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とおりゃんせ考
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風小が綾子を見送り、二階に戻った時、姫緒はダイニングの、小さなテーブルに腰掛け、あらぬ方向を見ながら何事かを考えているようだった。
風小が上がって来たことに気づかぬ様子で暫くそうしていたが、何かを考えついたように小狡くニヤついた丁度その時、近づいて来た風小を見とめた。
姫緒は耳朶まで真っ赤になって彼女から目をそむけると、小さく『コホン』と空咳をして誤魔化す。
そんな姫緒を、風小は意に介しないといったふうに、空のコーヒーカップの乗ったお盆を持ったまま、キッチンへと向かう。
「あなたのそんな態度は時として人の辛い気持ちにトドメを刺すわね」
姫緒が彼女の後ろ姿にそう毒づいた。
風小は、その声に振り向くことなく首を横に傾げ、戯けたようにお辞儀すると、無言のままキッチンへと消える。
「あなたも感じてるでしょ?」
姫緒がキッチンの風小にたずねる。
「はい。綾子さんは、もの凄い『嫌なモノ』に取り込まれてますデスね」
そう言いながら風小はキッチンの入り口に現われる。
「直接お会いしてお顔を見てしまうと、お仕事を断わるのは辛いデスけど。『あれ』はいけませんデス!スルーデスよ!スルー!。あんなの相手にしてたら身体が幾つあっても足りません!調査するまでもアリマセンデスよ、全力戦必至のあやかし反応でしたデスよ」
チカラ一杯そう力説した風小は、姫緒が再び小狡い笑いを浮かべているのに気づいた。
「お断りに……、なるんデスよ……ね?」
恐る恐るたずねる。
「ねぇ、風小。凄い事だとは思わない?」
姫緒はそう言うとフフンと鼻を鳴らして続けた。
「偶然にねじまき屋のサイトを探し出して、いかな理由にせよ、ごくごく普通の娘さんが、あなたの張り巡らした『風の結界』をくぐり抜けてここに来た。わたしに直接合う事が叶わず、素直に電話で仕事の依頼をしてきていたら。風小、あなたはどうしてた?」
「きっぱり断わってましたデスよ」
間髪入れない風小の返事を受けて、姫緒が微笑んだ。
「風小。私は『運命』を『さだめ』と読むのが嫌いよ。人の歩む世は、たとえそれが取るに足らない道となろうとも、定まったものなどあってはならないと思うの。運命は、必ず二択以上の分岐があり、人はそれを得るチャンスが公平に訪れなければならないと思わない?さて。そこであの依頼主、綾子の運命を定まったもので無いようにできるのは?」
姫緒の話を静かに聞いていた風小は、大きく溜息をついて言葉をつないだ。
「はい。多分、姫さま以外に彼の娘の『さだめ』を変えることはできないでしょう」
「あの娘は自分の運と行動力、そして人々の善意と悪意でそのチャンスを掴んだ。どう?己の、閉じかけた世界を己のチカラで開こうとして足掻いている、か弱き娘さんを、見捨てるワケにはいかないんじゃない?」
姫緒の言葉に風小は小さく頷いた。
「姫さまのお好きなように。私は姫さまの『忠実な片割れ』ですから。ただついていくだけデスよ」
姫緒は、満足げな表情で強く頷いた。
「あらあらあら。偽善者が集会開いてる」
ベージュ色のバスローブに身を包み、頭をタオルで固めた風呂上がり姿のレンレンが、下階から階段を上がってきた。
「あら、正義の味方と呼んでほしいわね?」
姫緒はそう言うとテーブルから降り、彼女に椅子を勧める。レンレンがやつれたような顔で椅子に座り込むと、姫緒が傍らに立った。
「話せる?」
レンレンの顔色を気遣いつつも姫緒が尋ねる。レンレンは目を閉じながら怠そうに頷いた。
「じゃ、話してちょうだい。いったい何が起こったのか」
「こっちが知りたいわよん」
不機嫌そうにレンレンが言う。
「たまに、あるのよ。サイコダイバー用の『罠』。ブラウザー・クラッシャーって通称されてるんだけどぉ……」
「パソコンの?」
「そう。あんな感じの仕組み。ある情報へアクセスしようとすると、圧縮されたもの凄い画面がダイバーの精神内へなだれ込むの。イメージそのものが精神にダメージを与える事もあるし、情報量の多さで精神が崩壊してしまう事もあるわん。ダイバーは精神的外傷を負ってしまったり、悪ければ廃人になることも。でも……」
