々しく顎のベルトを外し帽子をわしづかみにして、それを地面に叩きつけた。その瞬間、
ズキューン
ズキューン
鬼王の背後で地に伏せこの時を待っていた真田さんと荒海さんが、兜を地面に叩きつけた鬼王の後頭部に、対巨人徹甲弾を二発命中させた。鬼王はビクンと痙攣したのち無数のポリゴンと化す。
そして静かに拡散し、空の彼方へ消えていった。
YOU WIN!
鬼王が立っていた場所に、燦然と輝く3D文字が浮かび上がる。
「「「ウオオ――!!」」」
僕ら九人は先輩後輩も見学中なのも何もかも忘れ、ただひたすらジャンプし抱き合って、戦闘の勝利を喜びあったのだった。
「!」
「?」
言うまでもなく、「!」は二階堂の反応で、「?」は僕の反応だ。毎度毎度のこととはいえ、落ち込むなあ。
盾を手渡された黛さんは、32型画面ほどの大きさの鏡を慎重に持ち、正門の方へ移動してゆく。Bチームと一年生トリオも、黛さんの後に続いた。
黛さんは正門西側に無事辿り着き、がらくたの山に身を潜めた。そして鏡を地面に置き、真田さんから借りた盾を鏡にゆっくり近づけてゆく。すると盾の表面に、輪ゴム形状の吸盤が八つせり上がってきた。この輪ゴムの中心には空気吸引口が設けられており、平らな物をくっつける事ができる。木の板のように小さな穴が開いている物にも鏡面化スプレーを吹きかけることで、吸着可能にしていた。
ある意味新忍道の象徴とも言える、長軸45センチ短軸20センチの細長い楕円形をしたこの盾は、炭素プラスチック製の実物。壁越えの際は背中に背負い、砦内では左腕にAI制御バンドで装着することにしていた。様々な機能を備えるこのAI盾は超頼りになる素晴らしいアイテムだが、軽量であることを最重視しているためバッテリーが小さく、派手な機能は一度しか使えない。僕らは身軽さが信条だから、一度使えればそれで充分だった。
ちなみに輪ゴム型吸盤は実物でも、鏡面化スプレーは3D。また、Aチームメンバーの右腰に収められた、銃身の長い対巨人徹甲銃は、基幹部分だけがチタン合金製で細々とした箇所は3Dで再現されていた。命を預ける銃が3Dで誤魔化されているのは、やはり虚しい。新忍道サークルを正式な部に昇格させ、インハイの上位常連校に育て、予算をガッポリ確保しモンスターごとの専用銃を購入するのが、僕らの目標だった。
東周りで正門にやって来た荒海さんが、櫓の下に着いた。その荒海さんへ、黛さんが何かのデータを送信する。荒海さんは肯定のハンドサインに続き、作戦開始のハンドサインを出した。見学中の六人全員、息を詰め身構える。さあ、ミッション開始だ!
櫓の下にいた荒海さんが、梯子をゆっくり上り始める。といってもそれは3Dで、荒海さんは櫓から少し離れた地表で梯子を上る動作をしているだけ。全日本大会では移動式のリアル櫓とリアル梯子が用意されるそうだが、今の僕らにそんな設備は夢でしかない。荒海さんは眼前に映し出される3D梯子を上ることで、櫓の梯子を3Dとなって上っていた。虚像でも3DGは「音」を忠実に再現するから、梯子を雑に上ると「梯子のきしむ音」がして見張りが目覚めるかもしれない。僕ら六人は固唾をのみ、櫓上部の詰所を目指す荒海さんを見守った。
