僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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「あ~、今日もよく戦った」
「そうだにゃ~」
 四月二十六日月曜日、午前四時四十分。戦闘を終え神社に向かいながら、僕は末吉に浮かれて話しかけていた。
「最近、ほんの数分だけど、戦闘が早く終わるようになったよな」
「そうだにゃ~」
「討伐数は増えてるのに早く終わるってことは、僕らがそれなりに慣れてきたってことなんだろな」
「そうだにゃ~」
「刀を振っていると感じるんだ。軸が以前より細くなって体を素早く動かせるようになったって。あと、戦闘と戦闘をつなぐ時間も短くなった。これは末吉のお手柄だね。先の先まで見越して戦闘を組み立ててるんだなって、このごろつくづく思うよ」
「そうだにゃ~」
「っておい、お前さっきから『そうだにゃ~』しか言ってないじゃん。末吉と普通に話せるのはほんの僅かしかないから、ただでさえ寂しく感じてるのに」
 テレパシーを使わず末吉と会話できるのは、戦闘終了から帰宅するまでの十数分しかない。しかも最後のほうは末吉が眠ってしまうから、寂しいことこの上ないのである。
「わかったにゃ、話をするにゃ。眠留は近頃、学校がとても楽しいようだにゃ」
「うん、楽しいよ。友達と一緒に過ごす時間、研究に選択授業に体育祭の練習、楽しくて楽しくて仕方ないくらいだ」
「中吉の姉様あねさまがジジ様とババ様に言ってたにゃ。うちのボンは友達に恵まれている。それだけで、ボンは果報者だとわかる。何も心配することは無いってにゃ」
「照れるなあ。でも、本当にその通りなんだ。さすが中吉、よく解ってらっしゃる」
「でも先日、姉様あねさまは心配そうに言ってたにゃ。うちのボンは友達を見る目だけはあると思っていたが、その上更に、女を見る目まであった。恵まれ過ぎてて、あたしゃかえって心配になってきたってにゃ。眠留、そうなのかにゃ?」
 己のあまりの迂闊さに、空中でズッコケそうになった。御年おんとし三十一歳の黒猫、関東猫社会の内政と外交を一手に握る大長老中吉は、一週間くらいなら平気で人間に化けていられるほぼ妖怪猫であることを、僕は忘れていたのである。とはいえ時間は巻き戻せないので、とにもかくにもここは誤魔化して、末吉の追求をかわそうと思った。
「いやあ、何のことやら僕にはさっぱりわからないよ。それはそうと末吉、そろそろ眠いんじゃない。ほら遠慮せず、僕の頭に乗りなよ」
「そんなのでオイラを誤魔化せるわけないのにゃ。眠留、白状するにゃ~~」
「うわっ、末吉こらやめろ、うひゃ~~」
 末吉の猫パンチと猫キックの連打から逃げまくる、僕だった。
 
 末吉に追いまわされ、やっと部屋にたどり着いた。気を静め姿勢を正し、翔刀猫丸を小太刀と重ね合わせ、目を閉じ一礼する。薄目を明けこっそり目を向けると、末吉も僕の隣で神妙に一礼していた。このちゃっかり者めと思いつつも、その可愛らしい姿に何も言えなくなってしまう。「お休み」「またにゃ」と挨拶を交わし、僕らは肉体へ戻っていった。
 肉体に戻り、一分ほどゆっくり呼吸する。心が三次元世界に馴染んだのを確認し、起き上がる。HAIが、薄明うすあかりを付けてくれた。
 冷暖房機能付きの猫用座布団の上でスヤスヤ眠る末吉を起こさぬよう、音を立てず胴着と袴を身につける。身だしなみを整え、小太刀猫丸に再度一礼。左手に猫丸を握り、僕は部屋を後にした。
 台所のお勝手から裏庭へ出て、簡単な準備運動をしながら、山の頂上の道場へ向かう。道場に入り、床に正座。黙想を一分間して立ち上がる。鞘を壁に掛け、抜き身の刀を中段に構える。呼吸を整え、僕は朝の訓練を始めた。
 中段から上段へ、刀をゆっくり持ち上げる。左足を一歩前へ踏み出しつつ、刀を真下へゆっくり振り下ろす。この動作に要した時間、三十秒。
 右足を左足に引きよせ刀を左下へ移動し、今度は右足で一歩踏み出しつつ刀を右上へ切り上げる。この動作に要した時間も、同じく三十秒。
 左足を少し引き寄せ腰を決め、刀を左下へ切り下げる。これにも三十秒かける。体の全筋肉と全関節を余すところなく連動させ、左右の足を交互に使いながら、僕はゆっくり正確に刃筋はすじを通してゆく。この動作に呼吸を合わせると生命力が急速回復するため、ことさら真剣になる。十分後、満足のいくレベルで一回目が終了した。
 続く二回目は目を閉じ、肉体ではなく翔体をイメージして刀を振る。翔体に先導され肉体も動くよう、イメージするのだ。二回目もピッタリ十分で終えた僕は、目を閉じたまま刀を中段に構えて待った。緊張に、汗が頬を伝う。
 ほどなく、道場中央に光の風が巻き起る。そして空中に、光り輝く十二匹の精霊猫が出現した。自分に喝を入れる。
 ――さあ、ここからだ! 
 僕は体の周囲に感覚拡大領域、略して感覚体を展開し、精霊猫の攻撃に備えた。
 七色七匹の精霊猫が進みでて僕を取り囲み、三種類の意識の固まりを放つ。僕は感覚体でそれらを察知し、斬り、突き、打つ。意識の固まりは次第にその速度を上げていき、四分後、秒速150メートルを超える。と同時に七匹が攻撃を中断し、代わりに銀、金、黒、白の精霊猫が進み出で、超音速の鞭状攻撃を開始する。僕は生命力の消費量を十六倍に圧縮し、意識速度と神経伝達速度を四倍に上げ、それに対抗する。五十秒後、最後に残った水晶の精霊猫が進み出て、十一匹の精霊猫に命じた。
「全力攻撃開始!」 
 僕は生命力消費量を百倍に圧縮し意識速度と神経伝達速度を十倍に上げ、十一匹の精霊猫による超音速鞭の攻撃を、十秒間凌ぎきったのだった。

