鬼追師参る

漆目 人鳥

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 暮れなずむ街並みに、ダラダラと目的地に向かう男の歩く姿があった。

 赤いネクタイと、しっかり糊の効いた青いワイシャツの着こなしは、時節柄の爽やかな装いだが、縁の上部がない銀縁眼鏡の奥の目は、今、自分がおかれた立場への恨み辛みを力強く主張していた。
 この男。
 北條隆郎は、この時期の街並みが嫌いというわけではない。
 雪のない都会の、永く寒いだけの冬が終わり、街路樹や公園の植物たちの息吹が、殺伐としたコンクリートの街並みを、まるで浸食するかの勢いで埋め尽くし始める。
 この時期だけが、カラカラのジャングルに、生命の胎動を感じさせてくれる。
 やがて来る澱むような夏の暑さで、人らしい思考が閉ざされてしまうまでの間。
 ほんの一瞬のこの初夏という季節が。この時期だけが、都会で自分を自分として維持できる貴重な瞬間に思えた。
 だから、この……。
 この、何とも煩わしいすっかり凹んだ気分は、つまり、陽気の所為とか、日々の鬱憤といったものでは決してなかった。

 話は昼に遡る。

「北條さーん。お電話です、内線の一番お願いします」

 会社のオフィス。
 同じフロアの女子社員が叫んでいる。
 資料のチェックをパソコン画面で行って、しかもそれが手詰まり気味だった北條は小さく舌打ちし、転送電話のボタンを押して受話器を取ると、肩と顎の間に挟み込んでパソコンのモニターから目を離す事無く電話に出た。

「はい。北條ですが」

 隠そうともせず、不機嫌そのままの声で答える。

「ご機嫌麗しゅう。北條さん」

 受話器の向こうから聞こえる女性の声に、寒気が走った。

「おまえ……」

 声に詰まる。

「あら、覚えていていただいたのかしら。光栄ですわ」

 間違いなかった。

「鬼追師!」

 北條は、思わず大声を上げて席を立ち上がりかける。
 受話器が肩を滑り落ち、ガタガタと乾いた音を立てて机の上に転がった。
 一斉に周りの視線が北條の席に注がれる。

「あ……、へへへへへ……」

 照れ笑いをしながら受話器を拾い、何でもないということを必至にアピールする。
 やがて、巻き込まれても得はないと悟ったフロアの視線が、持ち場に戻り出す。
 北條は、あらかた視線が自分から離れると、机上に伏せ、受話器にしがみつくように話し始めた。

「何の用だ。鬼追師」

 押し殺した声。

「取り敢えずお会いしたいのです。お話はその時ということで。それとも。このままお話を続けますか?」

 それは不味い気がする。
 北條は辺りを見回し、こちらの様子を再び気にしている幾つかの視線を感じてそう思った。
電話の相手は『あの鬼追師の女』姫緒だ……。

 北條は半年ほど前に、この鬼追師に命を助けられていた。だが、それはまがりなりにも大団円と呼べるような、納得のいくエンディングではなかった。多額の報酬を請求され、挙げ句の果てには、脅しまがいの口上で支払いを承諾させられ。その多額の報酬の支払いは、今も借金として彼の身の上に暗く影を落とし、華麗なる独身貴族の生活を脅かし続けていた。

「時間が無いのです北條さん。本日中に時間を取っていただけるなら、場所と時間はそちらの都合に合わせます。もし、北條さんが時間を取れないというのでしたら」

「でしたら?」

「これから職場にお伺いし、非常に私的なおつきあいに関しての客として、面会を申し出ます」

「ふざけるなっ!」

 声を荒げてしまう。
 慌てて周りを見渡し、愛想笑いをふりまくと、再び机に伏せる。

「わかった、わかったから会社には来るな!話がややこしくなる」

 北條はそう言ってひと息つくと、わずかの間詮索し、再び受話器に向かって話し始めた。

「えーと、うちの会社の場所は知ってるよな。会社の正面、大通り沿いを、公園の方へ歩いていくと、並びに『シリカ』っていう喫茶店があるんだ。そこで昼休み12時15分頃待っている」

