ぼくらは前世の記憶にダイブして、世界の歴史を書き換える 〜サイコ・ダイバーズ 〜

多比良栄一

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ダイブ4 古代オリンピックの巻 〜 ソクラテス・プラトン 編 〜

第43話 まさかの結末

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 ヒッポステネスが強烈な一撃を食らわそうと腕をぐっとふりあげた。

 それが一瞬の隙だった。
 タルディスがぐっとヒッポステネスのかいなをひきあげ、体の下にもどりこんで腹に抱きつくような体勢をとったかと思うと、それを引き剥がそうとした一瞬の隙をついてうしろに回りこんた。ヒッポステネスがあっと思ったときには、タルディスは自分の腹をヒッポステネスの背中にぴたりとくっつけて、首回りを両腕でがっちりホールドしていた。
 観客がみごとな身のこなしに湧きたつ。
 そんな歓声をよそにタルディスがヒッポステネスの首を締め上げる。がっちりと組みあがったホールドはそう簡単にははずれない。逃れようとしてヒッポステネスがうしろのタルディスに向かって、肩ごしにパンチを浴びせはじめる。
 観衆が叫んだ。
「審判、反則だ。パンクラチオンじゃないんだぞ!」
「ヒッポステネス。見苦しいぞ!」
 だが審判は動かない。反則の打撃を繰り出しているのに無視しつづけていた。観衆の怒号と声援が高まるだけ高まった。それらが混ざり合い、ただの雑音と化していく。もう意味のあることばは、スタディオン内では発せられていないも同然だった。

 ヒッポステネスの顔が赤らんでいく。背中にとりつくタルディスを振り落とそうと必死でもがき、殴りつける。

 が、ふいにヒッポステネスがひとさし指をたてた。

 ギブアップの合図だった。

 審判長がコールした。
「ペンタスロン、優勝はアテナイのタルディーーース!!!」

 タルディスが腕をつきあげた。
 スタディオンにあふれていた雑音は一気に、大音声だいおんじょうに集束して湧き上がった。一瞬にしてスタディオンは音楽堂オーディアムと化した。

 オリーブ油で黒光りしていたからだは、今は砂にまみれてくすんでいたが、タルディスの喜びに満ちあふれた顔と、栄光をまとった体躯たいくは、燦然さんぜんと輝いてみえた。

 あたりの人々が歓喜と興奮でだれかれかまわず抱き合うなかで、セイたちはその勝利の瞬間をみな黙りこんで見ていた。うれしいというより、ほっとしたという気持ちが勝ちすぎて
「本当に強かったんですね」
 スピロはしみじみとした口調で言うと、マリアがぼそりと言った。
「そうだな。不意をつかれなかったからな……」
「でもこれでミッション完了です」
 そう言いながらエヴァがなかば強制的にスピロに握手をしてきた。すこし面喰らったままのスピロに満面の笑みをむけると、今度はゾーイにも握手を求めた。
「ありがとうございます。おかげで現世の魂がすくわれました」
「あ、いや……、そんなに役立っちゃあ……」
「なにをおっしゃるの。ゾーイさん、あなたがタルディスさんを目覚めさせなかったら今のこの瞬間はありません」
「そうだな、スピロ、ゾーイ。ふたりともよくやったよ」
 マリアがめずらしく素直に、スピロのほうへ手をさしだした。その姿をみてセイがいつの間にかマリアがプラトンの肩から降りていることに気づいた。
「マリア。プラトンさんは?。それにソクラテスさんも?」

 マリアは呆れたような目つきとともに、親指で背後にあるスタディオンのほうを指さした。
愚人ぐじんどもは、あそこだ」

 セイが言われたほうに目をむけると、そこにスタディオンには場内をゆっくりと一周しながら、勝利の祝福を受けているタルディスの姿があった。
 今で言う『ウィニング・・ラン』のようだ。
 優勝した選手が近づいてくると、観衆はお祝いの印に、冠、枝、花、葉、果物などさまざまなものを選手にむかって投げた。まるでフィギュア・スケートの演技後の花束の『投げ入れ』を彷彿とさせた。
 歓喜と興奮のあまり勝者に物を投げ与える『フュロボリア』と呼ばれる行為は、タルディスがアテナイの人々がおおくつどったブロックに近づくとさらに大胆になってきた。
 観衆たちが土手からスタディオン内になだれ込んできた。だれもがタルディスの元に降りたった勝利の女神『ニケ』の福音、全能の神『ゼウス』の祝福を、ほんの一欠片ひとかけらでもわけて与えてもらおうと、肩を叩き、背中をさすり、髪の毛に触ってきた。なかには赤いウールのタイニア勝利のリボンを、直接タルディスのからだに結びつける者もいた。

「あれはなんだい?」
 セイが思わず呟くと、ゾーイがそれに答えた。
「セイさん、あのタイニアリボンは優勝者の証なのさ。公式の優勝のシンボルのオリーブの冠を戴くまでの代わりみたいなもんかねぇ。まぁ、あれは市民が勝手に飾りつけているもんで、本物じゃあ、ないんだけどねぇ」
「でもタルディスさん、誇らしそうじゃないですか」
 エヴァがほっと胸をなで下ろすようにして言った。


