僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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三章

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「小吉姉さんからここへ来るように言われたにゃ。何か用かにゃ」
 後ろから声がかかった。とっさに振り返るとそこに、何をそんなに急いでいるのかにゃ、と不思議そうに首を傾げる末吉がいた。その斜め後ろで微笑む小吉へ手を合わせ、僕は床に正座した。
「末吉、改めて紹介させてくれ。こちらが、白銀輝夜さん。輝夜さんは闇油戦で末吉と一緒に戦ってから、末吉にとても会いたがっていた。あの勇敢な猫くんって、いつも言ってたんだ」
「末吉くん、やっとお会いできました。白銀輝夜です。その節は大変お世話になりました。ご挨拶が遅れて、申し訳ございません」
 三つ指ついて深々と腰を折る輝夜さんへ、末吉は慌てて身を正した。その姿に「おや?」と思う。なあ末吉、お前なんだか、顔が赤くなってないか?
「すっ、末吉ですにゃ。じゃなくて、末吉です、にゃ。じゃなくって、末吉です!」
 テレパシーで一生懸命そう言って、末吉はぺこりと頭を下げた。それが何ともいじらしくて、場が一気に和む。話題はそれから、闇油戦で見せた末吉の勇猛果敢ぶりへ移って行った。
「闇油の注意が眠留くんに移るや否や、末吉くんは私を守るため、うずくまる私の前に立ち闇油に戦闘態勢を取ったの。その後ろ姿の凛々しさに、私は自分を恥じた。そして、奮い立った。私も一緒に戦ってみせる、この誇り高い猫君に恥じない翔人に今すぐ立ち戻るんだって、心を奮い立たせることができたの」
 輝夜さんはその時の様子を興奮して話した。昴と美鈴も大興奮で、輝夜さんの方へ身を乗り出していた。
「私は立ち上がり、薙刀を握り直し戦闘態勢を取った。すると末吉くんが振り返った。その瞳に眠留くんへの絶対的な信頼を感じた私は、私も一緒に戦うという意思を瞳に込めた。末吉くんは、日溜まりのような優しい笑みを浮かべてくれたわ。続いてキリリと顔を引き締め頷くと、まるでロケットのように上空へ駆け上がって行った。その迷いのない姿に全てを悟った私は自分に託された役目を果たすべく、闇油を見下ろす位置へ移動し、いつでも九百圧で飛び出せるよう準備を整えたの。末吉くんの、あの凛々しい後ろ姿を手本にしてね」
「きゃあ末吉かっこ良すぎ。わたし末吉に、ときめいちゃった!」
「輝夜さんの前だからって末吉頑張り過ぎ。でも昴お姉ちゃんの言う通り、末吉かっこ良すぎ!」 
 輝夜さんが明かす末吉の勇者っぷりに、昴と美鈴は末吉を褒めちぎった。末吉は初め「当然のことをしたまでにゃ」なんてすまし顔をしていたが、今はそんな演技を忘れ、照れ照れになりながら盛んに毛繕いをしていた。懸命に照れ隠しをする末吉に、僕はあらん限りの制御力をそそぎ笑いを堪えていた。そこへ、小吉の声が掛かる。
「こら末吉、調子に乗ってはいけません。翔猫に接するのが初めての白銀さんは気づかなかったでしょうが、あなたの全力疾走には重大な欠点があります。末吉、よもや忘れてはいませんよね」
 限界まで引き延ばした極薄ごくうすの厳しさで大きな喜びを包み隠し、小吉は末吉を叱った。末吉は弾かれたように姿勢を正す。
「おいらの全力疾走は、騒がしいです。翔猫としても狩人たる猫としても、合格点はおろか及第点にすら届かないレベルです」
 翔人と翔猫にとって合格点とは、実戦で自由自在に使いこなせるようになる事。そして及第点とは、訓練で使えるようになることだ。僕は戦闘中、末吉の全力疾走を騒がしいと感じたことは無いが、ふと思い出した事があった。僕は何気なくそれを口にした。
「そう言えば体育祭の日の夕方、小吉と末吉が僕を迎えに来てくれた時、僕は初め末吉だけが迎えに来てくれたのだと考えていた。けど視界に飛び込んできたのは、小吉だった。まず小吉が音もなく現れ、次いで末吉が足音を立てて現れた。僕はそんなふうに感じたよ」
 帰りの遅い僕を心配し、きっと末吉はまっしぐらに駆けて来てくれたのだろう。その躍動感ある音にあの時は元気づけられたものだが、ほまれある地上最高の狩人としては、やはり未熟なのかもしれない。僕はそう、感じたのだ。
 しかし未熟者と呼ばれるべきは、僕の方だった。左側に座る娘達から不穏な気配が漂ってきた気がして、何気なくそちらへ顔を向ける。するとそこに、僕を睨みつける六つの瞳があった。それだけでも僕の顔は引き攣ったのに、
「あんたねえ」
「眠留くん!」
「お兄ちゃん!!」
 と畳みかけるが如く叱られ、僕は恐れおののいてしまった。だがすんでの処で体に叩き込んだ翔人の危機管理能力が発動してくれて、パートナーたる末吉に、僕は活路を見いだす事ができた。
「そ、そうだ末吉。全力疾走中の末吉の足音を、機械で正確に計測してみないか。ほら、昔から言うじゃないか。『敵を知り己を知れば、百戦危うからず』ってさ」
 二重の意味で猫背になりしょんぼりしていた末吉が、心もち背筋を伸ばし僕を見上げた。
「足音を計測するのは名案だと思うにゃ。でもそれとその格言は、どう関係するのかにゃ?」
「ええっと、それは・・・」
 もっともらしい格言を意味もわからず引用してその場しのぎを試みた自分を、僕は恥じた。でもそれ以上に、素直な眼差しで僕を見上げる末吉を思慮足らずな発言でしょんぼりさせてしまった自分を、僕は激しく恥じた。ああ僕は、なんて未熟なのだろう。
 そんな僕らに、小吉が助け船を出してくれた。
「敵は、足音の大きさを主観的にしか把握できていない自分。然るにそれを客観的に知ることが、己を知る事となるでしょう。末吉、眠留の提案を、よくぞ名案と看破しました。二人とも、励みなさい」
「「はい、励みます!」」
 僕と末吉は声を揃えて返答した。そしてすぐさま二人で顔を突き合わせ、計測の段取りと日時について話し合いを始める。ふと小吉の、凛々しさと優しさを融合させた声が聞こえた。
「二人は、こういう仲なの。昴、白銀さん、二人を見守ってあげてね」

