僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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「その件は保留にして、話を先に続けましょう」
 ふう、と昴は肩でため息をつく。僕はかしこまった。
「一言でいうと、他人事ではない問題ね。私の家に跡継ぎ問題はないけど、年齢が私を傍観者にさせない。眠留も私も、将来を見据えて行動せねばならない年齢になった。私達はもう、ただの子供ではいられないのよ」
 昴は僕より数年先を生きている気がしたが、それは口にせず、僕はだまって首肯した。
「眠留の気持ち、私にも解るわ。兄というだけで、才能豊かな妹から才能を活かす道を奪うなんてこと、眠留にできるはずない。私が眠留の立場でも、きっとそう考えると思うわ」
 テーブルの下で、僕は両手を強く握りしめた。昴、わかってくれてありがとう。
「そして、美鈴ちゃんの気持ちも私は想像できる。眠留が神社を継いだら、あの子はそれを手放しで喜ぶ。でもあの子が神社を継いだら、たとえそれが必然であろうと、きっとあの子は眠留に負い目を感じる。美鈴ちゃん、お兄さん思いだからね」
 両手をいっそう強く握り、僕は奥歯を噛みしめた。美鈴を大切に想ってくれる昴に、僕はさっき以上の感謝を捧げた。
「おじいちゃんとおばあちゃんの気持ちは、私にはわからない。でも、これだけは言える。眠留と美鈴ちゃんという素晴らしい後継者を得られて、お二人は凄く喜んでいる。それだけは、私にも解るわ」
「なっ、ないないそれは無いって。僕と美鈴の力量差を一番良く理解しているのは、じいちゃんとばあちゃんだから」
 僕は両手をテーブルの上に出しブンブン振った。そのせいで、昴の言葉に小吉の耳がピクッと反応したことを、僕は記憶に留めることができなかった。
「やっぱり気づいていなかったのね。といっても、私がそれに気づいたのは今年のお正月のことだから、偉そうなことは言えないな」
 昴は舌をぺろっと出し、はにかむ。そして遠くを見つめる目をして、先を続けた。
「三歳のころからお世話になっている薙刀道場の師範が、新年の稽古始めに毎年おっしゃるの。『皆さんはそれぞれが最良のペースで薙刀と関わっています。それを忘れないでください』って」
「ごめん、さっぱりわからないよ」 
 頭を抱える僕に、
「大丈夫、私もそうだったから安心して」 
 彼女は朗らかに笑った。
「師範には、大勢のお弟子さんがいる。そしてそのお弟子さん達は、薙刀とそれぞれ異なる関わりかたをしている。数ヶ月や数週間で関わりを止める人もいれば、半世紀以上薙刀と関わる人もいる。十年間の猛練習で高段者になってもそこで関わりを絶つ人もいれば、七十年の緩やかな鍛錬で境地へ至る人もいる。同じ道場に通っていても、それぞれが異なる関わり方をしているの。そしてね」
 昴は言葉を一旦切ると、目を閉じ居住まいを正した。僕も釣られて、同じ動作をした。
「そして、弟子がその人生でどのように薙刀と関わるかは、誰にもわからないの。師範はおろか弟子自身にすら、詳細は全くわからないのよ。ただ、大勢のお弟子さんを見てきた師範は多分、こんなふうに感じられたのだと思う。『薙刀と関わる大筋の道を、弟子達は心の奥底で無意識に感じ取っている。その上で、一人一人が薙刀と最良の関わりをしている』 師範の言葉はこういう意味なのかなって、私は思ったんだ」
 昴は柔らかな光を瞳に湛えて、言った。
「今年のお正月、心を込めて神社のお仕事をしている、眠留を見たときにね」
 わかるようで、わからない。答に届きそうで、届かない。そんなもどかしさが顔に出ていたのだろう。昴は「そうねえ」と数秒考えてから話を再開した。
