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ダイブ3 クォ=ヴァディスの巻 〜 暴君ネロ 編 〜
第48話 ペテロ様、あんたはこのあと逆さ十字架にて殉教する
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血溜まりのなかに赤い髪飾りが転がっていた。
マリアは屈みこんで、それを拾いあげると、その脇に膝をついた。
そこにリトル・マリアがいた。
マリアは涙にむせびながら、その顔を見つめた。どうしても涙がとまらなかった。悔しさと無念さが胸にせきあげてくる。
「ごめん……な……。お姉ちゃん……、助けられなかった……」
マリアは髪飾りについた血を拭うと、いとおしげにリトル・マリアの髪の毛に留めつけてやった。マリアは真摯な表情で十字を切ると、指を組んで祈りを捧げはじめた。
「わたしは間に合わなかったのだな」
ふいにうしろから声がきこえた。マリアは振り向かなくとも、それがだれかわかった。祈りのポーズをくずさないまま、マリアが答えた。
「あぁ、ペトロ様。だけど、主のお導きで、オレ……は救われたよ」
「しかし、わたしはここにいる信者を、愛する人々を救えなかった……」
マリアはペトロの顔をみることがはばかられたので、そのままの姿勢で背後にいる老人にむかって言った。
「ペテロ様、あんたは実際の歴史では惨劇の前にこの闘技場に戻ってきて、イエス様の御言葉を語り、祈り、信者たちを励ました。オレたちが来たことで、この世界ではその順番が変わった。すまねぇ」
「実際の歴史……?」
「あんたはイエス様に会って『主よ、いずこへ行かれるのですか?』と問われたはずだ」
ペトロの目がおおきく見開かれた。
「そなた、なぜそれを?」
「オレはそういう力を持った者だからな」
「そうか。そなたもセイとおなじ『使徒』であったな」
「いや、ペテロ様。オレはそんなに心は強くねぇ」
「そうですね。わたしも今この場には平常心ではいられません」
「だが、実際にはわたしはこの残酷な場所にいて、信者たちを救うのですね」
「あぁ。信者の心だけな」
「それでわたしはどうなるのですか?」
「あんたは、信者たちを励ましている最中にローマ兵に捕らえれて、逆さ十字架にて殉教する」
「そうですか……。それを主がわたしにお命じになったのですね」
「ならば、今からでも、ここにいる御霊に祝福を授けることにしましょう」
「手伝ってもいいかな」
「えぇ。マリアどの。ぜひお願いします」
------------------------------------------------------------
セネカはギリシャ神話から抜け出たような化物に唇を震わせていた。
目で見ているものが信じられない。場内を軽く見回しただけで、ミノタウロスはすくなくとも五体出現している。
一体のミノタウロスが周りを取り囲んだ兵士を素手で薙ぎ払った。その一撃で数人の兵士が十メートル以上も彼方に吹き飛んだ。さらに別の一体は、兵士のからだを鷲掴みにするやいなや、その凶暴なちからで胴体からひきちぎっていた。
セネカはことばをうしなった。
その光景は誰がどうみても、悪夢そのものにしか感じられなかった。
「さあ、皇帝陛下。ここから脱しましょう」
ティゲリヌスがネロを先導しながら、脱出を促した。そこここで化物が咆哮をあげて、残虐の限りをつくしているというのに、それにはまったく頓着しようともせず、ネロはティゲリヌスに促されるまま、バルコニーの奥にある出口からでていった。
セネカの中にネロの脱出を止めねばという思いが突き上げたが、からだがなんの反応もしてくれなかった。ふと頭をめぐらすと、一体のミノタウロスがこちらに向かって突進してきているのが目にはいった。敵も味方も関係なく前に立ちはだかる兵士を、はね飛ばしていた。横にふるった張り手一発で、兵士のからだは上半身が消し飛んだ。
兵士の強固な防具などものともしない。あまりにも大きな力量差。
その時、逃げてきた兵士が、セネカのすぐそばに転がるように走り込んできた。
「セネカ様。危険です。お逃げ下さい」
セネカはその兵士に険しい顔をむけて言った。
「動かぬのだ。私の体が動かぬのだ」
「そんな」
そう言って兵士がセネカの体をぐっと押した。だが、その体は仁王立ちしたままぴくりともしなかった。
「う、動きません。どういう……」
「わからぬ。おそらくティゲリヌスが、何か術をかけたのだ」
「そんな。でも早くしませ……」
セネカの目の前にいた兵士が弾けとんだ。一瞬にして兵士のからだは横壁に叩きつけられ、そのまま壁に張りついていた。
目の前にミノタウロスがいた。
狂った目。からだ中から邪悪な臭いをただよわせていた。セネカは直立不動のまま、上を見あげた。ミノタウロスが右腕をふりあげたのが見えた。そしてそのまま風を巻き起こすほどの勢いでふりおろした。
