僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

文字の大きさ
上 下
106 / 934
四章

2

しおりを挟む
 その三十分後。 
 竹箒で、ザー、ザー、ザー。
 僕は一人、境内を箒掛けしていた。
 魔想討伐のない今日は、普段より三十分遅い午前二時半に起床。裏庭での自主練、入浴、桔梗との訓練、そして浴室の掃除を経て、五時半から境内の箒掛け。これがここ二カ月ほどの、討伐に行かない日の僕の日課だった。
 自主練はストレッチ、坂道ダッシュ、翔刀術のゆっくり基本動作、それを素早くした高速基本動作の、計四つを行っていた。この四つは、その日の体調によって時間配分を変える事にしていた。そうしないとボンヤリ性格に生まれついた僕は、まるっきり同じ訓練を永遠に繰り返してしまうからだ。それを最良とする人もいるだろうが、生来のボンヤリ人である僕が何も考えない自主練を長期間続けるのは、致命的な気がする。そうする事へ、本能的な恐怖を覚えるのである。将来は未定でも少なくとも当面は、今の自分に合う訓練を自発的に考えるよう、僕は自分へ課すことにしていた。
 桔梗との訓練は、失敗続きでも毎回とても楽しい。桔梗の前に僕を教えてくれていた瑠璃との訓練も、その前の蜜柑との訓練も、というか精霊猫との訓練は、いつも非常に楽しく感じる。その理由を以前は想像できなかったが、水晶の話を聴いてからは事情が変わった。もしかしたらそうかなと思っていた通り、精霊猫はもともと、翔猫だったのである。翔猫が代替わりすると、関東猫の総家当主を務めていた大吉へ、三つの選択肢が提示される。一つは引退し、静かに余生を過ごすこと。もう一つは地球の好きな場所へ出かけ、見聞を広めること。そして最後の一つが伊勢総本家で修業し、精霊猫になることだ。といってもこの制度に厳格さは更々なく、のんびり余生と気ままな旅を繰り返したのち精霊猫を目指すなんて翔猫も、とても多いらしい。十二年前に引退した先代大吉もこのクチで、今は旅行八割余生二割のような生活を送っていると言う。それを初めて知った時はどこで余生を送っているのか首を捻ったものだが、半径600メートルの神社の大半を占める鎮守の森は地域の猫達の天国みたいなものだから、楽しく快適に過ごせる場所は沢山あるのだろう。「水晶が眠留と美鈴に精霊猫の秘密を明かしてくれたから、次は御隠居を二人に紹介できるのう」「楽しみですねえ。御隠居さん、いつ帰ってきてくれますかねえ」 祖父母はそんな会話をしながら、先代大吉の帰宅を心待ちにしている。
 ちなみに精霊猫は猫将軍本家と分家以外にもいて、それどころか猫の姿をしていないことも多々あるそうだけど、詳しくは知らない。水晶がそれを教えてくれる日を、僕は楽しみにしている。
 精霊猫との訓練と言えば、僕ら兄妹が道場で精霊猫達と実戦訓練をするのは、魔想を討伐した日だけ。討伐へ出向いたのが僕なら道場は僕が使い、討伐へ出向いたのが美鈴なら道場は美鈴が使う習慣になっていた。討伐が重なった日は、美鈴に道場を使わせる事にしていた。「お兄ちゃんを差し置いてそんなことしたくない」と美鈴は口を尖らせるが、それはこっちのセリフ。凡才の僕が天才美鈴の修業時間を奪うなど、神様が許しても僕が許さないのである。怒る演技をしてくれる妹は、可愛いしね。
 可愛いはさておき、僕は裏庭での自主練が、つまり屋外で翔刀術の基本稽古をするのが、実は大好きだったりする。春は新緑の香りを、夏は燃える命を、秋は豊饒の実りを、そして冬は躍進のための眠りを全身で感じながら、木刀を振る。息づく大地を裸足はだしで踏みしめ、無辺の夜空を頭上に仰ぎつつ、目を閉じ、けど心は開放して、ただ木刀を振る。これだけでも僕は屋外練習が手放しで好きなのだけど、月に一回くらいの割合で、なんとも不思議な感覚がやって来るのだ。ええっと、なんて説明すればいいのかな? 全てのモノを入れる空間という存在が「お~いそこのきみ」と呼びかけてくれるような感覚かな? う~ん、自分でもよくわからないや。
 とまあこんな感じで、台風が来ようが雪が降ろうが、討伐のない日は裏庭で自主練することを僕は望んでいた。けどそれをすると家族や猫達が心配するから、そんな日は第二道場で汗を流していた。第二道場とは、一番大きな離れの事。高い天井と道場用の床を有する広さ五十畳の大離おおはなれは、精霊猫との実戦訓練も楽々こなす実力を備えている。頑丈でありながらも弾力のある木の床に寝転び、屋根の裏側がむき出しになった小屋組み天井をぼんやり眺めるのが好きで、僕は一人の時間をしばしば大離れで過ごしていた。父さんが残して行ったオーディオも、あるしね。
 分厚い木の壁に同軸スピーカーユニットを直接埋め込んだこのオーディオシステムを、父さんは大層気に入っていた。もちろん僕も大好きで、両親の趣味だったクラシック音楽をよくここで聴いている。同じコンサートに偶然足を運んだことが父と母の馴れ初めだったらしいが、出会ったきっかけやコンサートの曲名を尋ねても、二人は照れて教えてくれなかった。両親から除け者にされたようで悲しいやら、でも仲の良い両親を見るのが嬉しいやらでどんな顔をすればいいか分からず、僕はそれを尋ねるたび豆柴と化し床の上を転げまわったものだ。気象庁に勤める父は今、山奥や離島に設置された気象観測施設の保守点検を、一人でする仕事に就いている。いわゆるデスク組だった父にとってそれは畑違いの部署だったが自ら志願し、東京の宿舎から全国を飛び回る日々を送っていた。
「今なら少しだけわかる気がするよ。父さんが、そうするしかなかった気持ちを」
 境内の石畳を掃き清めながら、僕は一人そう呟いたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄ですか。別に構いませんよ