「例えば、緩やかな練習を七十年続けて達人になった人がいたとしましょう。でもその人は初期のころ、とても評判が悪かった。特に、十年間の猛練習で薙刀の高段者になった人は、その人を毛嫌いした。その人の緩やかな練習が、許せなかったのね。でも一生という長さでみたら猛練習の高段者は、自分より遙かに上達する人を非難していた事になる。ふぬけた練習をするあいつは薙刀をちっとも理解していない駄目な奴だ、みたいにね」
 もどかしさに悩む顔を引っ込め、僕は頷いた。
「でもだからと言って、猛練習の高段者が悪いわけでもない。なぜってその人が薙刀をできるのは、十年間しかなかったから。その人は十年という限られた時間を精一杯使って、薙刀に打ちこんだのよ。だからその人にとっては、それが最良のペースだったのね」
 ポン、と僕は膝を叩いた。何となく解りかけてきた僕は、懸命に言葉を紡いだ。
「ええっと、それは数ヶ月や数週間で止めてしまった人も同じなんだよね。人には向き不向きがあるから、実際にやってみたら自分に薙刀は向いていなかった。そういう場合は無理に続けるより・・・」
「そういう場合は無理に続けるより、止めようと思った時点で止めればいい。それこそがその人の、最良のペースだったのよ」
 おおっ、と僕は背筋をピンと伸ばし目を見開いた。
「けど中には、不得意と感じても練習を続けることで、隠れていた才能が花開く人もいる。薙刀がさほど上達しなくても、仲間と一緒に道場で過ごす時間こそが大切な人もきっといるだろう。これが師範の言葉、それぞれが最良のペースで薙刀に関わっている、なんだね。昴、わかったよ!」
 よし、と僕は拳を握りしめガッツポーズした。けどすぐさま、僕は自分の早とちりに気づいた。
「でもそれと、神社の跡継ぎの話は、どう関わるのかな?」 
 腕を組み首を捻り、僕はそれについて考えた。その心に、巫女の降ろした声が届く。
「眠留はどんな人と問われたら、私はこう答える。真面目で忍耐強い人、と」 
 それを言ったのが他の誰かだったら、僕は苦笑して相手の勘違いを訂正したはずだ。それは買いかぶりだよ、僕はただのモジモジ性格のあがり症だよ、と。
 だがいま僕の目の前にいるのは他の誰でもない、昴だ。僕以上に僕を知る、幼馴染なのだ。溢れる想いを制御するには、俯き口を真一文字に結び、ズボンを鷲掴みにせねばならなかった。
「今年のお正月、拝殿で一生懸命働く眠留に、私は目を奪われた。神職の仕事を美鈴ちゃんのようにできなくても、腐ったりせず、眠留は心を尽くして働いていたわ。美鈴ちゃんのように一度で覚えられなくても忍耐強く覚えたんだろうな、眠留らしいなあって、北斗と二人並んで眠留の仕事ぶりを見つめていたの。すると北斗が、『元旦からあんな姿を見せられたら、俺も一年間頑張ろうって思わずにいられない』って呟いた。私は心から同意したわ。そしたらなんの前触れもなく、おじいちゃんになった神主姿の眠留が心に浮かんだの。おじいちゃんの眠留は嬉しそうに微笑みながら、頑張れ俺、負けるな俺って、働く眠留に声を掛けていた。その瞬間、ずっと理解できなかった師範の言葉が、胸にすとんと落ちたの。ああ、あの言葉はきっと、こういう意味だったのねって」
 昴から温かな気配が伝わってきた。顔を上げると、両手を胸に添えて昴は微笑んでいた。その姿は僕の体のこわばりを溶かす、お日様のようだった。