荒海さんは無事、詰所の床が腰の位置にくるまで梯子を上り切った。そして右胸下部から催眠ボタンを二つ剥がし、盾の所定の位置に張り、左腕を居眠り中の鬼の後頭部へ向けた。この盾の先端には圧搾空気噴出孔が設けられていて、3メートル先の狙った場所へ催眠ガスを届けることができる。ガスが鬼に届いたのだろう、鬼の姿勢が居眠りから熟睡へと変わる。それを見届けた荒海さんは梯子を最後まで上り詰所に足を踏み入れ、盾の先端を鬼の首にあて麻酔針を打ち込んだ。鬼はビクッと痙攣したのち、外科手術並みの麻酔状態に陥る。僕らは六人全員、盛大にガッツポーズしたのだった。
荒海さんが銃でなく麻酔針を用いたのは、「隠密行動が継続可能なうちはそれを継続すべし」という基本に沿う行為だったが、なぜか今回はそれ以外の決定的な理由があると思えてならなかった。そんな僕はきっと、腑に落ちない顔を浮かべていたのだろう。ちらりとこちらへ目を向けた二階堂が、同じ疑問を北斗に尋ねてくれた。
「なあ北斗。仮に銃を使って鬼達が殺到してきたとしても、梯子を上って来る鬼を詰所から狙い撃ちできるし、残りの先輩二人が背後から奇襲をかけることもできるから、麻酔針にこだわる必要はなかったんじゃないか?」
「ああ、そうだな。詰所からの狙い撃ちと後方の先輩二人の奇襲で鬼を三人倒せたとすると、残っているのは鬼二人だけ。よって今までの敵戦力なら、麻酔針にこだわる必要は無かっただろうな」
「今までの敵戦力? ああそうか、今日は鬼王がいたんだったな」
なるほど、心に引っかかっていたのは鬼王だったか、と僕は大満足で頷いた。そんな僕に北斗が問いかける。
「俺らのチームで櫓に上るのは、100%眠留だ。なあ眠留、怒り狂った鬼王が櫓へ突進して来たと仮定しよう。その時、鬼王からどんな攻撃をされるのが、一番怖いか?」
僕はその状況を想像してみた。脳裏の鬼王が建物から出てきた途端、正解が見つかった。
「膂力にひときわ優れる鬼王が、怒りにまかせてあの巨大な金棒を振るったら、櫓の基部は一撃で破壊されるだろう。僕は6メートルの高さから、地面にまっさかさまだね」
北斗は正否を答える代りに、僕に強烈なヘッドロックを噛ましたのだった。
そうこうしているうち、荒海さんが櫓から降り物陰に身を潜めた。入れ替わりに、正門西に隠れていた黛さんが行動を開始する。が、これは間一髪だった。黛さんが正門を出て壁の向こうに隠れた直後、建物からトイレに向かう鬼が一人出てきて正門を一瞥したのだ。上空に、Aチームの先輩方の様子が映し出される。Aチームの先輩方同様、僕の血液中にもアドレナリンが大量放出されているのを、僕ははっきり感じた。
腰に布を巻いた鬼が、トイレのドアを開け中に入った。それに合わせ、真田さんが催眠ボタンを遠隔操作する。約5秒後、ドア下部の隙間から、鬼が床へ崩れ落ちる様子が見て取れた。作戦が成功したのだ。準密室でボタン四つぶんの催眠ガスを吸引したから麻酔は必要ないと判断したのだろう。真田さんは踵を返し、正門へ移動を開始した。
真田さんと並行し、正門の外でもミッションが始まっていた。黛さんが盾のバンドを緩めて外し、正門の巨大な角柱に近づける。すると盾から鏡面化スプレーが八つ噴射し、吸盤より少し大きい八つの染みを形成した。染みはみるみる固まり、八つの鏡面と化す。そこに吸盤を合わせ、盾を柱にしっかり固定した。
