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ダイブ4 古代オリンピックの巻 〜 ソクラテス・プラトン 編 〜
第3話 紀元前の臭いがする——
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ダイブしてまっさきに見えてきたのは、木々の合間から差し込んでくる眩しい光だった。
「紀元前の臭いがする——」
ユメミ・セイは地上に足をつけるなりそう言った。
「あぁ、今度は間違いねぇな。かび臭い味が舌にまとわりつきやがる。ここは紀元前、それもかなり前だな」
マリア・トラップがそう言って自分の口元を拭うと、その横でエヴァ・ガードナーがほっと胸をなでおろす仕草をしながら言った。
「みなさん。朗報です。ここには『歓喜』の色が見えます。すくなくとも嫌な思いはせずにすみそうです」
「は、もしかしたら支配者側の『意識』かもしれねぇだろ。支配者の歓喜は、ほかの者にとっちゃあ、地獄だ」
そう毒づいたマリアに、セイが言った。
「マリア、無理して着いてこなくてよかったんだけどね。嫌だったんだろ。そう、エヴァも……」
「ハ、そうはいかん。おまえとかならずダイブするように、ローマ法王庁からのお達しがあるのでな」
「そうです。セイさん。わたしは気が進まないですが、財団のほうで依頼を受けてしまっているのでは、履行しないわけにはいきません」
「ま、いいけど……。くれぐれも揉め事は避けてよね」
セイたちは木々のあいだを抜けて見晴らしのいい場所に進み出た。
そこからあたりを見回すと、この場所がいくつもの山々に囲まれていることがすぐにわかった。緑あふれる山々のいくつもの峰が積み重なり、遥かかなたに集落が、それもすこし眺めただけで鄙びた村とわかるような家屋が、点在しているのが見えた。
「おい、なんでこんな山ンなかに、オレたちは放りだされた?」
マリアが不満を口にした。
セイは「あぁ、そうだね」と相槌をうったが、すぐさま「あ、いや、ちがう」と訂正した。
反対側の山に目をむけたセイに見えてきたのは、山肌の茶色と森の緑だけではなかった。セイは木々が生い茂るアルフェイオス川の谷間から垣間見える光景に息を飲んだ。
集落がある場所よりさらに向こう側に、山を切り開いて造られた平地が広がっていた。そこに大小いくつもの建築物が、びっしりと屹立していた。
ゼウス神殿の屋根に夕日がうつくしく照り返していた。
大理石の柱廊や歴代の勝者の銅像が赤々と輝き、ゼウス神殿のすぐそばにある二階建ての宿泊所『レオニダイオン』の影が長く延び、あたりの建物に陰をつくっていた。
だが、驚いたのはその光景だけではなかった。
こんな人里離れた山奥に、多くの、いや、そんな表現では到底追いつかないほどの人々があふれ返っていた。
『とめどなく湧いてくる群衆』——。
そういう表現が似つかわしいほどに人の波があたりを覆っていた。
人々は様々な国や地方、そして階級の者が一緒くたになっていた。
肩まで髪を伸ばし筋骨隆々のスパルタの男性は派手な朱色のマントを翻し、エチオピア人奴隷を連れたギリシア系エジプト人は、宝石で飾り立てたていた。かと思えば、キュニコス派の哲学者がぼろぼろの服でうろついていたりもする。
建物が建ち並ぶ場所へ近づくにつれて、いたるところに、急きょこしらえたとしか思えない簡素な掘っ建て小屋があらわれはじめた。一部は小屋というより、大きなテントという粗末なもので、床は土、天井は木の葉で覆っただけで、まともに雨露がしのげるとは言えないものだったが、それもすでに満杯らしく、家主らしきものに、数人の団体が断られていた。
あたりを見回すとあぶれた人々が、そここに寝場所を確保するために腐心していた。周辺の農場に二本の木の間に布を広げただけという簡単なテントを張っている者がいたり、クロノスの丘に生い茂る木々のたもとに布を敷いただけのもで凌ごうとしている者もいた。
だが、すこし向こうに見える聖域のほうへ目をむけると、その状況はさらに渾沌としていた。
歴代優勝者の彫像のたもとや、祭壇と祭壇の隙間に縮こまっているものも多かった。そこすらとれなかったものは、彫像のあいだのプラタナスの木陰に寝そべっていたり、大理石の舗道に堂々と寝具を広げて寝ているものもいた。
「まるで難民キャンプだ」
セイが大声で叫んだが、すぐさまマリアがそれを否定した。
「セイ、バカをいうな。難民があんなにはしゃいでいるか。カーニバルだよ、観たこともないような盛大な、な」
「マリアさん、これは宗教的儀式ですわ。バチカンの復活祭のミサとか、イスラムのメッカ巡礼のような」
「娯楽施設があるのかもしれない。みな、興奮してるっていうか、なにかを楽しみにしているようだ。古代のディズニーランドとかユニバーサル・スタジオみたいな……」
「バカか、セイ。こんな山に囲まれた場所まで歩かされて、みんなヘトヘトになってるんだ。オレだったらどんなマスコットが出迎えにきても、まずは一発ぶん殴ってやるよ」