 北條は、周りに聞かれぬよう細心の注意を払い、出来る限りの小声で伝え、姫緒の返事を待った。

「わかりました、北條さん。それではそのように。それと、もう一つお聞きしたいことが」

「……?なんだ?」

「そこの喫茶店、何がお勧めかしら?」

 何故か、北條の頭の中の『危険』の文字が一際大きく警告を発した。
 こういう女なのだ。何を考えているのかも、何を言い出すのかも完全予測不能。
 危険だ。危険すぎる。
 だが、自分は、その危険な女の策略に、着々と嵌められていっているのだ。
 解っている。
 解っているが、いくら身体が警告を発しようとも、術もなく絡め取られていく。

「……。ミックスサンド……、かな……」

 なにかを諦め切ったように、力無く北條が答えた。



 それから昼休みまでの数時間、北條は戦々恐々のうちに時を過ごした。
 仕事どころではない。いつ気まぐれに、あの『鬼追師』が事務所に現われるとも限らない。
 また、万が一にも時間に遅れるような事があっては、一体どんな事態が起こるのか、想像もつかない。
 昼休みに少しでもずれ込みそうな仕事は全てキャンセル。
 細心の気遣いで昼を待つ。
 その姿があまりそわそわしていたのだろう。同僚の長瀬が声をかけてきた。

「なんだよ、北條。飲みの約束でもしてるってか?それにしたってまだ昼前だぜ」

(そんなんじゃねぇ)

 昼を告げるチャイムと共に、北條は過剰なまでに普通を演出しながら、それらをすべて台無しにするような、競歩並の歩きで事務所を出ると、待ち合わせの喫茶店へ向かった。
 オフィス街の大通り沿いには不釣り合いともとれる、木造の暖かい雰囲気の店構えが見えてくる。引っ込んだ店先に下がっている、焼き跡のついた木製の小さな看板に、赤い太文字で『シリカ』と彫られているのが見える。。
 店の前には車が4、5台駐車できるスペースがあり、すでに2台分は埋まっていた。
 どっしりとした木製の扉を開けて中に入ると、カラカラという真鍮のチャイムの音が心地よく店内に鳴り響く。

「いらっしゃいませ!」

 奥から小気味よい滑舌の女性の声が出迎えた。
 薄暗く、こぢんまりとした雰囲気の店内を見渡す。
 『鬼追師』の姿はない。
 店内は、香ばしいトーストの香りと、午前中の仕事で憤った頭をリフレッシュさせるかのような刺激のあるコーヒー豆のローストした香りに満ちており、昼休みも始まったばかりだというのに、常連客を中心にそこそこの賑わいを見せていた。
 何でも、珈琲通を気取る者達の間では、ナカナカ評判のある店らしく、北條の知る限り、閑散とした店内というものを見たことがない。
 近くのオフィスの連中もその事を知ってか知らずか、あまりこの店に昼食を摂りに来ることは無く、『特別な店』として扱われていた。
 まるっきりというわけにはいかないが、ここならば会社の連中と顔を合わせる可能性が低く、移動に時間もかからない。そう読んだ上での北條のセッティングだった。
 北條は、窓際の二人掛けの席が空いているのを確認すると、そこに腰を下ろす。
 ここからなら駐車場や出入りする客の姿を認める事が出来るため、最悪、行き違いになる事は防げるだろう。
 程なくして店の娘が、注文を取りにやってきた。

「お久しぶりですね。何になさいますか?」

 ジーンズ地のロングエプロンに白いパンツ姿の娘が、言葉の最後にハートマークでも付きそうなテンションでそう言うと、北條の前に水の入ったグラスをそっと置いた。
 どこか、人種というものを越えた神秘さの漂う顔立ちの娘……。茶色かかったショートカットの髪も清潔感を漂わせて非常に好感がもてる。
 北條は長瀬から、この店はこの娘、シリカとマスターの二人で切り盛りしていると聞いたことを思い出していた。常連の中には、この娘のファンも多いと聞いたが……。まぁ、それも頷けた。だが、マスターとこの娘の関係については尋ねる機会をつかめずにいて謎だった。