「でも?」
姫緒に促されてもレンレンはすぐには話を続けなかった。
やっとという体で口を開く。
「それとは違う、罠という概念ではないもの。意識が消えていく。説明しにくいけど……」
「心が溶ける?」
姫緒は先ほどの騒動中のレンレンの言葉を思い出した。レンレンが重々しく頷く。
「そんな言い方しか思い付かないわねん。ヒトが人であることを止めようとする。溶けていく心に、私の精神も巻き込まれそうになった。それは言うなれば『死への墜落』」
そう言うと、レンレンは気をとり直すように大きく深呼吸して続けた。
「人はね、『死』というものに対して、最大の抑止力が働くものなのよん。自殺者の心理でも、『死』は『死にたい』という『崩壊』の方向ではなくて、『幸せになりたい』イコール『生きたい』という、一見矛盾のような精神の『組み立て』によって起こるものなのよん。催眠術や、サイコダイブによる精神への干渉でも、その壁は取り外せるものではないの。なのに、綾子の精神は崩壊を始めた。あの状況において『生きている』綾子が自らそれを行うのは、それは絶対に無理。では、誰がやったのか?誰がやったにしろ……」
レンレンが強い眼差しで姫緒を見つめた。
「それは、『死』をも操れるかも知れないということ。いかようかの手段によって、死ぬことを決定する術を持っているかも知れないという事よん」
「やばそうね」
姫緒はそう言って微笑む。
「ヤバイワヨ」
身を乗り出し、ドスの聞いた声でレンレン。
「だいじょおぶですよぉ。姫さまは強いデスから」
と、風小が無責任に胸を張った。
レンレンが嘆息をもらす。
「勝手にすればぁ。その代わり、敵の正体が何なのかわかるまで、私はもう絶対にサイコダイブはしませんからねぇ」
レンレンがそう言うと姫緒は相変わらずニヤニヤしながら彼女に身体をすり寄せた。
「もちろんよ、レンレン。あなたには別の仕事を手伝って貰うわ」
「な、ちょっと待ってよ!私は別にそんな意味で言ったワケじゃあ。巻き添えはごめんだと言ってるのよん!」
しかし、姫緒の顔をみたレンレンは、有無も言わせぬ涼しげな笑顔が自分を見ているのを知った。
「もう逃がしてもらえないのねぇ」
再び大きな溜息をつくレンレンに、風小が物言わずに『うんうん』と小さく何度も頷いて見せた。
「あなたは、北海道に行ってもらいたいのよ」
「北海道?なんで北海道?」
突然、姫緒が彼女の前にノートとアルバムを数冊積み上げた。
「行方不明の綾子の姉。那由子の日記とアルバムよ。彼女は四年前の北海道で、或る『歌』を聞いてから、何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いの」
「ちょっと待って」
レンレンが尋ね返す。
「『歌』って言ったわよね?『歌』って『あの歌』のこと?」
姫緒が頷く。
「多分ね。間違いないでしょう。あの歌はね、『とおりゃんせ』と言うのよ。日本の童歌。というより遊び歌」
「遊び歌?」
「そう。数人の子供達であそぶ遊びでね。子供二人が向かい合って、手を繋いで橋を作り、『とおりゃんせ、とおりゃんせ』と歌うの。その下を、残りの数人の子供達が文字通り通り抜けていくのよ。歌が終わった時、橋を作っていた二人の手が下ろされ、橋の下にいた子供を捕まえるの。その時、捕まった子が新しい『鬼』。橋を作っていた子供と入れ替わって、また最初から」
そう言いながら姫緒はメモ用紙に歌の歌詞を書いていった。
とおりゃんせ、とおりゃんせ
ここはどこのほそみちじゃ
てんじんさまのほそみちじゃ
どうぞとおしてくだしゃんせ
ごようのないものとおしゃせぬ
このこのななつのおいわいに
おふだをおさめにまいります
いきはよいよいかえりはこわい
こわいながらもとおりゃんせとおりゃんせ
レンレンは書き上がった用紙を受け取り、ひととおり目を通してみる。
「変な歌ねぇ」
そう言って顔をしかめた。
「大体、『橋』なんてどこにも出て来ないじゃない。それに、『とおりゃんせ』で始まっているのに『ご用のナイモノとおしゃせぬ』ってのも変!おまけに、何で行きは良いのに帰りは『怖い』のぉ?」
