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三章
ありがとうの音、1
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それからはトントン拍子に話が進んだ。口火を切ったのは、僕だった。
「体育祭の100メートル予選を終えて準決勝に向かう途中、昴がいつもと違いすぎて天変地異に見舞われた気がしたけど、その理由がやっと解ったよ」
「うん、あの時はごめんね」
昴はそう言って頬を掻いた。そして準決勝のスタートラインに到着してからの胸の内を、柔和な口調で明かしてくれた。
100メートル準決勝のスタート直前、あがり症のもじもじ性格に襲われた僕を立ち直らせた事が、昴自身も立ち直らせた事。それ以降は、体育祭をより楽しく感じた事。そのお蔭で、銀河の妖精に臨む輝夜さんの成功を心から願えた事。そして、こんな自分ならまた好きになってもいいかなと、ちょっぴり思えた事。昴はそれらを、一つ一つ慈しむように話してくれた。僕は床に跪坐し、そんな彼女を仰ぎ見ていた。跪座とは神道の座法で、つま先を立てた正座のこと。「私は私がこの世で一番嫌いになった」と打ち明けた昴のあの狼狽ぶりを思うと、昴から離れ椅子に戻ることがどうしてもできなかった僕は、その場で床に膝を着き、つま先を立てた正座の姿勢になったのである。
「これが俺のドリルだ、の選手選考に、男の子たちはとても手間取ったわよね。でも、私たち女にそれは無かった。なぜだと思う?」
「実はそれ、男子の間でちょっとした話題になったんだ。最初こそ諸説入り乱れていたけど、みんなでワイワイやりたかっただけだったから、すぐ意見が一致したよ。それは、昴が上手くやったんだろうって事。十組の男子は皆、昴に絶対的な信頼を寄せているからさ」
「な、なななっ!」
予想外の返事を聞かされたからか、昴は「な」を連発して椅子から転げ落ちそうになった。長い睫毛を盛んに瞬かせアワアワする彼女に、つくづく思う。誰もが認めるしっかり者のくせにこんな可愛い所もあるから、皆に愛されるんだよな、と。
昴が女の子たちから学年一位の女子と目されていることは、男子にとって周知の事実だった。涙が出るほど有り難いことに、湖校には性格の良い美少女が、それこそゴマンといる。一年生だけでも、百人は軽く超えるはずだ。その中にあってさえ、昴は学年トップ5に入る美少女なのに、薙刀全国大会小学生の部の覇者という称号も有してる。薙刀が隆盛を極めるこの時代、東日本随一の薙刀強豪校である湖校において、この称号の重みは絶大。昴は性格や容姿だけでなく身体能力においても、すこぶる付きに抜きんでた存在なのだ。これだけでも、昴の序列一位はほぼ確定していただろう。しかし神は彼女に、更なる天分を与えていた。それは、料理の才能。彼女は、料理の選択授業を受け持つプロの先生にすら「私より遥かに上」と言わしめるほどの、料理の達人だったのである。ここだけの話、昴は複数の世界的大ヒット冷凍食品の開発者として、平均生涯収入を数倍する財産を既に築いている。会社という名の中間搾取者が消滅しつつある現代社会では、商品に占める会社の取り分が激減したため、価格を下げながらも特許料や著作料を増やすことができた。よって世界中で売れた商品の開発者ともなれば、莫大な収入を得られるようになったのだ。五指に余る世界的ヒット商品を生み出した天川昴のプロフィールは安全上の理由により伏せられていても、専門家育成学校である研究学校の生徒にとって、プロの料理人から大絶賛される料理を一年生にして作り上げる昴は、憧れを通り越し崇拝の対象にすらなっていた。その上、気立ても器量も良い薙刀全国覇者とあっては、序列一位女子でない方がおかしいだろう。そんな昴がいるのだから、体育祭の選手選考ごときはスムーズに決まって当然だよなあと、僕ら男子は満場一致で推測していたのだ。
