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ダイブ4 古代オリンピックの巻 〜 ソクラテス・プラトン 編 〜
第17話 ヒポクラテスとの邂逅
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「おい、こいつの心残りってぇのは、優勝できなかった、っていうことか……」
「それを晴らしてあげないと、要引揚者の魂は現世にもどせないというわけですね」
マリアとエヴァがスポルスに再確認する。
「その通りです」
「ふぅー、それはまいりますね。なにかを倒すとか、守るとかじゃないんじゃあ……」
「そうだな。殺すとか、排除するとか、痛みつけるのだったら、いくらでも力をふるってやるンだがな……、この案件はオレの性に合わねぇな」
「だから、わたくしたちも二回失敗しているのですよ」
セイは三人のやりとりを黙って聞きながら、それを解決する可能性を頭のなかで巡らせていた。
すでに時間がなく、この一回きりで救い出さねばならない——。
五人がソクラテスやプラトン、対象者であるタルディスに背をむけたまま、どうしたものかと考え込んでいると、ひとりの老人がトレーニングルームに入室してくるのが目に入った。
「イオニアのヒポクラテス。ひさしぶりだのぉ」
ソクラテスがおおきな声で、その老人を呼び止めた。
その名に驚いてセイはその男に目を転じた。
ヒポクラテス(60歳)——。
男は髭はほかのギリシア人男性同様ふさふさとしていたが、髪の毛はかなり後退しており、ソクラテスと同年代に見えた。だが、すこし落ちくぼんだ頬や目の下の隈、そしてほそく切れ上がった目が、ソクラテスとはちがっていた。そこに自分自身へ課した厳しい規律や倫理を貫く、揺るぎない信念を感じた。
だが、それを他人にも強いる一種の頑迷さも同時に持ち合わせている——。
「おお、ソクラテスか。それにプラトンも……」
「ヒポクラテス、高名な医師のそなたが、ここでなにをやっている?」
「なにをと、あなたがおっしゃるのですか?。オリンピックですよ」
そう言ってから、一度咳払いをして前言を撤回してみせた。
「いや、もちろん『医学』を多くの国の人々に知ってもらうためですよ。まだこのギリシアには、原始的な迷信や呪術を信じる国がすくなくないですからね」
「ふむう。そなたの行いは、わたしも注目しておる。もっと広めてもらいたいものじゃ。とくに医師に高い倫理性と客観性、厳格な職業意識、規律、厳しい訓練を課しておることはとてもよい。そのような『善』を成すものがいて、理想の国家が築けるというものだ」
「そうおっしゃっていただき嬉しい限りです」
プラトンもおそるおそるその会話に加わった。
「ヒポクラテス様は、ずいぶんいろいろな国に赴かれたと聞いております」
「えぇ。テッサリアやトラキア、地中海と黒海の間にある内海マルマラ海の辺りまで旅をしたこともあります」
「なんと、そんな遠くまでですか?」
「えぇ。『人生は短く、術のみちは長い』ですからな」
そう言ったところで、どうにも気になったようでヒポクラテスが声をひそめて訊いた。
「ところで、ソクラテス様。あなた方がお連れになっている、そこの奇妙な少年少女のほうが、わたしは気になるのですが……」
「奇妙な少年少女……?」
ヒポクラテスに指摘されても、なんのことやらわからない顔つきをしていた。ソクラテスは自分がうしろにセイたちを引き連れていることを、すっかり失念していたらしかった。
「おい、ソクラテス。いきなり惚けてんじゃねぇぞ。今、ガチでオレたちのこと、忘れていただろ」
「マリアさん。そんな口をきくのは失礼ですよ。いくら穀潰しの老いぼれだとしてもね」
マリアもエヴァもさきほどの一件から、まったく口さがなかった。
「あぁ。そうじゃった。この子たちは『ニッポン』という国からきた……」
「ニッポン?。ずいぶんわたしもいろんな国にいったつもりでしたがはじめて聞きますね」