レンレンがそう毒づくと、姫緒はフッと笑って口を開いた。
「さっき『橋』って言ったのは、あなたがイメージしやすいように言ったのよ。本当の設定はね『とおすべき人のいる、とおせない場所』。 つまり、『関所』ね。二人の子供は『関所の門』を表し、両腕は『門の扉』といったところかしらね」
姫緒は了解したかというようにレンレンに目配せして続ける。
「この歌はね、埼玉県の川越市にある、三芳野神社での七五三の風景を歌った歌なの。「天神様」と歌詞に出てくるように、菅原道真公を祭った神社でね。面白いことに、川越城の城内にあった神社なのよ。まぁ、最もお城の方が後に出来たのだけれどね。そんなわけで、普段は一般人が参賀するなんて、許されなかったのだろうけれど。一年に一度、大祭のある日だけ、庶民は城内に入り参賀する事を許されたの」
「ああ……」
レンレンが納得したと言うように相づちをうつ。
「だから、『関所』なわけねん」
姫緒が頷く。
「多分、誰でも入れるというワケじゃ無かったのかも知れないわね。で、七つ、七五三のことね。そのお祝いのお札を納めたいから通してほしいと」
「それで『とおりゃんせ、とおりゃんせ』となるワケねぇ。でも、じゃあどうして『帰りは怖い』なの?」
「ここで言う『こわい』は『恐ろしい』という意味とは違うのよ」
「?日本語に『こわい』なんて同音異義語あったかしらん?」
レンレンは真剣に悩んでいた。
「あなたには解らないわよ。というか、今となっては解らない人の方が多いかも」
「どういう事?」
「この言葉はね。方言なの」
「方言?」
訝しげに繰返すレンレンの言葉を受けて姫緒は頷く。
「そう、方言。北関東から東北にかけてのもので、一部京都の方でもそう言うらしいって聞いたことあるけど。まぁ、それは定かでないにしても、『こわい』と言うのは『疲れた』或いは『疲れる』という意味の方言なのよ」
「へー。だから、『行き』では無くて『帰り』がこわいってワケねん。つまり、この歌の最後ってぇ……」
「行くのは良いけど、子供連れでは、帰りは疲れるよ。大変だろうが気を付けて行ってらっしゃい。くらいの意味かしらね」
「なぁーんだ。全然、つまんないじゃない」
「何を期待してたのよ……。最初に言ったでしょ、童歌だって。歌の内容なんて、みんなそんなもんよ」
姫緒は、レンレンに向き直って続けた。
「歌の意味は、関係ないと思うの。あの歌は那由子にとってだけの何らかのメッセージを持っていたのよ。それを、旅行中のどこで、どんな風に聞いたかを知ることができれば、有力な手がかりになるはずよ」
「ずるいわよぉ、かなり危ないじゃないの。事件発祥の地よん!」
レンレンが納得行かないとばかりに食ってかかった。
「事件が起こったのは、こっちに帰ってきてからよ。北海道はあくまで『きっかけ』に過ぎないわ……」
姫緒はそう言って、風小に目を移す。
「とはいえ、確かに危険が全く無いとは言い切れないのは事実だから……。風小を貸すわ」
「えーっ!」
風小から不満の声があがる。が……、黙殺。
「それでもずるいわよぉ!あなたが風小と行って来ればいいじゃないの」
レンレンのもっともな意見。
「駄目よ。私は、別の場所を調査しなくちゃならないわ、だからこそあなたに頼んでるの」
全く動じることなく姫緒が答える。
「別の場所?」
「そう。ふたりの故郷……。新潟だって」
「故郷?なんで『故郷』?」
再び納得いかなげにレンレンが尋ね返す。
「綾子の言っていた、那由子が『嫌なことがあって、街を出たいといつも思っていた』というのも気になるのだけど。ねぇ、レンレン。あなたの国にも『とうりゃんせ』みたいな童歌はあるの?」
突然の質問に、一瞬、面食らったレンレンだったが、すぐに『馬鹿にしないで』というように胸を張って答えた。
「あったりまえでしょう!よく歌ったものよん」
「結構。ならば、ネモ・レンレン。あなたが最近、童歌を歌ったのはいつ?」
レンレンは、続く姫緒の質問の真意が解らないまま答えた。
「かなり昔。思い出せないわよぉ」
「あら、そう?日本では童歌は子供が歌うんだけど。やはり大人になったら歌わないわよねぇ」