みたいな感じのことを、恥ずかしさ九割うれしさ一割に身もだえする昴に、僕は話した。
「てな訳で、昴が上手くやったんだろうって十組の野郎どもは推測したんだけど、真相はどうだったの?」
恥ずかしさ九割うれしさ一割に身もだえする幼馴染を眺めていたら、自分へのサド疑惑が浮上して来たので、予定を繰り上げ真相を尋ねてみた。昴を面と向かって褒めたことがあまりない僕としては、名残惜しかったんだけどね。
「うん、眠留だから正直に話すね。私は前期委員長でも体育祭実行委員長でもないのに、選手を決める掲示板でみんな私に話を振ってくるの。その方が話はサクサク進むって経験上知っていたから、私はいつも通り流れに身を任せた。そのことを言っているなら、男の子たちの推測は間違いではないと思う。ただ・・・」
男子と同じく、女子も学内ネットで秘密会合をしばしば開いているのかなと考えつつ、僕は水を向ける。
「ただ?」
「ただ、銀河の妖精の選考に手間取らなかった直接の原因は、他にあるの。それが無かったら、私達もドロドロになっていたと思う。他の組はみんなそうだったって、小耳に挟んだしね」
湖校体育祭きっての花形競技として名高い銀河の妖精は、女の子たちにとって、序列付けの枢要基準の一つなのだろう。他の組はみんなドロドロだったという言葉に、僕は少なくない動揺を覚えた。それが意外だったのか、男の子にはそういうの無いのと、昴は首をかしげて不思議そうにしている。そんな彼女へ、僕は男子の秘密会合をちょっぴり明かした。
「上っ面の序列に流されず、腹の底で対等な付き合いができる男に、男は惚れるんだよ」
我が意を得たりと、昴は身を乗り出し頷いた。
「それ、凄くよくわかるわ。私と輝夜が友達になった理由もまさにそれだし、さっき言った直接の原因も、それだからね」
「前半の友達の部分は理解できるけど、後半がまったく分からないです」
昴は少し俯き目を伏せ、それはそうよねと呟いた。僕は悟る。
慈しむように紡がれた時間は、もう終わりなのだと。
「体育祭の100メートル予選を終えて準決勝に向かう途中、昴がいつもと違いすぎて天変地異に見舞われた気がしたけど、その理由がやっと解ったよ」
「うん、あの時はごめんね」
昴はそう言って頬を掻いた。そして準決勝のスタートラインに到着してからの胸の内を、柔和な口調で明かしてくれた。
100メートル準決勝のスタート直前、あがり症のもじもじ性格に襲われた僕を立ち直らせた事が、昴自身も立ち直らせた事。それ以降は、体育祭をより楽しく感じた事。そのお蔭で、銀河の妖精に臨む輝夜さんの成功を心から願えた事。そして、こんな自分ならまた好きになってもいいかなと、ちょっぴり思えた事。昴はそれらを、一つ一つ慈しむように話してくれた。僕は床に跪坐し、そんな彼女を仰ぎ見ていた。跪座とは神道の座法で、つま先を立てた正座のこと。「私は私がこの世で一番嫌いになった」と打ち明けた昴のあの狼狽ぶりを思うと、昴から離れ椅子に戻ることがどうしてもできなかった僕は、その場で床に膝を着き、つま先を立てた正座の姿勢になったのである。
「これが俺のドリルだ、の選手選考に、男の子たちはとても手間取ったわよね。でも、私たち女にそれは無かった。なぜだと思う?」
「実はそれ、男子の間でちょっとした話題になったんだ。最初こそ諸説入り乱れていたけど、みんなでワイワイやりたかっただけだったから、すぐ意見が一致したよ。それは、昴が上手くやったんだろうって事。十組の男子は皆、昴に絶対的な信頼を寄せているからさ」
「な、なななっ!」
予想外の返事を聞かされたからか、昴は「な」を連発して椅子から転げ落ちそうになった。長い睫毛を盛んに瞬かせアワアワする彼女に、つくづく思う。誰もが認めるしっかり者のくせにこんな可愛い所もあるから、皆に愛されるんだよな、と。