「ブレンド、ホットで」

 メニューも見ずにそう注文する。煩わしさがないため、人との待ち合わせに店に入った際の、北條の常套句となっていた。

「ブレンドですね?」(ふーん、今日は待ち合わせなんだぁ)

 娘は注文を繰り返すと、くすくすと笑いながら奥へ引っ込んでいった。
 窓の外を眺めながら、北條はやっとひと息つく。
 だが……。
 思考の中に余裕が生まれ出すと、言いしれぬ不安がじわりじわりと浸食をし始めた。

『取り敢えずお会いしたいの。お話はそのときということで』

 鬼追師の言葉を思い出し、一抹の不安を覚える……。

「やばいよなぁ……」

 料金の支払いに滞りはない。とすれば、やはり『あやかし』関係か?
 北條は、自分の身に降りかかったこの世のものとは思えないオゾマシイ体験を思い出していた。
 言霊、呪詛、あやかし、携帯電話に宿った化け物!!
 彼は思わず、ベルトの専用ホルダーに収まっている、中折れ式の携帯電話を取り出すと机の上に投げ出していた。

「まさか、まだいるってんじゃ無いだろうな!」

 独り言にしては大きな声で電話に怒鳴りつける北條に、回りの目が注がれる。
 『やばい……』と、心で舌打ちしながら、素知らぬ振りを決め込が、 それでも携帯をベルトに納める気にはならず、机の真ん中にほったらかしたまま睨んでいると、その視界の脇に、突然コーヒーカップが置かれた。
 慌てて顔を上げる。

「えっと、あの……。おまちどう……さ……までした」

 注文を運んで来た店の娘が訝しげな顔をし、しどろもどろに言ってそそくさと奥に引っ込んでしまった。
 帰りたくなった……。思わず頭を抱える。
 と、そのとき。
 地鳴りを思わせる、渇いた排気音と共に、一台の車が喫茶店の駐車場に滑り込んで来た。
 超重低音のエンジンの唸りが、喫茶店全ての窓ガラスをビリビリと共鳴させる。
 店内の会話が、BGMが、その共鳴にかき消され、何事かと驚いた客達の視線が、窓ガラス越しの駐車場に注がれた。

 そこには、北條には見覚えのあるメタリックブルーのマツダRX‐7。
 間違いなく。『鬼追師』の所有物。
 やがて車のエンジンが停止し、運転席のドアが開くと、ピンヒールの黒いメタリックブーツに膝の上まで包まれた、スラリとした足が地に降り立つ。
 ロングドレスのような袖無しの黒いポロに身を包んで、サングラスをかけた姫緒が、開いたドアの影から現われ、乱れた長い黒髪を後ろに流す仕草をした。
 北條の近くで外を見ていた客の席から『ほう』と言うため息が幾つか上がる。
 姫緒は一時の間、店の外見を眺めていたようだったが、車のドアを閉めるとサングラスをはずし、ツカツカと店の入り口に歩き出した。
 北條が身構える暇もなく、入り口のチャイムが店内に鳴り響き、姫緒が入って来る。
 ゆっくりと首を巡らし、そちらに向き直った北條はギョっとした。
 姫緒と共に入って来た三人連れの、いかにもな事務服に身を包んだ女性客は、自分の会社の同僚達だった。
 女性たちは、明らかに姫緒の異様な存在感に圧倒され、陰口でも言い合うようにひそひそと、彼女を詮索仕合っているのが判る。
 店内客たちの注目と、北條の身内の関心事を一身に受けた鬼追師の女は、それらを全く意に介す様子無く、北條の座る窓際の席へと真っ直ぐに歩んで来た。
 一瞬、店内に人の言葉が途絶え、静かなBGMだけが空気のように漂う。

