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ダイブ4 古代オリンピックの巻 〜 ソクラテス・プラトン 編 〜
第29話 古代オリンピックでは優勝者以外はいないも同じこと
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一投目の試技がはじまった。
セイはルールしか教えてもらっていなかったので、ひとりひとりの動作をつぶさに観察した。
まず選手たちは用意された三枚の円盤のひとつを選ぶと、砂をかけてから、まわりの溝に指を滑らせて握りやすい場所を捜していた。バルビスへ進みでると、左足を前にだし、円盤を両手で額の上までもちあげ掲げてみせた。そこから右手だけで円盤をうしろへひき、からだの前部を前傾させ身体を四分の三ほどひねると、右足を前にだして円盤を投げた。
競技は粛々と進んだ。観衆も一投目からヒートアップすることもなく、試技が終わるたびに、それなりの称賛の声や拍手が舞ったが、まだ興奮を爆発させるには早いと自重しているかのような抑制された範疇におさまっていた。
「アテナイのタルディス」
セイの順番だった。セイは三枚の円盤が載っている台座に歩みよると、そのなかの一枚をゆっくりと持ちあげた。
石で作られた円盤は、見た目ほど重さを感じなかった。直径は20センチほど、重さは2Kgくらいだろうか。以前体験入部という名目で、陸上部の円盤を投げたことがあったが、重さはそのときのものと同じくらいに感じた。だが、円盤の縁に指の腹をはわせて固定しようとした途端、あきらかな違和感に気づいた。
薄いな……。
現代の円盤投げの円盤は、フリスビーのように分厚く、指をかけるのに苦労しなかったが、この円盤の厚みは2cmもないほど薄く、なかなかフィットしてくれない。
審判の方を見る。投擲を促すような目がむけられている。笛の音もそれをあとおしするように、すこしテンポをあげた曲調に変わる。
ふいにセイは感じとった。
タルディスを、この自分が乗り移った男を勝たせまいとする圧力が競技場内に浸潤しはじめている。本来なら最初の種目の槍投げで、棄権、敗退しているはずの男が、立ちあがって、競技を続行しようとしているのだ。
それを臨まない、なにか大きな力を持った者が異変を察知したのは間違いない。
圧倒的不利——。
『未練の力』の力ぬきでオリンピック選手と競わなければならない上に、何者かの妨害の可能性があるとしたら圧到的に不利だった。
セイはすでに投擲を終えた選手たちの投げ方をまねて、円盤を構えた。左足で踏みしめ、体をめいっぱいひねると、そのままぐるりと反動をつけ右足を前に踏みだし円盤を放り投げた。
が、セイの投げた円盤はふらふらと宙を舞い、7~8メートルほどのところでぼとりと地面に落ちた。
場内の興奮は瞬時にしぼみ、不満げなうなり声があがった。そしてすぐさま嘲笑の入り混った怒号が飛びはじめた。
「なんだ。ありゃ」
「あんなんだったら、俺の方がましだよ!」
「タルディス、まだ寝てるんじゃねぇのかぁ」
飛び交う罵声をききながら、マリアが肩車しているプラトンに言った。
「おい、ちょっと失敗したからって、あまりにひどい野次だな。スポーツマンシップはどこいった?」
「マリアさん、それはいたしかたのないことだ。オリンピックでは優勝者以外は、いないも同じことなのだ」
「銀メダルとか銅メダルとはねぇのかよ」
「銀、銅?。なんですかそれは?」
「いえ、プラトンさん、二位とか三位はないのかってことなんです」
エヴァがことばを変えて聞き直すと、プラトンが驚いた表情をみせて言った。
「我々ギリシア人にはそんな考え方はないですよ。勝者には栄光も名誉もお金も安穏も与えられますが、敗者にはなにもありません」
するとスピロがそれを捕捉するように言った。
「それだけならいいですが、二位以下の選手は屈辱にまみれて、この地を逃げ帰ることになるのです」
「たしかにその通りです。詩人ピンダロスのことばを借りるなら『母親の待つ故郷にこそこそと逃げ帰る。裏道を通り、人々から隠れ、不運をかみしめながら』です」
プラトンが諳んじた詩を聞いて、エヴァが憤慨するように声をあげた。
「ずいぶんな話じゃないですか。みな、この競技のために努力したエリートなのに……」
「エヴァ様、その程度ならまだましです。第71回大会のボクシング(ビュクス)で反則負けをして優勝を逃したアステュパライアのクレオメデスは、絶望のあまり発狂し故郷の学校を襲撃して、60人余りの子供を死傷させた、という話も残っています」
