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ダイブ3 クォ=ヴァディスの巻 〜 暴君ネロ 編 〜
第49話 セネカはことばをうしなっていた
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セネカはギリシャ神話から抜け出たような化物に唇を震わせていた。
目で見ているものが信じられない。場内を軽く見回しただけで、ミノタウロスはすくなくとも五体出現している。
一体のミノタウロスが周りを取り囲んだ兵士を素手で薙ぎ払った。その一撃で数人の兵士が十メートル以上も彼方に吹き飛んだ。さらに別の一体は、兵士のからだをる鷲掴《わしづか》みにするやいなや、その凶暴なちからで胴体からひきちぎっていた。
セネカはことばをうしなっていた。
その光景は誰がどうみても、悪夢そのものにしか感じられなかった。
「さあ、皇帝陛下。ここから脱しましょう」
ティゲリヌスがネロを先導しながら、脱出を促した。そこここで化物が咆哮をあげて、残虐の限りをつくしているというのに、それにはまったく頓着しようともせず、ネロはティゲリヌスに促されるまま、バルコニーの奥にある出口からでていった。
セネカの中にネロの脱出を止めねばという思いが突きあげたが、からだがなんの反応もしてくれなかった。ふと頭をめぐらすと、一体のミノタウロスがこちらに向かって突進してきているのが目にはいった。敵も味方も関係なく前に立ちはだかる兵士を、はね飛ばしていた。横にふるった張り手一発で、兵士のからだは上半身が消し飛んだ。
兵士の強固な防具などものともしない。あまりにも大きな力量差。
その時、逃げてきた兵士が、セネカのすぐそばに転がるように走り込んできた。
「セネカ様。危険です。お逃げください」
セネカはその兵士にけわしい顔をむけて言った。
「動かぬのだ。私の体が動かぬのだ」
「そんな……」
そう言って兵士がセネカの体をぐっと押した。だが、その体は仁王立ちしたままぴくりともしなかった。
「う、動きません。どういう……」
「わからぬ。おそらくティゲリヌスが、何か術をかけたのだ」
「そんな。でも早くしませ……」
セネカの目の前にいた兵士が弾けとんだ。一瞬にして兵士のからだは横壁に叩きつけられ、そのまま壁に張りついていた。
目の前にミノタウロスがいた。
狂った目。からだ中から邪悪な臭いをただよわせていた。セネカは直立不動のまま、上を見あげた。ミノタウロスが右腕をふりあげたのが見えた。そしてそのまま風を巻き起こすほどの勢いでふりおろした。
が、突然、けたたましい爆音がして、その腕が空中に跳ね飛んだ。セネカは思わずからだを竦ませ耳を塞ぐ。そのとたん、バランスをくずしてその場に尻餅をついた。
その目の前にミノタウロスの腕がころがっていた。
------------------------------------------------------------
「よかった。間に合いました」
エヴァ・ガードナーは機銃の銃口の先端から立ち昇っている煙を、ふっとひと息で吹き飛ばした。セネカはその仕草をみて尋ねた。
「エヴァどの。そ、それは?」
「あ、これぇ……。これはマシンガンって言います。今から二千年ほどあとに造られる兵器です」
「二千年……。そ、そなたはいったい……」
「あれぇ?。セネカ様、申しあげたと思いますよ。私たちは未来から来たって……」
その時、腕をふきとばされたミノタウロスが、エヴァの背後から左腕で殴りかかってきた。エヴァはとくにそちらに目をむけることなく、上半身だけをひねって銃口をそちらにむけ、ミノタウロスのからだに銃弾をぶちこんだ。
この時代には絶対に聞くことがないはずの、『ダダダダ……』という爆音が狭い室内に響き渡る。セネカがあわてて耳を塞いだ。
永遠に続くかと思うほどの、銃声のアンサンブル——。
はっと気づいた時には、そこにはミノタウロスの下半身しか残っていなかった。
エヴァは必要以上に射ちまくったと感じたが、それはそれで仕方のないことだ。先ほどあやうくライオンの餌食になるところだったのだ。その恐怖を思えば、これくらいのストレス発散は許されてもいいことだし、マリアのライオン相手の暴れっぷりに比べれば、むしろかわいいものだ。
エヴァはミノタウロスの上半身があったはずの空間を呆然として見つめているセネカに言った。
「セネカ様、このまま、この化物を駆逐しに行きます。そうしませんと、せっかく蜂起いただいたピソ様の軍勢は全滅してしまいそうですから」
「全滅?。全滅だと?」
「ええ、ほら」
エヴァは屈託のない笑顔で観客席のほうを手でさししめした。
そこではミノタウロス相手に兵士たちが戦っている様子が見て取れた。いや、ひいき目にみても一方的に蹂躙されていた。勝ち目など微塵もない戦いだった。
