鬼追師参る

漆目 人鳥

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徒話

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 翌日の昼下がり、那由子の通っていた中学校。

 鉄筋コンクリート三階建ての校舎の屋上に、転落防止用に取り付けられた柵の、その外側のでっぱりにちょこんと座り、足を持て余し気味にぶらぶとさせながら。
 風小は長い時間、空を眺めて過ごしていた。
 雲ひとつ無かった空を渡っていた蒼く澄んだ初夏の風が、やがて、湿度を含み出すまでの長い間。
 それからさらに、空に夏の到来を告げるような厚い真っ白な大雲が湧き出るまでの間ずっとずっと。
 ただぼんやりと空を眺めていた。
 他にやることが無かった。
 とりあえず空を見なくてもいい理由が無ければ首が下ろせない。
 下ろしてしまったらほんとうにやることがなくなってしまうので、自分の存在する意味がなくなってしまうのでは無いかとか、そんなばかばかしい考えが普通に浮かんで来るほど、あきれ返るほどにやることが無かった。

「風が変わったなぁ」

 何かきっかけが欲しくて、そんなどうでもいい独り言を言ってみる。

 まだまだ、そんな理由では首は下ろせない。

「首、いたいなぁ」

 今のはいい感じかも知れないと、少し手ごたえを感じた。

「そら見るのも飽きたなぁ」

 自分でもびっくりするほど、ストレートな気持ちを表現できて、ホンの少し誇らしく思った。
 それで、もう少しのような気がしてきた、が。

「…………」

 続かなかった。

「や~めたぁ!」

 そう言って開き直り、ついに状況を強制終了する。
 首を左右に曲げてごきごきと鳴らし、ひとつ大きく伸びをした。


 姫緒の調査によれば、那由子の通っていたこの学校は、3年前、近くに造成された大きな団地の中に新校舎が出来たため、学校はそちらに移転し、この旧校舎がここに残されたのだそうだ。
 廃墟となったこの校舎は、来年には解体工事が行われる事になっているという。
 団地の造成の際にバイパスの整備もなされ、もともと街のはずれにあったこの学校は、廃墟となってからは完全に回りから取り残された格好となった。
 綾子が事故にあったといわれる大通りも、時折地元の人たちが自宅と町を行き来するのに通るわずかな台数の車以外は、今ではまったく影が無かったし、近くに商店街のようなものが無いために日が暮れば回りを行き交うのは狐や狸の類だけだとの事だった。

「ここを決戦の場にします」

 普段は、自分の考えをろくに話すことなく突っ走る姫緒が、他人に対して、身構えるようにと、そう宣言したことに対して、風小はこの戦いの重要性を感じ取っていた。
 期待されている実感を噛み締めながら、気合充分の風小に対して、しかし与えられた姫緒の命令は、「充分に身体を休める事」というものだった。



 風小が校庭に目を移すと、レンレンの姿が見えた。何事か、印を切りながら、符ふだを回りの壁や木に貼り付けている。あやかしがこの場へ侵入する事を拒むための結界の儀式だろうと風小は思った。
 校舎の中では姫緒がその同じ作業をしている手筈だった。
 現在最強の鬼追師と超級符術師の二人が結界を張り巡らせている。
 休めと言われなくても風小の出る幕などまったく無いと言うのが現実ではあった。
 さて、どうしたものかと思案する。きょろきょろと再び辺りを眺めまわしてみる。
 ……綾子がいた。
 風小の遥か足下。
 植え込みの花壇を囲うブロックに腰を下ろし、ぼんやりと校庭を眺めている。

「綾子さぁ~ん!」

 叫ぶが早いか、風小は出っ張りの縁を蹴って、屋上からダイビングした。
 まっ逆さまに綾子目がけて落ちていく。
 初め、自分の名前を呼ばれた事に気づいた綾子は、その声の主を探してきょろきょろしていたが、ふと、自分の頭上に目を向けると、落ちてくる風小と目が合った。