「そうなんですよ、ヒポクラテス様。この子たちは未来にある『ニッポン』という国の人だというのですが、おそろしく進歩的で、われわれが知らないような考え方や技術があるようなのです」
「未来から?。ずいぶん馬鹿馬鹿しい話のように聞こえますが、ソクラテス様やプラトン様は信じられたのかね」
「あぁ、残念じゃがな……」
「ほう、ソクラテス様が……。ではお聞きしたい。あなたがたの医学はどんなものなのかね?」
ヒポクラテスはセイを見つめて訊いた。その目は疑心に満ちて、まるで詐欺師でも見ているかのようで、臨床と観察を重んじる『医学の祖』らしい態度だった。
セイは天井のほうに目をやって、『病院』を思い浮かべてみた。
「そう……ですね。ぼくらの世界では、病院に行ったらまず体温計で体温を計ります。場合によっては血を抜き取って血液を検査したり、レントゲンという機械でからだの中を見たりしま……」
「ちょ、ちょっと待ってくれないか。体温を計る?、血液を検査する?。それはどうやって?。それにからだの内部を見るってどういう意味かね?」
セイは現代の当たり前の医療を述べただけだったので、その説明を求められて弱り切った。
「X線という特殊な光線を当てることで、人の内部を透視することができる機械です」
スピロが横から解説を買って出ると、マリアがすかさず追い討ちをかけた。
「CTスキャンなら、人間のからだを輪切りにして見ることができるけどな」
あまりにも自分たちの『医学』の現場とちがう世界の絵空事めいたことを言われて、ヒポクラテスは声をうしなっていた。
その唖然としている表情をみて、マリアがさらに追い討ちをかけたくなったらしい。おそらく想像すらできないようなひと言で、とどめをさした。
「あぁ、それからもうすこししたら、手術はどんな遠くからでもロボットという機械を操ってやれるようになる。つまり、ここにいながらにして……、そう、アテナイやスパルタ、いやもっと遠くにいる患者を手術することができるのさ」
ヒポクラテスが呆然とした顔をプラトンのほうへむけた。プラトンも同様に驚いてはいたが、なんとか平静を装った。
「と、とても……興味深いひと……たちでしょう……」
「み……未来の医学は、おそろしく『進化』している……ようです……ね」
「わたしも先生も、この子供たちからいろいろ聞きたくて一緒にいるのです」
「学ぶことは、まだまだあるということですね……」
それを聞いてソクラテスが笑いながら、すこし皮肉めいて言った。
「だが、ヒポクラテス。そなたは、哲学をゴルギアスに学んでいるらしいな。それだけはどうかと思うぞ」
そう指摘されて、ヒポクラテスが困ったように頭をかいた。
「あやつは、スポーツ選手に対して、チーズは『邪悪な食べ物』だと喧伝してまわっておる。あれはいかん。間違いじゃ」
「たしかに。たんぱく質の塊のチーズが邪悪と言われてもな」
マリアが現代知識の正論をぼそりと呟いたが、ソクラテスはそんなこと気にすることもなく話を続けた。
「チーズというのは、ホメロスによって描かれた英雄たちにとって、最も重要なエネルギー源とされておるのだからな」
「おい、ソクラテス。それは神話だろ」
マリアがさらに横槍をいれたが、プラトンがそんなことに頓着せずに話をつなげた。
「ソクラテス様、それでも、先生のご友人の歴史家クセノポンよりましだと思います。あの方は医学やスポーツ学の専門家でもないのに、スポーツ選手はパンを一切食べるなと言っておりますよ」
「やれやれ、健康や運動に関しては、みな好き勝手なことばかり言っておる」
ヒポクラテスがため息交じりにソクラテスの意見に同意した。
「たしかに。嘆かわしいことです。かつてはピタゴラス派が選手たちに豆を禁じたりしましたし、食事中の知的会話が消化を妨げるとか、乾燥イチジクだけ食べればいいとか。今では何百種類という教則本が、奴隷たちによってパピルスに書き写されて、地中海沿岸の書店でひろく売られているそうですからね」
それを聞いてマリアが大声をあげた。
「おい、おい、それ、2400年後もまったく変わってねぇぞ」
