僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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「ほへ~~~」
 川越の名物菓子として名高い紫芋羊羹をほおばり、昴は至福の表情を浮かべた。小吉も皿に盛った鰹節を、にゃごにゃご言いながら美味しそうに食べている。僕はテーブルに頬杖を突き、こんな日曜の午後を過ごせるなんて幸せだなあ、とぼんやり考えていた。
 そんな僕の膝を、小吉が前足でちょんちょんつつく。にっこり笑い頷くと、小吉は僕の膝に飛び乗り丸くなった。自分の重みで昴の脚が痛くならぬよう、小吉は配慮したのだ。それを理解しつつも、昴は少し寂しげな顔をした。また来ればいいさと口にせず、僕は昴の湯飲みにお茶を注ぐ。また今度ねと小吉に囁き、昴は両手を添えてお茶を飲む。そして僕らは、会話を再開した。
「さっき私は、人は未来の自分から助けてもらっているのではないか、と言った。それがその前の、薙刀と関わる大筋の道を心の奥底で感じ取っている、につながるのね。未来の自分から助けてもらう事については未知の部分が多すぎて、眠留に話すのさえまだ恥ずかしいくらいなの。でもそう考えると、様々な疑問に私なりの答が出る。新年の師範の言葉や、おじいちゃん神主の眠留や、私達がなぜ」
 ここで昴は唐突に「しまったっ」という顔をして、慌てて口をつぐんだ。なんとなく、頬を赤く染め目を潤ませているようだ。そんな彼女に、
「僕達がなぜ?」
 僕は無意識に聞き返した。すると心の奥底で、誰かが僕の馬鹿っぷりに涙を流している気がした。それが不思議で首を傾げる僕に何を勘違いしたのか、昴は顔を真っ赤にして「何でもない、何でもないから忘れて」と大慌てになった。訳が分からず呆ける僕を、
 ――とにかく忘れなさい!
 小吉がテレパシーできつく叱った。小吉にこれほど叱られたのは何年ぶりだろうと落ち込んでいると、膝の上に立ちあがった小吉から、
 ――落ちこむ暇があったら話題を変えなさい!!
 とうとう怒鳴られてしまった。僕は残念脳味噌をフル回転して話題を変えた。
「そっ、そうだよな。うん、きっとそうだ。昴の言うとおり、人は未来の自分から助けてもらえるんだと思うよ。『大筋の道を心の奥底で感じ取る』も、未来の自分からの手助けなんだろうね。『カンニングになるから全ては教えないけど、関わる期間はこれくらいだから、そのあいだは精一杯やりなさい』みたいな感じかな。でもそれと、じいちゃんとばあちゃんが僕を良い後継者だと考えていることは、どうつながるのだろう?」
 話題を変えたつもりが話しているうち、昴の仮説が正しく思えてならなくなって行った。しかしそれと後継者を関連づけることが、あと一歩のところでどうしてもできない。それでも低スペック頭脳を振りしぼって考える僕を、労わってくれたのだと思う。落ち着きを取り戻した昴は、なだめるように種明かしをしてくれた。
「ごめんね、単純すぎてかえって見過ごしているのだと思う。今の私達には理解できなくても未来の私達には理解可能なことがあるように、今の眠留には理解できなくても、おじいちゃんとおばあちゃんには自明なことがきっとあると思うの。人間性豊かで人生経験豊富なお二人には、今の眠留に見えないことが、はっきり見えている。僕は神職に向いていないと落ち込む誰かさんの中に、神職としての素晴らしい資質を、お二人はちゃんと見付けている。私には、そう感じられるのよ」
 言われてみれば単純で、一周してもとに戻っただけな気もするけど、そのとき僕は、それがとても新鮮な見解に思えた。その不思議な感覚を率直に話すと、昴は「多分それはね」と再度種明かしをしてくれた。そしてそれこそが、昴の真骨頂だったのである。
「多分それは、私が未来を基準に考えたからだと思う」

「未来を基準に考える?」
「そう、過去の自分ではなく、今の自分でもなく、未来の自分を基準にして考えるの」
「そんなこと僕にできるのかな? 薙刀の試合で詰め将棋のように相手を倒す昴にはできても、僕には無理なんじゃない?」
 そうねえ、と昴は顔を傾げ、白魚の指を口元にあてがう。
 その見慣れているはずの煌めく唇に心臓が跳ね上がり、僕は慌てて目を逸らした。