「あっ!」
姫緒の言葉を聞いて、ようやくレンレンも気づいたようだった。
「そうよ。『とおりゃんせ』は子供の歌なの。つまり、『根』は故郷にあるに違いないわ。北海道は『葉』の部分、で、今暮らす場所で『花』が咲いた。そう考えるのが、妥当だと思わない?」
「面白そうねぇん」
そう言うレンレンの口調には、興味シンシンと言った感情がありありと浮かんでいる。
「了解したと言う事でいいのね?」
そう言った後、風小に向かって姫緒が言った。
「明日にでも綾子さんに連絡を取って頂戴。それと、『風水銃』はどうなっているかしら?」
「はい。『ねじまき屋』の所にオーバーホールに出てます。明後日には戻ってくる予定デスよ」
「では、綾子さんには、その後お会いしたいと伝えておいて頂戴。銃は是非とも必要になるはずだから」
姫緒が階段へ向かって歩き出す。風小は離れていく姫緒の後ろ姿に無言でお辞儀をした。
と、そのとき。
風小の脳裏に、先ほど姫緒の小狡い微笑みが思い浮かび、背筋に走る悪寒と共に、一つの考えが過ぎった。
「姫さま……」
ギクリ、と、姫緒の歩みが止まる。
「姫さま。まさかとは思いますが。まさか『すっごい危険な目に遭いそうで、面白そうだ』とか思って引き受けるワケじゃないですよね!」
風小が問いただす。
一瞬、垣間見えた、悪魔のように冷ややかに微笑む姫緒の表情を、風小は見逃さなかった。
「姫さま!」
もはや疑う余地はない。
「頼んだわよ」
螺旋階段を上がって行く姫緒の姿が、ゆっくりと上階へ消えていく。
「姫さまっ!!」
全身に力を込め、エプロンの大きなリボンのような結び目をびりびりと震わせながら、ありったけの声で、風小が一度大きく叫んだ。
返事は無かった。
「On y va faire la fête」
テーブルに一人座り、その光景を見ていたレンレンがぽつりと呟き微笑んだ。
風小が上がって来たことに気づかぬ様子で暫くそうしていたが、何かを考えついたように小狡くニヤついた丁度その時、近づいて来た風小を見とめた。
姫緒は耳朶まで真っ赤になって彼女から目をそむけると、小さく『コホン』と空咳をして誤魔化す。
そんな姫緒を、風小は意に介しないといったふうに、空のコーヒーカップの乗ったお盆を持ったまま、キッチンへと向かう。
「あなたのそんな態度は時として人の辛い気持ちにトドメを刺すわね」
姫緒が彼女の後ろ姿にそう毒づいた。
風小は、その声に振り向くことなく首を横に傾げ、戯けたようにお辞儀すると、無言のままキッチンへと消える。
「あなたも感じてるでしょ?」
姫緒がキッチンの風小にたずねる。
「はい。綾子さんは、もの凄い『嫌なモノ』に取り込まれてますデスね」
そう言いながら風小はキッチンの入り口に現われる。
「直接お会いしてお顔を見てしまうと、お仕事を断わるのは辛いデスけど。『あれ』はいけませんデス!スルーデスよ!スルー!。あんなの相手にしてたら身体が幾つあっても足りません!調査するまでもアリマセンデスよ、全力戦必至のあやかし反応でしたデスよ」
チカラ一杯そう力説した風小は、姫緒が再び小狡い笑いを浮かべているのに気づいた。
「お断りに……、なるんデスよ……ね?」
恐る恐るたずねる。
「ねぇ、風小。凄い事だとは思わない?」
姫緒はそう言うとフフンと鼻を鳴らして続けた。
「偶然にねじまき屋のサイトを探し出して、いかな理由にせよ、ごくごく普通の娘さんが、あなたの張り巡らした『風の結界』をくぐり抜けてここに来た。わたしに直接合う事が叶わず、素直に電話で仕事の依頼をしてきていたら。風小、あなたはどうしてた?」
「きっぱり断わってましたデスよ」
間髪入れない風小の返事を受けて、姫緒が微笑んだ。
「風小。私は『運命』を『さだめ』と読むのが嫌いよ。人の歩む世は、たとえそれが取るに足らない道となろうとも、定まったものなどあってはならないと思うの。運命は、必ず二択以上の分岐があり、人はそれを得るチャンスが公平に訪れなければならないと思わない?さて。そこであの依頼主、綾子の運命を定まったもので無いようにできるのは?」
姫緒の話を静かに聞いていた風小は、大きく溜息をついて言葉をつないだ。
