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ダイブ4 古代オリンピックの巻 〜 ソクラテス・プラトン 編 〜
第57話 トゥキディデスとの対話1
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「本物の歴史学の礎を築いたのは、トゥキディデスさんだってねぇ」
気難しそうな顔をしたトゥキディデスを前にして、ゾーイ・クロニスは前振りもなくいきなり切り込むことにした。
「スピロに聞いたよぉ」
まんざらでもない、と相好を崩すかもと期待したが、トゥキディデスはすこし困ったように眉根を寄せて、静かな声でゾーイのことばに答えた。
「お嬢さん。そう言ってもらえるのは嬉しいが、わたしではない。『歴史』を著したハリカルナッソスの『ヘロドトス』がいる」
「ヘロドトス?、あいつはいけないよぉ。あれは『まがい物』じゃないかい」
「な、なにを言うのかね。ヘロドトスの『歴史』は、アケメネス朝ペルシアとギリシア諸国との間でおきた『ペルシア戦争』を実に克明に著しているのだよ」
「でも嘘まみれなんだろぅ。トゥキディデスさんもご存知のはずさぁ」
「お嬢さん。希代の歴史書とヘロドトスを侮辱するのかね」
トゥキディデスはゾーイに抗議しているようだったが、その声色には非難めいた感情が感じられない。スピロから事前に聞いていたように、トゥキディデスがヘロドトスをそれほど評価していない、とゾーイは確信した。
語気を強めてみることにした。
「ヘロドトスは『歴史の父』と言われてるけどねぇ、ありゃ歴史学じゃないのさ」
そのひとことでトゥキディデスの目の色が変わった。
「『歴史』は伝聞や証言を元に書かれているけどねぇ、信憑性の有無はこれっぽっちも考えられちゃあいないからね。なかには迷信や伝説、いや、それだけじゃない、無数の作り話まで混じっているって言うんだからねぇ」
トゥキディデスがヘロドトスの評価をそう切って捨てたゾーイを、まじまじと見つめてきた。ゾーイは一瞬、彼が掴みかかってくるのでは、と畏怖を感じた。
が、トゥキディデスは、がくりと肩を落とした。観念したという所作に見えたが、表情までわからなかったので、ゾーイは彼がどのような切り返しをしてくるかをつぶさに注視して待った。
「あぁ、そうなのだ……、そうなのだよ」
トゥキディデスの口から嘆きが漏れた。目元を手で押さえたまま、天を仰ぎ見る。それは『芝居がかった』という表現が似つかわしい大仰な仕草に感じられた。
「わたしはヘロドトスの『歴史』をこのオリュンピアで聞いて、歴史を記すことを志したのだ。だが、いざ自分で執筆しはじめてみると、『歴史』は荒唐無稽なエピソードがむやみに取り上げられていたり、余談や脱線があまりに多いことに気づいて失望してしまっていたのだよ」
「まぁ、仕方がないさぁ。ヘロドトスさんは『歴史』を口演されていたんだろう。だから聴衆を楽しませるために、受ける話や派手な話を多少盛った、いや、脚色せざるをえなかっただろうからねぇ」
「そうかもしれん。だがお嬢さん、それは『歴史』ではないのだよ。そもそも、ペルシア戦争をテーマにしているにもかかわらず、その前史というべき各国の神話・伝説・歴史の叙述が延々と続いて冗長ほかならない。それらはたしかに面白いが、事実とはとうてい思えない話ばかりなのだ」
「だから言ったろう。『まがい物』だって。まぁ、後世の専門家の見解だけどねぇ」
気難しそうな顔をしたトゥキディデスを前にして、ゾーイ・クロニスは前振りもなくいきなり切り込むことにした。
「スピロに聞いたよぉ」
まんざらでもない、と相好を崩すかもと期待したが、トゥキディデスはすこし困ったように眉根を寄せて、静かな声でゾーイのことばに答えた。
「お嬢さん。そう言ってもらえるのは嬉しいが、わたしではない。『歴史』を著したハリカルナッソスの『ヘロドトス』がいる」
「ヘロドトス?、あいつはいけないよぉ。あれは『まがい物』じゃないかい」
「な、なにを言うのかね。ヘロドトスの『歴史』は、アケメネス朝ペルシアとギリシア諸国との間でおきた『ペルシア戦争』を実に克明に著しているのだよ」
「でも嘘まみれなんだろぅ。トゥキディデスさんもご存知のはずさぁ」
「お嬢さん。希代の歴史書とヘロドトスを侮辱するのかね」
トゥキディデスはゾーイに抗議しているようだったが、その声色には非難めいた感情が感じられない。スピロから事前に聞いていたように、トゥキディデスがヘロドトスをそれほど評価していない、とゾーイは確信した。
語気を強めてみることにした。
「ヘロドトスは『歴史の父』と言われてるけどねぇ、ありゃ歴史学じゃないのさ」
そのひとことでトゥキディデスの目の色が変わった。
「『歴史』は伝聞や証言を元に書かれているけどねぇ、信憑性の有無はこれっぽっちも考えられちゃあいないからね。なかには迷信や伝説、いや、それだけじゃない、無数の作り話まで混じっているって言うんだからねぇ」
トゥキディデスがヘロドトスの評価をそう切って捨てたゾーイを、まじまじと見つめてきた。ゾーイは一瞬、彼が掴みかかってくるのでは、と畏怖を感じた。
が、トゥキディデスは、がくりと肩を落とした。観念したという所作に見えたが、表情までわからなかったので、ゾーイは彼がどのような切り返しをしてくるかをつぶさに注視して待った。
「あぁ、そうなのだ……、そうなのだよ」
トゥキディデスの口から嘆きが漏れた。目元を手で押さえたまま、天を仰ぎ見る。それは『芝居がかった』という表現が似つかわしい大仰な仕草に感じられた。
「わたしはヘロドトスの『歴史』をこのオリュンピアで聞いて、歴史を記すことを志したのだ。だが、いざ自分で執筆しはじめてみると、『歴史』は荒唐無稽なエピソードがむやみに取り上げられていたり、余談や脱線があまりに多いことに気づいて失望してしまっていたのだよ」
「まぁ、仕方がないさぁ。ヘロドトスさんは『歴史』を口演されていたんだろう。だから聴衆を楽しませるために、受ける話や派手な話を多少盛った、いや、脚色せざるをえなかっただろうからねぇ」
「そうかもしれん。だがお嬢さん、それは『歴史』ではないのだよ。そもそも、ペルシア戦争をテーマにしているにもかかわらず、その前史というべき各国の神話・伝説・歴史の叙述が延々と続いて冗長ほかならない。それらはたしかに面白いが、事実とはとうてい思えない話ばかりなのだ」
「だから言ったろう。『まがい物』だって。まぁ、後世の専門家の見解だけどねぇ」
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