 人々に取り囲まれたタルディスの腕や脚がたちまちタイニアリボンだらけになっていく。その集団のなかにソクラテス、プラトンの姿があった。彼らはタルディスに触ることまではしないまでも、直接賛辞を述べることで、アテナイの優勝を祝っていた。

「ペロポネソス戦争に負けて、つい数年前までアテナイはスパルタの支配下にありましたからね。アテナイのみなさんの喜びは、格別なものでしょうね」
 セイの横でスピロが感慨深そうに言った。

 興奮しているのは地元アテナイの者だけではなかった。ほかの国の人々もタルディスの近くに寄り集まり、口々にタルディスに祝いのことばを投げかけた。
 手に汗握る好勝負、オリンピック記録を次々と塗り替える偉業、空を舞うような美しい跳躍、度肝を抜かれるようなスタートダッシュ、そして、あのヒッポステネスを圧倒したテクニックを見せつけられたのだ。
 だれもがタルディスに魅了されていた。オリンピアード(四年暦)のスポーツ・アイコンとなる男を少しでも間近に見ようと詰めかけた。
 アリストパネス、トゥキディデス、ヒポクラテスたちもそこにいた。

 場内の興奮は冷めることをしらなかったが、スタディオンを一周したタルディスは、からだに何本ものタイニアリボンを飾り付けられたまま、審判長の前に進み出て、その場にかしずいた。審判長は恭しい仕草で、タルディスの頭にタイニアリボンを巻いた。
 勝利の証を頭に戴いたタルディスが、タイニアリボンをはためく両腕を、天空にむけて突き上げた。

 スタディオンが今日一番の歓声に揺れた。


「よかった。これでジョー・デレクさんも、今回のオリンピック大会に間に合います」
 エヴァがにっこりとして言った。その安堵した顔つきをみて、さぞや多い桁数の数字が頭のなかではじかれていることだろうとセイは推測した。
「まぁ、よかったぜ。スピロとゾーイも今回の活躍で、これまでの失敗もチャラだろうしな」
 マリアがどうしても一矢報いないと気が済まないのか、憎まれ口を叩いてきた。
「マリア、失礼だろ」
 セイはマリアにひと言注意して、ふたりが気分をわるくしていないかとスピロのほうを見た。

 スピロの顔が蒼ざめていた——。

「ど、どうしたんだい、スピ口?」
 その声にハッとして、スピロがゆっくりとセイの方に顔をむけた。不安がぎっしり詰まったような目をしていた。今にもその場で崩れ落ちそうだった。

「おかしいんです……」
 スピロが下唇をぎゅっとかみしめた。

「勝ったのに……、ちゃんと、オリンピックで優勝したのに……


 現世の魂が抜け出ていかない……んです」



--------------------------------- 作者より ---------------------------
次回16日からは試験的に掲載方式を変更します。
3日ごとに2000~3000文字を1000文字程度で毎日更新することとします。

後編は、膨大な資料や文献とまるまる8ヶ月格闘して書き上げた力作です。
冗談ぬきに『卒論』でも書き上げているくらいの苦労をしました。
読み終わったときには、ペロポネソス戦争、哲学、ギリシア喜劇、医学に詳しくなっているでしょう。かなり難易度は高いですが、最後にはまちがいなく読んで良かったと思っていただけるはずです。ぜひおつきあいください。

===================== 予告編 ====================

「セイさん、あんなヘヴィ級のボクサーと生身で戦うなど無茶です」
「でも、戦わなきゃ、タルディスさんが殴り殺される」
「セイ、あんなデカぶつのパンチ、一発喰らったら終わりだぞ」
「あぁ、わかってるさ。命懸けの戦いになるってね」


 スピロが決意にみちた顔で言った。 
「トゥキディデス、プラトン、ソクラテス、アリストパネス、ヒポクラテス、この五賢人のなかに悪魔がまぎれていますわ」
「お姉さま、いってぇどうするつもりで?」
「ゾーイ、黙って見ていなさい。あの五人を言い負かして、悪魔をいぶり出してみせます」


「ぼくが戦車レースに?」
「わたしはアルキビアデス。わたしは6騎の戦車を持っている。ぜひ乗ってくれたまえ」
「おい、おい、セイ。話がうますぎだ。これはただの戦車レースじゃねぇぞ」
「だけどこれを受けないと、タルディスさんの魂は昇華しないんだろ」
「それが嘘臭いですわね」


「さぁ、皆様全員の弁明をお聞きして、わたくしにはタルディス様を心変わりさせた犯人が、いえ、悪魔がだれなのかわかりましたよ」
 円卓にすわった五人の賢者が一斉にスピロのほうに目をむけた。スピロがひとりを指さした。
「悪魔は、あなた……ですよね」
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