井藤 美樹
恋愛
【第十四回恋愛小説大賞】で激励賞を頂き、書籍化しました!!   一、二巻、絶賛発売中です。電子書籍も。10月8日に一巻の文庫も発売されました。  皆様の応援のおかげです。ありがとうございます。  正直、こんな形ばかりの祝賀会、参加したくはありませんでしたの。  だけど、大隊長が参加出来ないのなら仕方ありませんよね。一応、これでも関係者ですし。それにここ、実は私の実家なのです。  というわけで、まだ未成年ですが、祝賀会に参加致しましょう。渋々ですが。  慣れないコルセットでお腹をギュッと締め付けられ、着慣れないドレスを着せられて、無理矢理参加させられたのに、待っていたは婚約破棄ですか。  それも公衆の面前で。  ましてや破棄理由が冤罪って。ありえませんわ。何のパーティーかご存知なのかしら。  それに、私のことを田舎者とおっしゃいましたよね。二回目ですが、ここ私の実家なんですけど。まぁ、それは構いませんわ。皇女らしくありませんもの。  でもね。  大隊長がいる伯爵家を田舎者と馬鹿にしたことだけは絶対許しませんわ。  そもそも、貴方と婚約なんてしたくはなかったんです。願ったり叶ったりですわ。  本当にいいんですね。分かりました。私は別に構いませんよ。  但し、こちらから破棄させて頂きますわ。宜しいですね。 ★短編から長編に変更します★  書籍に入り切らなかった、ざまぁされた方々のその後は、こちらに載せています。

チートがちと強すぎるが、異世界を満喫できればそれでいい

616號
ファンタジー
 不慮の事故に遭い異世界に転移した主人公アキトは、強さや魔法を思い通り設定できるチートを手に入れた。ダンジョンや迷宮などが数多く存在し、それに加えて異世界からの侵略も日常的にある世界でチートすぎる魔法を次々と編み出して、自由にそして気ままに生きていく冒険物語。

東西妖怪大戦争

ビッグバン
キャラ文芸
西洋化が進んだ現代日本にもその波は押し寄せ西洋の文化も一緒に入ってきた。そうハロウィンである。しかし、入ってきたのは文化だけではなかった。

たまには異能力ファンタジーでもいかがです?