が、突然、けたたましい爆音がして、その腕が空中に跳ね飛んだ。セネカは思わずからだを竦ませ耳を塞いだ。そのとたん、バランスをくずしてその場に尻餅をついた。
その目の前にミノタウロスの腕がころがってきた。
マリアは屈みこんで、それを拾いあげると、その脇に膝をついた。
そこにリトル・マリアがいた。
マリアは涙にむせびながら、その顔を見つめた。どうしても涙がとまらなかった。悔しさと無念さが胸にせきあげてくる。
「ごめん……な……。お姉ちゃん……、助けられなかった……」
マリアは髪飾りについた血を拭うと、いとおしげにリトル・マリアの髪の毛に留めつけてやった。マリアは真摯な表情で十字を切ると、指を組んで祈りを捧げはじめた。
「わたしは間に合わなかったのだな」
ふいにうしろから声がきこえた。マリアは振り向かなくとも、それがだれかわかった。祈りのポーズをくずさないまま、マリアが答えた。
「あぁ、ペトロ様。だけど、主のお導きで、オレ……は救われたよ」
「しかし、わたしはここにいる信者を、愛する人々を救えなかった……」
マリアはペトロの顔をみることがはばかられたので、そのままの姿勢で背後にいる老人にむかって言った。
「ペテロ様、あんたは実際の歴史では惨劇の前にこの闘技場に戻ってきて、イエス様の御言葉を語り、祈り、信者たちを励ました。オレたちが来たことで、この世界ではその順番が変わった。すまねぇ」
「実際の歴史……?」
「あんたはイエス様に会って『主よ、いずこへ行かれるのですか?』と問われたはずだ」
ペトロの目がおおきく見開かれた。
「そなた、なぜそれを?」
「オレはそういう力を持った者だからな」
「そうか。そなたもセイとおなじ『使徒』であったな」
「いや、ペテロ様。オレはそんなに心は強くねぇ」
「そうですね。わたしも今この場には平常心ではいられません」
「だが、実際にはわたしはこの残酷な場所にいて、信者たちを救うのですね」
「あぁ。信者の心だけな」
「それでわたしはどうなるのですか?」
「あんたは、信者たちを励ましている最中にローマ兵に捕らえれて、逆さ十字架にて殉教する」
「そうですか……。それを主がわたしにお命じになったのですね」
「ならば、今からでも、ここにいる御霊に祝福を授けることにしましょう」
「手伝ってもいいかな」
「えぇ。マリアどの。ぜひお願いします」
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セネカはギリシャ神話から抜け出たような化物に唇を震わせていた。
目で見ているものが信じられない。場内を軽く見回しただけで、ミノタウロスはすくなくとも五体出現している。
一体のミノタウロスが周りを取り囲んだ兵士を素手で薙ぎ払った。その一撃で数人の兵士が十メートル以上も彼方に吹き飛んだ。さらに別の一体は、兵士のからだを鷲掴みにするやいなや、その凶暴なちからで胴体からひきちぎっていた。
セネカはことばをうしなった。
その光景は誰がどうみても、悪夢そのものにしか感じられなかった。
「さあ、皇帝陛下。ここから脱しましょう」
ティゲリヌスがネロを先導しながら、脱出を促した。そこここで化物が咆哮をあげて、残虐の限りをつくしているというのに、それにはまったく頓着しようともせず、ネロはティゲリヌスに促されるまま、バルコニーの奥にある出口からでていった。
セネカの中にネロの脱出を止めねばという思いが突き上げたが、からだがなんの反応もしてくれなかった。ふと頭をめぐらすと、一体のミノタウロスがこちらに向かって突進してきているのが目にはいった。敵も味方も関係なく前に立ちはだかる兵士を、はね飛ばしていた。横にふるった張り手一発で、兵士のからだは上半身が消し飛んだ。
兵士の強固な防具などものともしない。あまりにも大きな力量差。
その時、逃げてきた兵士が、セネカのすぐそばに転がるように走り込んできた。
「セネカ様。危険です。お逃げ下さい」
セネカはその兵士に険しい顔をむけて言った。
「動かぬのだ。私の体が動かぬのだ」
「そんな」
そう言って兵士がセネカの体をぐっと押した。だが、その体は仁王立ちしたままぴくりともしなかった。
「う、動きません。どういう……」
「わからぬ。おそらくティゲリヌスが、何か術をかけたのだ」
「そんな。でも早くしませ……」
セネカの目の前にいた兵士が弾けとんだ。一瞬にして兵士のからだは横壁に叩きつけられ、そのまま壁に張りついていた。
目の前にミノタウロスがいた。
狂った目。からだ中から邪悪な臭いをただよわせていた。セネカは直立不動のまま、上を見あげた。ミノタウロスが右腕をふりあげたのが見えた。そしてそのまま風を巻き起こすほどの勢いでふりおろした。
が、突然、けたたましい爆音がして、その腕が空中に跳ね飛んだ。セネカは思わずからだを竦ませ耳を塞いだ。そのとたん、バランスをくずしてその場に尻餅をついた。
その目の前にミノタウロスの腕がころがってきた。
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