すかさず黛さんは身を屈め正門を横切り、腰のバックから壁越え用のロープ取り出し櫓に結ぶ。足を引っ掛ける場所を利用し手早くロープを固定した黛さんは再度正門を横切り、盾のバンドにロープを通した。正門の幅は3メートル半でロープの長さは6メートルだから、ロープが見えないよう地面に垂らすとけっこうギリギリになるが、それでもロープの端をバンドから30センチ出すことに成功した。30センチあれば両手でロープを握り、勢いよく引っ張ることが可能。鬼の足を引っ掛けるトラップを、黛さんは見事作り上げたのだ。しかし僕らはガッツポーズをしなかった。五年生の先輩二人によるミッションが、立て続けに実行されたからである。
真田さんと荒海さんが隠密行動を解除し、全身を堂々と晒して、二人並んで建物へゆっくり近づいてゆく。腰のバックから取り出した七つの撒菱を左手の五指に挟み、右手に対巨人銃を握った先輩方が、建物の出入り口に向かってじわりじわりと歩いてゆく。その時間の進行速度の、なんと遅かったことか。固唾を呑むための唾が一滴もないほどアドレナリンで喉をカラカラにしながら、僕らは二人を見守った。
建物に残り20メートルまで近づいた二人は、強力な麻酔棘を仕込んだ撒菱を、音を立てぬよう慎重に前方へ撒いた。計十四個を撒き終えた二人は、今度は前をむいたまま、ゆっくりゆっくり建物から離れてゆく。そして建物から25メートル離れた場所で地面に伏せ、銃口を建物の出入り口へ向ける。それを合図に、
パシッ
正門の黛さんが小石をパチンコで打ち出した。小石は美しい放物線を描き60メートル先の建物の屋根に当たり、カンカンコロンと屋根から転げ落ちる。5秒後、鬼が一人、面倒くさそうに出入り口に現れた。その鬼へ黛さんが両手を大きく振り、「ここまでおいで、お尻ぺんぺん」をした。お尻ぺんぺんは超定番の挑発行動なのだが、鬼は人間にお尻ぺんぺんをされるのが異常に嫌いらしく、毎回必ず挑発に乗ってくれる。腰布をピラっとめくる真似をしてお尻をぺんぺん叩く黛さんに、まさしく鬼の形相を浮かべた鬼は視野狭窄に陥り、地面に人間が二人伏せていることを忘れて単独突撃に出た。が、
ウギャッ!
麻酔棘のウニと化した撒菱を踏み、5メートルと進めず地面に転倒。その拍子に複数の撒菱を体に食い込ませたのだろう、鬼は「人間だ」と叫んだのち気絶した。その直後、雄叫びをあげ鬼が二人躍り出てきた。その鬼達へ、
ズキューン!
ズキューン!
地に伏せた先輩方が対巨人銃をぶっぱなす。鬼までの距離は20メートルあるも、地に伏せ銃を地面に固定していたことが功を奏し、徹甲弾は鬼の急所へ見事命中。鬼達は地面に崩れ落ちる。そのとたん、真田さんと荒海さんは跳ねるように立ち上がり正門を目指し全力で走り始めた。と同時に、
ウガ――!!
建物を揺らさんばかりの咆哮が轟く。見学者全員、自分達は安全だと知っているのに、本能的な恐怖を覚え体を震わせた。寡黙な菊池裕也さんが叫ぶ。「来るぞ!」
建物の入り口に鬼王が姿を現した。地面に倒れる三人の鬼を目にした鬼王は、大地を震わせ突撃を開始する。人の二倍の速度で鬼王が先輩方を追いかける。30メートル以上あった両者の開きが、あっという間に15メートルを切った。巨人専用徹甲弾でも貫けない分厚い鎧をまとう身の丈3、3メートルの巨大な鬼が、怒りに我を忘れて先輩方を追い詰めてゆく。僕は不覚にも、間に合わないと口走りそうになった。だがその刹那、
ウオ――ッッ!
先輩方が雄叫びを上げ正門を駆け抜ける。それを合図にロープが勢いよく引かれ、AI盾がバンドを最大圧力で締め上げロープを固定。地表60センチに、足絡めのトラップが完成した。そこへ鬼王が全力疾走で突入するや、
ドガガ―――ン!!
