僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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「ええっ、白銀さんそんなに強かったの!」
 今僕は湖校入学以来、もしかしたら一番驚いているかもしれない。〔収束する未来〕を操る昴と互角に渡り合う同級生がいるなんて、考えたことも無かったからだ。
「えっと、うん、勝率が五分五分なのは、昴の言う通りかな」
 いつも かすかに感じている彼女の哀しげな気配がほんの少し強まった気がして、僕は努めて明るく振る舞った。
「それ凄いことだよ。昴の試合を僕はこれまで沢山見てきたけど、どう戦えば昴と拮抗した戦いになるのか、僕には想像することさえできないからね」
 これは僕の本音だ。収束する未来を抜きにしても、流麗な足裁きと精密な軸運動で薙刀を変幻自在に使いこなす昴に、僕は勝てる気がしない。たとえ僕が翔人の技を繰り出したとしても、薙刀の間合いを突破し刀の間合いに持ち込むことは至難となるだろう。鎌倉時代から数えてもたった三人しかいない二刀翔人の美鈴ならあるいは何とかなるかというレベルの、昴は正真正銘の天才なのだ。その昴と互角に戦う同学年選手の試合なら、お金を払っても見てみたい。しかもそれが白銀さんなら、僕は全財産を差し出しても悔いはまったく無いのだった。
「輝夜の凄さを端的に言うなら、全てを断ち切る圧倒的なスピードでしょうね」
「ちょっと昴、やめて~」
 白銀さんは昴の口を慌てて塞ごうとしたが、昴が自分のことのように嬉しげに話すので、熟慮の結果、僕は翔人としての興味を優先させる事にした。白銀さんごめんなさい。
「初めは魔法か幻術の類かと思ったくらいだった。だって気づいたら、輝夜が目の前に迫っているのよ。先の先まで読んでも、認識不可能なほど素早く動く相手には通用しないんだって、私はあなたから教えてもらったの。ありがとう、輝夜」
 その真心のこもった感謝の言葉に、白銀さんは引き続き恥ずかしそうにしつつも、首を懸命に横へ振った。
「とんでもないわ。スピードに頼りすぎて袋小路に迷い込んでいた私を救ってくれたのは、昴の先読みよ。あなたとの試合で私がそれをどれほど学べたか、私がどれほどあなたに感謝しているか、言葉では到底説明できない。ああ昴、私どうしたらいいんだろう」
「じゃあ六年間競い合うってのはどう?」「望むところよと言いたいけど全然物足りないわね」「じゃあどうしようか」「インターハイの個人戦決勝を三年連続二人で戦うってのはどうかしら」「輝夜は意外と強欲だったのね」「目標が高いだけよ」「それを言うなら皇后杯を二人で独占してみない」「昴それ最高!」
 おしゃべりに夢中の乙女二人にほのぼのしつつも、煮えたぎる翔人の血が僕を通常の何倍も大胆にした。僕は果敢に二人の会話へ乱入する。見よ、僕の雄姿を!
「あのう、お二人の仲がよろしいのは僕の無上の喜びではありますが、白銀さんのスピードについて、そろそろ教えて頂けませんか」
 二人の前では僕の雄姿など、こんなものなのである。それでも二人は「話していい?」「うんいいよ」と軽やかにやり取りしてから、スピードの秘密を教えてくれた。
「踏み込みは普通、後ろ脚だけでするものなのだけど、輝夜は両脚を同時に使って踏み込んで来る。両脚だから凄まじいスピードでもアキレス腱の負担が少ない。負担が少ないから 無理なく多用できる。しかも輝夜はそれを、相手の瞬きに合わせて使う。神業、として差し支えないと私は思う」
「なっ!」
 僕は二重に言葉を失った。一つは、白銀さんにそれができるから。そしてもう一つは、翔人の技にそれと同種のものがあったからだ。
 遙か平安の世、物質化した魔物を武士が退治していた時代、重い甲冑を まとい魔物と戦うことを強いられていた御先祖様の幾人かが、両足の幅を終始変えず戦う技を身に付けていたと古文書に記されている。素早く、疲れず、そして脚を壊さず、と説明されたそれは、僕が座学で教わったものより白銀さんのそれに似ていた。彼女はなんと、失われた翔人の技術を体得しているかもしれないのである。それを思うと白銀さんの両脚踏み込みに翔人の血が煮えたぎるのを、僕は抑えることができなかった。
「凄い、凄いよ白銀さん。白銀さんの試合を是非見てみたい。大会に行けばいいのかな、一番近い大会はいつかな!」
「ふえっ、あのえっと、ごめんなさい。わたし大会のことは詳しく知らなくて」
 白銀さんは済まなそうに笑った。大会を詳しく知らないってどういう事かな、と血を騒がせつつ首を傾げていると、僕が墓穴を掘る前に昴が助け船を出してくれた。
「私達の公式初試合は、九月の一年生大会ね。そうそう、一年生大会で私は個人戦もエントリーするつもりだけど、輝夜もエントリーする?」