「お久しぶりです北條さん。お会いできてうれしいですわ」

 そう言うと、姫緒は満面の笑みを浮かべて、彼の向かい席に座った。

「鬼追いしィー、てめぇ……」 

 北條の頭の中で、『画策』の文字が音を立ててがらがらと崩れる。
 店内には人の声が戻り、最悪の偶然で姫緒と共に入ってきた同僚たちは、好奇の目を北條に注いだまま、露骨にも、北條と姫緒の様子が伺えるよう、はす向かいの席に陣取り、対面四人がけの机にも関わらず、片側の長いすに三人すし詰め状態で座り、下衆な笑顔を振りまいていた。
 北條が思わず頭を抱える。
 程なく、店員の娘がおずおずと水を運んできてテーブルに置いた。

「アイスコーヒーとミックスサンドを頂戴」

 店員が口を開くより早く、姫緒が言った。

「アイスコーヒーは加糖されていない完全ストレートのものを。ガムシロップもミルクも付けなくて結構。テーブルの上がごちゃごちゃするのは好きじゃないの。それから、ミックスサンドは三角に飾り切りする必要は無いわ。等分に切っただけで持ってきて頂戴」

「えっ……、えっ、えっ?」

 娘は明らかに戸惑っている。

「お願いできるかしら?それともこの店のレシピはすでにそうなってる?」

 姫緒のお願いには『店が拒否する』という項目が無かった。

「どっ……、努力させます!」

 娘は大きな声で人のよい返事をすると、足早に店の奥に消える。

「ノリオ~!」(この人、こわいよー!)

 店の奥から、哀れな娘の、マスター(多分)を頼る悲鳴が聞こえた。

「早速ですが、北條さん」

 テーブルの上に突っ伏して頭を抱えたままピクリともしない北條に、我、関せずな様子で姫緒が話し始めた。

「実は、あなたにお願いがあるのです」

「何の冗談だ?」

 北條はそう言うと、頭を抱えたままの姿勢から、ゆっくりと視線だけを姫緒に向けた。

「俺に出来て、アンタに出来ないことが、この世の中に在るって言うのかよ?」

「残念ながら」

 まったく余裕がないと言った口調で、大まじめに姫緒が応える。

「ちょっと待て」

 北條が、伏せていた上半身をガバと跳ね上げた。

「本当に、俺に頼み事があって呼び出したっていうのかよ?」

「そのように申し上げています」

「アンタの仕事を俺に手伝わせたい、という意味で間違いないのか?」

「そう言ったつもりですが」

「俺に取り憑いてる『あやかし』は?」

「何の事でしょう?」

 しれっと姫緒が答える。
 北條の顔が見る見る、怒りで真っ赤になって行く。

「鬼追師っ!」

 あまりに大きな声に、出した本人が驚く。
 注がれる回りの視線、視線、視線……。
 中でも、同僚の女性社員たちの視線が、一際ギラギラと注がれるのを感じた。

「てめぇは人に物を頼むとき、相手の都合も考えず、脅しまがいの嫌がらせ電話で呼び出して、お願いしますの一言と、その小馬鹿にした態度で済まそうって言うのか?」

 北條は、怒りに歯ぎしりしながらも、体裁を繕おうと賢明に、チカラを込めた小声で姫緒に詰め寄った。

「失礼ながら北條さん。事態は急を要しているのです。人一人の命がかかっていると言えば、理解していただけますか?」

 姫緒はそう言うと、逆に北條に詰め寄る。
 北條自身に非は無いはずなのに、『命』という言葉に気劣ってしまう……。
 彼は、彼女の仕事を身を持って知っていた。それゆえ、その言葉に偽りや嘘は無いであろう事も重々理解できた。何せ、彼女は本物の『退魔師』であり、相手にするのも、人知を超えた生態をもつ、己の命も落としかねない危険極まりない人外の化物たちなのだ。

「だからって……」

 北條が口ごもる。

「だからって、何で俺なんだ?俺はただの一般人だ。そりゃあ、一度は化け物退治に関わり合いになったが」

 と、言うより、当事者だったのだが。

「可能性の問題ですよ、北條さん」

 姫緒がそこまで言った時、アイスコーヒーとサンドイッチが同時に運ばれてきて、テーブルの上に置かれた。

「お待たせしました!」

 得意満面な表情で、店員の娘が言った。
 完全ストレートのアイスコーヒーには、純度の高いかち割り氷。長方形に等分された飾り気の無いサンドイッチは、大きめの皿に盛りつけられ、兎の形をしたリンゴが2匹添えられている。