「おぉ。ミノタウロスどもが……。これで反乱は失敗なのか……?」
「ご心配なく。私が成功させてみせます。セネカ様は早くお逃げください」
「いや、できぬ。首謀者の一人が逃げだすなど」
「すでにミノタウロスという、人の世ならざるものが出現してます。もう人の手に余りますわ」
そこまで言っても、エヴァはこの頑迷な老人が退かないだろうと感じた。別の使命、別の退路を用意してあげなければ、首を縦にふれるはずもない。
「では、セネカさま。ネロを……ネロを追いかけて下さい。セネカ様のお手、みずからでネロの命脈を絶ってください」
これは思った以上にセネカの心に刺さったようだった。
「わたしの手で?」
「ええ。先ほどは仕損じましたが、大丈夫。次はかならずうまくやれます」
セネカはうわ言のような声で「あぁ」と呟きながら小刻みにる頷きはじめた。エヴァはセネカにとっての落し所を得たと判断した。
「ではセネカ様、お願いします」
エヴァはそう言うなりバルコニーの床を力強く蹴り、大きな跳躍をして空中に舞った。上空からざっと戦力を確認する。ミノタウロスは各所で猛威をふるっていた。
エヴァはまず一番手近にいるミノタウロスから片づけることにした。上空からさっとさらっただけでも、すでに五人ほどの兵士を手にかけていた。そして六人目と思われる兵士の頭を今、はねとばしたところだった。
エヴァは空中から降下しながら、マシンガンを撃った。弾丸がそのおおきな体躯に着弾していく。身悶えして暴れるミノタウロスが、首のない兵士の死体を前にかざして銃弾の盾にした。
エヴァはその盾に隠れるようにして、ミノタウロスのすぐ足元近くに着地すると、その腹に銃口を押し当て、目一杯引き鉄をひきしぼった。ひとたまりもなく化物がその場に倒れた。
その時ひときわ大きなミノタウロスが、観客席からアリーナの方に地響きをさせて飛び降りるのが見えた。何人もの兵士が難からのがれるために、観客席からアリーナに逃げようとするのを追いかけていた。
だが反対側の観客席からも別の一体がアリーナに降りたった。逃げる兵士が挟み撃ちにされる構図がそこにみえた。
キリスト教徒たちが命をおとしたその場所で、今度は兵士たちが殺戮されようとしていた。さっきまでとは違うのは、観衆が自分もふくめて数えるほどしかいないということ。
エヴァがアリーナに向かおうとすると、アリーナに転がった死体の小山の陰から人影が現れた。
マリアだった。うしろに老人をひきつれている。それがペテロだとすぐにわかった。
エヴァは自然に叫びだしていた。
「マリアさん。うしろにミノタウロスが来ています!」
目で見ているものが信じられない。場内を軽く見回しただけで、ミノタウロスはすくなくとも五体出現している。
一体のミノタウロスが周りを取り囲んだ兵士を素手で薙ぎ払った。その一撃で数人の兵士が十メートル以上も彼方に吹き飛んだ。さらに別の一体は、兵士のからだをる鷲掴《わしづか》みにするやいなや、その凶暴なちからで胴体からひきちぎっていた。
セネカはことばをうしなっていた。
その光景は誰がどうみても、悪夢そのものにしか感じられなかった。
「さあ、皇帝陛下。ここから脱しましょう」
ティゲリヌスがネロを先導しながら、脱出を促した。そこここで化物が咆哮をあげて、残虐の限りをつくしているというのに、それにはまったく頓着しようともせず、ネロはティゲリヌスに促されるまま、バルコニーの奥にある出口からでていった。
セネカの中にネロの脱出を止めねばという思いが突きあげたが、からだがなんの反応もしてくれなかった。ふと頭をめぐらすと、一体のミノタウロスがこちらに向かって突進してきているのが目にはいった。敵も味方も関係なく前に立ちはだかる兵士を、はね飛ばしていた。横にふるった張り手一発で、兵士のからだは上半身が消し飛んだ。
兵士の強固な防具などものともしない。あまりにも大きな力量差。
その時、逃げてきた兵士が、セネカのすぐそばに転がるように走り込んできた。
「セネカ様。危険です。お逃げください」
セネカはその兵士にけわしい顔をむけて言った。
「動かぬのだ。私の体が動かぬのだ」
「そんな……」
そう言って兵士がセネカの体をぐっと押した。だが、その体は仁王立ちしたままぴくりともしなかった。
「う、動きません。どういう……」
「わからぬ。おそらくティゲリヌスが、何か術をかけたのだ」
「そんな。でも早くしませ……」
セネカの目の前にいた兵士が弾けとんだ。一瞬にして兵士のからだは横壁に叩きつけられ、そのまま壁に張りついていた。
目の前にミノタウロスがいた。
狂った目。からだ中から邪悪な臭いをただよわせていた。セネカは直立不動のまま、上を見あげた。ミノタウロスが右腕をふりあげたのが見えた。そしてそのまま風を巻き起こすほどの勢いでふりおろした。