「うん、エントリーするつもり。ううん、つもりじゃなくて、絶対出てみたいの。わたし今まで、大会に出たこと無かったから」
 その時、囚われの姫君に似た彼女の哀しげな雰囲気が、一層強まった気がした。いつもの僕ならそれを見逃さず、別の反応ができたかもしれない。しかし翔人の血が騒いでいた僕は無意識に、疑問をそのまま口にしていた。
「白銀さんはそんなに強いのに、大会に一度も出たことがないの?」
「うん、一度も出たこと無い。家の事情で、大会に出る許可を親からもらえなかったの。だから私、今は家を出て、母方の祖父母の家から湖校に通っているんだ」
 顔で笑って心で泣いて。そのお手本のような笑顔で、彼女は僕の問いに答えてくれた。僕は自分の無神経さに気づき謝ろうとするも、彼女は首を横にゆっくり振り、深く澄んだ湖のような笑みを浮かべた。
「猫将軍くん謝らないで。告白すると、私さっきとっても嬉しかったの」
「さっき?」 
 絞り出したかすれ声で訊いた僕に、
「うんさっき」 
 彼女は恥ずかしげに答えた。
「私はお姫様でも何でもない。けど、森の奥深くに閉じ込められていたってところは、当たらずとも遠からずだったと思う。大会に出られなかったこと以外にも、同意できない家訓や制約が私には沢山あったから。雁字搦がんじがらめに、少し足りないくらいにね」
 彼女は無理に笑って言葉を切った。しかしその無理は続かず、彼女は全身を硬くして話を続けた。
「でもそれを、私は誰にも言えなかった。誰かに打ち明けたかったのに、誰にも打ち明けられなかった。家族にも何も言えず、私はただ、家から逃げ出すことしかできなかったの」
 同じ椅子を分け合って座る昴が、勇気づけるように彼女の両手を包んだ。白銀さんの強ばりが、少しずつ和らいでいく。ありがとうと彼女は昴に頷き、柔らかさの戻ったかんばせを僕に向けた。
「猫将軍くんのさっきの話、とっても嬉しかったよ。どうしても言葉にできなかったこの気持ちを、猫将軍くんが感じ取ってくれた。そして私を、後押ししてくれている。猫将軍くんの話を聴きながら、私はそう感じていたの。でも、そう思ったら急に涙が出てきて、慌てて顔を隠しちゃった」
「あら、輝夜はあの時、恥ずかしがっていたんじゃなかったのね。わたし、お邪魔しちゃったかしら」
 悪戯っぽく問いかける昴に、白銀さんは大真面目で答えた。
「ううん、嬉しかったのと同じくらい恥ずかしくもあったの。だって猫将軍くん、命をかけて助け出すなんて言うんだもん。私あんなこと、今まで一度も言われたこと無かったから。しかも、男の子になんて」
 白銀さんは胸に両手を添え白磁の頬を上気させた。すると昴が僕に向かって口だけ動かし「あんた責任取りなさいよ」と言った。反射的に頷いたけど、改めて男の責任について考えたら白い教会とライスシャワーが浮かんできて、僕は顔が爆発しそうになった。そんな僕に、昴がプッと噴き出す。だがその後、昴はいつになく真剣な表情を浮かべた。
「輝夜、眠留はヘタレだけど、決める時はビシッと決める男なの。なにか頼みたいことがあるなら、頼んでみれば」
 白銀さんは昴を数秒見つめたのち、くっきり頷き体を僕に向けた。
「猫将軍くん、お願いがあります」
「は、はいなんでしょう。ぼ、僕で良ければ喜んで!」
 目の端で昴が口を両手で押さえ悶絶せんばかりに笑っていたが、大事の前の小事、僕は昴を無視することにした。今はそれどころでは無いのである。
「私が家から逃げてきた事、家訓や制約にどうしても納得できなかった事、打ち明けたくても打ち明けられなかった事を、私は今日初めて打ち明けることができました。だから、だからええっと」
 どうやら僕はとんだ勘違いをしていたらしい。白銀さんはただ、今日の記念が欲しかっただけなのである。こりゃ昴が大笑いしても仕方ないなと心の中で肩を落としたが、それでも僕は勘違いしていたあの想いを、本質を変えず表現だけ変えて白銀さんに伝えた。
「白銀さん、打ち明けられなかった事を打ち明けることができて、おめでとう。そして白銀さん、打ち明けられなかった事を僕に打ち明けてくれて、ありがとう。打ち明けてもらえたこの嬉しさを胸に、僕はもっと、打ち明けられる男を目指して生きて行きます」
「ありがとう猫将軍くん。猫将軍くんなら、目指す自分にきっとなれる。わたし、ずっと見ているからね」
 白銀さんは、一生に関わる大切な何かを受諾したような笑顔で僕の言葉に応えてくれた。
「命をかけて救い出すと豪語した男の初仕事としては、合格ってところかな」
 眠留にしては良くできましたと褒める昴に、僕と白銀さんは揃って、顔を赤く染めたのだった。
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