「私に数十年先の未来はわからないから、眠留の未来がそう決まっているなんて私は考えていない。ただ、これだけは言える。もし眠留が神職に就く決意をしたら、真面目で忍耐強い眠留は、その道をひたすら歩き続ける。亀のように遅くとも、眠留は一生かけて歩き続け、そして必ず立派な神主になる。これだけは私、胸を張って言えるの。だからあの時、私はこう思ったんだ。おじいちゃん神主になった眠留が、今の眠留を応援しているんだって。苦しくても頑張れ、へこたれそうでも負けるな、お前が知らないだけでお前は立派なやつだ、お前自身である俺がそれを保証してやるぞ、だから頑張れってね」
 その言葉は、僕をさっきと同じ気持ちにした。それは、他ならぬ昴がそう言っているという強い信頼の気持ちだった。僕は彼女から去年聞いた、〔収束する未来〕を思い出していた。
 昴は、不思議な薙刀使いだ。一見、傑出した技やスピードを持っている訳ではないのに、昴はいつもサッサッサッと畳み掛けて相手を倒す。その詰め将棋のようなスタイルを最後まで貫き、去年の薙刀全国大会小学生の部で優勝したのだから、昴の力は本物なのだろう。全国大会出場選手の中ですら群を抜いて美しいその基本動作を大人達は褒め称え、それを優勝の理由にしたがっていたが、大人達がそう言うたび「真相は違うんです」と昴は顔に書き俯いていた。だから僕と北斗は、優勝の真相を尋ねてみた。自分でもよくわからないから秘密にしてねと前置きし、昴は自分の考えを明かしてくれた。それは普段の聡明な彼女とは真逆の、前後入り乱れたたどたどしい話で僕にはチンプンカンプンだったが、北斗が根気よく耳を傾けまとめてくれた。それは、こんな話だった。
〔相手と対峙するまで未来は無限に枝分かれしているが、ひとたび試合が始まると、未来は急速に収束していく。そして残った未来が四通りほどになると、昴はそれを詳細に感じられるようになる。負ける未来ばかりなら流れを変え未来を仕切り直し、勝つ未来があるならそれを掬い上げていく〕
 昴の同意を得て北斗はこれを、〔収束する未来〕と名付けた。それをもとにさっきの話を整理すると、こんな感じになるのだろう。
「神職になるかならないかを悩んでいる今の僕には、神職になる未来とならない未来の両方が存在している。今年の正月、神社の手伝いをしていた僕は一時的に神職になる未来が強化され、それを昴が感じ取った」
 みたいなことを今度は僕がたどたどしく話すと、昴は「そうだと思う」とニッコリした。そして「これこそ私にもわからないのだけど」と念を押して、恥ずかしげに新しい話を聞かせてくれた。
「おじいちゃん神主の眠留を見て、わたし思ったの。人は、未来の自分から助けてもらっているんじゃないかって」
 お伺いを立てるように、昴は上目遣いで身をすぼめる。僕は包み隠さず感想を述べた。
「僕には実感できない話だけど、おじいちゃん神主になった僕が今の僕を見たら、ほら頑張れって 発破はっぱをかけると思うよ。それこそ、昴が話してくれたようにね」
 恥ずかしがる必要など無いことを昴に伝えるため、僕は自分が感じているありのままを告げた。表面だけの肯定より本音を話すことこそが、相手を落ち着かせる。僕と昴は、そんな仲なのだ。
 僕の本音に昴は恥ずかしさを引っ込め、てへっと笑い舌先をちょこんと出した。その仕草にドキっとするも、それを表情に出してはならないとなぜか確信した僕は、努めてさりげなく腰を上げた。
「昴、羊羹の最後の一切れ食べちゃって。新しいの出すから」
「こっ、こんな高級品、悪いよいらないよ」
「いいからいいから。薙刀の練習で疲れてるだろ。それを食べて昴の疲れが取れるなら、職人さんも喜ぶと思うんだ」
「・・・はい、謹んで頂戴します」
 後で僕の口座から和菓子屋さんに追加注文しとかなきゃな、とウキウキ考えながら、僕はさっきとは異なる新しい羊羹を、お菓子の入った箪笥から取り出したのだった。
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