「はい。多分、姫さま以外に彼の娘の『さだめ』を変えることはできないでしょう」
「あの娘は自分の運と行動力、そして人々の善意と悪意でそのチャンスを掴んだ。どう?己の、閉じかけた世界を己のチカラで開こうとして足掻いている、か弱き娘さんを、見捨てるワケにはいかないんじゃない?」
姫緒の言葉に風小は小さく頷いた。
「姫さまのお好きなように。私は姫さまの『忠実な片割れ』ですから。ただついていくだけデスよ」
姫緒は、満足げな表情で強く頷いた。
「あらあらあら。偽善者が集会開いてる」
ベージュ色のバスローブに身を包み、頭をタオルで固めた風呂上がり姿のレンレンが、下階から階段を上がってきた。
「あら、正義の味方と呼んでほしいわね?」
姫緒はそう言うとテーブルから降り、彼女に椅子を勧める。レンレンがやつれたような顔で椅子に座り込むと、姫緒が傍らに立った。
「話せる?」
レンレンの顔色を気遣いつつも姫緒が尋ねる。レンレンは目を閉じながら怠そうに頷いた。
「じゃ、話してちょうだい。いったい何が起こったのか」
「こっちが知りたいわよん」
不機嫌そうにレンレンが言う。
「たまに、あるのよ。サイコダイバー用の『罠』。ブラウザー・クラッシャーって通称されてるんだけどぉ……」
「パソコンの?」
「そう。あんな感じの仕組み。ある情報へアクセスしようとすると、圧縮されたもの凄い画面がダイバーの精神内へなだれ込むの。イメージそのものが精神にダメージを与える事もあるし、情報量の多さで精神が崩壊してしまう事もあるわん。ダイバーは精神的外傷を負ってしまったり、悪ければ廃人になることも。でも……」
「でも?」
姫緒に促されてもレンレンはすぐには話を続けなかった。
やっとという体で口を開く。
「それとは違う、罠という概念ではないもの。意識が消えていく。説明しにくいけど……」
「心が溶ける?」
姫緒は先ほどの騒動中のレンレンの言葉を思い出した。レンレンが重々しく頷く。
「そんな言い方しか思い付かないわねん。ヒトが人であることを止めようとする。溶けていく心に、私の精神も巻き込まれそうになった。それは言うなれば『死への墜落』」
そう言うと、レンレンは気をとり直すように大きく深呼吸して続けた。
「人はね、『死』というものに対して、最大の抑止力が働くものなのよん。自殺者の心理でも、『死』は『死にたい』という『崩壊』の方向ではなくて、『幸せになりたい』イコール『生きたい』という、一見矛盾のような精神の『組み立て』によって起こるものなのよん。催眠術や、サイコダイブによる精神への干渉でも、その壁は取り外せるものではないの。なのに、綾子の精神は崩壊を始めた。あの状況において『生きている』綾子が自らそれを行うのは、それは絶対に無理。では、誰がやったのか?誰がやったにしろ……」
レンレンが強い眼差しで姫緒を見つめた。
「それは、『死』をも操れるかも知れないということ。いかようかの手段によって、死ぬことを決定する術を持っているかも知れないという事よん」
「やばそうね」
姫緒はそう言って微笑む。
「ヤバイワヨ」
身を乗り出し、ドスの聞いた声でレンレン。
「だいじょおぶですよぉ。姫さまは強いデスから」
と、風小が無責任に胸を張った。
レンレンが嘆息をもらす。
「勝手にすればぁ。その代わり、敵の正体が何なのかわかるまで、私はもう絶対にサイコダイブはしませんからねぇ」
レンレンがそう言うと姫緒は相変わらずニヤニヤしながら彼女に身体をすり寄せた。
「もちろんよ、レンレン。あなたには別の仕事を手伝って貰うわ」
「な、ちょっと待ってよ!私は別にそんな意味で言ったワケじゃあ。巻き添えはごめんだと言ってるのよん!」
しかし、姫緒の顔をみたレンレンは、有無も言わせぬ涼しげな笑顔が自分を見ているのを知った。
「もう逃がしてもらえないのねぇ」
再び大きな溜息をつくレンレンに、風小が物言わずに『うんうん』と小さく何度も頷いて見せた。
「あなたは、北海道に行ってもらいたいのよ」
「北海道?なんで北海道?」
突然、姫緒が彼女の前にノートとアルバムを数冊積み上げた。
「行方不明の綾子の姉。那由子の日記とアルバムよ。彼女は四年前の北海道で、或る『歌』を聞いてから、何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いの」