「風小さん!危ない!」

 思いも寄らない。脅威にも近いその事態に、綾子の口からは、最早手遅れな叫びが上がった。
 落ちて来た風小は、綾子の頭上2メートルほどで、クルリと足を下に向ける体勢に変わると、両腕を横に広げて独楽のように一回転して見せた。
 そのとたん、風小の身体に強い浮力が発生し、ふわりと音も無く地面に着地する。
 浮力の消える一瞬間、風の巻く形に、風小の足下でほんの微かな砂埃が舞った。

「お加減どうですか?」

 何事も無かったように、にこやかに風小が綾子を覗き込む。

「は、はい、おかげで大分落ち着きました」

 綾子はドキドキのおさまらない胸を押さえながら答える。

「そうですか、それはよかったデスよ」

 悪意が無いのは良くわかっているのだが、風小の姿は今の綾子にはあやかしと言う言葉を連想させる。
 屈託のないその笑顔が、それ故に辛い。ふと、顔を背ける。

「どうかなさいましたデスか?」

「いいえ」

 綾子は小さく首を振りながら精一杯の笑顔を作って答えた。
 襲い掛かる自己嫌悪。
 何事も無かったかのように振舞おうとする自分が白々しすぎて嫌だった。
 しかし、心に正直に振舞うことは、恐ろしくてとても出来なかった。
 ぼんやりと、追い払おうとしていた気持ちが再び頭をもたげる。
 私ハあやかし。ニンゲンデナイモノ。

 (コワイ、)

 那由子ノ身体ヲ乗っ取っタモノ。

 (コワイ、コワイ、)

 それ以上考えてはいけない。と、畏怖の念。

 (コワイ、コワイ、コワイ、コワイコワイコワイ)

 考えてしまった。その事実。

 『母親を殺したモノ』

 (コ                      )

 意識が飛びそうになり、声を出して叫びそうになる。
 必死に、飛び散ろうとする心をかき集め、集まった意識を正しく再構成し、確認するように少しずつ言葉にする。

「でも確かに、ちょっと、色々ありすぎて。何をすればいいのか、何を考えればいいのか。正直わからなくて迷ってます」
 じつは風小はその言葉に非常に驚き、すっかり感心していた。
 この状況が、とても『ちょっと』などと言う生半可なものでは無いことは風小にも十分察しがつく。
 人間であるはずの自分がすべて否定され、あやかしであることを諭されたのだ。それは風小には考えも及ばない事態だった。
 風小にとって自分があやかしであるということは、自分があやかしであると信じているから以外のなにものでもない。
 姫緒や、レンレンに至っても、(多少人間離れはしているが)人間であると風小が確信しているのは、彼らが自分達を人間だと宣言しているから以外のなにものでもないのだ。
 それ以外の方法で、モノの本質など見抜ける術などある訳がない。
 何故あやかしがあやかしなのか、何故人間が人間なのかなどと言う痴れ事は、この世が何故今ここに存在するかと言う事を論ずるようなものだと思った。
 あやかしはあやかしとして生まれ、そして生きていく。
 人間は人間として生まれ、そして生きていく。
 風小はずっとそう思っていた。
 それが当たり前であるはずだった。
 もちろん、そうでなければ摂理が乱れる。はず、だった。
 そんな大きな運命を、この娘の華奢な身体は、どこに背負って『ちょと』などと言う言葉にしたのだろう?と思った。
 しかも、この娘は『迷っている』と言う。つまり……。
 まだ、あきらめていないのだ。
 何事かをなさんがために可能性を探し出し、前へ進もうとしているというのだ。
 例えその言葉が無意識であったとしても。
 なんと強い娘なのだろうと、風小は心が震えるのを感じた。
 風小を見つめる綾子の表情はうろたえ気味で、鬱の色合いが濃く浮かび、それ以後の言葉は無かった。
 が、しかしその瞳は強く輝き、そして優しい『人間』のそれだった。