スピロがそう説明すると、マリアがすこし苦々しい顔でセイの耳元で声をあげた。
「セイ、聞こえたか!。おまえは勝つしか逃げ道がねえってことだ」
セイはルールしか教えてもらっていなかったので、ひとりひとりの動作をつぶさに観察した。
まず選手たちは用意された三枚の円盤のひとつを選ぶと、砂をかけてから、まわりの溝に指を滑らせて握りやすい場所を捜していた。バルビスへ進みでると、左足を前にだし、円盤を両手で額の上までもちあげ掲げてみせた。そこから右手だけで円盤をうしろへひき、からだの前部を前傾させ身体を四分の三ほどひねると、右足を前にだして円盤を投げた。
競技は粛々と進んだ。観衆も一投目からヒートアップすることもなく、試技が終わるたびに、それなりの称賛の声や拍手が舞ったが、まだ興奮を爆発させるには早いと自重しているかのような抑制された範疇におさまっていた。
「アテナイのタルディス」
セイの順番だった。セイは三枚の円盤が載っている台座に歩みよると、そのなかの一枚をゆっくりと持ちあげた。
石で作られた円盤は、見た目ほど重さを感じなかった。直径は20センチほど、重さは2Kgくらいだろうか。以前体験入部という名目で、陸上部の円盤を投げたことがあったが、重さはそのときのものと同じくらいに感じた。だが、円盤の縁に指の腹をはわせて固定しようとした途端、あきらかな違和感に気づいた。
薄いな……。
現代の円盤投げの円盤は、フリスビーのように分厚く、指をかけるのに苦労しなかったが、この円盤の厚みは2cmもないほど薄く、なかなかフィットしてくれない。
審判の方を見る。投擲を促すような目がむけられている。笛の音もそれをあとおしするように、すこしテンポをあげた曲調に変わる。
ふいにセイは感じとった。
タルディスを、この自分が乗り移った男を勝たせまいとする圧力が競技場内に浸潤しはじめている。本来なら最初の種目の槍投げで、棄権、敗退しているはずの男が、立ちあがって、競技を続行しようとしているのだ。
それを臨まない、なにか大きな力を持った者が異変を察知したのは間違いない。
圧倒的不利——。
『未練の力』の力ぬきでオリンピック選手と競わなければならない上に、何者かの妨害の可能性があるとしたら圧到的に不利だった。
セイはすでに投擲を終えた選手たちの投げ方をまねて、円盤を構えた。左足で踏みしめ、体をめいっぱいひねると、そのままぐるりと反動をつけ右足を前に踏みだし円盤を放り投げた。
が、セイの投げた円盤はふらふらと宙を舞い、7~8メートルほどのところでぼとりと地面に落ちた。
場内の興奮は瞬時にしぼみ、不満げなうなり声があがった。そしてすぐさま嘲笑の入り混った怒号が飛びはじめた。
「なんだ。ありゃ」
「あんなんだったら、俺の方がましだよ!」
「タルディス、まだ寝てるんじゃねぇのかぁ」
飛び交う罵声をききながら、マリアが肩車しているプラトンに言った。
「おい、ちょっと失敗したからって、あまりにひどい野次だな。スポーツマンシップはどこいった?」
「マリアさん、それはいたしかたのないことだ。オリンピックでは優勝者以外は、いないも同じことなのだ」
「銀メダルとか銅メダルとはねぇのかよ」
「銀、銅?。なんですかそれは?」
「いえ、プラトンさん、二位とか三位はないのかってことなんです」
エヴァがことばを変えて聞き直すと、プラトンが驚いた表情をみせて言った。
「我々ギリシア人にはそんな考え方はないですよ。勝者には栄光も名誉もお金も安穏も与えられますが、敗者にはなにもありません」
するとスピロがそれを捕捉するように言った。
「それだけならいいですが、二位以下の選手は屈辱にまみれて、この地を逃げ帰ることになるのです」
「たしかにその通りです。詩人ピンダロスのことばを借りるなら『母親の待つ故郷にこそこそと逃げ帰る。裏道を通り、人々から隠れ、不運をかみしめながら』です」
プラトンが諳んじた詩を聞いて、エヴァが憤慨するように声をあげた。
「ずいぶんな話じゃないですか。みな、この競技のために努力したエリートなのに……」
「エヴァ様、その程度ならまだましです。第71回大会のボクシング(ビュクス)で反則負けをして優勝を逃したアステュパライアのクレオメデスは、絶望のあまり発狂し故郷の学校を襲撃して、60人余りの子供を死傷させた、という話も残っています」
スピロがそう説明すると、マリアがすこし苦々しい顔でセイの耳元で声をあげた。
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