昴が女の子たちから学年一位の女子と目されていることは、男子にとって周知の事実だった。涙が出るほど有り難いことに、湖校には性格の良い美少女が、それこそゴマンといる。一年生だけでも、百人は軽く超えるはずだ。その中にあってさえ、昴は学年トップ5に入る美少女なのに、薙刀全国大会小学生の部の覇者という称号も有してる。薙刀が隆盛を極めるこの時代、東日本随一の薙刀強豪校である湖校において、この称号の重みは絶大。昴は性格や容姿だけでなく身体能力においても、すこぶる付きに抜きんでた存在なのだ。これだけでも、昴の序列一位はほぼ確定していただろう。しかし神は彼女に、更なる天分を与えていた。それは、料理の才能。彼女は、料理の選択授業を受け持つプロの先生にすら「私より遥かに上」と言わしめるほどの、料理の達人だったのである。ここだけの話、昴は複数の世界的大ヒット冷凍食品の開発者として、平均生涯収入を数倍する財産を既に築いている。会社という名の中間搾取者が消滅しつつある現代社会では、商品に占める会社の取り分が激減したため、価格を下げながらも特許料や著作料を増やすことができた。よって世界中で売れた商品の開発者ともなれば、莫大な収入を得られるようになったのだ。五指に余る世界的ヒット商品を生み出した天川昴のプロフィールは安全上の理由により伏せられていても、専門家育成学校である研究学校の生徒にとって、プロの料理人から大絶賛される料理を一年生にして作り上げる昴は、憧れを通り越し崇拝の対象にすらなっていた。その上、気立ても器量も良い薙刀全国覇者とあっては、序列一位女子でない方がおかしいだろう。そんな昴がいるのだから、体育祭の選手選考ごときはスムーズに決まって当然だよなあと、僕ら男子は満場一致で推測していたのだ。
みたいな感じのことを、恥ずかしさ九割うれしさ一割に身もだえする昴に、僕は話した。
「てな訳で、昴が上手くやったんだろうって十組の野郎どもは推測したんだけど、真相はどうだったの?」
恥ずかしさ九割うれしさ一割に身もだえする幼馴染を眺めていたら、自分へのサド疑惑が浮上して来たので、予定を繰り上げ真相を尋ねてみた。昴を面と向かって褒めたことがあまりない僕としては、名残惜しかったんだけどね。
「うん、眠留だから正直に話すね。私は前期委員長でも体育祭実行委員長でもないのに、選手を決める掲示板でみんな私に話を振ってくるの。その方が話はサクサク進むって経験上知っていたから、私はいつも通り流れに身を任せた。そのことを言っているなら、男の子たちの推測は間違いではないと思う。ただ・・・」
男子と同じく、女子も学内ネットで秘密会合をしばしば開いているのかなと考えつつ、僕は水を向ける。
「ただ?」
「ただ、銀河の妖精の選考に手間取らなかった直接の原因は、他にあるの。それが無かったら、私達もドロドロになっていたと思う。他の組はみんなそうだったって、小耳に挟んだしね」
湖校体育祭きっての花形競技として名高い銀河の妖精は、女の子たちにとって、序列付けの枢要基準の一つなのだろう。他の組はみんなドロドロだったという言葉に、僕は少なくない動揺を覚えた。それが意外だったのか、男の子にはそういうの無いのと、昴は首をかしげて不思議そうにしている。そんな彼女へ、僕は男子の秘密会合をちょっぴり明かした。
「上っ面の序列に流されず、腹の底で対等な付き合いができる男に、男は惚れるんだよ」
我が意を得たりと、昴は身を乗り出し頷いた。
「それ、凄くよくわかるわ。私と輝夜が友達になった理由もまさにそれだし、さっき言った直接の原因も、それだからね」
「前半の友達の部分は理解できるけど、後半がまったく分からないです」
昴は少し俯き目を伏せ、それはそうよねと呟いた。僕は悟る。
慈しむように紡がれた時間は、もう終わりなのだと。
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