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ダイブ3 クォ=ヴァディスの巻 〜 暴君ネロ 編 〜
第40話 ガイウス・ピソ出陣
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くぐもった歓声が壁のむこうから聞こえてきた。この石畳で隔てられてた先にある観客席の狂気が、忌まわしい空気となってこの通路まで侵食してくるようだった。
エヴァ・ガードナーはとなりにいる中年の男性を見あげた。
「ピソさん。よくこの短時間でこれだけの兵をかき集められましたね」
ガイウス・ピソは背が高くすらりとした体躯であったが、それにも増して見てくれもいい男だった。古くて高貴な家系であるカルプルニウス家の出身らしく、その立ち居振る舞いには、隠しきれない気品や清冽さが顔に現れていた。彼は先代皇帝クラウディウスには重用され、執政官として力を奮ったが、ネロの時代には不遇をかこつことが多くなった。規律や摂生を重んじるピソと、不摂生のあまり二十代にしてだらしなく肥え太っているネロとでは生き様は、水と油であったから当然の結果でもあった。
「エヴァどの。ネロをよく思わない者はこのローマには多い。元老院議員、貴族、騎士階級の者たちから協力を取りつけるのは容易なのですよ」
ピソが背後に目をちらりと目をはせた。そこには百人をゆうに超える兵隊たちが整列して、エヴァたちにつき従っていた。
「しかし、本当のあなたは、反乱に失敗して自死を命じられるのですよ」
「ええ。セネカ様から聞きました。わたしはその話をにわかには信じられませんが、今こうして蜂起の準備が整ったのですから、そのチャンスを生かすことにしましょう」
その時、正面の通路からセネカが現れた。しきりに背後を気にしている。
「セネカ様。状況はどのように?」
ピソが背丈をすこし縮めて、セネカのほうへ顔を近づけた。セネカはすこし息を切らしていたが、ピソの耳元で囁いた。
「ネロは今、数人の取り巻きだけに囲まれ、キリスト教徒の処刑を観覧されておる。ティゲリヌスがちとやっかいだが、護衛も少ない今がチャンスだ」
「ペテロニウスどのは?」
「うむ。協力は取りつけたのだが、ティゲリヌスの指示で黄金宮殿の警護のほうに回されてしまって、ここにはおらんのだ」
キリスト教徒の処刑——。
エヴァはセネカがさらりと言及した競技場内の状況報告が気になった。
「セネカ様。キリスト教徒の処刑はもう始まっているのですか?」
「エヴァどの、もちろんですとも。ネロが処刑に夢中になっているところを討つ手筈なのですから」
とたんにエヴァは気分がわるくなってきた。
「そ、それは火あぶりの刑かなにかでしょうか?」
「いや、エヴァどの。猛獣による処刑……」
そこまで言ったところで、セネカの目がおおきく見開かれた。
「あ、あぁ、エヴァどの……。あなた様のお友だちのマリアどのが……ライオンに……」
エヴァの咽におそろしく膨れあがった不安が流れ込んできた。おもわず嘔吐きそうになる。だが、それははすでに咽を通り抜けるはずもない大きさの、嫌な予感に変わっていた。吐こうとすれば、間違いなく息を詰まらせてしまう。
「セネカ様。マリアさんは、ど、どうなったんです?」
いつのまにかエヴァは老人の腕を掴んで、荒々しく揺さぶっていた。
「あ、あぁ、なにもしていません。なにもできずに……」
エヴァはそれ以上、聞いていられなかった。手のひらを広げると、『力』を呼びだそうと精神力を込めた。
なにも起きなかった。
手のなかに光が瞬くことすらない。
「あぁ、神様!」
エヴァ・ガードナーはとなりにいる中年の男性を見あげた。
「ピソさん。よくこの短時間でこれだけの兵をかき集められましたね」
ガイウス・ピソは背が高くすらりとした体躯であったが、それにも増して見てくれもいい男だった。古くて高貴な家系であるカルプルニウス家の出身らしく、その立ち居振る舞いには、隠しきれない気品や清冽さが顔に現れていた。彼は先代皇帝クラウディウスには重用され、執政官として力を奮ったが、ネロの時代には不遇をかこつことが多くなった。規律や摂生を重んじるピソと、不摂生のあまり二十代にしてだらしなく肥え太っているネロとでは生き様は、水と油であったから当然の結果でもあった。
「エヴァどの。ネロをよく思わない者はこのローマには多い。元老院議員、貴族、騎士階級の者たちから協力を取りつけるのは容易なのですよ」
ピソが背後に目をちらりと目をはせた。そこには百人をゆうに超える兵隊たちが整列して、エヴァたちにつき従っていた。
「しかし、本当のあなたは、反乱に失敗して自死を命じられるのですよ」
「ええ。セネカ様から聞きました。わたしはその話をにわかには信じられませんが、今こうして蜂起の準備が整ったのですから、そのチャンスを生かすことにしましょう」
その時、正面の通路からセネカが現れた。しきりに背後を気にしている。
「セネカ様。状況はどのように?」
ピソが背丈をすこし縮めて、セネカのほうへ顔を近づけた。セネカはすこし息を切らしていたが、ピソの耳元で囁いた。
「ネロは今、数人の取り巻きだけに囲まれ、キリスト教徒の処刑を観覧されておる。ティゲリヌスがちとやっかいだが、護衛も少ない今がチャンスだ」
「ペテロニウスどのは?」
「うむ。協力は取りつけたのだが、ティゲリヌスの指示で黄金宮殿の警護のほうに回されてしまって、ここにはおらんのだ」
キリスト教徒の処刑——。
エヴァはセネカがさらりと言及した競技場内の状況報告が気になった。
「セネカ様。キリスト教徒の処刑はもう始まっているのですか?」
「エヴァどの、もちろんですとも。ネロが処刑に夢中になっているところを討つ手筈なのですから」
とたんにエヴァは気分がわるくなってきた。
「そ、それは火あぶりの刑かなにかでしょうか?」
「いや、エヴァどの。猛獣による処刑……」
そこまで言ったところで、セネカの目がおおきく見開かれた。
「あ、あぁ、エヴァどの……。あなた様のお友だちのマリアどのが……ライオンに……」
エヴァの咽におそろしく膨れあがった不安が流れ込んできた。おもわず嘔吐きそうになる。だが、それははすでに咽を通り抜けるはずもない大きさの、嫌な予感に変わっていた。吐こうとすれば、間違いなく息を詰まらせてしまう。
「セネカ様。マリアさんは、ど、どうなったんです?」
いつのまにかエヴァは老人の腕を掴んで、荒々しく揺さぶっていた。
「あ、あぁ、なにもしていません。なにもできずに……」
エヴァはそれ以上、聞いていられなかった。手のひらを広げると、『力』を呼びだそうと精神力を込めた。
なにも起きなかった。
手のなかに光が瞬くことすらない。
「あぁ、神様!」
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