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第四章 第一節 四解文書 第一節 それを知れば憤怒にかられる

第865話 名前なんてどうだっていい

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「名前は意味をなさないって、どーいうこと?」
 エンマ・アイがそのとき、立ち上がって怒鳴っていたという記憶がぼくにはある。

「しかたがないでしょ。名前についてのあらゆるデータベースが破壊されちゃったンだから」
 そう答えた女性教師は、妙に色気を強調した格好をしていた。自己紹介もなしに、いきなり授業にはいったので、ぼくの覚えているのは、そういう格好をしていた、ってことだけだ。

「200年前の『反動パルス・ニホニウム爆弾』の実験で、すべておかしくなったのよ。まったく政治体制が変わっても、ろくな真似をしないったらない。かの国は」
「なんで日本の名前がついてンのよぉ」
「嫌がらせでしょ。113番目の元素『ニホニウム』が使われてるのはたしかだけど、爆弾の名前にわざわざつけるのは、嫌がらせだと思うわ」

「その爆弾と名前がなんの関係があるんですか?」
 ぼくには素朴な疑問だった。ぼくらがアクセスできる情報源には、それに関するデータはなかったからだ。

基地局喪失サーバー・バニッシュド。聞いたことない?」
「いえ。初めてです」
「そっかぁ、情報統制かかってたから、仕方がないかぁ」

「なによぉ、その基地局喪失サーバー・バニッシュドってぇ」

「『反動パルス・ニホニウム爆弾』のせいでおきた、地球規模のサーバー消失事故のこと。当時は大変だったらしいわ。世界の人口の3分の1くらいが、このサーバーに繋がってたらしいから。しかも直接ね」
「直接……って、どのくらいの……」

「全感覚。五感だけでなく『想覚』と『霊覚』まで含めた七感全部」
「ど、どうなったの?」
 アイはあきらかに息を飲んでた。
「繋がっていた20億人のひとたちの脳に障害が残ったわ。ほとんどが『記憶』や『感情』の一部をうしなったんだけど、なかには『人格』が変貌したりしたひともいたらしいわ」
「なんで、その基地局喪失サーバー・バニッシュドなんて起きたの?」

「その当時のコンピューターは、IP細胞から作りだしたバイオ・コンピューターを使ってたらしいの。でもこのバイオ・コンピューターが、「反動パルス・ニホニウム爆弾』の爆発後におきた、微細なパルスの影響を受けたの。AIですら予測できてなかった」

「なにが起きたの?」

「この微細なパルスはすべての生体に悪影響を与えた。さいわい人間そのものへの影響は軽微だったけど、バイオ・コンピューターはモロに打撃をこうむった。あっという魔に世界中に伝播して、CPUが動きをとめて、ストレージはすべて読み出し不能なった」

「これってどういうことか、わかる?」
 アイは大袈裟に首をふると、女性教師はため息交じりに言った。

「人類の歴史のほとんどが消え去った、ってこと」
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