 足音の計測の段取りが付いてからは、特にこれといったイベントは起こらなかった。ただ、
「眠留くんのお母様にご挨拶できるかな」
 輝夜さんが小声でそう言ってくれたのは嬉しかった。少し待っててねと断りを入れ、僕は自分の部屋の本棚からアルバムを持ってきて、彼女の前に広げた。
「神道では、亡くなった家族は神様になるんだ。母さんは今もここにいるって、僕は考えている。だから皆で、アルバムを見よう」
 輝夜さんは喜んで頷いてくれた。赤ちゃんの僕や幼稚園児の僕が出てくるたびに三人娘が黄色い声を上げるのは、くすぐったくて困った。けど最後に「優しそうなところと、笑い方がそっくりだった」と輝夜さんが言った時は、涙腺が決壊しそうになってしまった。まあ、昴と美鈴が僕の分まで泣いてくれたから、僕は泣かずに済んだけどね。
 午後六時半、祝宴はお開きになった。輝夜さんはAICAで、昴は小吉に付き添われ、家へ帰って行った。
 その日の夜、僕は一人自室で、封印した昴への想いを解放した。
 心の奥底。
 無意識領域という広大なわだつみの、光届かぬ深淵。
 小学三年生の春、その闇の真奥に無理やり封じ込めた想いを、両手で掬い取る。
 そして僕は四年ぶりに、己の人生を呪った。
 
 輝夜さんに恋をした僕が世界で一番好きな人は、輝夜さんだ。
 それは疑いようのない真実として、僕の中にある。
 だが、真実はもう一つあった。
 僕が世界で一番愛している人は、輝夜さんではなかった。
 美鈴や、家族や猫達でもなかった。
 僕が一番愛しているのは幼馴染だった。
 幼稚園入園日から僕を支え続けてくれた、昴だったのだ。
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