が、突然、けたたましい爆音がして、その腕が空中に跳ね飛んだ。セネカは思わずからだを竦ませ耳を塞ぐ。そのとたん、バランスをくずしてその場に尻餅をついた。
その目の前にミノタウロスの腕がころがっていた。
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「よかった。間に合いました」
エヴァ・ガードナーは機銃の銃口の先端から立ち昇っている煙を、ふっとひと息で吹き飛ばした。セネカはその仕草をみて尋ねた。
「エヴァどの。そ、それは?」
「あ、これぇ……。これはマシンガンって言います。今から二千年ほどあとに造られる兵器です」
「二千年……。そ、そなたはいったい……」
「あれぇ?。セネカ様、申しあげたと思いますよ。私たちは未来から来たって……」
その時、腕をふきとばされたミノタウロスが、エヴァの背後から左腕で殴りかかってきた。エヴァはとくにそちらに目をむけることなく、上半身だけをひねって銃口をそちらにむけ、ミノタウロスのからだに銃弾をぶちこんだ。
この時代には絶対に聞くことがないはずの、『ダダダダ……』という爆音が狭い室内に響き渡る。セネカがあわてて耳を塞いだ。
永遠に続くかと思うほどの、銃声のアンサンブル——。
はっと気づいた時には、そこにはミノタウロスの下半身しか残っていなかった。
エヴァは必要以上に射ちまくったと感じたが、それはそれで仕方のないことだ。先ほどあやうくライオンの餌食になるところだったのだ。その恐怖を思えば、これくらいのストレス発散は許されてもいいことだし、マリアのライオン相手の暴れっぷりに比べれば、むしろかわいいものだ。
エヴァはミノタウロスの上半身があったはずの空間を呆然として見つめているセネカに言った。
「セネカ様、このまま、この化物を駆逐しに行きます。そうしませんと、せっかく蜂起いただいたピソ様の軍勢は全滅してしまいそうですから」
「全滅?。全滅だと?」
「ええ、ほら」
エヴァは屈託のない笑顔で観客席のほうを手でさししめした。
そこではミノタウロス相手に兵士たちが戦っている様子が見て取れた。いや、ひいき目にみても一方的に蹂躙されていた。勝ち目など微塵もない戦いだった。
「おぉ。ミノタウロスどもが……。これで反乱は失敗なのか……?」
「ご心配なく。私が成功させてみせます。セネカ様は早くお逃げください」
「いや、できぬ。首謀者の一人が逃げだすなど」
「すでにミノタウロスという、人の世ならざるものが出現してます。もう人の手に余りますわ」
そこまで言っても、エヴァはこの頑迷な老人が退かないだろうと感じた。別の使命、別の退路を用意してあげなければ、首を縦にふれるはずもない。
「では、セネカさま。ネロを……ネロを追いかけて下さい。セネカ様のお手、みずからでネロの命脈を絶ってください」
これは思った以上にセネカの心に刺さったようだった。
「わたしの手で?」
「ええ。先ほどは仕損じましたが、大丈夫。次はかならずうまくやれます」
セネカはうわ言のような声で「あぁ」と呟きながら小刻みにる頷きはじめた。エヴァはセネカにとっての落し所を得たと判断した。
「ではセネカ様、お願いします」
エヴァはそう言うなりバルコニーの床を力強く蹴り、大きな跳躍をして空中に舞った。上空からざっと戦力を確認する。ミノタウロスは各所で猛威をふるっていた。
エヴァはまず一番手近にいるミノタウロスから片づけることにした。上空からさっとさらっただけでも、すでに五人ほどの兵士を手にかけていた。そして六人目と思われる兵士の頭を今、はねとばしたところだった。
エヴァは空中から降下しながら、マシンガンを撃った。弾丸がそのおおきな体躯に着弾していく。身悶えして暴れるミノタウロスが、首のない兵士の死体を前にかざして銃弾の盾にした。
エヴァはその盾に隠れるようにして、ミノタウロスのすぐ足元近くに着地すると、その腹に銃口を押し当て、目一杯引き鉄をひきしぼった。ひとたまりもなく化物がその場に倒れた。
その時ひときわ大きなミノタウロスが、観客席からアリーナの方に地響きをさせて飛び降りるのが見えた。何人もの兵士が難からのがれるために、観客席からアリーナに逃げようとするのを追いかけていた。
だが反対側の観客席からも別の一体がアリーナに降りたった。逃げる兵士が挟み撃ちにされる構図がそこにみえた。
キリスト教徒たちが命をおとしたその場所で、今度は兵士たちが殺戮されようとしていた。さっきまでとは違うのは、観衆が自分もふくめて数えるほどしかいないということ。
エヴァがアリーナに向かおうとすると、アリーナに転がった死体の小山の陰から人影が現れた。
マリアだった。うしろに老人をひきつれている。それがペテロだとすぐにわかった。
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