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姫緒が頷く。
「多分ね。間違いないでしょう。あの歌はね、『とおりゃんせ』と言うのよ。日本の童歌。というより遊び歌」
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「そう。数人の子供達であそぶ遊びでね。子供二人が向かい合って、手を繋いで橋を作り、『とおりゃんせ、とおりゃんせ』と歌うの。その下を、残りの数人の子供達が文字通り通り抜けていくのよ。歌が終わった時、橋を作っていた二人の手が下ろされ、橋の下にいた子供を捕まえるの。その時、捕まった子が新しい『鬼』。橋を作っていた子供と入れ替わって、また最初から」
そう言いながら姫緒はメモ用紙に歌の歌詞を書いていった。
とおりゃんせ、とおりゃんせ
ここはどこのほそみちじゃ
てんじんさまのほそみちじゃ
どうぞとおしてくだしゃんせ
ごようのないものとおしゃせぬ
このこのななつのおいわいに
おふだをおさめにまいります
いきはよいよいかえりはこわい
こわいながらもとおりゃんせとおりゃんせ
レンレンは書き上がった用紙を受け取り、ひととおり目を通してみる。
「変な歌ねぇ」
そう言って顔をしかめた。
「大体、『橋』なんてどこにも出て来ないじゃない。それに、『とおりゃんせ』で始まっているのに『ご用のナイモノとおしゃせぬ』ってのも変!おまけに、何で行きは良いのに帰りは『怖い』のぉ?」
レンレンがそう毒づくと、姫緒はフッと笑って口を開いた。
「さっき『橋』って言ったのは、あなたがイメージしやすいように言ったのよ。本当の設定はね『とおすべき人のいる、とおせない場所』。 つまり、『関所』ね。二人の子供は『関所の門』を表し、両腕は『門の扉』といったところかしらね」
姫緒は了解したかというようにレンレンに目配せして続ける。
「この歌はね、埼玉県の川越市にある、三芳野神社での七五三の風景を歌った歌なの。「天神様」と歌詞に出てくるように、菅原道真公を祭った神社でね。面白いことに、川越城の城内にあった神社なのよ。まぁ、最もお城の方が後に出来たのだけれどね。そんなわけで、普段は一般人が参賀するなんて、許されなかったのだろうけれど。一年に一度、大祭のある日だけ、庶民は城内に入り参賀する事を許されたの」
「ああ……」
レンレンが納得したと言うように相づちをうつ。
「だから、『関所』なわけねん」
姫緒が頷く。
「多分、誰でも入れるというワケじゃ無かったのかも知れないわね。で、七つ、七五三のことね。そのお祝いのお札を納めたいから通してほしいと」
「それで『とおりゃんせ、とおりゃんせ』となるワケねぇ。でも、じゃあどうして『帰りは怖い』なの?」
「ここで言う『こわい』は『恐ろしい』という意味とは違うのよ」
「?日本語に『こわい』なんて同音異義語あったかしらん?」
レンレンは真剣に悩んでいた。
「あなたには解らないわよ。というか、今となっては解らない人の方が多いかも」
「どういう事?」
「この言葉はね。方言なの」
「方言?」
訝しげに繰返すレンレンの言葉を受けて姫緒は頷く。
「そう、方言。北関東から東北にかけてのもので、一部京都の方でもそう言うらしいって聞いたことあるけど。まぁ、それは定かでないにしても、『こわい』と言うのは『疲れた』或いは『疲れる』という意味の方言なのよ」
「へー。だから、『行き』では無くて『帰り』がこわいってワケねん。つまり、この歌の最後ってぇ……」
「行くのは良いけど、子供連れでは、帰りは疲れるよ。大変だろうが気を付けて行ってらっしゃい。くらいの意味かしらね」
「なぁーんだ。全然、つまんないじゃない」
「何を期待してたのよ……。最初に言ったでしょ、童歌だって。歌の内容なんて、みんなそんなもんよ」
姫緒は、レンレンに向き直って続けた。
「歌の意味は、関係ないと思うの。あの歌は那由子にとってだけの何らかのメッセージを持っていたのよ。それを、旅行中のどこで、どんな風に聞いたかを知ることができれば、有力な手がかりになるはずよ」