「ありがとう。大変、お見事ですわ」

 姫緒はそう言って目を細め、軽くおじぎをした。そうして、娘が嬉しそうに奥に引っ込むのを見計らい、話を戻す。

「可能性です。あやかしの存在を知っている人であれば、今、私の置かれている立場を理解して貰うのに時間をかけずに済みます。また、私のチカラを知っていれば、この相談が分の悪いものではない事も、理解していただけるものと信じます」

「化け物退治の手伝いが、分のいい仕事とは思えないが?」

「お願いしたいのは、留守番です」

「留守番?」

「はい。今回手がけている事件の調査のため、どうしても私は依頼主の傍を離れなければなりません。幸いにも、状況的に見て、今すぐに危険な状態になるということは無いのですが。万が一ということもあります」

 北條は、姫緒の話を聞きながら、ゆっくりとコーヒーを口に運び、思考を巡らせていたが、何か……違和感を感じた。いつも彼女について回ってる風小の姿が無いことに気づく。

「風小にやらせりゃいいじゃないか」

 風小の存在を気にしている自分を勘ぐられまいと、あたかも話の流れの上でそうなったかのように、呼び水を向ける。

「風小は別の調査のため、昨日から北海道に行っています。それはそれで、大切な調査のため、呼び戻すのは躊躇われます」

 北條は、姫緒のその返事を聞いて、自分がなんだか急につまらない気持ちになった事に気づき、少し驚いていた。
 ふと、外した視線を元に戻すと、姫緒の真っ直ぐな視線に捕まりギクリとする。

「だ、だけどよぅ。いくら万が一と言ったってあやかしが出現する事はありえるわけだろ。さっきも言ったが、俺は何の力もないただの人だ。現に、半年ほど前にはアンタにゃ助けて貰ってる。留守番の意味がないだろ?」

 姫緒がフッと微笑む。

「形式上だけです。北條さん。言うなれば、依頼主を不安にさせないためのお座なり事ですよ。それでも不安極まり無く思っている被害者の心のケアとしては、是非必要な措置なのです。それでも、そうですね」

 姫緒が顎に手をあて、考える仕草をしてみせる。

「確かに『あやかし』の出現はゼロとは言い切れません。ですからこれをお貸しします」

 姫緒はそう言うと、ポロの小さな胸ポケットからペンダントらしき物を取り出し、テーブルの上にチャラリと垂らした。中央に姫緒のペンダントと北條の携帯が並ぶ。

「なんだ?属性石キャラクタルか?」

 そう言って北條がペンダントを手にとって眺める。長めの鎖の先についたペンダントトップには、純金で編まれた繭型の駕籠がついており、その中に赤と蒼の、水晶のような透明感を持つゴツゴツした小さな石が収められていて、振ってみるとカラカラと移動した。

「喚ビの荒石と言います」

 ペンダントトップ越しに北條を見つめながら、姫緒が言った。

「非常に強い霊力を帯びて共鳴しあう名も無き石を、全く加工せずに、純度の高い金の駕籠の中に閉じこめてあるとても珍しい物です」

 北條にしてみれば鬼追師の持ち物など、どれも『非常』に珍しい物ばかりである。その姫緒をして、珍しいと言わしめるこの『喚ビの荒石』とは如何なる物なのか?少しばかり興味をもった彼は、黙って話の続きを待った。

「石の共鳴が空間をねじ曲げ、駕籠の中に極めて微細な空間の裂け目を形成しています。この裂け目が召還の印の役目を果たし。と、言ったところで何のことかさっぱりでしょう?」