「あの。綾子さん」

 もじもじとしながら風小が口を開く。

「?」

 綾子は無言のまま小首を傾げた。

「あの、とっても失礼な事だとは思うのですが。なんだかとってもそのような気分なので。正直、お願いがありますのデスよ」

「なんでしょう?」

「お姉さまとお呼びしたい所存ですが、ご都合はよろしいでしょうか?」

「えっ?」

 風小の突拍子も無い申し出の真意を計り兼ねて、綾子は目を白黒させながら固まってしまった。
 綾子の様子を見て風小が続ける。

「綾子さんを見ていたら、私もお姉さまがほしくなりました。ええ、綾子さんのようなお姉さまが」

 戸惑っていた綾子の表情が輝く。

「あ、ありがとう。風小さん」

 綾子は風小の手を取った。

「ちょっと恥ずかしいけど、そう呼んでくれるのは大歓迎だし、むしろ、うれしいかもしれない」

「うれしい?」

「ええ。思い出したの。私と姉の那由子は歳が7つも離れていたせいで、じつはあまり一緒に遊んだ記憶が無かった、という事を。私はお姉さんと遊びたくて、いつもいつも付いて回ってた。お姉さんにしてみたらそんな私が疎ましかったんでしょうね。いつも置いてけぼりにされていたの。だからね……」

 少し遠い目をして語っていた綾子の視線が風小の顔に戻った。

「だから、妹がほしかった。いつも一緒にいてくれる妹が。そしたら私、一生懸命遊んであげようって思った。どこへでも連れて歩こうって思った。手をぎゅ~と握ってあげて、絶対、絶対離さないの!」

「ああ」

 風小が羨望のまなざしで綾子を見つめる。

「わたしは、そんな素敵なお姉さまの妹になれるのでしょうか?」

「勿論よ!」

 綾子の瞳が輝いた。

「私達、姉妹きょうだいになったのね!」

 そう言って、握っていた風小の両手に力を込める。

「ありがとう。小さな鬼追師さん」

 その表情からは最早、先ほどまでの陰りは消えていた。綾子のなかの心の鬼は風小によって払われた……。

「ねぇ、風小さん。私もお願いがあるのだけれど」

「はい、何でしょう?お姉さま!」

 極めてうれしそうに風小が答えると、照れくさそうに綾子が口を開く。

「ええ。あのね。私も風小さんの事を、妹らしく『風ふうちゃん』って呼んでみたいかな?なんて、思ったの」

「えっ??」

 一瞬、風小が戸惑う表情を見せた。
 が、すぐに思い当たったように「ああ……」と言って続けた。

「私が、お願いしたんでしたね」

 風小は、金猿との一戦を思い出していた。
 金猿との戦いの際に、テンションが上がった自分が口走った事だった。
 歓声をかけてくれた綾子に、成り行きの感情だけで答えた、深い考えの無いお愛嬌。
 確かにその時にはそうだった。
 だが、今は本心からそうしてもらいたいと思った。