「ずるいわよぉ、かなり危ないじゃないの。事件発祥の地よん!」
レンレンが納得行かないとばかりに食ってかかった。
「事件が起こったのは、こっちに帰ってきてからよ。北海道はあくまで『きっかけ』に過ぎないわ……」
姫緒はそう言って、風小に目を移す。
「とはいえ、確かに危険が全く無いとは言い切れないのは事実だから……。風小を貸すわ」
「えーっ!」
風小から不満の声があがる。が……、黙殺。
「それでもずるいわよぉ!あなたが風小と行って来ればいいじゃないの」
レンレンのもっともな意見。
「駄目よ。私は、別の場所を調査しなくちゃならないわ、だからこそあなたに頼んでるの」
全く動じることなく姫緒が答える。
「別の場所?」
「そう。ふたりの故郷……。新潟だって」
「故郷?なんで『故郷』?」
再び納得いかなげにレンレンが尋ね返す。
「綾子の言っていた、那由子が『嫌なことがあって、街を出たいといつも思っていた』というのも気になるのだけど。ねぇ、レンレン。あなたの国にも『とうりゃんせ』みたいな童歌はあるの?」
突然の質問に、一瞬、面食らったレンレンだったが、すぐに『馬鹿にしないで』というように胸を張って答えた。
「あったりまえでしょう!よく歌ったものよん」
「結構。ならば、ネモ・レンレン。あなたが最近、童歌を歌ったのはいつ?」
レンレンは、続く姫緒の質問の真意が解らないまま答えた。
「かなり昔。思い出せないわよぉ」
「あら、そう?日本では童歌は子供が歌うんだけど。やはり大人になったら歌わないわよねぇ」
「あっ!」
姫緒の言葉を聞いて、ようやくレンレンも気づいたようだった。
「そうよ。『とおりゃんせ』は子供の歌なの。つまり、『根』は故郷にあるに違いないわ。北海道は『葉』の部分、で、今暮らす場所で『花』が咲いた。そう考えるのが、妥当だと思わない?」
「面白そうねぇん」
そう言うレンレンの口調には、興味シンシンと言った感情がありありと浮かんでいる。
「了解したと言う事でいいのね?」
そう言った後、風小に向かって姫緒が言った。
「明日にでも綾子さんに連絡を取って頂戴。それと、『風水銃』はどうなっているかしら?」
「はい。『ねじまき屋』の所にオーバーホールに出てます。明後日には戻ってくる予定デスよ」
「では、綾子さんには、その後お会いしたいと伝えておいて頂戴。銃は是非とも必要になるはずだから」
姫緒が階段へ向かって歩き出す。風小は離れていく姫緒の後ろ姿に無言でお辞儀をした。
と、そのとき。
風小の脳裏に、先ほど姫緒の小狡い微笑みが思い浮かび、背筋に走る悪寒と共に、一つの考えが過ぎった。
「姫さま……」
ギクリ、と、姫緒の歩みが止まる。
「姫さま。まさかとは思いますが。まさか『すっごい危険な目に遭いそうで、面白そうだ』とか思って引き受けるワケじゃないですよね!」
風小が問いただす。
一瞬、垣間見えた、悪魔のように冷ややかに微笑む姫緒の表情を、風小は見逃さなかった。
「姫さま!」
もはや疑う余地はない。
「頼んだわよ」
螺旋階段を上がって行く姫緒の姿が、ゆっくりと上階へ消えていく。
「姫さまっ!!」
全身に力を込め、エプロンの大きなリボンのような結び目をびりびりと震わせながら、ありったけの声で、風小が一度大きく叫んだ。
返事は無かった。
「On y va faire la fête」
テーブルに一人座り、その光景を見ていたレンレンがぽつりと呟き微笑んだ。
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彼女の夫がしかけたものと思われ…
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
[恥辱]りみの強制おむつ生活
rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。
保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。
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