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ダイブ3 クォ=ヴァディスの巻 〜 暴君ネロ 編 〜
第39話 キリスト教徒大殺戮
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数万人の熱気と歓声が、競技場いっぱいに広がっていた。
それは先ほどまでのキリスト教徒への怒号や罵りではなかった。まだほんのすこしは混じっていたが、それはひとふりの隠し味程度でしかない。
いま、そこに渦巻いているのは、常軌を逸するほどの異常な興奮と期待だった。
「くそぉぉぉ。さっきまでの怒りの矛先はなんだったんだ」
マリアは密集する教徒たちの真正面、矢面にたつ位置に陣取って、その異常なバイブレーションの変化を感じ取っていた。すぐ隣のケラドゥスが言った。
「ローマ市民も薄々感づいているのだ。ローマに火を放ったのが、キリスト教徒ではないことを……」
「だったら、なぜ、それをみんなに訴えない!」
腹立ちまぎれにマリアが声をあげた。
「マリアどの。それが無駄なのは、そなたが一番よくご存知でしょう。ここに集った市民は、他人の血が飛び散り、肉片が食いちぎられるのを見たいだけなのですから……」
「こいつら、狂ってやがる」
「あぁ。ですが、わたしもすこし前まで、その狂気を演出する一員でした。わたしが今、この場に引き出されているのは、ある意味、運命。神の思し召しなのです」
猛獣の群れが教徒たちの隙を窺いなら、じりじりと間合いを詰めてくる。
「マリアどの、これを」
ケラドゥスがマリアに、麻布かなにかを引き裂いたものらしき布を手渡してきた。意味もわからずそれを受け取ったが、ケラドゥスを見ると、彼は自分の左腕にその布を巻きつけていた。
マリアは猛獣の牙をそれで受けるつもりだと理解した。こんな薄い布では気休めにしかならないと思ったが、気づくとケラドゥスにならって布を左腕に巻きつけていた。
ケラドゥスがマリアに問うた。
「マリアどの。またあの時のように、ライオンを素手で倒せるかね?」
「チャンピオン、すまない。今回は役に立てそうにねぇ」
「そうか…。しかたあるまい。奇跡というものは、そう何度も起きるものではないからな」
マリアが顔を悔しさにゆがめながら、自分の手のひらを見つめた。
なんの反応も起きなかった。
『くそぅ、力さえ、あの力さえ、宿ってくれれば……』
そのとき、集団の端のほうにいたメスライオンが突然、女性信者に襲いかかった。二匹同時だった。それがほかの群れへの合図であったように、ほかの猛獣たちが教徒たちの集まりのなかに飛び込んでいった。
「くそう!」
マリアがライオンに襲われた男性の元に駆け寄ろうとしたが、ずっとマリアに狙いをさだめていたオスライオンがマリアめがけて飛びかかってきた。おおきな体躯を俊敏にゆすらせて、上からのしかかるようにして噛みついてくる。あわてて布を巻き付けていた左腕を前に構える。ライオンがそのうえから、容赦なく牙をたてる。
腕に巻いていた麻布のクッションは思ったより効果があった。ライオンの牙は腕にまで達しなかった。だが、強烈な顎の力に、腕が押し潰されそうになる。マリアは、顔をゆがながら、渾身のちからでそのまま腕をよこに薙ぎ払った。
思わぬ抵抗におどろいたのか、ライオンが口をはなすと、からだを翻して一度うしろへ後退した。が、その横からメスライオンが飛び込んできて、マリアののど笛をめがけて爪をたてようとする。
マリアがからだを素早く回転させると、その鼻っつらに力いっぱい回し蹴りをいれた。【ぎゃん】という悲鳴をあげ、びっくりしてメスライオンがあとずさりした。
「ママぁあぁあぁ」
自分の後方から少女の悲鳴が聞こえてきた。
だが、二匹のライオンと対峙していては、迂闊にはふりむけなかった。マリアは目で二匹を威嚇しながら、ゆっくりとからだを声の方角へむけて目の端で少女の姿を追った。
メスライオンに引き倒され血まみれになりながら、最後の抵抗をしている教徒の姿が目に飛び込んでくる。その横にいる老婆はすでに抵抗することなく、二匹のライオンに引き裂かれるままになっていた。