正門と櫓を倒れんばかりに揺らし、鬼王は盛大に前へつんのめったのだった。
一瞬の間を置き、Bチームの先輩三人がロープを飛び越え砦の外に出る。先輩方に続いて僕も急いでロープを飛び越えるも、地面に横たわるもう一本のロープを目にしてようやく気づいた。「そういえばこのトラップのロープは3Dだから、飛び越える必要は無かったんじゃないかな?」 だがそんなオバカな想いは、砦の外の光景を目にするなり消し飛んだのだった。
鬼王から間一髪で逃げ切った荒海さんが盾の相殺音壁を発動させ、うつぶせに倒れる鬼王に接近してゆく。半径2メートルの無音球にすっぽり包まれた荒海さんは気づかれることなく鬼王に近づくと、盾先端に取り付けた筒状カートリッジを鬼王の兜へ向けた。
バシャッ
カートリッジから瞬間接着剤が放出され、兜をまんべんなく覆う。見学中であることも忘れ僕を含む六人全員が、拳を空へ突き上げた。「そうか、そういう事だったのか。先輩方、かっこ良すぎです!!」
盾の圧搾空気によって放出された接着剤には、3Dを映し出すナノマシンが無数に混ぜられている。壁や地面に撒くことで様々な3Dを映し出すこの接着剤は敵の陽動に大変役立つ道具だが、モンスターに撒くのを見たのはこれが初めて。生物の体表は常時複雑に動いているので、3Dを映すナノマシンを付着させても、モンスターを欺く高品質の画像にはならないからだ。しかし鋼鉄でできた兜なら、高品質の3Dを浮かび上がらせることができる。どんな3Dなのかは想像できないが、兜に撒くという新発想を目にしただけで、僕は興奮に打ち震えたのだった。
兜に撒くまでの段取りも素晴らしかった。巨人は体重が非常に重いから、転倒させるだけで大ダメージを与えられる。全力疾走中の足絡めトラップに引っかかったのなら尚更だろう。現に鬼王は転倒後、十秒近く気を失っていた。その僅かな隙を狙い、荒海さんは兜に接着剤を付着させた。しかも盾の相殺音壁を併用することで安全性と確実性をより高めたのだから、先輩方はまさしく、かっこ良すぎなのである。
ちなみに盾の派手な機能の一つである相殺音壁は、バッテリーの関係で7秒しか作動しない。そんな貴重な機能を使うべき時にきっちり使うという気っ風の良さも、同じ男として大いに好感が持てた。
接着剤作戦を完遂した荒海さんが安全圏まで離れる。時を移さず、鬼王に意識が戻った。鬼王は頭を振り、身を起こしにかかる。その顔へ、太陽の光が投げかけられた。足絡め作戦を成し遂げた黛さんが鬼王から5メートルほどの距離まで近づき、盾に装着した鏡を操作して、太陽光を鬼王の顔へ反射させているのだ。鬼王は利き腕の右手で太陽光を遮る。金棒を手放してしまったことは、転倒の衝撃で失念しているらしい。大ダメージを受けた体を気づかいつつ光を遮りつつ、鬼王はゆっくり立ち上がった。と同時に、
ギャハハハハ!!
爆笑の大合唱が周囲に響き渡った。黛さんが盾の増幅音壁を作動させ、自分の笑い声を大人数の爆笑に変えているのだ。というか黛さん自身も右手で鬼王を指さし、演技でない笑い声を上げていた。意識の完全覚醒に至っていない鬼王が一瞬、呆けた表情を浮かべる。機を逃さず、黛さんが鏡を鬼王の顔に向けた。そこには、
――白とピンクのイチゴパフェ帽子を頭に乗せる、キラキラくるくるの萌え萌え金髪になった、鬼王の姿が映し出されていた――
ウッ、ウガガッ!!
鬼王は反射的に両手で兜をこする。しかしその程度で、瞬間接着剤を剥がすなどできはしない。鬼王にできたのは、兜をこすって揺らすことでキラキラ金髪を軽やかになびかせ、萌え萌え度合いを高める事だけだった。その様子に、爆笑が一段と大きくなる。だがそこで、鬼王はあることに気づく。金髪は頭皮から生えているのではなく、この忌々しい帽子にくっ付いているだけだと気付いたのだ。鬼王は荒々しく顎のベルトを外し帽子をわしづかみにして、それを地面に叩きつけた。その瞬間、
ズキューン
ズキューン
鬼王の背後で地に伏せこの時を待っていた真田さんと荒海さんが、兜を地面に叩きつけた鬼王の後頭部に、対巨人徹甲弾を二発命中させた。鬼王はビクンと痙攣したのち無数のポリゴンと化す。
そして静かに拡散し、空の彼方へ消えていった。
YOU WIN!
鬼王が立っていた場所に、燦然と輝く3D文字が浮かび上がる。
「「「ウオオ――!!」」」
僕ら九人は先輩後輩も見学中なのも何もかも忘れ、ただひたすらジャンプし抱き合って、戦闘の勝利を喜びあったのだった。
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ランは密かにジュリーの事を憧れていたので、失恋した気分だ。
そう言えば、昨夜、ランの父親も再婚すると言っていた。
まさかとは思ったが、ランはジュリーに結婚相手を聞くと、ランの父親だと判明した。
その夜、改めて父親とジュリーのふたりは結婚すると報告された。
こうしてジュリーとの同居が決まった。
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