ぼくらは前世の記憶にダイブして、世界の歴史を書き換える 〜サイコ・ダイバーズ 〜

多比良栄一

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ダイブ4 古代オリンピックの巻 〜 ソクラテス・プラトン 編 〜

第87話 このエウクレスに力を貸してくれないだろうか

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 地面に這いつくばったエウクレスは、ゆっくりと膝をたてて立ちあがった。
 
 ボクシングのルールなら完全な『テン・カウント』。だが、このビュクスではそんなものは関係ない。エウクレスは血がにじむ唇を拭いながら、セイをにらみつけてきた。
 まだ目は死んでいるとは、とうてい言い切れない鋭い眼光——。

「少年、エウクレスを倒しちまえ!」
「ロードスにばかりオリンピックの栄光をとらせるなぁ」
「偉大なるディアゴラスの血をひくヤツが負けるところをみせてくれぇぇぇぇ」

 エウクレスをダウンさせたことで、いつの間にかセイへの声援のほうがおおきくなっていた。オリュンピアの観衆は、体格が劣る者や、勝ち目のない選手が必死に食い下がる姿が好きだと、スピロからは聞かされていたが、こうまであからさまに風向きが変わると、とまどいのほうが大きい。

 すでにエウクレスの顔はそこかしこが紅潮し、左目の瞼が腫れて半分塞がっていた。
 だが、セイはまだ倒せそうもないと感じた。たしかにテクニックでエウクレスの攻撃を奔弄していた。だが彼のからだは頑健で内臓をえぐるほどに打撃が届かないし、その太い首はセイのパンチごときで揺らせられるものではない。
 それでも無駄なパンチを打たせて、相当に体力もスピードも削ったのは確かだ。ただ、まだ一回ダウンしただけで、試合をひっくり返される威力は残っている。
 セイは相手のパンチング・レンジ(射程距離)ギリギリの間合いから、手首のスナップで混ぜることで、パンチがあたかも伸びたように見える『フリッカー・ジャブ』を叩き込んだ。相手を牽制する軽いパンチだったが、カウンター気味ではいって、エウクレスの顔が上に跳ね上がった。

「エウクレス。そんなに打たれすぎちゃあ、爺さんのディアゴラスのような顔になるぞ」
「ディアゴラスは一度もパンチをよけたことがないのが自慢だったらしいが、戦争で荒れ果てた大地のような顔をしてたってさぁ」
 観客の興奮はとどまることを知らなかった。だれかれとなくスタディオンの土手を駆け降りはじめ、ふたりをじりじりと取り囲みはじめた。だれもが野次や声援をわめきちらし、一緒になって避けたり、殴る真似をした。

 そのとき、エウクレスが周りを見回して、大きな声を張った。
「賢明なるギリシアの人々よ。どうして、この名もない少年に肩入れをするのだ?。このエウクレスが反則を犯しているとでもいうのか?。わたしはギリシアの名誉のために戦い、故郷ロードス、そしてかの偉大なる祖父ディアゴラスのために闘っているのだ。それがわからないのか?。
 この少年はどこにあるのかもわからぬ辺境の国から来た者ときく。もしかしたら、市民ではなく奴隷やもしれないのだ。みながわたしとおなじゼウス神を信じているのなら、この異国人ではなく、このエウクレスに力を貸してくれないだろうか」

 エウクレスの真に迫った口上で、群衆の感情が一変したのがわかった。セイに送られていた応援の波が、すーっとひいていく。セイはこの巧みな話術で人との心を鷲掴みにしたエウクレスに、してやられたと思った。
「エウクレスさん。あなたはどうやらよほどすぐれた哲学者に、詭弁の術を学んだらしいね。もしかしたらパンチよりも口のほうが達者じゃないかな」
「ほざけ、小僧。こちらは故郷ロードスの威信と、祖父の名声ががかかっているんだ」
「だったらぼくのような異邦人をこんなことにひっぱりださないでほしかったな」
「おまえがおれのプライドを傷つけたからだぁ。落し前はつけてもらう」
 そう言うと、相も変わらずの一本調子で、パンチを振り回してきた。セイはうしろにスエーバックしてかわした。だが、エウクレスの猛攻はとまらない。セイは、さらにバックステップして、『パンチング・レンジ』の外へとからだを逃がそうとした。が、予期しないことに、うしろにいる観客にぶつかった。
 あわててうしろを振り向くと、すぐそばを群衆の輪が自分を取り囲んでいた。選手のからだから飛び散る汗が降りかかり、選手の腕に手が届きそうなほどの距離。


『なんでこんなに近い!』

 その時人垣から頭ひとつ抜きん出ていたマリアが、両手をメガホンにして叫んだ。
「セイ、気をつけろ!!。まわりの奴らがおまえを狙っているぞ」
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