 姫緒がにこにこしながら小首を傾げて尋ねた。

「う、あ、ああ……」

 姫緒の突然の無防備な笑みに、北條はどぎまぎしながら曖昧な返事を返す。

「簡単に言うと、強く念じることによって式神を召還できます。つまり、風小の召還アイテムです」

「風小を召還?」

「はい。元来、遠くにいる式神を少ない気のチカラで召還するアイテムなのですが、北條さんには生憎、式神がいらっしゃいません。この荒石に、私が風小の印を結んでおきます、後は北條さんが強く念じれば、時空を越えて風小を召還する事が出来ます」

 話を聞いて北條は、自分の時の、あやかし退治の事を思い返していた。
 紅い扇となって縦横無尽に飛び回り、あちこちの空間から突如出現する『風小』。

(人間じゃねぇんだよなぁ……)

 そんなことを考えて、ぼんやりしてしまう。

「北條さん?」

 姫緒の声に、北條がハッとして我に返る。

「風小の実力は北條さんもご存じのとおりです。あやかしを倒すことは不可能でも、アナタを保護、逃避させることはお約束しましょう。もちろん、召還した風小は北條さんの思いのまま。手となり足となり、きっと満足していただける仕事をこなすこと請け合いです」

「オモイノママ……」

 何故か、その言葉の反芻に心地よい北條だった。

「いかがでしょう。北條さん。たった一晩、今晩から明日の朝までの十数時間を留守番してくだされば良いのです。もちろんそれなりの報酬はさせていただきます。それに加えて」

 姫緒がすっと身を乗り出す。つられて北條もテーブルの方へ身をかがめた。

「もしも万が一、あやかしが出現した場合、迷惑料として、北條さんに残っている借金を、全て帳消しにさせていただきます」

 クラリ……。と心が揺れる。

 安っぽい人道主義、オモイノママな風小、借金。

「もし、俺が断わったら……」

「可能性です。北條さん。この話がそのまま、他の可能性のある方に回るだけです」

 『可能性のある方とは、つまり、『あやかし事に関わった事のある人物』。
 姫緒の言葉で、北條の脳裏には、でっぷりと脂ぎった河童ハゲの熟年男性がボンテージ姿の風小を鞭と蝋燭で責め立てる情景が浮かぶ。

「アァ……。(ビシィ!)いたい!アつイィ……。堪忍してくださませデスよ……。かんにんして……、もう……、やめ……て……、(ビシィ!)ヒぎぃ……!」

 鞭で裂かれ、血が滲む身体を白い蝋燭まみれにしながら、ひぃひぃと息絶え絶えに身悶える、哀れな風小の痴態の妄想が、かき消すほどに広がっていく。

「わかった、わかったから」

 何が判ったのか自分でも納得できないまま、北條は声に出して答えていた。

「引き受けていただける?」

 確認するように姫緒が言うと、北條が少し考えたような仕草をする。

「だがよ。その。ペンダントを依頼主に渡せば済む事じゃねぇのか?」

「それは出来ません。鬼追師としてのプライドがあります」

 姫緒は、すました顔でそう答えると、意味ありげに微笑んで、テーブルから立ち上がった。





 こうして北條は『鬼追師』の依頼を受け、彼女が言うところの留守番を引き受けた。
 最後に北條の背中を一押ししたのは、ボンテージ服や借金や安っぽいヒューマニズムではなく、姫緒という『退魔師』のチカラを信じた上での好奇心。
 如何なる人間が、『あやかし』によってどんな不幸に陥っているのかを覗き見たいという、不謹慎極まりない、人の業だった。

 人ヲ呪ワバ穴フタツ。

 仕事自体は納得して受けた物だ。多少、腑に落ちなくもないが、どうこう言うつもりはない。北條の凹みの原因は他にあった。
 あの場に居合わせた女子職員。まこと姦かしましい彼女たちによって、北條達の会話する姿は、その後、瞬く間に会社中にばらまかれ、その日の夕方までに広まった噂は……。