「まぁ、本当ですね。未来でも『なんとかダイエット』とか『○○健康法』とか、好き勝手言っている本が出回っています」
エヴァの指摘にセイがすこし苦笑いをしながら言った。
「まったく……。おそろしいほど進化してないな、人類って……」
「それを晴らしてあげないと、要引揚者の魂は現世にもどせないというわけですね」
マリアとエヴァがスポルスに再確認する。
「その通りです」
「ふぅー、それはまいりますね。なにかを倒すとか、守るとかじゃないんじゃあ……」
「そうだな。殺すとか、排除するとか、痛みつけるのだったら、いくらでも力をふるってやるンだがな……、この案件はオレの性に合わねぇな」
「だから、わたくしたちも二回失敗しているのですよ」
セイは三人のやりとりを黙って聞きながら、それを解決する可能性を頭のなかで巡らせていた。
すでに時間がなく、この一回きりで救い出さねばならない——。
五人がソクラテスやプラトン、対象者であるタルディスに背をむけたまま、どうしたものかと考え込んでいると、ひとりの老人がトレーニングルームに入室してくるのが目に入った。
「イオニアのヒポクラテス。ひさしぶりだのぉ」
ソクラテスがおおきな声で、その老人を呼び止めた。
その名に驚いてセイはその男に目を転じた。
ヒポクラテス(60歳)——。
男は髭はほかのギリシア人男性同様ふさふさとしていたが、髪の毛はかなり後退しており、ソクラテスと同年代に見えた。だが、すこし落ちくぼんだ頬や目の下の隈、そしてほそく切れ上がった目が、ソクラテスとはちがっていた。そこに自分自身へ課した厳しい規律や倫理を貫く、揺るぎない信念を感じた。
だが、それを他人にも強いる一種の頑迷さも同時に持ち合わせている——。
「おお、ソクラテスか。それにプラトンも……」
「ヒポクラテス、高名な医師のそなたが、ここでなにをやっている?」
「なにをと、あなたがおっしゃるのですか?。オリンピックですよ」
そう言ってから、一度咳払いをして前言を撤回してみせた。
「いや、もちろん『医学』を多くの国の人々に知ってもらうためですよ。まだこのギリシアには、原始的な迷信や呪術を信じる国がすくなくないですからね」
「ふむう。そなたの行いは、わたしも注目しておる。もっと広めてもらいたいものじゃ。とくに医師に高い倫理性と客観性、厳格な職業意識、規律、厳しい訓練を課しておることはとてもよい。そのような『善』を成すものがいて、理想の国家が築けるというものだ」
「そうおっしゃっていただき嬉しい限りです」
プラトンもおそるおそるその会話に加わった。
「ヒポクラテス様は、ずいぶんいろいろな国に赴かれたと聞いております」
「えぇ。テッサリアやトラキア、地中海と黒海の間にある内海マルマラ海の辺りまで旅をしたこともあります」
「なんと、そんな遠くまでですか?」
「えぇ。『人生は短く、術のみちは長い』ですからな」
そう言ったところで、どうにも気になったようでヒポクラテスが声をひそめて訊いた。
「ところで、ソクラテス様。あなた方がお連れになっている、そこの奇妙な少年少女のほうが、わたしは気になるのですが……」
「奇妙な少年少女……?」
ヒポクラテスに指摘されても、なんのことやらわからない顔つきをしていた。ソクラテスは自分がうしろにセイたちを引き連れていることを、すっかり失念していたらしかった。
「おい、ソクラテス。いきなり惚けてんじゃねぇぞ。今、ガチでオレたちのこと、忘れていただろ」
「マリアさん。そんな口をきくのは失礼ですよ。いくら穀潰しの老いぼれだとしてもね」
マリアもエヴァもさきほどの一件から、まったく口さがなかった。
「あぁ。そうじゃった。この子たちは『ニッポン』という国からきた……」
「ニッポン?。ずいぶんわたしもいろんな国にいったつもりでしたがはじめて聞きますね」
「そうなんですよ、ヒポクラテス様。この子たちは未来にある『ニッポン』という国の人だというのですが、おそろしく進歩的で、われわれが知らないような考え方や技術があるようなのです」
「未来から?。ずいぶん馬鹿馬鹿しい話のように聞こえますが、ソクラテス様やプラトン様は信じられたのかね」