その脇では、寄ってくるライオンを牽制しながら、仕留めた獲物をむさぼり喰うトラの姿、そのむこうにはメスライオンに引き摺られていくわかい女性の姿があった。女性はすでに絶命しているのか、ぴくりともしない。
そして、その奥の競技場の外周の壁に背中を張りつかせたまま、泣き叫んでいる少女がいた。
赤い髪飾りの少女ーー。
リトル・マリアだった。
そのすぐ真上には観客席の最前列がある。壁際に追いつめられた少女を見ようと、からだを観客席から数人に若者たちが乗り出して、なにかをはやし立てていた。
『マリア……』
マリアは自分を狙っている二匹を鋭い目つきを投げつけると、一気にリトル・マリアのほうへ駆け出した。
老婆をむさぼりはじめたライオンの横をすり抜け、すでに口元を真っ赤にしたトラをおおきく回避する。その距離二十メートルほどだったが、あとすこしで少女の元へ滑り込めると思った瞬間、背後からただならぬ殺気がおそった。
すぐ耳元で飢えた猛獣の舌なめずりの音が聞こえたような気がした。
マリアは突進するスピードを利用して、横方向へからだを回転させて地面に転がった。その上をオスライオンの体躯が超えていく。マリアの脳裏に『助かった』という気持ちが一瞬灯ったが、まったくなにも危機は回避できていないことを思い出した。
マリアは這うようにして、泣きじゃくる少女の元に躙り寄った。リトル・マリアはマリアの姿を認めると、ことさら大粒の涙を落とした。
「マリアおねぇちゃんんんんん。ママがぁ、ママがぁぁぁ……」
リトル・マリアの見つめる先には少女の母親の骸が転がっていた。その喉元にはメスライオンが顔を突っ込んで、肉片を食んでいた。
「マリア。大丈夫だ。お姉ちゃんがついてる。しっかりしろ!」
マリアがリトル・マリアの肩を掴んで言った。
その鼓舞することばは、半分は自分にむけられている。だが、マリアはわかっていた。
今の自分にはなんの力もないことを……。
ライオンを倒すことも、現実世界に戻ることも、ましては、この子を守ることもできないことも、身をもって知っていた。
それは先ほどまでのキリスト教徒への怒号や罵りではなかった。まだほんのすこしは混じっていたが、それはひとふりの隠し味程度でしかない。
いま、そこに渦巻いているのは、常軌を逸するほどの異常な興奮と期待だった。
「くそぉぉぉ。さっきまでの怒りの矛先はなんだったんだ」
マリアは密集する教徒たちの真正面、矢面にたつ位置に陣取って、その異常なバイブレーションの変化を感じ取っていた。すぐ隣のケラドゥスが言った。
「ローマ市民も薄々感づいているのだ。ローマに火を放ったのが、キリスト教徒ではないことを……」
「だったら、なぜ、それをみんなに訴えない!」
腹立ちまぎれにマリアが声をあげた。
「マリアどの。それが無駄なのは、そなたが一番よくご存知でしょう。ここに集った市民は、他人の血が飛び散り、肉片が食いちぎられるのを見たいだけなのですから……」
「こいつら、狂ってやがる」
「あぁ。ですが、わたしもすこし前まで、その狂気を演出する一員でした。わたしが今、この場に引き出されているのは、ある意味、運命。神の思し召しなのです」
猛獣の群れが教徒たちの隙を窺いなら、じりじりと間合いを詰めてくる。
「マリアどの、これを」
ケラドゥスがマリアに、麻布かなにかを引き裂いたものらしき布を手渡してきた。意味もわからずそれを受け取ったが、ケラドゥスを見ると、彼は自分の左腕にその布を巻きつけていた。
マリアは猛獣の牙をそれで受けるつもりだと理解した。こんな薄い布では気休めにしかならないと思ったが、気づくとケラドゥスにならって布を左腕に巻きつけていた。
ケラドゥスがマリアに問うた。
「マリアどの。またあの時のように、ライオンを素手で倒せるかね?」
「チャンピオン、すまない。今回は役に立てそうにねぇ」
「そうか…。しかたあるまい。奇跡というものは、そう何度も起きるものではないからな」