大野原幸雄
ファンタジー
大切な何かを失って、特殊な能力に目覚めたロストマン。 能力を奪う能力を持った男が、様々なロストマンの問題を解決していく異能力ファンタジー。

月華後宮伝

織部ソマリ
キャラ文芸
【10月中旬】5巻発売です!どうぞよろしくー! ◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――? ◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます! ◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~

学園戦記三国志~リュービ、二人の美少女と義兄妹の契りを結び、学園において英雄にならんとす 正史風味~

トベ・イツキ
キャラ文芸
 三国志×学園群像劇!  平凡な少年・リュービは高校に入学する。  彼が入学したのは、一万人もの生徒が通うマンモス校・後漢学園。そして、その生徒会長は絶大な権力を持つという。  しかし、平凡な高校生・リュービには生徒会なんて無縁な話。そう思っていたはずが、ひょんなことから黒髪ロングの清楚系な美女とお団子ヘアーのお転婆な美少女の二人に助けられ、さらには二人が自分の妹になったことから運命は大きく動き出す。  妹になった二人の美少女の後押しを受け、リュービは謀略渦巻く生徒会の選挙戦に巻き込まれていくのであった。  学園を舞台に繰り広げられる新三国志物語ここに開幕!  このお話は、三国志を知らない人も楽しめる。三国志を知ってる人はより楽しめる。そんな作品を目指して書いてます。 今後の予定 第一章 黄巾の乱編 第二章 反トータク連合編 第三章 群雄割拠編 第四章 カント決戦編 第五章 赤壁大戦編 第六章 西校舎攻略編←今ココ 第七章 リュービ会長編 第八章 最終章 作者のtwitterアカウント↓ https://twitter.com/tobeitsuki?t=CzwbDeLBG4X83qNO3Zbijg&s=09 ※このお話は2019年7月8日にサービスを終了したラノゲツクールに同タイトルで掲載していたものを小説版に書き直したものです。 ※この作品は小説家になろう・カクヨムにも公開しています。

異世界帰りの底辺配信者のオッサンが、超人気配信者の美女達を助けたら、セレブ美女たちから大国の諜報機関まであらゆる人々から追われることになる話

kaizi
ファンタジー
※しばらくは毎日(17時)更新します。 ※この小説はカクヨム様、小説家になろう様にも掲載しております。 ※カクヨム週間総合ランキング2位、ジャンル別週間ランキング1位獲得 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 異世界帰りのオッサン冒険者。 二見敬三。 彼は異世界で英雄とまで言われた男であるが、数ヶ月前に現実世界に帰還した。 彼が異世界に行っている間に現実世界にも世界中にダンジョンが出現していた。 彼は、現実世界で生きていくために、ダンジョン配信をはじめるも、その配信は見た目が冴えないオッサンということもあり、全くバズらない。 そんなある日、超人気配信者のS級冒険者パーティを助けたことから、彼の生活は一変する。 S級冒険者の美女たちから迫られて、さらには大国の諜報機関まで彼の存在を危険視する始末……。 オッサンが無自覚に世界中を大騒ぎさせる!?

望月何某の憂鬱(完結)

有住葉月
キャラ文芸
今連載中の夢は職業婦人のスピンオフです。望月が執筆と戦う姿を描く、大正ロマンのお話です。少し、個性派の小説家を遊ばせてみます。

処理中です...