「あぁ、残念じゃがな……」
「ほう、ソクラテス様が……。ではお聞きしたい。あなたがたの医学はどんなものなのかね?」
ヒポクラテスはセイを見つめて訊いた。その目は疑心に満ちて、まるで詐欺師でも見ているかのようで、臨床と観察を重んじる『医学の祖』らしい態度だった。
セイは天井のほうに目をやって、『病院』を思い浮かべてみた。
「そう……ですね。ぼくらの世界では、病院に行ったらまず体温計で体温を計ります。場合によっては血を抜き取って血液を検査したり、レントゲンという機械でからだの中を見たりしま……」
「ちょ、ちょっと待ってくれないか。体温を計る?、血液を検査する?。それはどうやって?。それにからだの内部を見るってどういう意味かね?」
セイは現代の当たり前の医療を述べただけだったので、その説明を求められて弱り切った。
「X線という特殊な光線を当てることで、人の内部を透視することができる機械です」
スピロが横から解説を買って出ると、マリアがすかさず追い討ちをかけた。
「CTスキャンなら、人間のからだを輪切りにして見ることができるけどな」
あまりにも自分たちの『医学』の現場とちがう世界の絵空事めいたことを言われて、ヒポクラテスは声をうしなっていた。
その唖然としている表情をみて、マリアがさらに追い討ちをかけたくなったらしい。おそらく想像すらできないようなひと言で、とどめをさした。
「あぁ、それからもうすこししたら、手術はどんな遠くからでもロボットという機械を操ってやれるようになる。つまり、ここにいながらにして……、そう、アテナイやスパルタ、いやもっと遠くにいる患者を手術することができるのさ」
ヒポクラテスが呆然とした顔をプラトンのほうへむけた。プラトンも同様に驚いてはいたが、なんとか平静を装った。
「と、とても……興味深いひと……たちでしょう……」
「み……未来の医学は、おそろしく『進化』している……ようです……ね」
「わたしも先生も、この子供たちからいろいろ聞きたくて一緒にいるのです」
「学ぶことは、まだまだあるということですね……」
それを聞いてソクラテスが笑いながら、すこし皮肉めいて言った。
「だが、ヒポクラテス。そなたは、哲学をゴルギアスに学んでいるらしいな。それだけはどうかと思うぞ」
そう指摘されて、ヒポクラテスが困ったように頭をかいた。
「あやつは、スポーツ選手に対して、チーズは『邪悪な食べ物』だと喧伝してまわっておる。あれはいかん。間違いじゃ」
「たしかに。たんぱく質の塊のチーズが邪悪と言われてもな」
マリアが現代知識の正論をぼそりと呟いたが、ソクラテスはそんなこと気にすることもなく話を続けた。
「チーズというのは、ホメロスによって描かれた英雄たちにとって、最も重要なエネルギー源とされておるのだからな」
「おい、ソクラテス。それは神話だろ」
マリアがさらに横槍をいれたが、プラトンがそんなことに頓着せずに話をつなげた。
「ソクラテス様、それでも、先生のご友人の歴史家クセノポンよりましだと思います。あの方は医学やスポーツ学の専門家でもないのに、スポーツ選手はパンを一切食べるなと言っておりますよ」
「やれやれ、健康や運動に関しては、みな好き勝手なことばかり言っておる」
ヒポクラテスがため息交じりにソクラテスの意見に同意した。
「たしかに。嘆かわしいことです。かつてはピタゴラス派が選手たちに豆を禁じたりしましたし、食事中の知的会話が消化を妨げるとか、乾燥イチジクだけ食べればいいとか。今では何百種類という教則本が、奴隷たちによってパピルスに書き写されて、地中海沿岸の書店でひろく売られているそうですからね」
それを聞いてマリアが大声をあげた。
「おい、おい、それ、2400年後もまったく変わってねぇぞ」
「まぁ、本当ですね。未来でも『なんとかダイエット』とか『○○健康法』とか、好き勝手言っている本が出回っています」
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