曰く、

北條が、振られた女に人を使って悪戯電話をかけようとしている。

北條が、ストーカーしていた女子高生を逆恨みし殺そうとしている。

北條が、交際していた女子高生に振られて逆上し、殺すため殺し屋を雇った。

北條が、女子高生を孕まして、殺し屋を雇うため駅の伝言板にXYZと書き込んだ。

北條が……。

北條……。

 同僚、長瀬の情報リークによって事の次第を知った北條は、(長瀬は、北條がキャッチセールスで質たちの悪い幸運のペンダントを売りつけられ、金が払えず、昔手込めにした気質でない女に相談したら、悪質な金貸しを紹介されて自己破産しそうになっているという説を信じており、他に流れている『デマ』を何とかした方が良いという提言だった。)業務終了のチャイムと共に逃げ出すように退社せざるおえなかった。
 それも、これも……。

「鬼ィ追師ィー!!!」

 指示された電車とバスを乗り継ぎながら人生最大の後悔の念を抱き、北條は爽やかな初夏の街を、憂鬱に歩いていた。
 会社でのとても拭えそうにない汚名の言い訳を、それでも考えながら。


 バスから降りた頃にはすっかり日は暮れていた。
 ダラダラと歩いて5分くらいの道のりを進むと、煉瓦色七階建てのマンションの前に着いた。
 塀の入り口には、左右に低い花木の植え込みと門扉があり、向かって右側の植え込みには、『ジャンヌ・ボウ』と明朝体の金文字で書かれた碑銘が、二灯のライトでアップされている。
 黄色い煉瓦敷きの遊歩道を進んで、入り口の自動ドアから建物の内に進む。
 入ってすぐ右手側に受付と書かれたガラスの小窓があり、その奥に建物のエントランスホールへ続く自動ドアが控えてた。
 自動ドアの右脇には、腰の高さほどの円錐形をしたコンソールがあり、その上の壁に、マンションの略図と部屋の番号を一致させたプラスチック製の看板がかかっている。
 そちらのコンソールを操作し、内部の人間に承認をもらって中の自動ドアのロックを解除して貰うという、スタンダードなセキュリティの様だった。
 受付の小窓から見える小部屋の中で、初老の老人が何やら身支度をしているのが見えた。
 北條は、マンションの受付に管理人が詰めているのは夕方までで、夜になるとセキュリティシステムのみの警備になると教えられていたのを思いだし、この老人は管理人で、帰り支度をしているのだろうと推し量る。
 老人は緑色の作業服をロッカーの中に仕舞い、中からブレザーを取りだし羽織ると、壁に掛けてあるショルダーバックに手を掛けた。
 非常に取っつきにくい渋面の、北條がはげしく苦手とする雰囲気の老人だったので、声をかけるのは躊躇われたが、このマンションにはそれなりの幾ばくかの規則があるはずで、その『管理人』が自分の目の前に存在している以上、無視して通りすぎるわけにもいかず、小窓を開けて中をのぞき込み声をかける。

「すみません。七○七号室の柳岡さんにお会いしたいのですが」
 極めて事務的な感情を押し殺した声、北條にしてみればよかれとしたことだったが、この紳士には、いささか何事かの不信を抱かせたようだった。ジロリと北條を一瞥すると一呼吸置いて口を開く。

「姫緒興信所の方?」

「はい、そうです」

 依頼人本人以外には『興信所』と名乗ること、それも姫緒との打ち合わせどおりだった。
 だっのだが。この管理人にまで段取りがついている事は少し予想外だった。
 大体、段取ってあるのなら、何もこんな、子供が泣き出しそうな目つきで睨まなくても良さそうな物だと、愛想笑いを浮かべながら心の中で毒づいた。
 老人はゆっくりと、管理人室の中を移動し、小部屋の扉から北條のいる玄関へと出てきた。

「聞いてはいるが。話が違う。悪いが直接了解を取ってくれ。ここではそう言う規則だ」

 管理人はそう言って、コンソールを指さした。

「部屋番号を打ち込んでエンターキーだ。それでインターホンが繋がる」

 自分の出てきた管理人室の扉と受付の小窓にシャッターを降ろし、そう説明すると、「それじゃ。私は終業なので」といってそそくさと外へ出ていってしまった。

「なんだ、ありゃあ」

 今ひとつ理解に苦しむ管理人の態度に、北條はしばし、あっけに取られていた。
 気を取り直してコンソールに進む。略図に目を走らせると、七○七号室は最上階、南側の角部屋であることが判った。教えられたとおりコンソールで部屋番号を打ち込み、エンターを押す。
 内にこもったチャイムの音がして、程なくインターホンから……。