「にしても、全部を足しても、まだ足りないくらいかもしれません。この規模は異常ですわ」
その時、だれかが大きな声で叫ぶ声が聞こえた。
「第94回 オリンピックへようこそ!!」
「紀元前の臭いがする——」
ユメミ・セイは地上に足をつけるなりそう言った。
「あぁ、今度は間違いねぇな。かび臭い味が舌にまとわりつきやがる。ここは紀元前、それもかなり前だな」
マリア・トラップがそう言って自分の口元を拭うと、その横でエヴァ・ガードナーがほっと胸をなでおろす仕草をしながら言った。
「みなさん。朗報です。ここには『歓喜』の色が見えます。すくなくとも嫌な思いはせずにすみそうです」
「は、もしかしたら支配者側の『意識』かもしれねぇだろ。支配者の歓喜は、ほかの者にとっちゃあ、地獄だ」
そう毒づいたマリアに、セイが言った。
「マリア、無理して着いてこなくてよかったんだけどね。嫌だったんだろ。そう、エヴァも……」
「ハ、そうはいかん。おまえとかならずダイブするように、ローマ法王庁からのお達しがあるのでな」
「そうです。セイさん。わたしは気が進まないですが、財団のほうで依頼を受けてしまっているのでは、履行しないわけにはいきません」
「ま、いいけど……。くれぐれも揉め事は避けてよね」
セイたちは木々のあいだを抜けて見晴らしのいい場所に進み出た。
そこからあたりを見回すと、この場所がいくつもの山々に囲まれていることがすぐにわかった。緑あふれる山々のいくつもの峰が積み重なり、遥かかなたに集落が、それもすこし眺めただけで鄙びた村とわかるような家屋が、点在しているのが見えた。
「おい、なんでこんな山ンなかに、オレたちは放りだされた?」
マリアが不満を口にした。
セイは「あぁ、そうだね」と相槌をうったが、すぐさま「あ、いや、ちがう」と訂正した。
反対側の山に目をむけたセイに見えてきたのは、山肌の茶色と森の緑だけではなかった。セイは木々が生い茂るアルフェイオス川の谷間から垣間見える光景に息を飲んだ。
集落がある場所よりさらに向こう側に、山を切り開いて造られた平地が広がっていた。そこに大小いくつもの建築物が、びっしりと屹立していた。
ゼウス神殿の屋根に夕日がうつくしく照り返していた。
大理石の柱廊や歴代の勝者の銅像が赤々と輝き、ゼウス神殿のすぐそばにある二階建ての宿泊所『レオニダイオン』の影が長く延び、あたりの建物に陰をつくっていた。
だが、驚いたのはその光景だけではなかった。
こんな人里離れた山奥に、多くの、いや、そんな表現では到底追いつかないほどの人々があふれ返っていた。
『とめどなく湧いてくる群衆』——。
そういう表現が似つかわしいほどに人の波があたりを覆っていた。
人々は様々な国や地方、そして階級の者が一緒くたになっていた。
肩まで髪を伸ばし筋骨隆々のスパルタの男性は派手な朱色のマントを翻し、エチオピア人奴隷を連れたギリシア系エジプト人は、宝石で飾り立てたていた。かと思えば、キュニコス派の哲学者がぼろぼろの服でうろついていたりもする。
建物が建ち並ぶ場所へ近づくにつれて、いたるところに、急きょこしらえたとしか思えない簡素な掘っ建て小屋があらわれはじめた。一部は小屋というより、大きなテントという粗末なもので、床は土、天井は木の葉で覆っただけで、まともに雨露がしのげるとは言えないものだったが、それもすでに満杯らしく、家主らしきものに、数人の団体が断られていた。
あたりを見回すとあぶれた人々が、そここに寝場所を確保するために腐心していた。周辺の農場に二本の木の間に布を広げただけという簡単なテントを張っている者がいたり、クロノスの丘に生い茂る木々のたもとに布を敷いただけのもで凌ごうとしている者もいた。
だが、すこし向こうに見える聖域のほうへ目をむけると、その状況はさらに渾沌としていた。
歴代優勝者の彫像のたもとや、祭壇と祭壇の隙間に縮こまっているものも多かった。そこすらとれなかったものは、彫像のあいだのプラタナスの木陰に寝そべっていたり、大理石の舗道に堂々と寝具を広げて寝ているものもいた。
「まるで難民キャンプだ」
セイが大声で叫んだが、すぐさまマリアがそれを否定した。
「セイ、バカをいうな。難民があんなにはしゃいでいるか。カーニバルだよ、観たこともないような盛大な、な」
「マリアさん、これは宗教的儀式ですわ。バチカンの復活祭のミサとか、イスラムのメッカ巡礼のような」
「娯楽施設があるのかもしれない。みな、興奮してるっていうか、なにかを楽しみにしているようだ。古代のディズニーランドとかユニバーサル・スタジオみたいな……」
「バカか、セイ。こんな山に囲まれた場所まで歩かされて、みんなヘトヘトになってるんだ。オレだったらどんなマスコットが出迎えにきても、まずは一発ぶん殴ってやるよ」
「にしても、全部を足しても、まだ足りないくらいかもしれません。この規模は異常ですわ」
その時、だれかが大きな声で叫ぶ声が聞こえた。
「第94回 オリンピックへようこそ!!」
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