「むしろ推奨させていただきますデスよ!」

 風小は明るくそう答えると、握っていた手を離し、ぺこりと一つ頭を下げた。

「これからわたくし、妹のふうちゃんをよろしくお願いしますデスよ。お姉さま!」

 新しい誕生日を祝い、二人は見つめ合い微笑んだ。

「ねぇ、風ちゃん」

「?」

「早速だけどひとつ聞きたいことがあるの」

 綾子はそういいながら花壇のブロックに腰を掛けて、風小を傍らに誘うしぐさをした。

「なんですか?お姉さま!」

 誘われた風小が綾子の横に腰掛けると、綾子は少し考えた風に話し出した。

「私が、初めて霊査所に伺ったとき」

「あえぇぇぇぇぇぇ!」

 風小が叫ぶ。

「あ、あの節は大変、大変失礼おっぱじめましたデスよ!許されぬこととは知りも存ぜず、お許し下さい、下されませデスよ!」

 その場から立ち上がり、目を白黒させると、腕をブンブンと振り回しながら風小が力説した。

「違うのよ。風ちゃん」

 風小のあまりに滑稽なその姿に、けらけらと笑いながら綾子が否定した。

「風ちゃんに屋敷に招き入れられるとき、私が『風小さんと言う気がした』と言ったから特別なコーヒーを出してくれたって言ってたでしょ?」

「?、あ、はい、そうですよ」

「あの『特別』は、風ちゃんがよっぽど機嫌が良くないと姫緒さんにすら出さないって、あとでレンレンさんに聞いた」

「いえ、出さないわけでは無くて、気が乗らないと良いものが作れないのデスよ。特別なお方にそんな中途半端なものはお出し出来ないといった次第デスよ」

「それよ!」

「はい?」

「どうして私が風ちゃんを風ちゃんと思ったことがそんなに嬉しかったの?」

「ああ」

 納得いったと言うように風小が頷き、コホンとひとつ咳払いをして続けた。

「百音と言う考え方があるのをご存知ですか?」

 綾子が「いいえ」と言って首を横に振る。

「漢字というものが象形から作られたものであることはご存知ですね。たとえば、『手』と言う漢字は人間の手の形から図案化されていったとか」

「ええ、それ位なら」

「では、『て』と言う音はどこから来たのでしょう?」

「どういうこと?」

 その声の調子からも、しぐさからも、綾子が非常に困惑しているのが判る。

「音ですよ。『て(te)』と言う音です。なぜ『手』を『て』と言う音で呼ぶことにしたのでしょう?」

「なにを言っているのか?」

「それが百音の考え方なのです」

 風小は、ますます困惑していく様子の綾子にそういって続けた。

「犬や猫が微妙な鳴き声の違いでコミュニケーションするように、人間も遥かな昔はもっと単純な言語を使っていたのだと言う考え方です。最初は自分の居場所を相手に教えるためにひとつの音。次に相手を呼ぶために二つの音。そしてついには百の、モノの本質を表す音を作り出した。それが百音です」

 そういって風小は「解りますか?」と綾子の顔を覗き込んだ。

「な、なんとなく」

 結構、というように風小が頷く。

「ちなみに先ほどの『て』と言う音には『便利なもの』と言う意味があるのデス。つまり、それが手の本質というわけデスよ。たしかに、たしかにそのとおりですねぇ。昔から人間さまにはちょっと洒落っ気があったようデスよ」

 風小はそう言ってクククと笑う。

「音ひとつ?ひとつの音にそんなにしっかりした意味があるの?私はまた、『これ』とか『それ』くらい意味があるのかと」

「形容を短い記号にして表現したわけデスよ。ちょっと例えが違いますが、よく使う言葉の『ただいま』だって『只今帰りまして候』の略ですからねぇ」

「えっ!そうなの?私、無意識に使ってたけど」

「百音も無意識に使われていたのデスよ」

 風小がそう言ってにやりとした。

「日本人の言葉の起源が百音という考え方です。45の母音とその他の二重母音により構成された日本人の言葉の起源。その音階の持つ全ての意味を表にしたもの。それが『百音図』デス。なにもこれは身体の部位に限ったことではないのです。先ほど話に出た『いぬ』と言う動物の種類にしてみても、『い(i)』は『確かに』と言う意味『ぬ(nu)』は『忠実なもの』と言う意味を持っていますから、『犬』は『確かに忠実なもの』と言う本質を持っている。いえ、古代の日本人は犬にそう言う認識を持っていたと言うことなのデスよ」

 綾子は風小の説明にただ驚いていた。

「名前には本質が語られることもあると言うことデスよ。ここの所はご理解いただけましたデスか?」

 綾子が自信なさげに小さく頷くのを見て風小が続ける。

「私の名前は姫さまが付けて下さいました。風小と言う名前は、その漢字から捉えれば、『小さな風を起こす者』と言った意味合いデスよ。もちろんその意味もあるにはあるのデスが、これを百音の意味に当てはめれば、『片割れ(ふう)・小さきもの(こ)』となり、姫さまの小さな片割れ。姫さまの欠片かけらと言う意味合いこそがつまり、私のものの本質と言うことになるのデスよ」