「はい。どちら様でしょうか?」

 驚いたことに女性の声がした。
 そう言えば北條は、姫緒から依頼主の柳岡という名字しか教えられていなかった。そしてその依頼主が、男であるという先入観を持っていたことに気づいた。
 それは、自分がかつて、姫緒の依頼主であったと言う既成事実からの固定概念であり、なにより、あやかしが、ある種の『呪詛』によって発現するという凡例を、身を持って体験したため、今度の依頼主も必ずや嫌われ者の間抜けな男性であると。無意識に心の深い場所で信じていたのだった。
 (その事を再確認してしまうと、北條はなんだか自分が情けなくなり、キリキリと胸が痛んだ)

「柳岡さんのお宅でしょうか、姫緒、霊査所から派遣されました北條です」

「えっ?あっ」

 意外な反応だった。まるで戸惑っている様なニュアンスが感じられる。
 一瞬の間。北條に小さな不安が走った。

「すいません。今開けますので。中央のエレベーターからおいで下さい。最上階の……」

「一番角ですよね」

 続く返事が色好いものであったことで、取り敢えず訝しげな反応の事は気にしないことにして、素直にロックの解除された自動ドアに進みホールに進み行った。
 中央にはの二機のエレベーターがあり、その間の壁には金属製のマンションの案内板が貼り付けられ、確認すると、医療センターや床屋、二十四時間営業のコンビニエンスストア。外部の者も利用できる会員制の温水プールやフィトネスクラブまでが有ることが判る。

「まるで小さな街だな……」

 北條は自分の住むアパートに毛が生えた程度の賃貸マンションを思い出し、一人嘆いた。
 エレベーターに乗り込む。
 七階は最上階だった。
 階についてエレベーターを降りると、北條は廊下を右に進み、角の部屋を目指す。極々シンプルな鉄製の入り口の前に立ち、ドアに貼り付けられた金色のプレートを確認した。『七○七 YANAOKA』と横書きしてある。
 プレートの下には名刺大のプラスチックプレートが貼り付けてあり、赤い文字で『なゆの甘味屋さん』とあった。間違いなさそうだ。インターホンのボタンを押す。

「はい!お待ちしてました。今開けますから」

 下のインターホンの時とはうって変わった、歯切れのいい返事が返って来て、程なくドアが開けられると、家の主が顔を出す。
 愛想のいい笑顔が非常に印象的な娘が、無邪気な眼差しを上目づかい気味にして北條を見た。長い髪を頭の後ろでざっくりと三つ編みにして、緑のゴムバンドで止めている。

「はじめまして。姫緒霊査所から派遣されました北條です。柳岡さん……、ですね?」

 相手が意外なほど若くて好印象だったため、真面目な調査員の声質を意識し、気取った調子で北條が挨拶する。

 頬をほんのり桜色に染めながら、綾子が軽く会釈した。

「こ、コンバンワ。初めまして。綾子です」

 妙に初々しく嫌みのない表情に北條の顔がでれでれに緩んだ。
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「お尻をたたかれたい」と想い続けてきた理沙。 ある日、憧れの先輩の家が家でお尻をたたかれていること、さらに先輩の家で開かれているピアノ教室では「お尻たたきのお仕置き」があることを知る。 早速、ピアノ教室に通い始めた理沙は、先輩の母親から念願のお尻たたきを受けたり同じくお尻をたたかれている先輩とお尻たたきの話をしたりと「お尻たたきのある日常」を満喫するようになって……

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
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校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

声劇・シチュボ台本たち

ぐーすか
大衆娯楽
フリー台本たちです。 声劇、ボイスドラマ、シチュエーションボイス、朗読などにご使用ください。 使用許可不要です。(配信、商用、収益化などの際は 作者表記:ぐーすか を添えてください。できれば一報いただけると助かります) 自作発言・過度な改変は許可していません。

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