 今日の僕は変だどうかしていると思う反面、これこそが遥か昔から続く、二人の本来の関係とも胸の奥深くで感じられた。それはまるで、僕という存在を形作る土台の一つのように、僕を常に支えてくれているのだった。
「うん。眠留、目を閉じてみて」
「了解」
 言われるまま目を閉じる。
 そしてほんの少し、苦い思いをした。
 やはり昴は僕よりも、僕の親友に似ていた。それが、切々と感じられたのだ。
 ただそれでも、ほんの少しの苦さ以外は丸ごと嬉しく感じている自分が、僕は心地よかった。北斗と昴が幸せなら、それだけで僕は幸せなのである。自然と頬がほころんでゆく僕へ、昴が優しく語りかけた。
「想像してみて。眠留は湖校で六年間、一生懸命生きた。失敗もあった。脱線もあった。意見の齟齬から皆と対立したこともあれば、理解されず一人泣いたこともあった。でもそれを補って余りある素晴らしい出来事が、眠留には沢山あった。そんな充実した六年間を、眠留は過ごしたの」
 僕は無言で頷いた。
「今日は湖校の卒業式。人生経験を沢山積んだ眠留は、見違えるほど立派な男性になったわ。そんな頼りがいのある眠留を見て、私は言うの。まったく、なんでもっと早くこうなってくれなかったのかしらって。眠留はそれに笑って答える。僕は亀だ、それが僕なんだって。えへへ、少し脱線しちゃったな」
 膝の上で心配そうに僕を見上げる小吉へ、テレパシーで告げた。
 ――大丈夫、僕はそこまでバカじゃない、今は目を閉じておくよ。
 僕は指で小吉の首もとを掻く。小吉は僕の指をペロっとなめて膝から降り、昴に駆け寄って行った。
「小吉ありがとう」
「にゃあ」
「今度なにか持ってくるね」
「うにゃ」
「手ぶらですぐ来るからまた遊ぼうね」
「にゃあ」
「小吉はいつも優しいのね」
「にゃあ」
「えへへ・・・」
 小吉が場を持たせてくれたお陰で、僕らは平静を取り戻した。昴は、いつもの張りのある声で先を続けた。
「見違えるほどに立派になった眠留は卒業式の日、神社の跡継ぎについてもう一度考えるの。その眠留の考えと、今の眠留の考え。同じだと思う?」
「いや、同じだなんて思わない。僕は今よりずっと、確かな手応えでそれを考えることができるだろう」
 その自分を想像しただけで、なぜか僕は胸を張ることができた。
「うん、私もそう思う。具体的にどう考えるかは想像できなくても、その日の眠留はきっと、今とは比較にならないほど深く広い視野でそれを考えられるはず。だから私は思うの。今の私達に大きすぎる問題は、もっと成長してから考えてもいいんじゃないかなって。おじいちゃんとおばあちゃんはとてもお若いから、六年後も今と変わらず元気でいらっしゃるわ。跡継ぎの話は、六年後でも充分間に合う話なのよ。なら、まだまだ子供な私達が今すべきことは、少しでも成長して、よりよい判断を下せるようになる事。私は、そんなふうに考えているの」
「なるほどなあ。さっきの話も今の話もある意味月並みな話だけど、昴が言うと、僕には全く違う話に聞こえるよ。それはきっと昴が、未来を基準に話しているからなんだろうね。薙刀の師範の話も、過去の大勢のお弟子さん達を振り返って気づいた事だとすれば、過去のお弟子さん達は未来の師範からそう言われたってことになるから、それはつまり・・・あれ? なんだか、時間感覚がごちゃ混ぜになった気がするんだけど?」
 昴はアハハと笑った。そして「過去と未来が入れ替わった感じじゃない」と言った。その声の明るさに誘われ、僕は目を開けた。声に明るさは戻っても、まだ目元をほんのり赤く染めている昴がいた。僕も、まったく同じ状態なのだろう。ならば今は僕が、昴を守るのだ。気恥ずかしさをかなぐり捨て僕はオーバージェスチャーで、
「それそれ、入れ替わった気がするよ」
 そう答えた。だが常に僕の数段上を行く昴はそんな作為は不要とばかりに、
「やっぱりそうよね」
 と頷き、にぱっと子供のように笑った。
 その開けっぴろげな笑みに、僕も思わず「にぱっ」と笑みを返す。 
 僕らは知り合ったころに戻って笑いあった。
 
 それから暫く二人で、ああだこうだと時間話に花を咲かせた。
 未来の僕達にとって今が素晴らしい過去になることを、二人で願いながら。
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