 訓練が終わり、精霊猫たちへ一礼する。刀を鞘に収め道場を出るなり、僕はその場に崩れ落ちた。赤の精霊猫の「夕焼け」が、僕の代わりに神通力で道場を清めてくれている。中級翔人になればさほど疲れなくなり、訓練後清掃も自分でするようになるらしいが、果たして僕にそんな日がやって来るのだろうか。はなはだ疑問だ。うめきながら立ち上がり、夕焼けに謝意を示して、僕は離れの風呂を目指した。
 体を洗い、猫将軍家秘伝の薬湯に顎まで浸かる。血行が促進され、毛細血管に血液が染み込んでいくのが手に取るように感じられる。薬湯から出て髪を洗い、今度は水風呂に浸かる。白に金色を混ぜたような光を放つこの水風呂は、精霊猫が生命力を吹き込んだ特別な水風呂で、体に生気がみるみる戻ってくる。と同時に、激しい睡魔に襲われる。ふらふらになりながら風呂場から出て体を拭き、裸のまま自室へ戻りそのままベッドに倒れ込む。ブチッと音がするかのように意識が途切れ、僕は夢のない眠りへ落ちていった。
     
 電気ショックで起こされ朝ご飯を食べ、学校へ向かった。教室に入ると、今日もお隣さんが先にやって来ていた。
「おはよう、白銀さん」
「おはよう、猫将軍くん」
 毎朝恒例の挨拶を、お隣さんと交わす。清々しい香りと朝日にとけこむ笑顔のお陰で、僕は今日も元気百倍だ。冗談抜きで、訓練の疲れがきれいさっぱり吹き飛んで行くのだから不思議で仕方ない。ニヤリと笑う中吉が心に浮かんで来たが、それもきれいに吹き飛ばしてやった。
「前期委員の仕事には、もう慣れた?」
「うん、慣れてきたかな。時間配分のコツがつかめてきたから、今週は先週ほど疲れないと思う」
 教師のいない湖校において、前期委員の責務は重い。学内ネットに寄せられる様々な相談事や悩み事の調査、審議、解決を一手に担うのが、前期委員の仕事だからだ。
 湖校の学内ネットには匿名の公開掲示板と匿名の非公開掲示板の二つが設けられており、日々多くの書き込みがなされている。その中から重要と思われるものを委員各自が選び、専用掲示板で土日に大まかな話し合いをし、月曜の昼休みに会議を開く。会議は教室棟に隣接する会議棟で昼食を摂りながら行われ、調査の要不要と調査手順を決定する。それに基づき、委員は早期解決を目指し活動してゆく。複数クラスにまたがる問題もしばしば発生し、その際は代表委員による会議が開かれるため、代表委員は昼休みの憩いを諦めねばならないと言われていた。ちなみに僕らのクラスの代表委員は、全員一致で北斗に決まったそうだ。一緒に過ごす時間が減ってつまらないのは事実だけど、水を得た魚のように活躍する北斗を見るのが、僕は嬉しかった。
 湖校生は皆、前期委員、後期委員、体育祭実行委員、文化祭実行委員、クリスマス会実行委員、そしてプレゼン大会実行委員のうち、一つ以上を年度中に経験しなければならない。この決まりが部活動を妨げぬよう考案されたのが、昼食を摂りながらする会議、いわゆるパワーランチだ。パワーランチは確かに助かると好評だが、それでも委員活動と部活動の両立は大変らしく、委員多忙時は疲れ顔の部員が多数発生するのが湖校の風物詩となっていた。薙刀部の白銀さんも先週は疲れ気味で、僕は大いに気をもんだ。昼休み後半から掃除を始めて、白銀さんがやってくる前に彼女の清掃場所も終わらせておく事くらいしか僕にはできなかったけど、それでも白銀さんは凄い凄いととても喜んでくれた。そんな彼女を目にするたび、僕は心の中で自分の席に手を合わせた。あの席は僕と彼女を、いつも隣り合う清掃場所にしてくれるからだ。そのかけがえのないお隣さんがHR前のひととき、委員関係の話題の流れで何気なく言った。
「先週後半の一番忙しいとき、北斗君が私に言ってくれたの。猫将軍くんは頼りになる男だから、どんどん頼りなよって。私はすぐ・・・・ええっと」
 女の子との会話に不慣れな僕は、何かを言いよどむ白銀さんへの気遣いを忘れ、どうしたのと尋ねた。すると彼女は頬を赤く染め、先を続けた。
「私はすぐ北斗君に言ったの。そんなの、もうとっくに知っているよって」
 僕は不覚にも、口を開けたまま固まってしまった。彼女も肩をすぼめ身を硬くして、恥ずかしそうに俯いている。どうしたら良いかわからずパニックになる僕に、HR開始を告げるチャイムが届いた。
 白銀さんとの会話を中断させるこの苦々しいチャイムを、今日僕は初めて、ありがたいと思ったのだった。
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