 風小が目を伏せて続けた。

「姫さまはそうあってほしいと私におっしゃったのです。私は姫さまの一部になることを許されたのです」

「風ちゃんの名前は、風ちゃんの本質」

「私を私として成り立たせている意味デスよ、お姉さま。その名前をお姉さまは私らしいと言ってくださいました。とても嬉しかったデスよ」

「わたし、そんなこと少しも考えずに」 

 綾子にとっては、まったく深い意味などない成り行き上のおざなりだった。そんなに大層に感謝されてしまうと罪悪感すら沸いてくる。

「いいえ。だからこそ、という事なのデスよ」

「えっ?どういうこと?」

「知っていてお世辞を言ったわけではなく、私のどこかを心からそう感じてくれた。それがうれしいと思うことは、私の独りよがりかも知れませんが」

 風小のクリクリとした緑の目に真直ぐにみつめられ、綾子の頬が薄赤く染まる。
 事情は飲み込めたが、なんとも気恥ずかしかった。

「えっとぉ、そ、そういえば」

 慌てて話題をすり替えようとする。

「そういえば、姫緒さんの名前は便宜上のものだと言ってたわよね?」

「え、ええ。まぁ、そうデス」

 答える風小の顔が心なしか暗くなったような気がした。

「それじゃ、姫緒という名前は姫緒さんが自分で付けたものなの?」

「……」

 今度はハッキリと暗い顔をしながら、風小は小さく頷いた。
 いささか不信に感じながらも、綾子が続ける。

「じゃあ、百音の考えを知っている姫緒さんのことだから、何か深い意味があるのかしら?良かったら教えてくれない?」

 そう言って、風小を見た綾子は驚いた。
 風小は今にも泣き出しそうな顔をしながらうつむいている。

「ど、どうしたの?風ちゃん?私、何か、まずいことを」

「いいえ、お姉さま!」

 そう言うと風小は明るい表情で顔を上げた。

「むしろ、語らせてください。私の大好きな姫さまのこと、大好きなお姉さまに知ってもらいたいデスよ」

「風ちゃん?」

 何か、ただならぬものを感じながらも綾子は小さく頷き、彼女の話の続きを待った。

「姫さまの名前は『き(KI)・お(O)』と発音します。この、この発音の百音での意味は」

 何かを思うように風小が話を止めた。
 自分を奮い立たせるようにゆっくり一度、瞬く。

「百音の意味は、『確実な(き)・終焉お』それの指すところは、その言葉のとおり。『絶対の終わり』。『自己の終焉』。それが姫さまのお望み」

 綾子が息を呑む。

「姫さまは心の中に闇をお持ちになっています。とても私には祓えないような深い深い闇の中で鬼を飼っていらっしゃいます」

 静かな淡々とした口調ではあった。
 が、しかし、語っている風小の顔は明るく振舞っていた。

「祓う事は出来ません。私は姫さまの欠片でしか無い小さな存在です。だから姫さまの『存在の意味』を否定は出来ないデス。だけど、だけど、ひょっとしたら。小さな欠片が小さな迷いを引き起こし、大きな奇跡の呼び水になれたら。それは姫さまにとっては不幸な事かも知れませんね。人を不幸にするならば私は悪いあやかしデスよ」

 風小の笑顔に薄っすらと涙が浮かぶ。

「でも!でも!私は姫さまが大好きだから!」

「うん!風ちゃん間違ってない!」

 そう言って、綾子が突然立ち上がる。

「絶対間違ってない!」

「はい!」

 強い口調で返事をすると、風小はにじんだ涙を人差し指で拭った。

「明るく元気に行きたいと思います!」

「うん。私も応援するよ!」

 自分に似ていると綾子は思った。
 その人を愛するがゆえに、大切な人の望まぬことに明け暮れなければならない。
 疎ましがられる姉に付きまとっていた自分。姫緒の創った闇を祓おうとする風小。
 叶わぬと想いつつも。
 愛おしいがゆえに。

「おーい!」

 突然、校庭の方から女性の声がした。
 ふたりは声のする方に首をめぐらす。
 青空に浮かぶ夏雲のように白いTシャツにGパンと言う、身軽な服装の女性が左手に紫色の風呂敷包みを抱え、
大きく右手を振りながら歩いてくる。

「風小ぉー!久しぶりぃー!」

 セミロングの茶髪を軽やかに揺らしながら、近づいてくる女性に呼ばれた風小の顔が、みるみる輝いていく。

「由美さん!」

 由美さんと呼ばれた女性は、風小が自分に気づいたのを見て取ると、手を振るのを止め、左手に抱えていた風呂敷包みと長物の入った布袋を両手で頭上に掲げて叫んだ。

「持って来ましたよぉー!ねじまき屋厳選!あやかし撃殺の究極兵器ですよー!」
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