マリアが顔を悔しさにゆがめながら、自分の手のひらを見つめた。
なんの反応も起きなかった。
『くそぅ、力さえ、あの力さえ、宿ってくれれば……』
そのとき、集団の端のほうにいたメスライオンが突然、女性信者に襲いかかった。二匹同時だった。それがほかの群れへの合図であったように、ほかの猛獣たちが教徒たちの集まりのなかに飛び込んでいった。
「くそう!」
マリアがライオンに襲われた男性の元に駆け寄ろうとしたが、ずっとマリアに狙いをさだめていたオスライオンがマリアめがけて飛びかかってきた。おおきな体躯を俊敏にゆすらせて、上からのしかかるようにして噛みついてくる。あわてて布を巻き付けていた左腕を前に構える。ライオンがそのうえから、容赦なく牙をたてる。
腕に巻いていた麻布のクッションは思ったより効果があった。ライオンの牙は腕にまで達しなかった。だが、強烈な顎の力に、腕が押し潰されそうになる。マリアは、顔をゆがながら、渾身のちからでそのまま腕をよこに薙ぎ払った。
思わぬ抵抗におどろいたのか、ライオンが口をはなすと、からだを翻して一度うしろへ後退した。が、その横からメスライオンが飛び込んできて、マリアののど笛をめがけて爪をたてようとする。
マリアがからだを素早く回転させると、その鼻っつらに力いっぱい回し蹴りをいれた。【ぎゃん】という悲鳴をあげ、びっくりしてメスライオンがあとずさりした。
「ママぁあぁあぁ」
自分の後方から少女の悲鳴が聞こえてきた。
だが、二匹のライオンと対峙していては、迂闊にはふりむけなかった。マリアは目で二匹を威嚇しながら、ゆっくりとからだを声の方角へむけて目の端で少女の姿を追った。
メスライオンに引き倒され血まみれになりながら、最後の抵抗をしている教徒の姿が目に飛び込んでくる。その横にいる老婆はすでに抵抗することなく、二匹のライオンに引き裂かれるままになっていた。
その脇では、寄ってくるライオンを牽制しながら、仕留めた獲物をむさぼり喰うトラの姿、そのむこうにはメスライオンに引き摺られていくわかい女性の姿があった。女性はすでに絶命しているのか、ぴくりともしない。
そして、その奥の競技場の外周の壁に背中を張りつかせたまま、泣き叫んでいる少女がいた。
赤い髪飾りの少女ーー。
リトル・マリアだった。
そのすぐ真上には観客席の最前列がある。壁際に追いつめられた少女を見ようと、からだを観客席から数人に若者たちが乗り出して、なにかをはやし立てていた。
『マリア……』
マリアは自分を狙っている二匹を鋭い目つきを投げつけると、一気にリトル・マリアのほうへ駆け出した。
老婆をむさぼりはじめたライオンの横をすり抜け、すでに口元を真っ赤にしたトラをおおきく回避する。その距離二十メートルほどだったが、あとすこしで少女の元へ滑り込めると思った瞬間、背後からただならぬ殺気がおそった。
すぐ耳元で飢えた猛獣の舌なめずりの音が聞こえたような気がした。
マリアは突進するスピードを利用して、横方向へからだを回転させて地面に転がった。その上をオスライオンの体躯が超えていく。マリアの脳裏に『助かった』という気持ちが一瞬灯ったが、まったくなにも危機は回避できていないことを思い出した。
マリアは這うようにして、泣きじゃくる少女の元に躙り寄った。リトル・マリアはマリアの姿を認めると、ことさら大粒の涙を落とした。
「マリアおねぇちゃんんんんん。ママがぁ、ママがぁぁぁ……」
リトル・マリアの見つめる先には少女の母親の骸が転がっていた。その喉元にはメスライオンが顔を突っ込んで、肉片を食んでいた。
「マリア。大丈夫だ。お姉ちゃんがついてる。しっかりしろ!」
マリアがリトル・マリアの肩を掴んで言った。
その鼓舞することばは、半分は自分にむけられている。だが、マリアはわかっていた。
今の自分にはなんの力もないことを……。
ライオンを倒すことも、現実世界に戻ることも、ましては、この子を守ることもできないことも、身をもって知っていた。
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